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24.コタエアワセ

 チリーン、チリーン。  身体に染み渡る、冷やしあめの独特な甘さ。 「静かですね」 「そうだなあ」  風鈴の音と蝉の声が響くだけの自然の静けさ。用務員の鈴木夫妻と共有する。  騒動が落ち着きやっと念願(ねんがん)かなって、晃心は学園の端にある彼らのお宅で茶を楽しんでいた。 「ここは学園の喧騒(けんそう)も届きませんね」 「そうだなあ」 「あら、少し前は爆発音が聞こえていたじゃありませんか」 「ああ、そうだったなあ」  のんびりと交わされる物騒な内容に、晃心はギョッと目を()いた。 「……爆音?」  不穏だ。  数日前に族の乱入があったばかりの学園に今度は何が起こるというのだ。 「この頃は減ったかな」 「少し前って、いつですか?」 「十年……いや、もう少し経つかな」 「二十年は経っていませんよ」  顎を撫でながら細い目を更に細めて思案顔の夫に、含み笑いながらの妻はグラスに口を付ける。  彼らと流れる時間が違うのだと実感させられ、同時に張り詰めた緊張を霧散させる。 「確か、九十九(つくも)さんの坊ちゃんの一人が実験好きで」 「そうそう、生徒会長とかになってからもよく爆発させてねえ」  九十九とは、この学園の理事長の名字だ。昔を懐かしむ夫妻に和まされながらも、縁側に穏やかでない言葉が飛び交う。 「中々シャイな子であんまり人前に出なくて……ツチグモだったか?」 「ツチネズミだったかしら? 幸運になるっていう……」  どちらも実在しているだろう。 「ツチノコですか? ……一人?」 「実験の好きな子と、髪のキラキラした子が居てね」  いや、まさか、そんな、と晃心の頭を駆け回る。  なぜか実験好きと(きらめ)く髪の二人に心当たりがあるような気がする。しかも年齢的には外れていない。  だが、それこそ名字が違う。 「この前もお茶しに来ましたよ」 「ああ、そうだ。確か数学教えてるって言ってたな。木谷くんも知ってると思うよ」  まったりとしたお茶タイムで油断していた頭にガツンと鈍器で殴られた衝撃だった。 「木谷?!」 「あ、松本先輩」  トップシークレットかもしれないまさかの秘密を知らされ、寮への道をボンヤリと歩いていたら声を掛けられる。見上げた先には、なぜか大層驚いた顔をした生徒会会長の親衛隊隊長殿。 「何でこんなところに居る?」 「え、居残り組ですから」  長期休暇で帰省せずに寮に残る者たちを示す。そんなに驚く理由にはならないはずだ。  小首を傾げれば、伝えられた言葉に晃心は目を瞬かせた。 「結構前から校内放送で何度も呼び出されているぞ」 「……は?」  心当たりがない。 「しかも生徒会室に。何をした?」  イヤな予感しかない。  踵を返した直後、晃心の首根っこを捕まえた彼は追い討ちを掛けた。 「副隊長の名前も出てたぞ」  世良(せら)が関わっているならば、行かないわけがない。  項垂(うなだ)れた晃心は静かに溜め息をついた。  広がる煌びやかな光景に、顔を引き()らせた晃心はすぐにでも回れ右をしたくなった。が、後ろに立っている松本が許してくれない。 「電話くらい出ろ」  頭を小突かれ、視線を向ければ風紀委員長様。 「……え、何のこと」 「充電して持たせてやったただろうが」  そう。いいというのに、なぜか今まで以上に甲斐甲斐しく世話を焼かれている。彼には母性愛が(あふ)れているに違いないと信じている。 「……電源くらい入れろ」  さも所有物かのように晃心の携帯を取り出した彼は溜め息をついた。 「(そろ)ったか」  大きくはないが響く、この部屋の主の通る声。 「副会長親衛隊隊長・木谷晃心。呼び出しの理由は解っているだろう」  ゆっくりと見渡す。以前の散乱した書類は見当たらず、(ちり)一つないだろうほどに整理された室内。  会長の大須賀(おおすか)をはじめとして、副会長の大倉(おおくら)、会計の二木(にき)、書記の立川(たちかわ)、風紀委員長の宝生(ほうしょう)、副委員長の榛葉(しんば)、生徒会顧問、担任、会長親衛隊隊長の松本、そして副会長親衛隊副隊長の世良という、そうそうたるメンバー。そして男子校なのになぜか無駄に高い室内の顔面偏差値を、確実に下げている自覚がある。 「何の事でしょう?」  (とぼ)けてしらばくれれば、双眸(そうぼう)を細められる。  ああ、怖い。美形が表情を作ると本当に迫力がある。  広い室内、晃心の声が響く。 「あ、再任おめでとうございますぅ」  今さらながらに親衛隊長のネコを被ってシナを作る。大半には無効であるが。  顔ぶれは全く変わらないが、新たに発足された生徒会役員一同とプラスアルファを眺めて。  ――そう。  晃心が幼馴染に手渡した署名は、程なく受理されリコールが施行された。