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俺が初めて海里 の存在を認識したのは、大学に入ってすぐの、とある講義の一コマだった。
「あいつ、すごい格好してるな……」
教壇のど真ん前の席を一人でぶんどっているから、その姿は嫌でも目に入った。そしてその、黙って見てはおけない容姿に。
そのときの海里は、起きて一度も梳かしていないんじゃないかと思うようなボサボサの鳥の巣頭に、パジャマじゃないのかって思うようなヨレヨレのダサいシャツを着ていた。
大学に入って洒落っ気全開だった俺にとっては、信じられないような格好だ。ああいう格好をしているやつは他にもいたけど、特に海里はひどかった。
「え、誰が?……ああ、尾関海里 か」
「知ってるのか?」
俺の独り言のような問いに答えてくれたのは、俺の隣に腰を降ろした友人――とは言い難いが、知人だと切り捨てるにはちょっと冷たいと思う程度の関わり合いの奴――で、今では顔も名前も思い出せない学生だ。
「入学当初から有名だぜ。あの風貌のせいもあるけど話しかけても無視するし、性格が悪いんだってさ。要するに変人!……まあ、俺も友達に聞いただけなんだけど」
「へえ……」
あの容姿で性格も悪いって、そりゃあもう終わってるな。
いくら勉強が出来たって、社会が必要としているのは一般常識を備えていて且つ、誰とでもそこそこのコミュケーションを取れるマルチな人間だ。この国では特にその傾向が強いように思う。
色々と煩わしいことも多いが、所詮 この世で一番大切なのはよりよい人間関係。人はこの世の複数の小コミュニティに身を置き、自分に与えられた役割を演じる。コミュニティに入ることすらしない人間はゆくゆくは淘汰される運命だ。
結果、勉強が出来るやつではなく世渡り上手なやつが人生の勝ち組になるのだ――というのが当時の俺の持論だった。
若いのに今よりもだいぶ頭が硬くて、臆病で保守的でつまらない人間だったと思う。
海里と、出逢うまでは。
そんなわけで、俺の海里の第一印象はあまりいいとは思えないものだった。むしろ、そんな噂の一部を聞いただけで自分の苦手なタイプだと思った。
同じ学科で同じ講義を受けてはいるけど、在学中はなるべく関わり合いにはならないでおこう――そう心に決めていた、のだが。
*
「……なんか、受けてるすべての講義がカブっている気がする」
「誰と?」
「尾関海里と」
「ふーん、気が合うんだな」
「さあ。話したことないし……」
「やめとけよ、声掛けてもどうせ無視されるって。――ところで凌介 、今晩暇か?合コンの人数が足りないから是非参加してほしいんだけど」
今夜は纏めておきたいレポートがあったんだけど……まあ、提出期限はまだ先だし、こういうくだらない友達付き合いも大学生活の醍醐味かな。そう思って俺はOKした。
「うん、いいよ」
――死ぬほどつまらなかった。やっぱり行かなければよかった。
俺は酒にはまだ慣れていないけど、女は嫌いじゃないし騒がしい雰囲気が苦手なわけでもない。煙草も吸う。
だけど、あんな空間に身を置いているとだんだんと虚しい気持ちになってくるのだ。
俺はこんなくだらない時間を過ごすために、あんなに猛勉強して一浪してまでこの大学に入ったのではない――などと言おうものなら、俺も尾関海里同様に『変人』扱いをされるのだろうか。
いっそその方が楽なのかもしれないが、人より少し恵まれている容姿がそうはさせてくれないのだろう。俺はそういう役割を求められてはいない。
常識的で人間想いの自分が、時々嫌になる。そんなとき、何のしがらみも持っていなさそうな尾関海里のことが少しだけ羨ましくなるのだった。
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