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第2話 誕生日

 僕の名前は、四つあった。  家人は僕の事を『よび様』と呼ぶ。  でもお勤めの最初には『皇城充樹』と名乗る。  参拝者様は僕を『神子様』と呼ぶ。  父である先代だけが、僕の事を『珠樹(たまき)』と呼んだ。  物心ついた時にはすでにそうだったから、僕にはそれが当たり前だった。  今日は、ご神託(しんたく)を授かる所から、一日が始まった。  便宜上『ご神託』と呼んでいるけれど、実質は僕の占いだ。  色取り取りな玉砂利を陶器の器から両手で少量掬い出し、目線の高さから少しずつ零す。その落ちた文様(もんよう)で、吉凶を占う。  僕の占いでこの国は動いていると、先代が僕を厳しく戒める。お勤めに励み、占いに集中するよう。  だから僕は誇りを持って、毎日を送っていた。  ――ぱらぱらぱら……。  両手の隙間から、玉砂利が零れる。畳の上に、鮮やかな文様が現れた。  僕はそれを読み解く。 「……北東の方角が吉と出ました。日にちは十七日。この日に、お住まいのお宅から北東の地で演説を行えば、選挙戦は良い結果となるでしょう」 「は。そうお伝え致します」  家人が答えて、ご神託を運んでいく。  僕は、この木枠の格子の部屋と、お勤めの間以外、外に出た事がない。  僕は神子だから、俗世の(よこしま)なものが害をなさないよう、守っているのだという。  時々訪れる先代が、努々(ゆめゆめ)外に出たいなんて思わないよう、と言い含めていく。  ご神託を占って、お勤めをするだけが、一番清い人生なのだと。  家人が戻ってきて、格子の向こうから僕に言った。 「ヨビ様。参拝者様に、ご神託をお伝え致しました。大変お喜びになり、またお勤めをお願いしたいと仰っていました」 「良かったです。お勤めに励みます」  僕の人生は、ご神託とお勤めの毎日だった。  その夜、先代が深刻な顔をして格子の向こうにやってくるまでは。     *    *    * 「珠樹。よく聞きなさい」 「はい」  時刻は午後六時。夕餉の前だった。 「これからお勤めがあるが、普段のお勤めと違う所がある。珠樹。よく聞きなさい」  よほど大事な事なのだろう、先代が繰り返した。  いつも影のように隅に控えている家人たちは、人払いしてあった。 「今日は、お前の二十歳(はたち)の誕生日だね」 「はい」 「成人のお勤めだ。藤堂政臣(とうどうまさおみ)さんという方と、お勤めをして貰う」 「え」  僕は驚いて、思わず小さく漏らしてしまった。  これまで、お勤めをするお相手は全て『参拝者様』と呼び、名前を聞いた事なんてなかったから。  それだけ、特別な事なのだろう。 「政臣さんと呼びなさい。まず一緒に夕餉を摂って、それからお勤めとなる」 「夕餉、ですか」 「そうだ。政臣さんと話しながら夕餉を摂って貰うが、余計な事は話さず、天気の話でもしなさい」 「ですが先代、私はいつもここにおりますから、天気の話など出来ません」  先代は、自分の失態を責めるように、額に掌を当てた。 「ああ……最近は天気がいい。桜が満開だから、そのような話を少しして、会話に困ったら政臣さんの事を訊きなさい。その際、お勤めの事は一切話してはならん」 「はい」 「お前は、お勤めをするのは初めてのフリをして、政臣さんに全てを任せて、恥じらってみせなさい」 「恥じらう? 何故ですか? 神聖なお勤めに、恥じ入る要素などあるのでしょうか」  僕は物心ついてすぐにお勤めを始めていたから、先代の言っている意味が分からなかった。 「言っただろう。これは、普段のお勤めとは違う。お前は、政臣さんが初めてのお勤め相手でなければいけないのだ。お前は慣れているかもしれないが、初めて人に肌を晒す時には、恥じらうのが普通だ」  普通? それは、僕が今まで先代に教えられてきた『普通』と違う。  でも先代の言う事は絶対だったから、僕は上手くやる為に疑問を上げた。 「お勤めが終わった後は、どうすればよいのでしょう?」 「共に一晩、同じ布団で眠りなさい」  何もかも、いつものお勤めと違う。  僕は頬を引き締めた。 「分かりました。わたくしは『充樹』で、お相手は『政臣さん』ですね」 「くれぐれも、普段のお勤めの事は話してはならんぞ」 「承知致しました」  僕はきっぱりと返事をし、狭い出口をくぐって、先代の後を着いて夕餉の席へと向かった。

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