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第7話 暴虐の城
「この夜の森に棲む銀狼……狼達を統べる王は、番を決めたようですね。あなたの…確か六番目の子供でしたね?月の色の髪を持つ美しい少年でしたねえ!そう…彼こそが王の唯一無二の存在です。彼を見失えば……流石の王も、慌てふためいて判断を間違える事でしょう。ですから…夏を待ちましょう。人間である自分の番の為に王は必ずこの森の泉に姿を現します。勿論二人揃ってね!番の安全を守る為に、彼の傍を離れた時が…千載一遇のチャンスです。彼を攫って……王を城で待ち構えます。例え自分の命を危険に晒そうと……王は決して彼を見捨てられない。そういう悲しい生き物ですからね…」
野望の為に差しだそうとした……六番目の子供に逃げられたことを告げた自分に、男は信じられないことを言ったのだった。
あの子供が?
王の……番だと?
あれが生きているというだけでも驚きなのに、それが森に棲む魔性の番となっているというのだ。
「……信じられません…あれが…銀色の狼に連れ去られたのを目撃した者にも話を聞きました。自分の塒に持ち帰って仲間と…食べたのではと言っていましたよ。大体……あれは確かに美しい姿をしていますが…男ですよ?動物が……子孫を残せない同性を自分の伴侶にするとは…とても考えられないのですが…」
躊躇いがちに男にそう言ってみても鼻で笑われた。
傲岸不遜なその態度は腹が立つが……失態を演じた直後の自分には言い訳のしようもない。
「…いえ…困惑もごもっともだと思っただけですよ?人狼は……魔族の中でも特に希少な存在です。狼の特性をも備えた彼らは……自分の唯一の存在の性別を問いません。同性でも全然構わないんですよ!だから…子孫が残せないことも多々ある。おまけに番を失えば…再び番を求めることもしません。ね…?少ないわけでしょう?ですから、あなたの息子が王の番に選ばれてもおかしくないのです。待ちましょう。来年の夏…狼王を罠にかけるのです。希少な人狼の毛皮…しかも銀色!我が主は、それで今回の失態を許しあなたの望みも…叶えると言っておりますが…どうしますか?」
微笑む男は、こちらの返答などお見通しだろう。
どうするか?などと言う癖に、こちらが断ることなど考えてもいないのが良く分かった。
忌々しいとは思ったが、それを口にすることなどできなかった。
どうしても欲しかった。
誰からも相手にされない田舎の貴族である我が一族が、王都に進出できるチャンスが喉から手が出る程欲しかったのだ。
「…分かりました。必ず……お約束の物を差し上げると誓います。ですが…あの銀狼は魔物です。一体どうやって…その魔物から、あれを取り上げるというのでしょう?お知恵を貸していただきたいのです…!」
必死で頭を下げる自分に、男はいくつかの作戦を授けてくれた。
他に必要な道具も手配してくれると言う。
ホッとした自分に、男は微笑んだ。
「…安心してください。我が主は……望みのものを手に入れる為ならば…どんな労力も惜しまないのです。そしてあなたにも…きちんと報酬を支払うでしょう!あなたは本当に強運ですよ…穂狩男爵!」
長い冬を抜け、短い春が終わり……待ち望んだ季節が遂に廻(めぐ)って来た。
じりじりと焼けつくような渇望は、暑さのせいだけではなかった。
穂狩男爵には、失われた六番目の子供を除いて今現在五人の子供がいる。
全て男子である為に、どうしても名のある貴族の令嬢を息子たちの妻として城に迎え入れたかった。
金で買った爵位持ち。
そう呼ばれることが耐え難かった。
後ろ暗い仕事と引き換えに得た富は……自分達を光の当たる場所まで押し上げてはくれなかった。
数代前まで、何をしていたか分からない……
素性の定かではない貴族には栄達の道は、すでに閉ざされているのだ。
なんとしても、この境遇から抜け出してみせる!
