6 / 16
第四話『 Stir 』 上
とある日、桔流 は花厳 の提案を受け、花厳とこれから過ごす中でもし彼を好きになれたならば正式に付き合う、という約束を交わした。
そんな約束を交わして以降、花厳はちょくちょくと桔流の事についてを尋ねるようになった。
オーソドックスなものとしては食べ物の好き嫌いやアレルギー、好物や苦手なものにはじまり、桔流のもつ物事への価値観など、質問は様々だった。
(俺、すげぇ研究されてる……)
桔流はそう感じつつも、嫌な気分にならなかったのは不思議だった。
過去にも、自分の事を執拗に知ろうと質問攻めにしてくる者はいた。
告白を断ったにも関わらず、どうでもいいような事からプライバシーに入り込むようなものやデリカシーのない不躾な事までひたすら訊かれた。
女ほどそういった事に敏感なわけではないが、男であってもその問いかけで自分を穢されるような気分になる事はある。
その時はそれが嫌で、桔流は人生で初めて着信拒否をしたりもした。
(なんで花厳さんの時はヤじゃないんだろう)
されている事は同じなのに、花厳からの問いかけは答えやすい上、教えることにも抵抗がなかった。
恐らくあの当時されて嫌だと感じた質問と同じ事も聞かれたが、花厳相手ではすんなりと教えてしまった。
また、訊かれるのが嬉しいような気分になる時もあり、桔流にとっては不思議な事ばかりが起こる日々を過ごしていた。
―ロドンのキセキ-瑠璃のケエス-芽吹篇❖第四話『Stir』―
「これ、本当にいいんですか?」
「もちろん。口に合えばいいけど」
そう爽やかに笑う花厳 は、先日桔流 が食べたいと思っていた季節限定かつ数量限定のマカロンを渡していた。
もちろん、桔流は食べたいと思っていた事を花厳には伝えていない。
あの約束以降、花厳は桔流に度々こうしてプレゼントを渡すことが増えた。
そしてそのプレゼントの品々は、桔流が一言も伝えていないのに、食べたい、飲みたいと思っていた物という事が多く、心の声を聞き取る盗聴器でもつけられているのではないかと思うほどだった。
「これ、食べたかったんです。ありがとうございます」
「本当? 好きそうだなと思って買ってみたんだけど、正解だったみたいだね。良かった」
にこりと笑いながらそう言う花厳は桔流の気持ちを察してというより、桔流が好きそうだ、というだけでこの品を買って来たらしかった。
それだけの情報で、これほどぴたりと欲しいものを当ててプレゼントするあたり、花厳の勘の良さやシックスセンスのようなものは非常に長けているのだろうと桔流は思った。
「あの、紅茶と珈琲どちらがいいですか? せっかくですし、一緒に食べてください」
「え、いいの?」
「はい。一人で食べるのも寂しいですし」
「はは、桔流君はほんと誘い上手だね。ありがとう、お言葉に甘えるよ。俺は珈琲が嬉しいかな」
桔流は、はい、と微笑んでキッチンへ向かう。
桔流の家で食事をしたあの日以来、二人は度々お互いの家で食事をする事が増えた。
そんな中、ようやく最近はプレゼントを素直に受け取ってくれるようになった桔流だったが、初めのうちはなんでもない日にプレゼントを贈られることに度々動揺していたのだった。
「どうぞ。ブラックでよかったですよね」
「うん、ありがとう」
再びはい、と笑んだ桔流はマカロンの入った箱を開き、小さく歓声を上げていた。
そんな桔流を見て花厳は微笑み、彼に淹れて貰った珈琲を味わう。
プレゼントを渡し始めた頃、こんなものを貰ってもきっと好きにはなれない。だからこんな風に金や時間を使わないでいい、と桔流は申し訳なさそうにしていた。
だが、花厳は何かしらプレゼントをするのが好きな性分の持ち主だった。
だからそんな桔流に、そんな性分である事を詫び、嫌か、と尋ねれば、そんなことはない、嬉しいと言いつつ、でも、と戸惑った様子をみせていた。
そんな桔流も、今では根負けして受け取っては素直に喜んでくれるようになったので花厳も安心していた。
「美味しい……」
「ほんとだね。買ってきて良かった。限定ものなのが惜しいね」
「本当ですね」
