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第1話
(えっと、確か樋口 さんが好きなのは、これだったよな)
コンビニの商品棚から一本の缶コーヒーを選んだ敏樹 は、自分の好きなミネラルウォーターと一緒にカゴに入れ、レジへと向かう。
会計を済ませ外に出ると、冷たい外気に身体が震えたが。一旦足を止めて顔を上げ、冬の夜空に浮かぶ星を眺めた。
雨や雪にはならずによかったな。そうしたら運転し難くなるだろうし。
道路沿いにぽつんと佇むコンビニの駐車場には、一台しか停まっていない。敏樹はその車のドアを開けると、運転席に座る樋口に缶コーヒーを手渡した。
「はい、どうぞ」
財布を探る樋口に、助手席に座った敏樹は首を横に振る。
「いいですよ、このくらいは。ガソリン代も高速料金も払ってくれてるんだし」
樋口は少し戸惑ったが、軽く頭を下げて、財布を置いた。
「あと、これも」
コンビニで買った絆創膏 を差し出す。きょとん、とハンドルを握ったままの樋口の左手首を掴むと、軽く持ち上げた。
「こっちの人差し指、皮膚が破れてたから」
自動車整備士という樋口は、仕事柄 手先が傷つきやすいだろうし。冬場の乾燥もあればさらに傷むだろう。
「あぁ、本当だ。でもこのくらい平気だよ、きみに言われるまで気付かなかったし」
敏樹が掴む左手の指先を見ながら樋口は応える。
やっぱりこのひとは、どこかとぼけた部分があって、そこが一緒に居て落ち着ける理由だな。
「見てるこっちが痛くなってくるんですよ」
そう笑って掌 に押し付けた絆創膏を、樋口は苦笑しながら受け取って、車内の灰皿に適当に置く。
「ちゃんと貼っておきましょうよ」
ふたりとも煙草は吸わないので、このまま灰皿に置きっぱなしにして、ゴミとなる可能性が高い。
うっすらと明るい車内で身体を寄せると、絆創膏を強引に巻きつける。掌を差し出す樋口の体温が暖かく、時間を掛けて人差し指にもう一枚巻きつけた。
「……よしっ」
顔を上げて微笑んだ眼が、無言でじっと見つめていた視線とぶつかって。
樋口の肩に手を置いて身体の力を抜くと、自然と口付けられた。乾いた唇同士が馴染んでゆくまで、じっとキスを受け容れる。
ゆっくりと唇を離すと、敏樹と目を合わせたまま、
「……ありがとう」
そう呟いた樋口は姿勢を正すと、ハンドルを握った。
その謝礼の言葉が、絆創膏に対してか、キスに対してかは分からないけれど。
心体共に暖かくなった敏樹は「はい」と応えて助手席に座り直し、シートベルトを締めた。
高塚敏樹 が樋口保 と出逢ってからもうすぐ一年が経つ。
始まりは簡単。出会い系サイトだった。
気が向いたらどちらからともなく連絡をして、互いの休みが同じ日の前夜に、いつも同じ場所で待ち合わせる。
そしてふたりが逢うときは、いつも夜のドライブで。向かう先はその時に決める。
例えば敏樹がメールで「桜が見たい」と言えば、樋口が何時間か車を走らせ、夜桜がきれいな場所へ連れて行ってくれて。そのまま近くのホテルに泊まる。
そして翌日の午前中には、待ち合わせた場所で樋口の車から敏樹が降ろされ、今回は終了、といった形式だ。
静かになった車内で、窓の外を見ながらぼんやりと頬杖をつく。
「疲れてるなら、寝ていてもいいよ」
樋口の言葉にふと時計を見ると、まだ十二時前だ。
「大丈夫ですよ。今週はそんなに忙しくなかったから」
少し姿勢を正して答える。敏樹の仕事は派遣のWEBデザイナーで。仕事量はその時によって変わる。
「樋口さんこそ大丈夫ですか? もし身体が厳しかったら、近場のホテルでも良いですよ」
「大丈夫だよ。そんなに遠くない場所を考えてるし」
「どこへ連れてってくれるんですか?」
「千葉かな。九十九里 から勝浦 とか」
「ふぅん……」
「茨城のほうが良かった?」
「自分は、綺麗な海が見える場所ならどこでも良いです」
綺麗な、なんて指定している時点で、わがままかもしれないけど。敏樹が場所を決定しないと、樋口は何も言わない。
逢う日取りを指定するのも、敏樹から「いつでもいいので会いませんか」なんてメールをして、樋口の返事を待つのが多い。
でも、しばらく逢えないでいると、途端に樋口から「時間が空いていれば」なんて言ってくるんだよな。
「じゃあ、やっぱり千葉方面かな。何度か行った事あるけど、変わってなければ綺麗な景色だよ」
そんな樋口の言葉に、期待しながら敏樹は微笑む。
このひとと初めて出逢ったときも、綺麗な海へのドライブだったから。
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