長年の夢が遂に実を結ぼうとしているのだ。
手の届く場所にまでやって来た。
期待と焦燥が胸を焦がす。
逸る心と高鳴る鼓動を抑えて男はその機会を待つのだった。
かつてこの地に住んでいた魔女は、この森に棲む狼達の守護者だった。
人狼と呼ばれる魔性の存在である彼らの為に、この森の奥に安住の地を作って、それを見守る為の城を建てたのだと言う。
人と人狼は決して結ばれてはならない。
生涯に唯一人だけしか伴侶を選べない人狼。
彼らは人と永遠に添い遂げる事など不可能なのだ。
人狼は人と別れて森の奥へ消えることを選んだ。
人は、彼らに関わることなく生きる道を進んだ。
彼らの安寧の地は、魔女の残した城と道で隔てられ二度と交わらないようにされたのだった。
それから数百年後……その壁を潜り抜けたのが、自分の血を引く子供だと言う。
一体何故だ?
どうして、ただの人間が……人狼のしかも王を絡めとれたというのだ。
分からないが、自分に出来る事は唯一つだけだ。
その子供を連れ去り、この城へ狼の王を呼び寄せる事。
後は大丈夫だと客人は請け負った。
ここに張られた結界は、人狼を非常に不安定にさせるものらしい。
彼らを人に近づけさせない為のそれが……今度は仇となるとは皮肉ですねと笑う男の目は笑ってなどいない。
それを見て冷やりとした。
二度目はない。男の目がそう言っているのがわかったのだ。
今度こそ失敗するわけにはいかない。
自分の一族の命運がかかったこの作戦の指揮を、自ら執ることを決めて男爵と呼ばれる男は静かに息を吐き出した。
大丈夫だ。
狼の嗅覚を狂わせる薬も、王の番を気絶させるための薬も用意した。
あとは……彼らが姿を見せるのを待つだけだ。
きっと全て上手く行く。
華やかな王都。富と名声が溢れ返るあの場所に……自分達の未来がある。
掴んで見せる。
どんな手を使っても。どんな犠牲を払ってでも、自分達を貶め嘲笑ったあいつらを見返してやる!
暑い日差しの中に、忽然と姿を現したのは……夢の様に美しい番だった。
銀色の狼の背からひらりと降り立ったのは、すらりとした肢体を持つ美しい若者だ。遠目に見ても、非常に美しい銀色の髪を持つ者。冬の始まりに失った筈の……我が子だった。
一度たりとも大切に思ったことなどなかった。
美しい女に欲情しても、生まれた子供には興味が無かった。
ただ、その女によく似た美しさに利用価値を見出しただけだった。
逃げ出された時には、腸が煮えくり返った。悔しくて地団太を踏んだ。
狼に襲われ死んだと聞かされ、漸く清々したものだ。
だが、実は生きていたと聞かされた時に、良かったと思ったのも事実だ。
自分の目的の為に、必要な駒はやはり……その子供だと分かっていたからだ。
久し振りに目にする我が子は、生前の母親に益々似てきたようだ。
田舎町に居るには似つかわしくない、洗練された美貌に惹かれて城へ連れ帰った当時の彼女は十七歳になったばかり。
目の前で輝くばかりに美しく育った息子と同い年だった。
それが、隣に寄り添う銀色の狼の番だと聞いても、今一実感が湧かない。
何かの間違いではないか……とすら思ってしまう。
いつもおどおどとして、生気の無い顔の子供だった。
笑顔を見たことは一度もない。
傍に居るだけで気が滅入ると妻の評判もすこぶる悪かった。
見た目こそ美しいが、何も持たない唯の人間の子供に過ぎないあれが?
