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第八話『 Shake 』

       例年通り、その年もまたよく冷えるクリスマス前夜となっていた。  イヴとはいえやはりカップルは賑わい、夫婦や友人同士、グループ客なども多く来店していた。  更に、独り身の面々も明日のクリスマスだけでもと過ごす相手を探すのか、カウンター席で初対面同士の会話に華を咲かせていた。  そのように、クリスマスイヴの店内も様々な人々で賑わっていた。     ―ロドンのキセキ-瑠璃のケエス-芽吹篇❖第八話『Shake』―     「ねぇ桔流(きりゅう)君、明日もまたいてくれるぅ?」 「えぇ勿論。明日もいらしてくださるんですか?」 「桔流君いるなら来る~……だってクリスマスまたひとりぼっちなんだもん……」 「じゃあ、お店で僕らと一緒に過ごしましょう。いらして下さるのを楽しみにしてますね」 「えへへ、やったぁ」  桔流はそう言って、毎週通ってくれている常連客に笑顔を返しつつ一度店奥の厨房に戻る。  するとすっと身を寄せるように法雨(みのり)が声をかけてきた。 「桔流君、明日休みにしてあげてもいいわよ?」 「えっ、き、来ますよ!」  まるで桔流の“とある決意”を見抜いたかのようにそう言った法雨に、桔流は慌てて対応する。  そ、じゃ、楽しみにしてるわ、と上機嫌にフロアに出ていく法雨を見送り、桔流と一緒に慌てだした心臓をおちつけてやる。  その日、桔流はいつもより早く退勤するようになっていた。  クリスマス当日は開店準備にやや手間をかける事から、桔流もいつもよりやや早めからの出勤となるのだ。  その為、ほとんどは深夜や朝方までの勤務なのだが、クリスマスイヴの深夜は別のスタッフに任せ、日が変わる前に退勤というのが桔流の毎年のスケジュールとなっていた。 「お疲れ様です、お先失礼します」 「ハーイ、お疲れサマ」  その日の退勤時間となった桔流は、フロアにいる法雨に声をかける。  そしてそのままロッカールームへ向かおうとすると後ろから法雨に名前を呼ばれた。 「桔流君」 「はい?」  振り返ると、誰もいない事を確認するかのようにしてから少し小声で法雨は微笑んで続ける。 「頑張ってらっしゃい。それと、また子猫ちゃんしたくなったら、ちゃんと連絡しなさいね」  そう言う法雨にそっと頬を撫でられ、桔流はその手のぬくもりに法雨の優しさや愛情を感じる。  桔流は苦笑するように笑い返し、はい、と言った。 「行ってらっしゃい、桔流君」 「はい、行ってきます」  その後ロッカールームで着替えを終えた桔流は、ふとスマートフォンに目を向ける。  そして軽く深呼吸をし、既読状態にしたまま放置となっていたメッセージを改めて見返し返信を打つ。  するとすぐに電話をしていいか、というメッセージが返ってきた。  桔流はまだ緊張しつつも大丈夫です、と返信をし、法雨やスタッフたちに改めて挨拶をし店を出た。  空はやや曇っており、しんしんと冷え込んだ空気は雪をも予感させる冬らしいものとなっていた。  桔流が店を出た直後、通話の着信通知がスマートフォンのディスプレイに表示された。  桔流はまたひとつ深呼吸をして電話に出る。 「はい」 『桔流君? お疲れ様。電話、大丈夫だったかな?』  電話越しとはいえ、久しぶりに聴く花厳(かざり)の優しげな声で、桔流は心が満たされるのが分かった。  重症だな、と思いながらも会話を続ける。 「お疲れ様です。はい、大丈夫です。今日はもう仕事終わったので」 『そっか。じゃあ、今お店の前にいるのかな。車でそっちに向かうから、少し待てる?』 「はい、待ってます」 『わかった、外は冷えるし、暖かい所にいてね。着いたらまた連絡する』 「はい……」  手短な会話の後、そう言って電話を切る。  通話が終了したことを示す表示を少し眺めてから、花厳が来るまでの間どこにいようかと思ったが、桔流はなんとなく近場の公園で夜風に当たることにした。  先ほど桔流が送信したメッセージではあの夜、突然出て行ったことへの謝罪やメッセージに応答をしなかった事への謝罪をした。  その上で最後に、ちゃんと話したいです、と添えて送信をした。 (ちゃんと話そう……)  以前、自分から花厳に偉そうなことを言っておきながら同じ立場になったら結局何もできずにいた。  