そう言ってマカロンを味わっていた桔流だったが、ふと思い立ったことがあり花厳に尋ねた。
「……あの、花厳さん」
「ん?」
「その……こうやってプレゼントしてくれるのって、俺の気を引く為って事なんですよね」
さらりとそう言いのけてしまうあたり、桔流は下心なく尽くされる機会が少なかったのだろう。
“好きにさせる為に良くしてもらえている”というような考えからの桔流の言葉を聞くたび、花厳はそう思っていた。
これをしたら付き合ってもらえるだろう。媚びを売っておけば自分を好きになってくれるだろう。
そういった下心だけが理由で与えられる好意はやがて、結果を出せなければ怒りに変わる事がある。
そして最悪の場合、寄せられていた好意が嫌がらせやに変わったり、心無い対応に変貌する事もある。
「うーん、それはちょっと違う、かな」
桔流の問いに対しそう答え、花厳は桔流に向き直り続ける。
「俺は確かに君に好きになってもらいたい気持ちはある。でも、プレゼントは君の事が好きだからしてるんだ。桔流君も、友人や知人として好きな相手が贈り物で喜んでくれるのは嬉しいでしょう?」
「はい、嬉しいです」
「それと一緒。俺たちの関係には“あの約束”がついてるからそう思うかもしれないけど、俺が君にプレゼントを贈るのは君からの恩恵を受ける為じゃなく、俺がしたいからしてるだけ。お返しを望んでるわけじゃないよ。だから受け取ってくれるだけで十分嬉しいんだ」
「……花厳さんは変わってますね」
「はは、それはよく言われる。嫌?」
「いえ、楽しいです。こうして色々教えてもらえるのも、嬉しいです」
安心したように微笑む桔流を見て、花厳はまた愛おしい気持ちになる。
バーで初めて彼に会った時は桔流は何もかもを完璧にこなせる、ただひたすらにスマートなタイプなのだと思っていたが、こうしてバーテンダーではない彼との時間を過ごすうち、桔流は非常に柔らかく笑う無垢な内面をもった青年であることを知った。
そして普通とは言えない恋愛経験から、純粋すぎるほどに純粋で真面目な彼は、物事への感覚が大きく偏ってしまっていた。
だから花厳は、自分とのつながりの中で彼の中のそう言った不要な偏りを少しでもなくせれば、と考えていた。
「桔流君は、俺からこうして何かを貰うのは今も嫌じゃない?」
「はい。申し訳ないっていう気持ちはやっぱりありますけど、何かを頂く事も、こうして良くして頂けることも本当に嬉しいです」
「そっか、それなら良かった。桔流君は焦らなくていいからね。一緒にいられるだけでも俺は十分だから」
そう言うと桔流はまた安心したように微笑んで、はい、と言う。
そんな桔流だったが、実のところ“形残る贈り物”を苦手としているようだった。
桔流にそういった事を言われたわけではないのだが、彼の事を訊いていくうちに花厳はそれを察した。
過去に高級なブランド品を釣り餌に恋人や愛人になって欲しいと迫られたり、好きになって欲しいと奮発して購入したらしいアクセサリーをプレゼントされた経験があったそうだが、その品々は彼らが暴言を吐き捨てて去った後もどうにも捨てられず、貰い物ゆえに売れずクローゼットの奥に綺麗にまとめてしまってあるのだそうだ。
決して去っていった者たちに未練があるわけではないのだが、それを手放す事で彼らの好意を無下にするようで気が引けるとのことだった。
「桔流君は本当にいい子だよね」
「な、なんですかいきなり」
「ふふ、なんとなくね」
何の飾りもない突然の褒め言葉に桔流は動揺しつつもやや照れたように反応する。
花厳の中に日に日に募る桔流への恋愛的好意は、ゆったりと愛情と共に混ざり合い大きくなっていった。
その中で花厳はただ、桔流が心から幸せだと思えるようになればそれでいいとすら思うようになっていた。
そして、桔流 にマカロンをプレゼントした日から幾日か経過したある日。
(あ、これ美味そう。今度花厳 さんと飯食う時これ出そうかな……)
桔流はそんな事を思いながらネット上で見つけた季節もののワインを眺めていた。
そしてその数日後、そう思っていた桔流が購入するよりも早く、そのワインはしっかりと桔流の手元に綺麗に包装された状態で贈られていた。
