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第1話

世界の果て、というものが定義されているのなら、きっとユグはそこに向かおうとしているのだろう。白に塗りつぶされた氷海を飛行して数か月。途中何度か吹雪に見舞われながらも、彼と彼の愛竜は辛うじて目指す方向を見失わずに旅を続けることができていた。 「ラジョ、がんばれ。もう少しだ」  懸命に翼をはためかせる竜の首筋を二度、軽く叩く。銀の羽毛に覆われた美しいノイム種は、主人に応えるように低く喉を鳴らした。 寒冷地に巣を作る彼らは、寒さで翼が凍り付くことこそないものの、人を背に乗せて移動することについては適してはいない。気位が高いのもその理由のひとつだが、余剰魔力はすべて体温の調節に使われるから、例え調教が成功したとしても、乗り手のために風よけを作ることも、周囲の空気を温めることもできないからだ。つまり、この極寒の地でユグが竜の背に乗り続けていられるのは、ひとえに彼自身の魔力量と制御力がずば抜けているからに他ならない。だというのに、ゴーグルと毛皮の帽子の隙間から僅かに覗く瑞々しい肌と細い背中は、彼がまだ年若い人間であることを示唆していた。 ぴゅるる、とラジョが高く鳴いた。警告の声だ。 「うん、落ち着いて。そのまま飛んでいい。――ぶつからないよ」  ユグは穏やかに声をかけた。一見そうとは気づかない、微妙な魔力の乱れ。巧妙に隠された結界の気配に、彼は思わず微笑んだ。そこが旅の終着地だった。 「リュカ。――リュニカウス。もう見てるんだろ?お茶の準備を頼むよ」  声に魔力を乗せてそう呟くと、ユグの知覚下で、不可視の結界はさざ波のようにたわんだ。ラジョが潜り抜けられるくらいの範囲だけ結界がほどけていく。相変わらず器用だ。ユグは術者の手腕に舌を巻きながら、竜を危なげなく結界の中へと進ませた。 ***  リュニカウス。――最後にして災厄の魔女、ディディナの息子。彼の住処が、正確にはどこに存在するのかはわからない。北海の果ての果てにある『あからさまな』結界は、ただの玄関口でしかないのだ。  常春の陽気に、ラジョが不機嫌そうに身を捩らせた。この寒暖差は竜でなくとも身体に障る。血が通い始めた痛痒い手で苦労して防寒着を脱いだユグは、「あそこ」とラジョに着地点を指示した。  眼下は素晴らしい眺めだった。青々とした牧草が柔らかい風にさざめき、牛と羊が数頭、思い思いに草を食んでいる。川沿いの水車はゆっくりと回転を続けていたし、そのわきにある畑には、野菜らしき植物が植えられているのが見て取れた。久しく見ていなかった牧歌的な風景に浸る間もなく、ラジョが唯一の民家の前で手荒く着地を決めた。ユグを振り落とすようにして地面に下した竜は、そのままぐったりと身体を伏せて、熱を逃がすためだろう、羽毛をぶわりと逆立てた。 「ありがとう、ラジョ。無理させたな。ちょっと待ってろ。リュカに挨拶をしたら、すぐ冷たいところに連れてってやるから」  ユグは、ラジョの体躯を覆うように結界を張った。結界を通過した空気の熱を奪うように術式を組んだ、即席の冷却結界だ。過ごしやすい温度になったのを感じたラジョは、ゆっくりと目を開き、ユグに向かって甘えた音で喉を鳴らした。 「現金なヤツ」  苦笑したユグは、じゃあなと竜に手を振り、一応の礼儀として扉をノックしてから家に踏み込んだ。知らず緊張していた自分を宥めるように深く息を吐いて、吸って。「ただいま」と部屋の奥に向かって声をかける。

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