そんな子供が、魔物の王の唯一の存在と言われても俄かには信じられないのだ。
困惑と好奇心を持って見守る内に……信じられない事が起こった。
シャツ一枚だけを羽織った若者がそれを脱ぎ、白い裸体を泉に浸すと銀色の狼を手招いた。
近づく狼の首筋に回された腕の白さが、日差しのなかでも眩しかった。
息を殺して彼らが離れる瞬間を待つ自分達の前で二人は……睦み合い始めたのだ。
狼は、泉から上がった若者の白い裸体を丹念に舐め始めた。
若者は、狼の股間に顔を埋めて何かをしている。
いや、本当は分かっていた。
きっと自分の番の欲望に舌を這わせて愛撫しているのだろう。
なんでそんなに悍ましいことが出来るのだと、怒りが込み上げた。
だが……まだその悪夢は終わらなかった。
若者はその場に膝を付くと腰を突き出す様にして、狼を誘ったのだ。
銀色の髪が、肩から流れ落ちて陽の光を弾いている。
同じ色の毛皮を纏った獣が白い裸体に背後から圧し掛かった。
若者が手を添えて、背後に誘導するそれを目にして……息を飲んだ。
てらてらと赤く光る醜悪なそれは、銀狼の欲望そのもののように長大だった。
息を飲んで見つめている間に巨大な瘤を備えたそれが、ゆっくりと白い尻の間に飲みこまれていく。
途端に溢れだす甘い声。
疑いようもない、快楽に咽ぶ喘ぎ声が森に響いた。
狼は激しく腰を前後に動かして、若者を責め立てていた。
激し過ぎると言っていい抽送に、一緒について来ていた長男がごくりと唾を飲みこんだ。
狼に背後から貫かれて、若者は背を撓らせ髪を振り乱して喘ぎ続けていた。
がくがくと震える腕が頽れた瞬間に、ひと際高い声が上がった。
ゆっくりと、地面に伏せる若者に狼が覆いかぶさり顔を舐め始めた。
若者が口を開ければ、狼は舌で中を掻き混ぜるようにした。
恐らく口づけなのだろう。
目を背けたくなるほどに醜悪な情交だった。
……どれほど時間が経ったのだろうか?
狼はまだ若者の背中から退こうとはしない。
当然内部に押し込んでいる欲望はまだ抜かれていない。
狼は、交尾の時にとても時間が掛かると聞いたことがある。
人とは射精の仕組みが違う為だという。
体内に肉の欲を飲みこませた後は、射精が終わるまでずっとそのままでいるしかないのだ。
狼と人の番は繋がった状態でも、睦みあうことを止めようとはしなかった。
身体を擦り合わせ、口から零れる唾液を擦り付け合い激しく交わることを止めなかったのだ。
なんて醜悪なのだ!
怒りが胸の中でどす黒く渦巻いた。
あれが……我が血を受けた子供だと?
信じられない。
ケダモノとあんなに激しく交わり、あられもない嬌声を上げる……あれが我が息子だというのか!!
目の前が白く霞んだ。
怒りに目が眩んだのだ。
隣で息を飲み、喉を何度も上下させる自分の息子の様子など目にも入らない。
男は、目の前で繰り広げられるケダモノ同士が交わり合う様を睨み続けた。
長い時間が経った様だ。
漸く銀色の狼は白い裸体から身体を起こした。
ずるりと抜けるそれを見ても、もうなにも感じなかった。
狼は一度、二度と……自分の番の顔を舐めてからゆっくりと歩き去った。
周りを見回りに行ったのだ。
漸く訪れたチャンスに、男は足音を忍ばせ若者に近づいた。
気怠げにうつ伏せになった白い裸体が、陽の光の中で輝いている。
間近に見ればその美しさは、確かに称賛に値するだけのものがあった。
魔性の生き物を虜にするだけの、美しさがあると素直に認めた男は進む足に力を籠めた。
一刻も早く取り戻さなければいけない。
心が急き立てる声のままに進みは早くなった。
……私のモノだ。
あんな毛皮を持った魔獣が自由にしていいものなどではないのだ!!
近づいた自分を見上げるその瞳は、未だ全ての熱を開放し切っていなかった。
潤んだ青い瞳。澄んだ泉の色を湛えるそれが、驚愕に見開かれるのを見て男は笑った。
さあ……帰ろう。
お前の居るべき場所は、ここではないのだから!!
狼王の番は容易く自分の手に落ちた。
客人がくれた薬を嗅がせれば、王の番は一瞬で意識を失った。
白い裸体を持って来た布で包み、長男が担いで森を抜け出した。
狼の嗅覚を狂わせる粉薬を前もって散布しておいた道を辿れば、すぐに城が見えた。
城に入れば客人が待っていた。
首尾よく狼の番を手に入れたことに満足そうに微笑むと、すぐに人狼の王を捕える罠の準備に取り掛かりましょうと言った。
銀狼は、すぐに異変に気付いた。
さっきまで漂っていた自分の番の気配が、全く見えなくなったことに驚いた。
どんなに離れていても、自分が彼の気配を見失うはずはなかった。
魂の片割れ、生涯唯一人と決めた伴侶は自分の命よりも大切な者なのだ。
銀狼は立ち止まって考えることなどしなかった。
本能が命じるまま、走り続けた。
銀……!私の番。私の大切な可愛い人……!
