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1.獲物の行方

「……」  眼前に迫り来る光景に、晃心(こうしん)は声もなく固まっていた。  ありえない。 「何とか言え」 「イヤです。」 「ぁあ?」  見上げた先の不機嫌そうに眉を潜める美丈夫に言葉を重ねる。 「お断りします。」 「いい度胸だな」 「ボクみたいな一介の庶民と、風紀委員長である宝生(ほうしょう)様だなんて身分の差がありすぎますぅ……」  ちょっとシナを作って、一度は剥がれかかった仮面を被りなおして晃心は微笑んだ。  山奥にひっそりとそびえ立つ全寮制男子校。俗世から切り離された狭い世界、アイドルかの如く顔で選ばれた生徒会。個性豊かな役員達によって、何だかんだいってそれなりにまとまっていた。そして、はびこる同性愛と敬愛を込めて設立された、ある意味伝統ある親衛隊。何の因果か転がり落ちてきたボタモチの要領で、晃心は生徒会副会長親衛隊隊長を任されていた。といっても、それほど大層な仕事はなく隊員と茶をしたり、時々副会長と隊員との話し合いの場を設けたりとそんな程度の活動だ。中には過激に対象を追いかけて崇高する親衛隊もあるが、基本的に面倒事が嫌いな晃心は、周りには穏健派な隊長としての認識が定着していた。そのためか率いている現副会長親衛隊も派手な活動や荒事もない。晃心自身も、そんな日常に満足していた。  平和から一変、時期外れのたった一人の転入生に傾国の危機に陥りつつある現状を、溜め息を通り越してあまりのお粗末さに嘲笑が込み上げてくる。外見を下手な変装で隠し、にじみ出る魅力は隠せずに瞬く間に生徒会役員を魅了した。怒ったのは、アイドルを祭り上げていた親衛隊たちだ。孤高の存在であったはずの人物たちが、ひとりに焦点を絞って互いにけん制をし合っての取り合い。親衛隊は転入生を目の敵にして、アイドル達はそんな親衛隊を(けむ)って、両者の仲を取り持とうと掻き回すだけの転入生という悪循環。  周囲がいがみ合う中、晃心は静かに傍観していた。  ギスギスした雰囲気の学園内、荒らされていく平和でない日常、機能しない生徒会――いや、例外は居た。その彼を役不足ながらも手伝って、終わらない仕事の合間にリコールを危惧する心中を慮る。  一時は一緒に働いていた生徒会の仲間だ。そうそう簡単に切れるモノではないだろう。大企業の子息だとはいえ、使えぬと誰も彼も履き捨てるような冷徹さだけでは社会の歯車は回らない。まぁ、やさし過ぎるのも考えモノであるが。 『ごめんな、晃心。いつも手伝ってもらって』 『謝罪より感謝がいい。午後ティー、赤いヤツ。五百ミリ、一本』  崇拝対象と親衛隊隊長という立場から、互いに幼馴染という立場に戻った彼は困ったように眉を下げる。それをにべもない態度で蹴散らして、イタズラ顔で謝礼を強請る。細かい指定をしたのは庶民な舌を持つ自分とは違い、加減を知らない相手を承知しているから。トラック一杯分のペットボトル紅茶が届いて辟易したのは、己の仕出かした不手際として記憶に新しい。相手に他意がないだけ手に負えないと頭を抱えたものだ。 『あぁ、ありがとう』 『よし。――ずっと働き詰めだろ。能率が落ちるから息抜きしてきなよ。ちょうど風紀の見回りの時間で、今の留守番は副委員長だから。はい』  風紀への提出書類をはためかせながら、生徒会副会長の想い人の情報を流してやる。 『……何で、そんなこと知ってるんだ』  訝しがるのも無理はない。下手をしたら不穏な輩に襲撃される可能性もある危険な委員会だ。毎日ランダムに留守番は変わる。 『親衛隊隊長の情報網を舐めるな』  しばらく生徒会室に缶詰状態になっている幼馴染が、愛しの恋人との逢瀬を楽しむ機会が全く無いのも知っている。あっちもヤキモキしている様なので、ちょうどいい。どうせならば、そのまま二人で仲良く寮へ帰ってしまえ。 『本当に、迷惑掛けるな』 『お前のせいじゃないだろ。じゃあ、黄色いのも一本』 『了解。』  書類片手に部屋を出て行く広い背を見送って、一旦は手を止めていた山となっている文書の崩しに掛かった。  しばらく無心に書類とにらめっこしていれば、扉が開かれる。思いの外、早い。これでは息抜きもできていないではないか。内心、幼馴染の不器用さに舌打ちをする。 『早かったね。修正箇所でも――』 『貴様はナニやってる』  顔も上げず掛けた声に、重ねられる不機嫌な声音。  ……しまった。  イヤな予感を覚えて、あえて視線を文書から上げずに無視を決め込む。  他の役員は転入生を追いかけていて訪れないから、幼馴染だと油断していたのが運のつき。 『いい度胸だな』  顎を捕まれ、無理やり視線を合わせられる。 『あら、風紀委員長様。気付かず、お茶もお出しせずに申し訳ありません』  難聴なんです、と付け足しながら渋面の美丈夫にニッコリと微笑んでやる。  