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第23話 ほくろ

 身を清め、僕は小袖を羽織り、政臣さんは背広をぴしっと着て、座って言葉を交わす。  僕は正座、政臣さんは胡座。 「充樹……愛してる。本当はこのまま、明日の朝まで離したくない」 「政臣さん、僕もそうです……ですが、お仕事に遅れては、政臣さんのお名前に傷がつきます」  何気なく左手を取られて、掌に口付けられた。   「傷がつくほどの名前じゃないけどな」    僕の好きな、涼しげな笑み。  だけど政臣さんは僕の左の掌を見て、不思議そうに表情を変えた。 「あれ……ほくろ、消えたのか?」 「ほくろ?」 「ああ、八つで会った時、充樹の左手の生命線の上には、ほくろがあった。それだけが気がかりだと、皇城さんが言っていた」  左の手相は、先天的な持って生まれた運命。生命線の上のほくろは、病の予兆。  それこそが、『充樹』。 「は、はい。お陰様で、凶相はなくなりました」  僕はふいと左手を取り返して、右手で握って誤魔化す。また吐いてしまった小さな嘘に、何だかとても切なくなった。  政臣さんが、お嫁さんとして幼心に描いていたのは、僕じゃなく、『充樹』なんだ。  そしてあの日、政臣さんと夕餉を共にして、初めてのお勤めをする筈だったのも。  不安になる。僕を見て。『珠樹』を愛して。 「政臣さん……一度だけ、接吻してくださいませんか」 「ん? もう、寂しくなったのか?」 「はい」 「そんなに素直に言われたら、本当に離したくなくなるな」  顎を持ち上げられて、ちゅっと下唇が吸われた。  僕はその胸に縋って、下からそっと触れ返して、身を離した。  枕元に置いてあった手拭いを取って、差し出す。 「政臣さん。先の逢瀬では、手拭いをありがとうございました。お返しします」 「ああ、押し花は出来たか?」 「はい」  政臣さんは手拭いを受け取って……目聡く、気付いてくれた。 「刺繍をしてくれたのか?」 「はい、あの。ご迷惑だったら、(ほど)いて頂いて構いません。気持ちを、お伝えしたくて」  白い手拭いの片隅には、同じく白い糸で小花が三輪、咲いていた。白地に白糸だから、目立たないだろうと思って、想いを込めて縫った。 「すまない、充樹。花には詳しくない。何て花だ?」 「なずなです」 「花言葉は?」   「『貴方に私の全てを捧げます』」  それは僕の本心だったから、顔を上げて凜と言った。  政臣さんはちょっと照れながらも微笑んで、僕の耳朶を柔々と摘まんでから肩にかかる髪を梳く。 「充樹。俺は本当に幸せ者だ。大切にする」 「ご迷惑でなくて、良かったです」  僕も政臣さんの言葉に安心して、微笑み返した。暖かい心持ちを逃がさないように、胸の前で両手を握り合わせる。 「さて、充樹。もう行かないといけない。名残惜しいが、次のデートまで、俺を忘れないでくれ」 「毎日毎晩、貴方の事を想っています」     *    *    *  その夜、笹川さんが布団を敷くと、僕に囁くように声をかけてきた。 「予備様」 「はい、何でしょう」  僕は布団の横に正座して、笹川さんを見上げて小首を傾げた。  笹川さんは、嗤った。  まるでお勤めの前の、参拝者様みたいに。 「充樹様には、長じても左の掌にほくろがあった。消えたなんて、聞いていない。貴方は、予備様なんだな。全く気付かなかった」  はっ。僕は唇を袖口で覆って、青くなった。  うっかりしていた。物心ついた時から十数年呼ばれた『予備様』の名は、簡単に捨てられるものではなかった。  笹川さんが、下唇をちろりと舌で湿らせる。 「充樹様と同じ顔、同じ身体で、しかも淫乱だなんて。私の言いたい事は分かるな?」  淫乱? 僕は淫乱なんかじゃない。  言いたい事は分からなかったけれど、声の調子と表情から、僕は脅迫されるんだと知った。 「分かりません。はっきり仰ってください」  袖口で半顔を覆ったまま、僕たちはひそひそと囁き交わす。 「私は充樹様を、お慕い申し上げてきた。充樹様も、私を近しく置いてくださった。だが皇城家九十九代目当主と家人、想いは叶わぬ。ならばせめて、充樹様と同じ顔を持った予備様を抱きたい。入れ替わりの事実を藤堂様にバラされたくなかったら、十分後、厠に来い」  ああ。先代に、寝所以外でのお勤めは、はしたないと教わったのに。  参拝者様でもない方とお勤めするなんて、天罰が当たるかもしれない……。

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