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[きぬ] パンダでいいです-3-

 表情を仕事モードに戻すため、一度従業員用の手洗いに立ち寄り、鏡を覗き込む。  あー、めんどくさ。声になるかならないかのボリュームで口を動かす。 「聞き捨てならないねぇ。『付き合ってる人がいるのでぇ』だって。  なあに? とうとうお前ら出来上がったの? それとも別件で? ウケるんだけどぉ」  手洗いの扉に寄りかかり、いつのまにか高野が出口を塞いでいた。  ニヤニヤしながらからかいに来たけれど、高野だって結構呼び出されているじゃないか。 「わかってて言ってるだろ、高野。  言葉のあやだよ、あや。  コイビトいるっていえばハイソウデスヨネ、で済むじゃないか」 「手紙くらい受け取ってやればいいじゃねえか、フリーなんだから。衣笠がこんなにモテるの、今がピークだろ」  放っとけ。  そういう高野は、元々モテるタイプだと思う。寮内でくっつかなくたって、女の子に不自由しないだろうに。身長もあるし、垂れ気味の二重の目元は第一印象から嫌われる事はない。そのせいもあってか、学内寮で待つ彼の恋人は誰よりも独占欲が強くて、うっかり目の前で高野と話そうものなら鬼の形相で睨みつけられる。あのフリーペーパーの表紙だって、高野と僕が並んでいるのをきっと嫌がっているんだろう。だから高野は、仕事場に寝泊まりなんかしないで毎晩寮に帰る。……マメだ。あんなに強烈なヤキモチ攻撃でも、高野の口から不満が漏れた事はない。いたわりあってるんだよね。恋人ってそういうものなのかな。 「そもそも、高野はそうやってからかうけど、僕と綿貫はそうゆうんじゃないんだよ! 綿貫本人は別に何にも言ってこないんだから、考えすぎなんじゃないの?」  夏休みの初めに、高野に「綿貫は衣笠狙いだ」なんて言われて動揺し、悩んだこともあった。途中で投げ出さず、必ず卒業する約束で親元を離れ、せっかく軌道に乗りかけた寮生活。なのに、右も左も同性愛者に囲まれて、その上、味方だと思っていた綿貫まで、僕狙いだと?  にわかには信じられなかった僕は、僕なりに考えて、見極めてみた。綿貫の誘いには出来るだけ応じた。島さんが僕をからかう時も綿貫の反応を横目で確認。パソコンが壊れたと部屋に押し掛け、長時間居座ってみた。花火だって二人で見た。目が合えば表情を読むよう努めたが、奴は赤くなるでもなければ目を逸らすでもない。 「高野の言った通りだとしたら、今頃とっくに何かされててもおかしくないと思うんだよね。普段通り、テレビ見て、風呂入って、飯食って、アホなこと言ってるよ? 高野の思い過ごしだよ。……僕と綿貫は友達。親友。な?」    何がノーマルだかわからなくなってきた僕は、「現状維持」を決め込んで、悩み自体を滅却、無かったことにした。  ……悟りの境地か。無かったことにしてみたら、あっけなく元通りの日常が戻ってきた。 「ちっ……! お盆休みの花火の日、寮に誰も残らないように根回ししてやったのにさぁ、何にも無いとか有り得ないよなぁ。ヘタレタヌキめ!」  高野は悔しげに言うけれど、これが現実なんだから諦めろよ。皆がみんな、身近な同性を恋愛対象にする訳じゃないんだから。僕はまだ、ドキドキ、ワクワクするような出逢いにはご縁がないんだから。  いくらこのところモテ期到来だからって、雑誌のイメージで寄ってこられても、真面目に交際を考える気にもなれない。だって、あの写真はカメラマンの人の魔法で出来あがっていて、少しも僕じゃないんだから。 「あーーー! 源泉掛け流しの風呂入りたいなあーーー!」

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