このままもし花厳と話す事すらしなければ法雨の言った通り、お互いに何も知る事が出来ないまますべてが終わってしまう。  それは嫌だった。  だから、終わるという可能性があったとしても、ちゃんとすべてを知った上で終わりを迎えたいと思った。 (ちゃんと話して終わろう)  公園のベンチに腰掛ける桔流はまた空を見上げる。  ひとつ息を吐くと、白い靄がくっきりと浮かぶほど冷える夜だった。 (さっむ……)  白い靄で遊んでいる場合ではない、やはりどこかに入ろうか。  そう思った時、コートのポケットの中でスマートフォンが震えた。  ポケットからスマートフォンを取り出し、ディスプレイを見ると再び着信を知らせる通知が表示されていた。 「はい」 『お待たせ。着いたよ』 「今行きます。どこにいますか?」  花厳から車を停めている位置を聞き、足早にそちらへ向かう。  ちょうど公園の近くの道路に車を停めていた花厳は、桔流を見つけるなり車から降りるとそのまま助手席を開け、お疲れ様、と微笑んだ。 (おぉ……)  桔流はそれを見て、心の中で感嘆の声を漏らす。  花厳のその一連の動作は、まるで映画で見る専属の運転手や執事のようだった。  役者というのは動作のひとつひとつが命だと聞いたことがある。  やはり講師をするようなヒトともなれば、普段からそういうものがにじみ出るのだろうか、と思いつつ花厳に礼を述べて助手席に乗り込む。 「ちょっと待っててね」  桔流が助手席に座ると、そう言った花厳は一度その場から離れまたすぐに戻ってきた。  どうやら飲み物を買ってきたようだった。  手際が良すぎる花厳に、再び桔流は心の中で感嘆の声を漏らした。  そんな桔流に気付かず、花厳は運転席へと乗り込み桔流に尋ねる。 「どれがいいかな?紅茶と珈琲、ココアがあるけど」 「……」 「あ、もしかしてどれも微妙?」 「いえ……どれもいいなと思って迷ってます」 「はは、そうか。いいよ、ここに置いておくから好きなのを飲んで」 「え、いや、先に花厳さんが好きなのを選んでください。俺はどれも好きなので」 「残念」 「え?」 「俺もどれも好き。いいよ、選んで。知ってるでしょ? 俺、優柔不断なんだ」  にこり、と首を傾けつつそう笑った花厳に、このヒトは……と思うのはこの短時間の間で何度目か。  そして桔流は散々悩んだ挙句、就労の後もあってか舌が甘いものを欲していたのでホットココアも貰う事にした。  ぱきりとキャップを開けるとほんのり甘みのある香りがした。  その香りをやや堪能していると、花厳が缶コーヒーを片手で開け、シートベルトをしめながら言う。 「流石にここには停めてられないから、近場の駐車場にでも入ろうかと思うんだけど、車の中で話すのは落ち着かないかな?」  一連の動作云々と、再びそこに惚れそうになる自分を押しとどめ、花厳さん家がいいです、と桔流は答える。  その言葉を受け一瞬驚いたような表情を見せた花厳だったが、特に言及はせずわかった、と言い自宅へ向けて車を走らせた。       「どうぞ」 「有難うございます、お邪魔します。あ、俺ブーツなので、花厳(かざり)さん先に」 「あ、うん」  二人は花厳の家に着き、玄関口で簡単なやりとりをする。  桔流に言われた通り、花厳が先に靴を脱ぎ廊下を歩き出す。 「何か温かいものでも……」  そう言って桔流(きりゅう)の方を振り返った花厳は途中で言葉を切った。  そして桔流の様子を確認した花厳は、そっと問いかける。 「桔流君? どうしたの?」  花厳がそう問いかけたのは、桔流の様子がおかしい事に気付いたからだ。  桔流は先ほど花厳を促しつつブーツを脱ごうとしていたはずだったのだが、今玄関に居る彼はただ何もせず、少し俯いて立ち尽くしているのだ。 「桔流君?」  心配に思い、花厳が再び名を呼ぶと桔流は静かに口を開いた。 「……花厳さん、俺、訊きたい事があるんです」 「……なんだい」  何となく桔流の気持ちを悟り、花厳はそのまま桔流に向き合い少し離れた距離で会話を続ける。 「あの、俺が突然帰ってしまった日に花厳さんが出した指輪……あれって、前のと同じやつですよね?」  桔流は自分の声がやや震えているのに気が付く。  だめだ、頑張れ。  そう自分に言い聞かせ、桔流は花厳の返事を待った。 「うん……ごめん」  そして、そんな花厳から返ってきたのは桔流の一番聞きたくない回答であった。  