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第三話『 Ice and a litttle water 』

       花厳(かざり)桔流(きりゅう)とカラカル族の青年を乗せたタクシーを見送った次の日。  花厳のスマートフォンのディスプレイには、桔流の名前が表示されていた。  仕事を終えた花厳はその表示を見てやや動揺を覚える。  次いで“桔流に恋人がいた”という事を知り、それが自分にとってどれだけショックをだったのかも改めて自覚する。 (情けないな、まったく)  そう思いながら恐る恐るといった心持ちでディスプレイの通知表示を見る。  通知の状態では彼からのメッセージは途中までしか表示されていないが、それを見るだけでも桔流の礼節に丁寧な性格がわかるようだった。  花厳は意を決し、メッセージを開き、桔流からのメッセージを読み進める。 「………………」  そして、受信したメッセージをすべて読み終えた花厳は、喜ぶでもなく、悲しむでもなく、はたしてどうしたものかと考え込む事になってしまったのだった。     ―ロドンのキセキ-瑠璃のケエス-芽吹篇❖第三話『Ice and a litttle water』―      その日の昼過ぎ、桔流(きりゅう)はとあるメッセージを花厳(かざり)に送信し、その後は特に何をするでもなく出勤時間まで時間をつぶした。  結局桔流が出勤するまでの間もメッセージの既読表示はつかず、花厳がメッセージを確認した様子がなかった。  桔流はそれに対して特に何を思うでもなく、気長に返事を待つつもりでそのまま出勤した。  そして、仕事の休憩時間となり、桔流が事務所でスマートフォンを確認すると、どうやら花厳から返ってきていたらしいメッセージの受信通知がディスプレイに表示されていた。 「ん?」  すぐにメッセージを表示して確認すると、そこには挨拶への返礼文に加え、桔流が提案した食事の誘いへの返信が添えられていたのだが、その返信の内容は桔流がやや疑問を感じるものであった。 『素敵なお誘いをありがとう  でも、俺なんかが家にお邪魔したりして大丈夫?  怒られないかい?』  桔流はこれを見て、単純に花厳が桔流の家に上がる事を遠慮しているのか、とも思ったが、それにしては“俺なんかが”や“怒られないかい?”という言葉がひっかかった。  桔流は現在親元を離れ、少し良い部屋で一人暮らしをしている。  誰に怒られるというのか。  もしかしたら実家暮らしと勘違いされているのかもしれない、とそれを踏まえて返信をする。 『もちろん問題ないですよ  俺、実家暮らしとかではないので』  と送信すると、タイミングが良かったのか花厳からはすぐにまたメッセージが返ってきた。 『あ、いや、恋人さんとかに怒られないかと思って』 「恋人?」  桔流は、理解しかねて花厳の返信への疑問をつい声に出してしまった。  幸い、その時事務所には桔流だけで、その言葉を誰かに聞かれる事はなかったが、かれこれ長い間恋人というものを避けてきた桔流がそんな呟きをしたとすれば、同僚たちが問い詰めてくる様子は容易に想像できる。 『そういう心配だったんですね  大丈夫ですよ、俺、恋人いないんで』  彼はどこまでも相手に気を遣ってしまう人なのだな、と苦笑しつつ、桔流はこれまでのメッセージたちを改めて見返す。  そして、桔流から“恋人なし”という返信を受けた花厳はすっかり脱力していた。 (なんだ……違ったのか……)  以前二人で食事をした日、桔流に自分の恋人は男だったと話した。  その時に、桔流もまた同じバイセクシャルであるという事を知った。  そして、それを知った上で、別の青年を親しげに介抱していた桔流を目撃してしまい、花厳はつい勘違いをしてしまったのだ。  その時には既に、自覚もないままに花厳は桔流に惚れていた。  だからこその勘違いでもあった。  そして、そんな勘違いであったとわかった花厳は無意識に安堵していた。 (まったく、何ホッとしてるんだか……)  思ったよりも自分の惚れ具合が重症だという事を痛感する花厳だったが、桔流からの誘いは素直に嬉しく思っていたので、とりあえずは改めて誘いを受ける旨を返信した。  その数日後、お互い次の日がフリーとなる夜が合ったので、仕事終わりの桔流(きりゅう)と待ち合わせ、花厳(かざり)は桔流の家へとあがる事となった。  仕事終わりにまた料理をするのは疲れるのではないか、と花厳は気遣ったが、好きな事は疲れないんですよ、と桔流は笑った。  桔流は生粋の料理好きであるらしく、そう言ったのち、楽しそうに日本酒に合う品々を手早く作り、美しく盛り付けていった。 