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どれだけ楽しくても時間は過ぎる。楽しい時間が過ぎた後には、やってくるのは現実だ。
「あ、コーラなくなったからコンビニ行って買ってくる」
空になったペットボトルを置いた拓海が立ち上がる。すると、歩も同じように席を立った。
「俺も煙草なくなったから買ってくる。拓海に頼んでも、身分証見せろだなんだって言われて無理だろうから」
「むっ……悔しいことにその通りだから、歩も一緒に来い」
2人が部屋を出て行けば、残ったのは俺と幸だ。ちらっと幸を見ると、ちょうどスマホの画面から顔を上げたところで目が合う。
「んー?どしたん、うさまる」
「幸はスマホ見てるだけでもうるさいなと思って。顔が」
「つまりそれは褒めてくれてるんやな。ありがとー」
「お前はポジティブモンスターか」
にっこり笑った幸が立ち上がり、テーブルの上に散乱しているごみを片付けていく。
「まだ片付けなくてよくね?」
紙皿や割りばしと、空き缶と、ペットボトル。手際よく分別していく幸に話しかけると、動かす手を止めずに返事がきた。
「なんか、散らかってたら寛がれへんやん。食べ終わった後はボーイズトークの時間やろ」
「なにそのボーイズなんとかって」
「え、知らん?好みのタイプとか、好みの下着の話とか、おっぱい派かおしり派か話す時間のこと。ちなみに俺は黒より白派」
「知らないし、そんな話は絶対にしねぇからな」
俺の蔑んだ視線を無視し、テーブルを片付けた幸が今度はホットプレートを持ち上げた。本当は休みたいけど、幸だけに任せるのは少し悪い気がして……嫌々ながら重たい腰を上げた時だ。
「……んぁ?」
俺よりも先に音に気づいたのは幸だった。
タイミング良くなのか悪くなのか、玄関のチャイムが鳴る。拓海と歩が財布でも忘れて戻って来たと思ったのは俺だけじゃないらしい。
「歩かたっくんやろ?はよ開けてあげたら?」
「鍵開いてんだから勝手に入ってくるだろ」
「閉めたと思ってんちゃう?扉開けるだけなんやから行ってあげぇや。もし勧誘とかやったら追い払えばええんやし」
「あー、うん。まあそう……だよな」
そうやって幸に送り出されて向かった先。何の確認もせず開けた扉の向こうには――最悪な展開が待ち構えている……って誰が思う?普通は思わないだろ。普通は。
「コンバンハ」
普通じゃない場合は、どうする。どうする俺。
そこにいたのは拓海でも歩でもなく、迷惑な勧誘でもなかった……いや、迷惑さで言えば負けていないんだけど勧誘ではない。
そして予想してなかったわけでもない。俺はどこかで、もしかしたらこうなるかもと思っていた。
「あの。とりあえず無言はやめてほしい……かな。慧君」
俺を怒らせた相手で、俺が怒った相手で、俺の記憶が確かなら喧嘩していた相手で、もう家に来るなって言ってやった相手。リカちゃんが目の前にいる。
「なに?」
無言はやめてと言われたから聞いてやると、あまりにも俺の声が低かったんだろう。リカちゃんが困ったような顔をした。
「何って……今日から三連休だって、慧君が忘れてないかなと思って」
「それが?お前の休みが俺に関係ある?」
「どこか行きたいところがあれば、今日はもう無理だけど明日と明後日なら」
「ない。行きたいところも、したいことも、お前とはない」
「あーっと……じゃあ、俺が行きたいところに行くっていうのは?」
「は?お前それ正気で言ってんの?」
ぐっと息をつまらせたリカちゃんが、1歩後ずさる。そこでやっと見えたのはリカちゃんの全身だ。
少し大きめの白いTシャツに黒のスキニー。Tシャツの裾からシャツが出ているのは、多分オシャレなんだろう。いつものスーツに比べて若く見える。やっぱりリカちゃんは童顔だ。でも、問題はそこじゃない。
じっとリカちゃんを見つめること数秒。不思議そうに首を傾げたリカちゃんが瞬きをする。そんな気の抜けた動作も、顔が良いとマヌケに見えないんだから悔しい。1日だけでいいから不細工になればいいのに。
「すっごい見られてるけど、何か変かな?」
心配そうに自分の姿を見たリカちゃんが苦笑するけど、俺はちっとも笑えない。笑えない代わりに玄関から廊下へと出て、真正面から思いっきり睨んでやる。
「べっつに。せっかくの休みなんだから好きなことすれば?そんな服着てるってことは、どうせ今から出かけるんだろ」
「ああ、桃と豊と軽く飲みに……いや、ほら。慧君と一緒の時にこんな格好したら、無理して若作りしてるって思われるかなと」
「ふぅん。リカちゃんにとって、俺ってそんな嫌味なやつなんだ?すっげぇ性格悪いんだな、お前の中の俺」
「いや、そういうわけでは……ないんだけど」
なんだよ、なんだよ、なんだよ。
そりゃ俺だってリカちゃんと話すのは気まずいし、今日も休みってわかってるのに連絡しなかった。それなのに明日の予定を聞きに来てくれたのは、まぁ……嫌ではない。けれどだからって、他の人と出かける前に来るなんてあり得ない。
楽しい時間で忘れかけていたイライラが、再燃するのを胸の奥で感じた。
このまま第2ラウンド開始で今度こそ大喧嘩……そんな未来が見えてきたところで、背後から聞こえてくる「ガチャ」という音。振り返った先に見えたのは、ふわっと揺れた赤い髪。
「うさまる、洗剤切れてんけどストックないん……って、え……?」
前髪の間から覗いた2つの目と、視線が合う。
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