どこだ?何処へ行ってしまったというのだ……!
私を置いて、お前が何処へ行くというのだ?
お前は私のモノだ……!
銀狼は狂ったように森を走り抜け、小高い山の上の城に辿り着いた。
さっきまで感じなかった、愛しい者の残り香がした。
ここか……!
やはり攫われてしまったのだな。
お前が私を残して去るはずはなかったのだ!
城壁を軽々と飛び越え、銀狼は城の中庭に降りた。
愛しい者。自分の伴侶の匂いを追って歩き続けた。
そしてそこに辿り着いてしまった。
塔の上部から張り出した渡り廊下に、太い鎖でぶら下げられた四角い箱。
いや、鉄でできた檻の中から銀の……自分の妻の匂いがしているのだ。
しかも……そこに混じる血の匂いにぶわっと体中の毛が逆立った。
なんてことを……!この私の番を連れ去っただけではなく、怪我まで負わせたのか!?
狼の王は怒りに我を忘れて、塔をよじ登り始めた。
頑丈な爪は、荒く組まれた石の隙間に深々と突き刺さる。
尋常ではない筋力と体力で、垂直の壁さえものともせずに上をただ目指す。
最愛の者が、血を流し自分の助けを待っているのだ。
一刻も早く救い出し、安心させてやらなければならない。
一人にしたことを心から詫びて、二度とこの腕を離さないと再び誓おう。
狼の王は、自分がもう冷静な判断力を失っていることに気づけないまま……それに手を伸ばした。
渡り廊下に易々と到達した王は、人の姿に変化していた。
鎖を掴み、それを手繰り寄せようと力を込めた時に響いたのは銃声だった。
一体何が……?起きたというのだ……
銀狼の王は自分の手が力を失い、重力に引かれるまま落下している間に疑問を頭に浮かべた。
胸に焼け付く痛みを感じたその直後の事だった。
人狼を唯一殺し得る、聖なる祈りを込められた銀の弾丸。
それが強大な王を死に至らしめたのだと……彼が知ることは永遠に無かった。
「…ここはどこ…?ブランカは……どこにいるの…?」
ふらふらと、覚束ない足取りで歩く若者の左腕からは血が流れ出していた。
いや、それだけではない。
顔に胸に腹に……血の飛沫を浴びた姿は、一種の凄絶な美しささえ持っていた。
彼は、まだ知らなかった。
気を失った彼から剥ぎ取った布に沁みこんだ番の匂い。
そして、彼から抜き取った血の匂いに引き寄せられた自分の最愛の者の末路を……
気が付けば、城の一室で目覚めた若者はすぐに脱出を試みた。
だが……自分を見張っていた腹違いの兄。
七つ年上の男に蹂躙される直前に、彼は兄の腰からナイフを抜きそのまま刺した。
顔を肩を胸を。滅茶苦茶に突き刺した。
込み上げるのは、怒り。
自分を捨てた癖に!
なんで今更、こんなことを。
許せない。許すものか!
やっと掴んだ幸福を取り上げることなんて、絶対に許せない。
この身体に触れていいのは……彼だけだ!!
悲鳴を上げて逃げまどう男の腹に跨り、喉を深く突き刺せばやがて……その身体から力が失われた。
これでいい。
これで……彼を探しに行ける。
若者は薄く微笑んだ。
外に出れば、他に見張りの人間は居なかった。
腹違いの兄が他の者に邪魔をされたくなくて人払いしていたのだったが、彼はそれを知らない。
よかった。
邪魔されたら……また、これで刺さなくちゃいけなかったもの。
若者はふわりと微笑んだ。
そしてそのまま……白い裸身を赤く血に染めたまま石の廊下を歩き続けた。
匂いがする。
ブランカの……温かな優しい匂い。
大好き。
愛している。
どこにいるの?
迎えに来てくれたんでしょ?
彼の足取りに迷いは無い。
愛しい香りを求めて歩く彼は恍惚とした表情を浮かべていた。
彼もまた、番と引き離されたことによって錯乱していたのだ。
ここに居る。
大切な自分の番が……ここにいると呟いて彼は微笑んだ。
そこは、城の地下に作られた部屋。
古き魔女がこの城を住処にしていた時代の研究部屋だった。
重い木の扉を開けば、そこには……
この世の終わりが……
永遠の暗闇が……横たわっていた。
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