「お待たせしてすみませんでした」  桔流はそう言いながら、仕上がった最後の品をテーブルに並べた。  手伝いはしなくて構わないと、前菜になるようなつまみを用意されたものの、全てが揃うまで待っていた花厳はいやいや、と言って桔流に労いの言葉を返す。 「お疲れさまでした。こちらこそすっかり任せっきりで申し訳ない。こんなに沢山、ありがとう」 「ふふ、俺がそう言ったんですからいいんですよ。お口に合えばいいですが。あ、いきなり日本酒でも大丈夫ですか?」  微笑みながら席についた桔流は、先日樹神(こだま)から頂戴した日本酒を手に持ち花厳に尋ねる。  花厳は桔流の問いに大丈夫だよ、ありがとう、と答え、続ける。 「桔流君のお手製だし、口に合うって確信してるよ」 「ふふ、そうだといいんですけど。あ、失礼しますね」 「ありがとう」  はい、と言って桔流が花厳のグラスに日本酒を注いでゆく。  次いで、花厳が注ぐよ、と声をかけた。  一言礼を言った桔流のグラスに、今度は花厳が日本酒を注ぐ。 「これ、すごい綺麗なグラスだね。工芸品?」 「えぇ、両親の知り合いがガラス工芸の職人さんで。俺の誕生日に作ってくれたんです」 「それは凄い……」  素直に関心しているらしい花厳に嬉しそうに笑った桔流は、改めて花厳に礼を言い、では、と続けた。  それにならって花厳もグラスを持ち、はい、と笑う。 「お疲れさまです」 「お疲れさまです、頂きます」  グラスに傷をつけぬよう優しく乾杯をし、互いにグラスに口をつけ日本酒の風味を楽しんだ後、料理に手を付け始める。  花厳は出された品々をゆっくりと味わいながら、絶賛した。  大袈裟ですよ、と言いつつ桔流は食事を楽しんで貰えている事に喜んでいた。  桔流は、小さい頃から自分が作ったもので誰かが喜ぶ様子を見るのが大好きだった。  それは大人になっても変わらず、バーでも自分が作った酒や料理で客たちが笑顔になってくれるのが嬉しかった。  特にバーでは客の反応をダイレクトに見ることができ、また直接声をかけてもらえる事も多い。  それもあって、桔流はバーでの仕事が好きだった。 「あ、そうだ桔流君。この間は変な事を訊いてしまってごめん」 「変な事って?」 「ほら、恋人に怒られちゃうんじゃないって話で」 「あぁ、いいんですよ。気にしないで下さい」  花厳は先日、桔流には恋人がいるものとすっかり勘違いをして、的外れなメッセージを送ってしまった事を改めて謝罪した。  桔流はまったく気にする様子はなかったのだが、必要のない事を言わせてしまったと花厳は気がかりなままだった。 「それと、今後うちに誘った時も安心してくださいね。俺、恋人とかまずできませんから」 「え、そうなの? 全然そんな事なさそうなのに。それだけ美人さんだと告白とか結構されるんじゃない?」 「ふふ、ありがとうございます。確かに告白されることはあるんですけど……でもなんていうか、恋愛とかって俺には向いてないんですよね」  そう言った桔流の言葉に、なんとなく含みがあるような印象を受けた花厳は少し掘り下げる事にした。 「向いてない、って……例えば、恋人がいるのは面倒くさいとか、そういう感じ?」  花厳がそう訊くと、そうじゃないんですけど……、と桔流は続ける。 「付き合うのはいいんです。でも俺、自分から誰かを好きになることがなくて……。そもそも“好き”ってどういう感じか、いまいちぴんと来ないんです」 「なるほど。じゃあ告白されて付き合ってみても、一向に相手を好きになれないまま時間が過ぎちゃうって感じかな」 「はい」 「で、色々あって結果お別れ、か」 「そう、ですね……」  実際のところ、桔流はこれまでの人生で、それこそ腐るほどという回数告白をさ受けてきた。  女の子はおませな子が多いせいか、桔流が初めて告白されたのは小学生の頃だった。  まだそのくらいの年齢ならばお互いにも“ごっこ”に近い感覚だったので、一度に何人も彼女がいるという状況が出来上がったりもしていた。  今の年齢でそうともなれば修羅場どころの騒ぎではないのだが、まだ幼い頃だったからこそ大人たちからも“微笑ましい”で済まされていた。 「ははは、桔流君は小学生の頃からかっこよかったんだね」 「ど、どうなんでしょう。運動が得意な子がモテる法則の方が強かったかもしれません」 「あぁ、なるほど……」  花厳は自分の幼少時代を思い出し、大いに納得がいったようだった。  というのも花厳がまさにそうだった。  花厳は元々運動能力が高く、運動においては常にクラスで一番だった。  それゆえ、“運動が得意な子はモテる現象”で、花厳は少年時代も女の子に人気があった。更につけ加えるとお母さま方にもウケの良い少年だった。 