やはりあれは、前と同じものだったのだ。  恐らくは、復縁と言う事だったのだろう。 ――実は俺、改めてプロポーズするんだ。  あの時遮った言葉の先はこうだったのではないか。 ――だからもう君とはいられない。  更にはこうも続いたのではないだろうか。 「………………」  桔流は視界が揺らぎそうになるのを耐える。 (やっぱりこうなるんじゃねぇか)  心が締め付けられる感覚を覚える。  誰かを好きになんてなるもんじゃない。  結局辛いだけだ。 (やっぱり帰ろう……)  そこまで考え至ったにも関わらず、桔流の足は動かなかった。 (……希望なんてあるわけないだろ)  自分の中に根強く居座る希望への期待。  桔流はその期待を心の中で否定する。  期待をしてしまうというのは、先々に良い未来がない場合を考えると死ぬほど恐ろしいものなのだ。  それでも桔流の心に期待は居座り続ける。  その先にまだ、希望があるのではないかと。  “でも”から始まる言葉が、自分を救う言葉があるのではないか。  これからそれが花厳から発せられるのではないか。  期待と否定が桔流の心の中で押し問答をする中、花厳が口を開く。  そこで実際に花厳が続けた言葉は、やはり、桔流の予想とは違うものだった。 「ごめん」 (あぁ……ほらな……) 「俺……その、同じ包装だなんて、気にもしなくて……」  結果として続いた花厳の言葉は、桔流のどの予想からまったく外れた言葉だった。  そのせいで桔流は思考が追いつかない。 「え?」  桔流の困惑する頭では、ただその一言を絞り出すので精いっぱいだった。  そんな桔流に気付かず花厳は続ける。 「この間、たまたま姉に言われて気付いたんだ……本当にごめん」 「ま、待って下さい。あの、“同じ包装”って……これ、前のと同じ指輪なんじゃないんですか?」 「え? ……あぁ! そ、そうか……。ごめん。また勘違いさせちゃったね」 「どういうことですか?」 「これ、知り合いの店で買ったから、包装は同じなんだけど……中身は前の指輪とはまったく違うものなんだ」  そう言った花厳は、ちょっと待ってて、と言って部屋に置いてあったらしいあの紙袋を持ってきた。 「………………」 「良かったら、開けてみてくれるかな」  玄関へと戻ってきた花厳はそう言いながら桔流に歩み寄り、ブルーの袋を差し出す。  桔流は、その袋を見る度身構えてしまう。  体をこわばらせつつもなんとか袋を受け取ると、桔流はそっと中身を開けていく。 「これ……」  桔流は化粧箱を開けてその中にある指輪を見る。  美しい曲線でデザインされた、シンプルなシルバーのリングだった。  大変美しかったが、宝石などは付属しておらず、結婚指輪にするには少し違うといったデザインだ。  だからこれは、前の恋人の為に買った結婚指輪ではなく、正真正銘、桔流に贈るプレゼントだったのだろう。  もちろん花厳にも嘘をついているような素振りはみられない。  「ごめんね。酷い勘違いをさせた上に、傷つけて……。桔流君は前の指輪を見ていないから、信じて貰えるかわからないけど、これは前のとは違う。これは、君への贈り物として買ったんだ」 「そう、だったんですか……」 「うん。俺、本当にこういうの鈍いから、姉に言われるまで気づかなくて……」  苦笑する花厳に、桔流はきょとんとして問い返す。 「姉?」 「うん。この間姉が来た時、このプレゼントを見つけた姉に“未練がましくまだ持ってるの?”って言われて……。その時に気付いたんだ。あの時、桔流君がお店でずっと預かっててくれたのもこれだったって」 「………………」  花厳の話によれば、彼の姉には更に“それを想い人の前で出した”という事もバレてしまったそうで、その後散々叱られたらしい。  失礼ながら、実姉に己の無神経さを叱られている花厳は容易に想像できたので、桔流は少し吹き出しそうになるのをこらえた。  そんな桔流の前で、花厳はすっかり耳も尾もたれさせて落ち込みつつ、改めて反省しているようだった。 「本当にごめん……」  目の前で落ち込む花厳に何か声をかけねばと思うのだが、桔流はどうにも言葉が見つからなかった。  とりあえず何か言おうと思いつつ、桔流は花厳と指輪を順に見つめ言葉を探す。  そんな桔流の視線に気付いて花厳は言った。 「あ、その、それはつけなくてもいいから。受け取ってくれればそれで……。