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第2話
「来たね」
キッチンから顔を出したリュカは、変わらぬ笑顔でユグを迎えた。透き通る緑の髪に春の空を写し取ったような優しい色の瞳を持つ魔女の息子は、春の化身のような姿をしていた。――しかし。中性的だとは思っていたが、こんなに華奢な人だっただろうか。つい、細い首や肩に視線をさまよわせてしまったユグは、「何突っ立ってんの。座りなさい」とあきれた声をかけられて、ようやく不躾な自分に気づいた。頬を染めて着席した養い子を、リュカは優しい眼差しで見つめた。
「大きくなったね。君がここを出て、何年になるのかな?」
「15の時に追い出されて、もう8年だ。大変だったけど……まあ、上手くやってる。リュカは?」
「8年かあ。それは、長いと言っていい年月になるのかな。とにかく、君がそこそこ健康に生きているようで私は嬉しい。……こっちは相変わらずさ。変化なんて、家畜がちょっと代替わりしたくらいだ」
言いながら、ポットから紅茶を注ぐ。昔使っていた自分用のカップに気づいて、ユグはむず痒い気持ちになった。「早く教えてくれれば、茶菓子の一つでも用意してやったのに」という小言を聞き流しながら、そうだ、こんな人だったなあと、ユグは自分の家に帰ってきた実感を噛みしめた。
「それより、それよりもだよ。なんで君は魔術師になってるんだ?私はひとつだって君にそんなことを教えていないぞ。なんだよ、あれ」
「正確には魔術師を生業にしているわけじゃない。辺境専門の運送業だよ。ラジョ……今日乗ってきたのも、その相棒の一匹。あいつの置き場所は気にしないで。暑さに弱いからあとで山の方に連れていくよ」
そんなことはどうでもいい、と言いたげな視線に押されて、ユグは何と説明したものか、と小さく唸った。
「魔術を覚えたのは生きるためだよ。『もう15歳なんだから、大人だよね』って突然ここを放りだされて、伝手もなんにもなかったから。リュカが与えてくれた知識はすごく役に立ったけれど……ちゃんとした学校を出ていないと就職は難しかった。薬屋に薬草を買い取ってもらって、顔を覚えてもらって。今の雇い主に会えたのは運かな。竜とは相性が良かったから、世話係として使ってもらって。ちゃんとした配達員になれば給料もよくなるから、空いた時間で色々勉強した」
「我流か。通りで荒っぽいわけだ」
洗練されているとは言い難いだろう。ユグは苦笑する。指先一つで奇跡を起こせる種類の人間とは、次元が違う。
「リュカに言わせれば、魔術は全部邪道でしょう」
「まあ、人間が編み出した技術だからね。無駄が多くて好きじゃないのは確かだけれど。でも私は、それでいいと思うんだよ。魔法なんてものは、とうに時代遅れなのさ」
魔術は、定められた形式に乗っ取れば運用できる『技術』だが、魔法は、世界を改変する『奇跡』だ。母ディディナから魔女の役割を引きついだ正真正銘、最後の行使者であるリュカは、その気になれば世界を滅ぼすことさえ可能だろう。長い時を生きる魔女はそれゆえに享楽的で、傲慢なところがあったと記録にあるが、リュカの代になってから300年、彼はずっとこの箱庭に閉じこもり続けている。
「魔法っていうのは、人の言葉に落とし込むなら感染呪術の一種だよ。多くの人間に信仰され、秘匿されてこそのものだ。だから、早くみんなわたしのことなんて忘れてしまえばいいのにな」
リュカは意味ありげにユグを見つめた。
「君のためを思って独り立ちをさせたけれど。失敗だったのかもね」
やはり、分かるものなのだ。ユグは大きく息を吐いた。
「そうだよ。面倒くさい話を持ってきたのは確かだ」
「やっぱり。君が戻ってくるなんで、もう嫁を紹介してくれるときくらいじゃないかと思っていたよ。――話は後だ。風呂に入って、ご飯を食べて、まずは身体を休めなさい。大事な話は朝に限る」
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