「花厳さんもモテたクチですよね」 「えっ……」  まるで花厳の自己回想を鑑賞したかのように桔流はそう言った。  そんなことないよ、と自分でもバレバレのたどたどしさで否定したところ、にじみ出てますからね、と桔流に釘を刺された。  そんな桔流は、その小学生時代の微笑ましい光景の後、中学生以降でも大いにモテた。  その頃になれば桔流も様々な知識を得る事から、“彼女は一人だけ”というのは、どんなに二番目でもいいからと泣きつかれても貫くようにしていた。  そして更に高校時代でも、別れたと聞けば矢継ぎ早に別の女子数名からの告白が待っているという、桔流にとっては気疲れに至るほどの長期的なモテ期を過ごしていた。 「そ、壮絶だったんだね……」 「はい……」  改めて当時の事を思い出したのか、桔流は話しながらややゲッソリとした表情を浮かべていた。  そして、それらを経験した後の大学時代で、とうとう男にも告白されるようになり、はじめのうちは自分が男側としての同性カップルを経験した。  その後、女性からの告白を受け取る事を減らし、同性寄りの恋愛をするようになった。  その過程で、桔流を女側におく形で付き合ってほしいと言われ、何をすればいいかわからないけど、と流れで告白を受け取り、少年時代に捨てた童貞に続き、大学時代で処女も捨てた。  その為、タチやネコなどという区分にあてるなら、今の桔流はリバというどちらでも出来るタイプなのである。 「でも、それでもずっと誰かを好きになれなかったの?」 「……はい」  花厳の問いから少し間をあけて、桔流はそう答えた。  そして、だから向いてないんですよね、きっと、と添えた。  桔流はその後、結局数人との恋愛を経験した後、向いていないという結論に至り、それ以降一切恋人を持つことをやめてしまった、と話した。 「そうか……でも、桔流君は、そんな自分を変えてみたいと思うの?」 「……どうでしょう……それも、俺の中でははっきりした気持ちはないんですけど。でも、誰かを好きになって、その後の一生を共にできるようなヒトと出会えるのは素敵だなと思います」 「それは、女性相手とか、自分が男側として恋愛ができる同性とって事?」 「いえ、どちらでも。相手が男でも女でもいいですし、俺が男側でも女側でもかまいません。好きになれたヒトと幸せになれるなら、それだけで十分です」  花厳は、そっか、と少し目を伏せるようにして穏やかな表情で相槌をうつ。  桔流のこれまでの話を訊いた上で、決してあきらめる必要はない、と花厳は感じていた。  恐らく桔流は、自分から誰かを好きになる為のきっかけを、度重なる多方面からの好意ですべて逃してきたのだろう。  桔流はその好意をとりあえず受け取ってしまう為、好きになってくれた相手を好きにならなければ、と相手が変わるたびに必死になっていたはずだ。  そんな彼に、他の誰かを見る余裕などもてるわけがない。  だから彼は、恋愛に向いていないのではなく、単純に恋する機会に恵まれなかっただけなのではないかと花厳は思う。  この時花厳は、とにかく桔流に自分から誰かを好きになるという気持ちを知ってほしいと思い始めていた。  そして、桔流は決して“誰かを好きになれないわけではない”という事も。 「ねぇ、桔流君」 「はい」  花厳は、自分が桔流の思い込みを変えるきっかけにでもなれるならと思った。  突然名を呼ばれ、首を傾けきょとんとした表情の桔流に花厳は続ける。 「じゃあ、俺とそういう関係になってみるのはどう?」 「え?」  花厳の言葉に一瞬驚いたような表情をした桔流だったが、言葉の意味を理解し、少し考えるように目を伏せて言った。 「……やめておいた方が、いいと思います」 「やっぱり俺じゃ見合わない?」 「まさか! 花厳さんは素敵なヒトだと思います。俺には勿体ないくらいです」  恥ずかしがることもなく、花厳をまっすぐに見つめ、はっきりとそう評した桔流だったが、勿体ないくらいだと言いながら、また少し耳を下げ目を伏せる。  そんな桔流と立場を入れ替えれば、花厳も同意見だった。 「それは俺もだよ。桔流君は俺なんかには勿体ないと思う。でも、桔流君もそう思ってくれるのに、どうして?」 「……俺はきっと、あなたを好きにはなれないから」 「どうしてそう思うの?」 「俺はこれまで、どんなに努力してみても、好きだと言ってくれた人を好きになる事ができませんでした……。だからきっと、今回もそうだと思うんです。好感はもてても、恋する事はできないと思うんです」  それに、と更にうつむき、苦し気な表情で桔流は続ける。 「せっかく食事したり、お話ししたり出来るようになったのに。恋人になってしまったら、きっと友人には戻れないじゃないですか」 「………………」 「俺は、花厳さんとこれからも色々お話ししたいです。