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最終話 真白き月に吠える

「……あ…ああ…あ……!ああああ…!!」  どうして?  なんで……こんなひどいことが出来るの……?  分からない……分からない……わからないよ……!  誰か教えて……誰か助けて……!  こんなの嘘だと……誰か俺に言ってよーー!!  深い森の奥には小高い山。  その上には古城が聳え立つ。  深い森の中には、血に飢えた狼達。  美しい銀色の王を失い、怒り狂った彼らの前に人間は余りにも……脆弱な存在だ。  ハタハタと……風が音を立てて吹き去った。  肩にかかった毛皮を引き寄せ、青年は近づく気配へ向かって静かに声を掛けた。 「……ここには、何もないよ…?ついでに……誰も居ない。一体何の用があって、来たのか……聞いても構わないかな?」  月明りに照らされた青年の顔は、月の化身の如き美しさだった。  月光に溶ける柔らかな銀の髪。澄んだ泉のような青い瞳。  だがその表情は氷のようだった。  怒りも悲しみも苦しみも。喜びや笑顔などとは永遠に縁がないという顔で告げられた言葉も冷たかった。  感情を凍結された、絶望の淵を覗き込み続けた者の末路。  全てを諦めきってなお、胸の奥底に燃える炎に焼かれ続ける……悲しき寡婦となった、銀狼の番の姿がそこに在った。   「……いや…君が居るだろう?街の噂を聞いたんだ。愛する銀狼を奪われた彼の番が……城に住む人間を皆殺しにして…城門からぶら下げカラスの餌にしたと!さっき一応見て来たけど、よっぽど激しく痛めつけたのかな?もう、元は何であったのかすら…分からなくなっていたよ。どうだい?愛する者を手に掛けたものを……その手で断罪した気分は?楽しかった?それとも、憎くて憎くて……我を忘れてしまったのかな?」  それが聞きたくて、わざわざ来たんだよと微笑む男の瞳がきらりと月の光に輝いた。  美しい瑠璃色の宝石のような瞳だった。  とんでもないことを、楽し気に話す男を見下ろして銀は……溜息を吐いた。 「…流石は、始祖吸血鬼ともなると…言う事が違うね?そんな下らない事を言うためにここへ来たのなら……帰って欲しいな。俺は、あなたを楽しませるためにあんなことをしたわけじゃないのだから…」  銀の言葉に、男は「おや…?私の事を知っていたのか」と微笑んだ。  焦げ茶色の波打つ豊かな髪、恐ろしい程に整った……美貌。  齢千年を超えて生き続ける悪魔の王。架希王神駕……彼の事を知らない魔族などいない。  その恐ろしいまでの残虐な性質を。 「…そんなにつれない事を言わないで欲しいのだがね…?噂には聞いていたが……君は本当に美しいね!月の光を束ねた銀の髪を持つ、青い瞳の銀狼の番。たしか……名は銀と言ったかな?どうだろう…ここを…私に譲る気はないかな?実は前から……この城が欲しいと思っていたんだよ!深い森に囲まれた小高い山の上の城。しかも、先住していた人間は皆殺しだ!…実にいいね!吸血鬼の根城に相応しい」  塔に掛けられた橋に腰かけている銀を見上げて、神駕は是非私にこの城をと熱心に頼んだ。  ああ……なるほど。  銀も男の言葉に納得した。  吸血鬼の中でも特に残虐だと言われる、始祖吸血鬼の王。架希王神駕ならば……この城の主に相応しいだろう。 「…ああ……そういう事か。でも……残念だけどね、俺は…ここを誰にも譲るつもりはないよ?ここを……離れるつもりもない。この命が尽きるまで……俺はここに居る。彼と約束したからね。永遠に……隣に居ると」  微笑み、銀は自身が纏った月光を弾く銀色の毛皮を愛おし気に撫でた。  もう……その熱を銀に与えてくれなくなった、彼の抜け殻。  これを手にした日のことは、永遠に忘れることは無いだろう。  あの日……銀はこの城の地下で地獄を見たのだった。 「……なんで…!どうして……!」  扉の中は、血の海だった。  石の床の上に、大量の血溜まり。  震える足で、自分を見て怯えた顔をする老人に詰め寄った。  なんで、こんなことをしたんだ!!  叫びはまるで血を吐くような痛みに彩られていた。  目の前には、銀色の美しい毛皮が丁寧に剥がされ……男の手によって仕上げがなされようとしていたのだ。  そして、毛皮を剥がれて赤い肉を剥き出しにした愛しい者の変わり果てた姿。  信じられない。  どうしてこんなことを!!  髪を掻きむしり、銀は叫ぶ。  許されない。  この人は……王だ!  大切な大切な……狼の王様なんだ!    なんでこんなことをした!  どうしてこんなことが出来るのだ!  ナイフを振りかざして、鬼のような形相で詰め寄る銀はふと……目に留まったものの正体に気づいて、今度こそ気が狂いそうになった。 「…こんな……!なんてことを…!!」  硝子の瓶に納められた赤い肉片。  彼にとって特別なもの。  愛しいものと繋がる為の大切な器官が、切り取られていたのだ!  絶叫が喉から迸った。  外道が……!!鬼畜が……!!  殺してやる!!  銀は腰を抜かした老人に襲い掛かり、ナイフをぐさぐさと身体中に突き刺した。  悲鳴を上げて、暴れる男の抵抗など気にも留めない。  怒りが全ての感覚を閉ざさせた。  銀の腕に最後の力を振り絞って立てられた爪が、肉に食い込んだ。  邪魔だと薙ぎ払えば、肉を切り裂きながらその手は離れた。  ビクビクと痙攣を始めた男の身体を突き刺しながら、銀は泣いていた。  こんなの嘘だと叫びながら泣き続けた。   