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四、
がらがらと戸開けて、入ってきた二人組におらは心の臓飛び出るほどに驚愕した。
と同時に、おらは咄嗟に顔伏せて隅のほうへ身を寄せ。
どういうこった?
驚いたことに着流しで一本差しだ。変装でもしたと思うほうが正しいような格好さ。
まさかこんな薄汚れた飲み屋に、新選組のお偉方が飲みにくるたぁとても思えねえが。かといっておらが一度見た人間を見間違うはずもないさ。ありゃ、間違えなく土方と沖田だ。
こりゃ、仕事の一環か?
じつは組には門限がある。おらは何でここにいるかって、馬鹿馬鹿しい門限なんざ守って夜に飲みにも出られねえことがあってたまるかってんで抜け出してきたからでさ、本来は当然おらがここに居ちゃぁおかしいわけよ。
まさかこんな店にあの二人が来るとは夢にも思わねえ、堂々とこの店、常店にしようなどと考えて飲んでたらこのざまよ。こいつはまいった。
どんな仕事の一環かと息凝らして盗み見たその時、やつら、さすが新選組で上張ってるだけあらぁ、てえした肝っ玉よ。空いてた一番の上席にどかりと座り込みよった。
ああいう席は、たいていこの界隈のごろつき連の親玉の為にとってある席さ。そんくれえ、二人だって分かってんだろうによ。早くも、まわりで飲んでた目つき悪い輩どもが、二人を見て、がやがや揺れだした。
とはいえ迂闊にゃ、絡めねえんだろ。お腰の刀付きに、下手に近づくわけにはいかねえさ。
しかし何の仕事だ、これは。おらの見るところじゃ、ありゃどうしたって単に飲みにきたようにしか思えねえんだが。
「っちい、あンのださんぴんども」
「親分きちまったらどうすんのや、はよ行け」
「おまえが行けゃ」
おらのまわりで囁きあってる輩の情けねえこった、俺の子分どもはもっと肝っ玉あるわ。
「親爺、酒」
「それと沢庵」
「へい・・」
あの二人のこさえた不穏な空気に、気悪くしてる親爺が呼ばれて嫌々そうに運ぶ。
沖田が土方の猪口に酒を注ぎ。
その時さ。がらがらと再び戸が開いた。おらのまわりで動揺してた輩どもとはてんで格の違え男が三人、続けざまに入ってきて、すぐに上席占拠してる二人に気づいてよ。
「ぉい、おめえさんら」
徳利置いた沖田も、猪口を持ち上げた土方も、なのに声かけた男にふりむきもしねえのさ。
「おい」
今一度、男が声かけた。
残る二人が懐に手忍ばせていつでも得物取り出せるように見せかけるときた。
一触即発さ。おらは息のんで見つめた。
「あン?」
沖田が今気づいたかのように顔を上げ。男を見返した。
「そこの席ぃ、どいてもらえへんか」
どす効かせた声が男から漏れる。
「これから来はるうちの親分の席なんですわ」
沖田が鼻で嘲った。
「断る」
「――――何ッッ?!」
ガタガタと。
おらを除き店に居た全ての輩が、席蹴って立ち上がった。
沖田と土方は座ったまま、低く哂っているだけだ。
いったいあの二人は何考えてんだと、わいは目立たぬようさらに隅に寄りながら思わず訝ったよ。
「おめえさんら、この人数相手にどうするつもりや。おとなしく席譲っておいたほうがええで」