面倒なのが来た。 『質問に答えろ』 『親衛隊隊長のボクが生徒会副会長である大倉様が出入りする生徒会室に居ても、それほど不思議はないかと思いますよ?』 『通常の状態ならば、な』  本当に可愛げのない男。  生徒会が正常に機能していないのを知りつつ、虎視眈々と失脚を狙っている。幼馴染の頭を悩ませる要因の一つでもある。あいつがハゲになったら、どうしてくれる。それよりも先にゴタついている学園全体の収束に務めてもらいたいものだ。 『いい加減に俺のモノになれ』  冗談じゃない。 『ボク、他の子たちに殺されちゃいますぅ』  風紀は親衛隊はないが、ソレに近いものはある。晃心自身、向けられるいじめや制裁など基本的には興味無いが、統率が取れていないだけ親衛隊よりもヤバイ。しかも親衛隊のように一見可愛い・小粒・可憐な小動物ではなく、風紀への憧れや敵対心から来る屈強な輩が多いので自分の手に負えないのは火を見るよりも明らか。 『それに、大倉様をお慕いしていますし……』  さも困惑している様子を前面に押し出して、相手から距離をはかろうと身じろぐ。  幼馴染であることは周囲には明かしていない。当人達以外では現副隊長と前隊長くらいだ。相手の恋人すらも知らないトップシークレットであるため通用するはず。 『御託はいい。――コイツが解るか』  壁際に追い詰められ、鋭い視線に射抜かれる。 『署名だ』  束ねられた紙の厚さに息を飲む。――こんなに。  予想はしていたとはいえ、突きつけられる事実に眩暈を覚える。大半の生徒は、生徒会総ての機能が停止していると思い込んでいる。他の役員の仕事を請け負って缶詰となっている副会長の姿を見ていないので、当たり前といえばそれまでだ。  しかし、多い。あまりにも、リコールの声が。  蒼白となった顔を無意識に覆った手を、強い力で外される。  あいつが大切にしたいものが突き崩されていく。まるで、針先に乗ってバランスを取っているかのような現在の危うい状態を完璧に崩すだろう。 『書け……ということ、ですか?』  署名を。 『お前みたいなのが書くわけないだろ』  言外に何を馬鹿なとでも含まれて、では何だと内心首を傾げる。 『公表待ってほしいか?』  言われたことが解らなかった。  目の前の男としては、副会長が活動しているのを承知しているが知らない振りをして、現生徒会を憂いている周囲の声を聞きリコールを発足させれば目的は達成される。さらに言うなれば、生徒の声に応えたとして己の株はあがるだろう。何を待つ必要があるのか。そして、一番の問題がソレを生徒会副会長親衛隊隊長の自分に話を持ってくるのか。仲間の仕事を請け負い、根気強く彼らを待っている、当人であるはずの副会長ではなく、だ。 『取引だ。代わりにお前を寄越せ』  そして、冒頭に戻る。 「見くびられては困ります」  言い置いて、晃心は正面から相手をヒタリと見据える。 「たかがそんな用件で、大倉様の顔に泥を塗る事はできません。彼に隠れて取引をするということはないがしろにするという事、俺にはそんな権限も必要性も感じません。他をお当たりください」  現在は崇高という蓑に隠された、揺るぎない友情。  厳しいかもしれないが、晃心は大倉の現在の局面を乗り越えるだけの能力を、そして彼自身を買っている。確かに会長である人物は追随を許さないほどの有能である事は認めるが、それだけだ。細々とした配慮や仕度をするのは副会長である大倉であり、把握をしているのも彼だ。そんな彼の息抜きをさせてやるのは、自分であると自負している――まぁ、彼の恋人に譲ることも考えているが、ソレは今ではない。 「それに、俺はそんなに易くありません」  身を差し出して得る安定など要らないと幼馴染は言うだろう。もしも自分が彼の立場であっても断る。互いに言い合える立場で居たいし、大きな貸し借りでどちらかに偏る天秤では窮屈で楽しくない。 「だから欲しくなる」 「ボクよりも魅力的な子はたくさん居ますぅ。宝生様ならばより取り見取りでしょう」  お好きなのをどうぞ。  心から微笑んで口調を戻せば、溜め息が耳元をくすぐる。 「これだけ俺が言って、落ちないのはお前だけだ」 「恐れ多いだけですぅ。……え?」  押し付けられる、紙の束。署名だ。 「お前に預ける」  ズッシリとした、全校生徒の思いを簡単に渡されても。しかも、何も権限の無い人間にだ。 「ちょっ、こま――」  抗議を上げれば、塞がれる。――彼の唇に。  瞠目した晃心を嘲笑うかのように、深くなる口付け。 「……ん、ン……ゃ」  かぶりを振るも頭を顎を固定され、押し返すはずの手には自分には過ぎる重さの署名の束。 「……ッ、」  熱い吐息を漏らした頃には、憎い男は扉を潜りながら手を上げていた。 「大倉を見限る時、ソレも一緒に持って来い」

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