「……ブランカ…!ブランカブランカブランカブランカブランカ……ブランカ…!!」  硝子の瓶からそっと取り出した、冷たく濡れたそれに頬を摺り寄せ、銀は愛しい者の名を呼び続けた。  あんなに熱かったのに。  とてもとても……力強く自分を貫き身体の奥底まで愛してくれたのに……!  もう二度と、この愛しいモノが自分を喜びに導いてくれることはないのだ。  もう二度と、あの愛しい者に……会えないのだ!!  銀の絶望は、深かった。  人狼の番となった銀もまた……人とは違う存在になっていたのだろうか。    銀は泣きながら、それを口に含んだ。  なかなか、口で愛することを許してくれなかった。  早く銀の身体の中に入りたいと、甘えて……口の中で果てる事をいつも渋っていた。  ああ……!  もっともっと……沢山愛してあげればよかった。  全然足りないよ……!  もっともっと……欲しいよ!あなたが欲しいんだ……  くちゃりと、噛みしめれば血の味。  甘い……愛する者の血の匂いに頭がくらりとした。  なんておいしい。  なんて甘美なんだろう……  銀は夢中になって、口のなかの愛しい者をかみ砕き飲みこんだ。  一つに。  永遠に……一緒にいようね?  微笑む銀の瞳からは、もう涙は零れない。  銀は涙をその時に失ったのだった。 「…そうか。それは残念……なんて私が言うとでも?私は、架希王神駕……望んだモノを手に入れることなく、引き下がるなんてことはしない。何もタダでこの城を寄越せなどとは言わないよ?君の望みを、叶えてやろう。銀……君は、永遠が欲しくはないかな?もはや君は……人として生きる事はできない。その身に魔性を取り込んだ君はもう既に夜の住人だ。私なら、人でも人狼でもない中途半端な存在の君を、生まれ変わらせてやることができる。銀色に輝く毛皮を持つ…君の番と共に、終わる事のない生を生きてみたくはないか?」  いつの間にか、男は銀の隣に立っていた。  橋に座っている銀を瑠璃色の宝石の瞳で見つめて……男は悪魔の微笑みを浮かべた。 「…そうか…そうだった。あなたは、悪魔の王……人の望みに付け込み、それ以上の物を手に入れる事に長けている…という噂は本当なんだ?もう…俺には望みなどないと思っていたよ。死だけが……希望なのだと思っていた。いいよ…あなたにこの城をあげる。俺は……一人きりでなんて、もう一秒だって生きていたくない!ブランカと……一緒にいたい。一つの存在になりたい!一人は…もう嫌だ……!」  銀は隣の男の足に縋り付いた。  悪魔の王。  始祖吸血鬼の王は、優しい眼差しで銀を見下ろしていた。  自分に縋る者に、王は優しい。  王と讃える者を王はとても大切にするのだ。  何故なら、一人きりでは王になり得ないのだから。 「…契約成立だ!銀……お前に、私の力を授けよう。さあ……私の血を飲み干すがいい!銀色に輝く人狼……銀月としてお前に新たな生を与える!生涯お前とその番は離れることは無い。一つの存在として一つの生を永遠に生き続けるのだ……!!」  差し出された白い手首に、銀は牙を立てた。  甘い芳香……トロリとした甘いその血は何故か薔薇の香りがした。  青い満月の夜だった。  夏が終わり、秋になる頃……  涼しい風が吹く森の古城で、新たな魔性が誕生した。    始祖吸血鬼の王の血によって、生前の自分の番と同じ姿を手に入れた銀はもう人の姿に戻れない。  愛する者の血肉を食らい尽くし、その毛皮を身に纏った人間の青年は悪魔と契約したのだ。   「…ああ…いい夜だ!本当に……お前は美しいね…銀月」  月明りに照らされた古城で、悪魔の王は微笑んだ。  彼の足元に侍る銀狼は、黄金色の瞳を煌めかせて主を見上げた。   これから長い長い年月を、銀狼は悪魔の王の傍で過ごすことになるのだ。彼の僕として恐怖と憎悪に塗れた人生を送ることになるだろう。  だが銀は、悪魔と取引をしたことを一生後悔しないだろう。  愛する者が生まれ変わり、また巡り合うかもしれないという……奇蹟なんて待てなかった。  あの熱い眼差しも、優しい声も銀のものだ。  愛の言葉も、愛の行為も全て銀だけのものだ。  これであなたは、永遠に俺のもの!  愛している。  誰よりもあなたを……愛している。  だから離さない。  生まれ変わって、誰かの者になるなんて許さないよ?  記憶を失って俺を忘れる事なんて……絶対に許せない。  悪魔は確かに銀の心の中を覗いたのだ。  その奥底に閉じ込められた、どす黒く染まった欲望と狂気を引き摺り出して……自らの願いと引き換えにその後ろ暗い望みを叶えてくれたのだ。  その為に、彼がどんな手を使ったのかなんてもう……銀には関係ない。  心の底から渇望していた、無変の愛を手にすることができたのだから。  ああ……やっと望みがかなった!  美しいあなたの姿。  優しいあなたの微笑みも……全部全部俺のものだよ。  銀月……あなたと俺の新しい人生の名前。  永遠に一緒だという誓いの絆。  あなたは俺。俺は……あなた。  誰にも引き剥がす事など出来ないんだ……だって俺達はもう一つになったのだから……!      狼が治める深い森の奥には、小高い山の上に聳え立つ古城がある。  そこに住むのは、吸血鬼の王。  傍に侍るのは銀色の狼。  遠い遠い……昔の物語……  真白い月に吠える 嘘つき番外編 完結

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