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19.出遅れの日

「……あの男ッ!!」  実に久しぶりのベッドの中で晃心は朝から呪いを吐いていた。いや、いつもより日は高そうなので確実に遅刻だろう。今日は終業式なのに。薬を盛られて強制的とはいえ、かなりしばらく振りに泥のように寝た。  いつ運ばれたのか、いつ身体を拭われたのか、いつ服を着せられたのか、いつあの男が出て行ったのかも、総てが不明。  そして何より、無駄に甲斐甲斐しく世話を焼かれ、変に絆されはじめていた自分に虫唾(むしず)が走る。無条件なやさしさなど、相当な愛情でもなければ裏があるに決まっていたのに。  ゼリー飲料と栄養剤を口に放り込みながら確認すればやはり、とっくに式は始まっている時間。あの幼馴染は既に舞台に上がっているだろうし、不本意とはいえ責任を押し付けてしまった不手際に舌打ちをする。 「はよ、木谷」 「……おはよう。」 「今日は休めば?」  部活で不在が多いはずの同室者が、共同スペースで茶を啜りながら片手を上げる。 「……そっちは?」 「一緒にサボろう」  冗談じゃない。  目を眇めた晃心は、大変悔しいが睡眠を取ってスッキリした頭を活動させていく。 「――従兄弟、か。直接風紀との繋がりはないけれど、卒業した従兄弟が委員だったね」  見開いた目は純粋なる驚きか、ポーズか。 「どうせ、風紀から何か言われたんでしょ」 「どう思う?」  何度も出入りしていたのだ、あの男は。それこそ週に何回も。しかもキッチンで料理まで作っているのだから、気付かないはずはない。それで一度も顔を合わせたことがないことの方が確率的にはとても低い。  確実に繋がっている。だが、どうする?  自分には部活持ちの目の前の男のように、速く走る足もなければ体力もない。たとえ、この場を突破したとしても、本気を出されたらすぐに捕らえられるのは目に見えている。ココで、片をつけなければ。  息を一つ吐いた晃心は、真っ直ぐ同室者を見据えて言葉を選ぶ。 「待っているだけは(しょう)に合わない。この目で見て聞いて、それで判断する。他人に勝手に決められるだなんて、()(ぴら)ゴメン」 「……驚いた。意外と男らしいな。タダのなよっちくて、可憐(かれん)な隊長サマじゃないんだ」 「まあ、ほどほどには」  今年度から同室になったばかりで、相手は部活でほとんど居ないのだ。晃心の本質を知る時間もないだろう。それでなくとも、基本的に親衛隊隊長のネコを被っているのだから見極めるのは難しいのかもしれない。 「俺も詳しいことは聞いてない。結構ヤバイらしいんじゃないかってことだけ。でも、木谷のこと仲間はずれとかじゃなくて、心配してココに居ろってのは解ってね。――忠告はしたよ?」 「ありがとう」  真剣な口調から一変、茶目(ちゃめ)っ気タップリに投げられるウインクに張り詰めていた表情も気持ちも緩められる。 「危ない事するなよ」  本当に自分の周りの人間は誰も彼もやさしすぎだ。 「うん」  気合と共に制服のネクタイを締めた晃心は扉を開いた。  自分の考えが間違っていなければ、遠ざけるということは都合が悪いということ。真実の近くにいる、もしくは妨害の可能性でもあるか。それとも居るだけで問題が生じるのか。  表舞台でなく、学園の暗躍(あんやく)に近づかないよう、薬を盛って同室者に監視をさせた。理由が解らない。本当にあの男は何を考えているのだ。 「……え?」  昇降口のある建物から、式が行われているはずの体育館へ続く渡り廊下を急ぐ。ふと、何とはなしに見上げた先に、思わぬ人物を認めて晃心は足を止めた。  生徒会長?  しかも、あそこは風紀室?  あまりにもおかしい。  固唾(かたず)()んで佇んでいれば、気付いたのか顔がコチラを向く。  距離が離れているので表情も解らなければ、やっと動きが解る程度。