眉をひくつかせ脅迫する男に、見向きもせず。
「・・・どうもしねえよ」
土方が呟き。
「全くね、」
応えて沖田が煩わしげに手を振った。
「あんたら程度の輩が百人居ようが、居ねえのと大差無いだろうに」
さらりと続けた沖田に、
「ンなッ!?!」
店じゅうの輩が目をひん剥き。
「こンの、ださんぴんどもッ、生きて帰れると思ってへんやろなッ!!」
「五月蝿い」
「!?!」
黙ってろ、と言わんばかりの。わざと煽っているとしか思えないような、沖田の口から繰り出されるその台詞の数々に、おらはわけがわからず息殺したまま成り行きを見守ったよ。
分かってきたことは。あの二人、どうしたって仕事に来たようではないってこった。・・あの挑発の様子みてたら喧嘩でも売りにきたんじゃあねえかと思っちまうが、まさかな・・。
しかしよ、あの二人の肝の据わり方、尋常じゃねえ。
よほど腕に自信があるのか、天下の新選組率いてる自尊があれだけの肝っ玉を成すのか。
いや。両方だ。だが、それだけじゃあねえ。
慣れていやがる。
あいつら、豪奢な生活に溺れるだけのボンどもかと思ってたら、どうやらとんでもねえ勘違いだ。やくざモンのかしら張ってきたおらの眼に狂いは無え。おらと同類の沙汰、山ほどやってきたってえのが今この場で隠しようもねえほどぷんぷん匂うわ。
くそ。
なんてえ野朗どもよ。
新選組の土方歳三と沖田総司たあ、こういう奴らか。
「その肝っ玉、見上げたもんよ」
ただの奴らじゃねえと男も感じているんだろう。懐からてめえの得物取り出して哂うと、
「おまえさんらには特別、どぶに墓作ったるわ。名はなんていう」
そう聞くなり男は鞘を払った。
男のその言葉に、おらのほうははっとしたさ。そうよ、ここで新選組の名を出せば、確かにこいつら血相変えるに違いねえ。名乗りを上げるであろう沖田たちの台詞を今か今かと待つおらの期待は、だが、裏切られた。
「名前ねえ・・」
沖田が酒を啜りながら。
「どうします」
土方のほうへ振った。
「どうせなら、凝った名がいいぜ」
土方がにやりと笑み返し。その笑みは妖艶でさえあり。
「考えておけばよかった」
沖田のほうは手酌で新たな酒を注ぎ足しながら困ったように呟いた。
「・・・・」
男が抜き身さげて、隣に立っているってえのに。沖田と土方はまるでその抜き身、見ていねえかのような態度だ。
たまげたね。おらは、悠々と酒を注いでる沖田と、沢庵をかじっている土方を呆然と見つめた。
おらの周りで勇んで立ち上がったはずの輩どもも皆、気呑まれた様子さ。
最初に我にかえった様子で怒りに身を震わせたのは、鞘まで払って突っ立つ男だった。
あっ、と思った時には、男の握る匕首が、土方の秀麗な顔前めがけて繰り出され、
――――たはずだった。
何が起こったのか。
おらにも、当の男にさえも分からなかったに違いねえ。男が繰り出したはずの得物は、勢い激しく天井に突き刺さり、びんびんと震えた。
天井にぶる下がる匕首から視線を下ろせば、胡坐かいて座ったままの沖田が刀を納めたのを見た。
今の・・沖田は抜いたのか?