桔流君、残るものは嫌だろうと思ったんだけどシルバーリングも好きだって言ってたから、どうしても渡したくて勝手に買っちゃったんだ……」  花厳がそう言いながらふと桔流を見ると、今度は桔流が俯いてしまっていた。  桔流は花厳からの気持ちが嬉しかった。  だが心から喜ぶにはまだ、不安な点が残っていた。  そんな桔流の気持ちを知らない花厳はまた何か傷つけてしまったか、と心配になり声をかける。 「桔流君?」  桔流は俯いたまま、その声に応えるようにゆっくりと尋ねる。 「……前の人は、もういいんですか。本当は、まだ望みがあるんじゃないんですか……」  桔流の声は震えていた。  花厳はそれに対して、はっきりと答えた。 「ないよ。元からなかったんだ。前に君に話した通り、あの子には別のヒトがいる。後、これは話してなかったけどね、もう随分前から付き合ってたらしいんだ。それに、別れ話をした後は一切連絡も取ってない。向こうからも同じ。だから、今の俺には君しかいない」  その言葉を受け、桔流は震える声で言った。 「花厳さんは……俺でいいんですか……」  俯いたまま声を震わせる桔流に、花厳はゆっくりと近付く。 「俺は君がいいんだ、桔流君。桔流君は俺の過去の事も知ってるから、信じてもらうには時間がかかるかもしれないけど。俺は、君に告白したあの日より前からずっと君が好きだった。今だって俺には君しか見えてない」 「……それ、本当に信じていいですか?」 「もちろん」 「後悔、しないですか?」 「しないよ」  花厳のはっきりとした揺らぎのない言葉を噛みしめ、桔流はゆるやかに、ひとつ震えた息を吐く。  そして恐る恐る言葉を紡ぐ。 「……じゃあ、俺も言います」 「?」  そんな桔流の言葉に、花厳が不思議そうにしていると桔流は続けた。 「俺も……、俺も花厳さんが好きです……」  その言葉に花厳は目を見開く。  花厳は、桔流にそう言って貰える日は来ないかもしれないと覚悟していた。  だからその言葉を受け、花厳は一瞬言葉が出なくなった。 「ちゃんと話聞かないで出てったりして、ごめんなさい」 「いいんだよ、桔流君は何も悪くない。勘違いさせるような事をした俺が悪かったんだから」  未だに俯いたままの桔流に更に歩み寄り、花厳は彼の髪をそっと撫でる。  ふと見れば、桔流の手元は数滴の雫が落ちていた。 「また、泣かせちゃったね」 「……花厳さんのせいで、最近涙腺緩くなった気がします……」 「それは、喜んでいい話?」  そう言いながらそっと桔流を抱き寄せると、桔流はすり寄るようにして身を預けてぽつりと零した。 「……どうでしょうね」  桔流がややむすっとした声色でそう返事をするので、花厳はおかしそうに笑いつつ言った。 「桔流君。またここに来てくれてありがとう。」 「……はい」  そうして二人は少しの間、そのまま玄関でお互いのぬくもりに浸っていた。  ここに居るという安心感。  お互いで触れ合え存在を肌で感じ合う事ができるという幸福を噛みしめるように、二人は長い時間抱きしめ合った。        そうしてしばしお互いの体温を感じ合う中で、花厳が口を開いた。 「ねぇ、桔流君」 「なんですか?」 「桔流君は、俺が持ってたこのプレゼント、さっきまでは“前の指輪”だと思ってたんだよね。」 「はい……」 「じゃあ、どうして家まで来てくれたの?」 「………………」 「……?」  やや沈黙した桔流を不思議に思いつつ返事を待っていると、再び不満げな声色で桔流が言った。 「……最後に胃袋掴んでやろうと思っただけです」  桔流の予想外の答えに花厳は驚き、嬉しそうに微笑みまたぎゅっと彼を抱きしめる。 「桔流君、その理由は可愛すぎるでしょう」  ふん、と言って花厳の腕の中、照れ隠しなのか桔流は花厳のコートの中に顔を埋める。  こちらを向いてもらおうとしてもなかなか向いてくれないので、桔流の髪に軽くキスをし、花厳は再び彼の髪を撫で抱き寄せる。  そしてまた少しの沈黙の後、腕の中で桔流が言った。 「花厳さん。俺を選んでくれて、ありがとうございます……」  そんな桔流の言葉に、花厳も嬉しそうに言う。 「こちらこそ」  そう返事をした花厳は、桔流のぬくもりを逃がさないよう抱きしめた。          

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