でもこれは友人としての好意があっての感情です。だから……好きになれなかった結果、二度と連絡をとれない元恋人という関係になるのは、嫌です」 「なるほど」 「……すいません」  すっかり耳も尾も元気をなくしてしまった桔流は謝罪を述べ、黙ってしまった。  そんな桔流に花厳はひとつ微笑み、とある提案をする。 「桔流君。俺が突然言い出した事なんだから、君は謝らなくていいんだ。俺こそ、突然こんな事を言い出してごめん。ただ申し訳ないんだけど、俺はちょっと諦めが悪くてね……」 「?」 「俺はもう、そう言われても君の事が諦められないくらいに好きなんだ。君をただの友人としてみるのが現状では難しい。だから、こういうのはどうだろう?」  好きなんだ、とはっきりと言葉で示され、桔流は改めて動揺した。  自分の尾も耳も落ち着きがなく、度々勝手に動いてしまうほどに困惑しながらも、桔流はただ花厳の言葉の続きを待った。 「これから俺は、君に惚れてもらえるように頑張るよ」 「え?」 「今、無理に付き合ってくれなくていい。告白に対する返事もしなくていい。なんだかんだ俺たち、まだ知り合って大して経ってないしね。今はただ、俺が一方的に君の事を好きなだけだ」 「………………」 「だから、これから俺が、君に好きになってもらえるように頑張る。で、君はその過程で、少しでも俺の事をいいなって思ってくれたら、改めて君から告白への返事を教えて欲しい」  驚きや困惑から、桔流がまだ言葉を探している様子だったので、花厳はまたひとつ言い添える。 「そしてもし、どれほど経っても俺の事をいいなって思えなかったら、俺は君と付き合う事を諦めるから、このまま友人として過ごそう。……どうかな」  優しく微笑みながらも、まっすぐに自分の目を見つめてくる花厳の視線に射られ、桔流はどうしても断ることが出来なかった。  どう言葉を返そうか悩む中、桔流は、きっとすぐ飽きるだろう、自分は花厳が次のヒトを好きになるまでのつなぎにでもなればいいか、と思い至った。 「わ、わかりました」  そんな気持ちに背中を押され、桔流はゆっくりと頷き、そう言った。 「本当に?」  ぎこちなくこくりと頷く桔流に嬉しそうに花厳が礼を述べる。 「ありがとう、桔流君。すごく嬉しいよ。頑張るね」  花厳がそう言って心底嬉しそうに笑うので、桔流は、花厳が本気で自分を想ってくれているのだと感じた。  先ほど一瞬でも、すぐ飽きるなどと考えた事を心の中で懺悔した。  花厳はそんないい加減な気持ちで行動する人物ではない。  付き合いの短い桔流でも、そう感じ取れるほどに彼は誠実だった。 「それと桔流君」 「は、はい」 「桔流君は俺を好きになろうとしなくていいからね」 「え? な、なんでですか? そうしないと好きになれないですよ」 「桔流君は、そこから変えていこう」 「?」 「努力をして好きになるのは恋じゃないんだよ。どちらかといえば愛する事に近い。あるいは克服や受け入れ、許容だね」  どうして好きになってくれないの。  桔流はおそらく、この言葉を幾度となく他人にぶつけられてきたのだろう。  花厳も幾度かぶつけられた言葉だ。  この言葉をぶつけられ続け、更に相手が悲しむ姿を見せられ続けると“好きにならなくてはいけない”と感じるようになる。  だから桔流は、好きになり恋をする為には“努力が必要”と考えるようになってしまった。  桔流はまずその考えを捨てなければ、今後も“恋人に恋する為の努力”をし続け、本来自然と芽生えるものである恋心を、その身で知る事はできないだろう。  だからこそ、その“努力”をやめさせる必要があった。 「そ、そうなんですか? じゃあ、どうやって好きになるんでしょうか」 「何もしないでいいよ。“愛”は自然と芽生えていたり、意識してするものだけど、“恋”は違う。恋はね、多くの場合は知らない内に、自然としてしまっているものなんだ。意識してするものじゃない。だから、桔流君はただ感じるままで、意識して何かをしたりしなくて良いんだ」 「……本当に、何もしなくていいんですか」 「うん。もし俺の事を好きになってくれる事があるとしたらきっと、知らないうちに好きになって、恋してくれてると思うから。だから、その気持ちに気づいたら、教えて欲しい」  なんとなく腑に落ちない様子の桔流だったが、とりあえずは頷き、やってみます。と言った。  花厳は、やっぱり努力しようとしてしまうのだな、と努力家すぎる桔流に愛おしさを感じつつ、うん、とだけ言った。  かくして、桔流は、花厳からの提案をのみ、彼からの“気持ちの形”を公認で受けることとなった。  

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