それでも彼から発せられる人目を引く独特な雰囲気は違えようもなく、視力のそれほど良くない晃心でも間違いないと断言できる。  ――コレが、上に立つもの。  そんな人間を(はべ)らすことができたならば、さぞ心地いいだろう。それをやってのけたのが、転入生の小森(こもり)だった。  不意に彼の顔が別の方向を捉える。  何だ?  ――聞こえる。  蜂、だ。羽音。どんどん大きくなる。空気を振るわせる程の。  防音完備のこの建物でも。夜でもなく、日の高いこの時間に。  流れ込んでくる騒音に晃心は目を疑った。  バイク。  それも、山のように、たくさん。いつぞや給水タンクから眺めた数とは比較にならないほどの大量。それが、自分の下を通り過ぎ校舎内に押し寄せてくる。  窓に張り付いた晃心とは裏腹に、見上げた先は腕を組んで慌てた様子はない。  生徒会長は知っていた?  ――そうだ、この男はあの時屋上でコトの最中だったのだ。学園近くで行われていた集会を知らないはずはない。  言葉を失いながらも流れの先を目で追って、更に愕然(がくぜん)とする。  この先は――第一体育館、だ。  終業式の会場。  大倉(おおくら)榛葉(しんば)世良(せら)も、全校生徒が集っている場所。  駆け上がる、言いようのない悪寒。  自分が寝ていた間に何が起こっているのだ。  もしくは、コレも夢か。  爪が食い込む(てのひら)(ほの)かに鉄の味がする下唇が否定しているが、白昼夢だとそのまま不貞寝(ふてね)をしたくなった。  反射的に後にした渡り廊下。こんなに自分のコンパスの短さを呪った時はない。 「……ッえ、」  息を切らせて足を動かせば、廊下いっぱいに鎮座(ちんざ)する大きなシャッターに阻まれる。  記憶では、この通路にこんな物はなかったはず。  困惑を隠せず、叩いても体当たりしてもビクともしない。 「防火、扉……?」  思い当たった障壁(しょうへき)に息を飲む。  ナゼ?  火災報知機は鳴っていない。今までの道のりでピンポイントにココだけ。まるで体育館への道を(さえぎ)るかのように。  考えろ。  体育館に繋がる通路はココだけじゃない。  踵を返して走り出しながら、取り出したスマホの画面は真っ暗。  必要な時には使えないだなんて、どうしようもない。己の日常の不精(ぶしょう)を呪いながら、辿り着いた先にも、トビラ。 「……ッなんっで!?」  叩いてもビクともしない、無常な鉄へ縋りつく。  その間も、まごついている晃心を嘲笑うかのように、渡り廊下の下を無数のバイクが通り過ぎる。お世辞にも素行がよろしいと思えない、カラフルな頭だったりパイプやバットのような凶器を眼下に捉えながら気持ちだけが焦る。  大倉、世良、榛葉、隊のみんな……!  考えるんだ。  頭を扉に押し付けながら、その冷たさに冷静をもらう。  他の通路でも体育館に通じる道が封鎖(ふうさ)されているということは、逆を返せば今までの道のりのように関係ないところは通常通り。煙も立ち上っていなければ報知機もスプリンクラーも作動していないのでどう考えても火災でなく、確実に誰かの意図が働いている。  通信手段がなく中の様子が解らない以上、こんな所で時間を浪費しているヒマはない。監視カメラがあるモニタールームの管轄(かんかつ)は自分のような一般生徒がおいそれと入れる場所ではない。もしも、中で何かごとが起きていれば、ドコに連絡が行く――?  教師? 生徒がノコノコと現れても、混乱しているだろう場所から問答無用で追い出されるのがオチ。それに、式には基本的に教師も参加している。  風紀? 風紀!? そうだ、あそこはお留守番短縮ダイヤルがある。そして、何かを知っている可能性のある生徒会長が居て、何かを知っているらしい風紀委員長の根城。  舌打ちした晃心は、もと来た道を急いだ。

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