以前は心の中だけであったが、今回はしっかりと花厳に見える状態でチベットスナギツネな表情を披露した桔流は言う。
「花厳さん、やっぱめっちゃモテるでしょう……」
「やだな、本当にそんな事ないってば。どうして突然そんな……あ、もしかして、今回結構喜んでもらえてる?」
さすがにここまで心の中を読まれ続けると、妙に悔しい桔流であった。
花厳が悪戯っぽくそう訊いてきたので、悔しい桔流は、まぁ、とわざと不満げに返事をした。
冗談とわかっているからか、花厳はそんな桔流の反応に笑いつつひどく嬉しそうに良かった、と無邪気な笑みを作った。
桔流は、花厳にそんな少年のような一面もある事を知り、彼の表情やそういった一面に心を揺らされる事が度々とあった。
(悔しいけど、この笑顔は可愛い……悔しいけど)
桔流が花厳をモテるのだろうと思ったのは、桔流が彼に居心地の良さを感じていたからだった。
きっと自分が恋愛に普通の感性を持てていたら、恐らくこんな約束事などせずとも難なく花厳と恋人同士になれていたのだろうとも思った。
だが、桔流の中に巣食う恋愛に対する恐れのようなものは桔流の心を完全に捕らえて離さず、花厳にどれほど居心地の良さを感じていても友人としての好意を恋愛感情にすることはできなかった。
とある日、桔流が店の締め作業を終えロッカールームで着替えていると、同じく着替えの為にやってきた法雨 に声をかけられた。
「お疲れさま桔流君。新しい恋は順調そうね?」
「お疲れさまで……え? 新しい恋?」
いつも通りの挨拶を返そうとした桔流だったが、予想外のおまけに思わず動きを止めて法雨に聞き返す。
「ヤダとぼけて。あの忘れ物騒動の彼と最近イイ感じなんでしょ? アタシの目はごまかせないわよ?」
「忘れ物騒動って……もしかして花厳さんの事ですか? 別にあのヒトとはそういう関係じゃないですって」
「あらそう? アナタの“あのヒト”って言い方がなんでもないようには聞こえないけど?」
「き、気のせいですよ」
平静を装いつつ着替えを続行しようとすると、机に置いておいたスマートフォンが震える。
どうやら何かしらのメッセージを受信したようだった。
桔流はなんとなく嫌な予感がして再び着替えの手を止め机上のスマートフォンを見ると、点灯したディスプレイ上で花厳の名が添えられたメッセージ通知が自己主張激しく表示されていた。
ロッカールームに少しの沈黙が流れたのち、法雨がずいぶんと嬉しそうな声で言った。
「気のせい、ね。それはつまり“イイ感じじゃなくて、もっと親密な感じまでいってますから”って事かしら?」
「……ち、違いますよ……違います……ただの友人ですからって意味ですよ……」
「へぇ……ふぅん……そう……じゃあ今晩は“お友達”のおうちにお泊りなのね」
「……そう、ですよ」
「じゃあ次のお着換えの時間も、アナタのその色白なお肌が見られるの、法雨ぃ、すごぉく楽しみにしてるね?」
「……ハハ、ちょっと意味がよくわからないですね」
「逃がさないか・ら・ね」
「~~っ!!」
なんとか言い逃れようとしていた桔流は、低い声でそう言った法雨に背筋をつつつっと下からなぞり上げられ声にならない声とともに背をのけぞらせた。
「相変わらず感度イイわね。可愛い。もう一回くらい食べておくべきだったわね」
「びっくりするからやめてくださいよ!!」
「ふふ、敏感なんだから」
実は過去に何回か法雨に食われている桔流は着替え終えると、スマートフォンを早々に鞄に放り込み、嬉しそうな法雨にぎこちなく退勤の挨拶をしロッカールームから出て行った。
「ふふ、まだ肌寒いのに、慌てん坊な春だこと……」
慌てるようにして出て行った桔流を見送った法雨は、着替えを済ませた制服をロッカーにかける。
「………………」
そして、何気なしに桔流が出て行った扉を見やり、近場の椅子に腰かける。
(ねぇ、桔流君。もうそろそろアナタもその指輪から解放されてもいいんじゃないの……)
法雨は桔流と出会った日の事を思い出し、心の中でそう呟いた。
ともだちにシェアしよう!