唖然とするおらも皆も、男も声無く。再び猪口を摘み上げた沖田を皆一様に、魂の抜けたように見つめた。
「・・・てめえ、勝手なマネすんなよ」
土方が呟いたその沖田への言葉で、漸くおらも皆も、やはりいま沖田が動いたのだと知った。
「どうせ面倒がって避けねえでいたくせに、よく言うよ」
「この沢庵食いきってから、のつもりでいたんだよ」
「あんた、ソレいくつ残ってると思って・・」
「たっ、立て!!成敗したるわ!!」
男の存在を無視し果ては沢庵云々の話をし始めた二人に、天井から匕首を抜き取り男が激しく叫んだ。
「無事帰れると思うなッッ」
「先に沢庵、食わせろ」
あろうことか、そう返し小気味よい音を立て噛み切った土方に、男はさらに目を剥き。いきなり手で激しく沢庵の入った皿を叩き払った。
「この野朗・・ッ」
沢庵がふっ飛んで、むかっ腹を立てた土方が刀を手に立ち上がったのを見て同時に、店に居た輩どもが一斉にてめえらの得物を構え。
「・・・やれやれ」
最後に沖田が。
肩に乗っかった沢庵を払い落とし。のっそりと立ち上がった。
じりじりと其々の得物を構えた男どもが、土方たちの周りを取り囲む。
土方が鞘を払い。
「総司」
構えながら横目で沖田を咎めるように睨んだ。
「何してる。抜け」
「元々あんたのために用意した喧嘩だよ。俺は見てるから気の済むまでやれば」
「てめえ・・・手伝えよ」
周囲を警戒しながら土方はげっそりと沖田を見返した。
この場でひとりだけ闘気が抜けているかの沖田の、その吐いた台詞に勇んだのはむしろ二人を囲む輩どものほうだ。
刀を抜かない沖田の気が変わらぬうちに土方だけでも殺ろうと思ったんだろう。こいつら皆、馬鹿さ。てめえらと土方との間で、腕の違いも見抜けねえようじゃあな。
そして我先とばかりに土方に斬りかかってゆく輩が、土方の払った峰打ちに、蹴りに、拳打に、あっという間に次々と崩れてゆくのを。沖田が懐手で愉しげに眺めはじめた。
「うちらがあんたの相手や」
そんな沖田に、先程の匕首を構えなおした男と、その背後に構えた二人が得物を向け。
「いいや、」
だが沖田は懐手のまま喉奥で嗤った。
「俺相手じゃ面白くもねえ喧嘩になるよ」
「・・あん?」
あいかわらず謎な台詞を吐く沖田に、抜き身を構えたまま三人が面食らった顔をしたが。
「あの人みたく、わざと時間かけてやる気は無いんでね」
沖田はやや離れた所で派手に暴れている楽しげな土方を、ちらりと見て哂い。
「それとも、」
ゆっくりと。懐から手を抜いた。
「一瞬でノされるほうが好みなら、お望みどおり俺が相手してやるよ」
「ッこンの・・!!!」
――――ほぼ一斉に。
激怒に駆られた三人が沖田に飛び掛かっていった、
刹那。
剣光が閃き、鋭い悲鳴が店じゅうにつんざき。おらが目を瞠る前、本当に一瞬よ。三人の男どもは次々と、沖田の鞘で急所を強かに打たれ、吹っ飛ばされた先で白目剥いて失神しちしまった。
驚いたのは、沖田も土方も血を流させねえで喧嘩相手の始末したってことだ。
血流さねえで済ますんは上等な喧嘩さ。おらは店の陰に身隠しながら、こいつらに成り代わるなんてえ野心は正直叶うはずがねえと、どうしたって諦めるしかなかった。
そうと分かった以上、新選組に居る意味も無え。今これ限りで抜けちまおうかと思ったが、一方で、この二人の下にならもう少しくれえ居てみてもいいと思ったのさ。
あれから二人どうしたって?
店ん中ぶっ壊した弁償にたっぷり金置いて、のした輩どもは放っておいて帰っていったさ。
・・・結局、あの二人は何しに来たんだか?
それが未だに残る疑問だが、
”元々あんたのために用意した喧嘩だ”と。沖田が土方にそう告げたのを思い出す限り、どうも喧嘩しにきたとしか考えようがねえ。・・・当たりだとすれば、あの二人の道楽のために、のされた輩どもが不憫だな。
おらは、実は次の朝、沖田に呼び止められた。
「次から門限は守るように」
血の気が失せたよ。・・なに、何らそれ以上の罰も言われてねえ。その一言の忠告もらっただけよ。なのに何だ、おら、向けられた薄い笑み見て背筋がつうと冷たくなったさ。
やくざもんのおらの矜持なんぞ、もはやこの男の前じゃ話にならねえと知った。
「へい。すみませんでした」
この十五は年下の上司に、おら真剣に頭下げて、そそくさとその場を去ったよ・・。
沖田総司、土方歳三。
とんでもねえ男二人が、此処には居るってこった。
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