同時に選挙管理委員会が立ち上がり候補者も名を上げた。今まで抱かれたい・抱きたいというふざけた人気投票であったものから、学園の今後を見据えての。更に全校生徒一致で、選挙を終業式後の夏季休暇二日目に早められるという前代未聞の異常事態。 「褒め言葉として取っておく」 「では、ボクはおいとまさせていただきますぅ。世良くんを返してください」  人質はソファにちょこんと座って、我関(われかん)せずに優雅にカップを傾けているが。その度胸(どきょう)を分けて欲しいと切実に願う。 「お前を含めてできないことは理解しているだろ。――コレを知らないとは言わせない」  会長の目配せと共に書記によって広げられたノートパソコン。その中のひとつのメールをクリックされる。 『――おい、宝生。悪い知らせだ』 「終業式の、あの混乱した日の夜。役員・風紀を除いた全校生徒に差出人不明で発信された音声だ」  数日前の会長の声が機械を通して流れる。 『お前ン所の副がドア蹴破ってソッチ向かった。三枚弁償しろ。……ああ、無線は持たせた。おまけでウチの副の親衛隊長がノコノコ顔出しやがった。……うるせぇ、俺が知るか』  メールを開けば音声を確認するかの表示が出て、拒否すればその時点で消失、受け入れればそのまま再生され一回限りしか聞けないよう細工をしたはず。まだ開かれず残っていたものがあったか。もしくは技術を駆使して復活させたのか。とんだ無駄だ。 『人手が足りん』 『やあったぁ! 誰でもいいから手伝って欲しかったんだよねぇ――』  木谷の名が出る場所は、不自然にならない程度に巧妙に細工を施してくれてある。 「……で? 一度は地位や信用を失う覚悟をしたのに水を差すな、ということですか? コレはひとつの切っ掛けかもしれませんが、選挙の最終判断は生徒に(ゆだ)ねられます。俺のあずかり知るところではありません」  流出させたことを否定するつもりはないし、室内に盗聴器でも仕掛けなければどう考えても内容的に自分しかあり得ない。しかも、この後も場所を移動している所もあえてノーカットで流しているのでそれも無理な話。加工技術が進んだ現代、下手に手を加えるよりも信憑性が増す。 「首の皮一枚で繋がって、おめでと――え、」  珍しく苦い顔の男を正面から見据えて腹に力を入れて挑発すれば、急に視界がぶれる。 「俺以外に、そんな眼をするな」 「……は?」  気付けば(うるわ)しの風紀委員長様のどアップが間近に迫っていて目を見開く。 「宝生、男の嫉妬(しっと)は見苦しいぞ」  さも呆れた声に、先ほどまで壁に背を預けていたはずの男は舌を出す。 「ほっとけ」 「木谷。()るし上げのように受け取ったなら申し訳なかったが、個人的に――」 「ねー、堅苦しーい! お茶でもしながら話せばいいじゃん?」 「せんせー、いい案! 木谷ちゃん何飲む?」  間延びした顧問の提案と賛同した会計によって、言葉を遮られた会長は片手で顔を覆って長い溜め息をついた。 「……茶にするか、それとも近頃はコーヒーだったか。他にもあるから好きなものを選ぶといい」 『叩き込め。総てだ』  機器を通した会長の声が室内に響く。  メールで配信した物は一時停止できないので、世良が保管していたボイスレコーダーから流していた。驚くことに、呼び出しに先に応じていた世良は本当に茶を飲んでいただけで、何も発言していなかったらしい。たぶん彼と自分の関係性を知っている大倉の計らいが大きいだろう。 「そういえばあの時、木谷ちゃん何で風紀室来たの? やったあ、けっこー少なくなったー」 「寝坊して体育館に入れなくて、会長が見えたので行きました」 「珍しいな」  普段の晃心の生活を知っている大倉が片眉を上げる。  風紀委員長様に薬を盛られた上にちょっかいを出されただなんて、死んでも言わない。 「タメ口でいいのにー」  冗談じゃない他の親衛隊に潰される。それでなくとも、いくら夏季休暇で生徒の人数が通常と比べて少ないとはいえ、名指しでの呼び出しだ空恐ろしい。要らない小競(こぜ)り合いはないに越した事はない。しかも彼らの親衛隊を差し置いて、一緒のテーブルについて茶を(すす)るだのと言語両断抹殺(まっさつ)される。役員は自分たちの影響力の凄まじさを未だに捉え切れていない。なぜ自分はこの面子(めんつ)の中で悠長(ゆうちょう)にトランプをしているのだろうと頭を抱えたくなりながら、同じ数字二枚を手札から外して中央に放る。 「そんなことより。折角の戦力なのに、なぜあの時に副委員長を風紀室に閉じ込めていたのですか?」  広い室内、会計を除いた役員と風紀の副がそれぞれ小さな機器の近くを陣取り、他のそれほど熱心でない者たちは別のテーブルを囲んでババ抜きに(いそ)しんでいた。  やや気だるげに見えるがそれでも普段の凛とした姿勢を崩さない榛葉の背を眺めて、ずっと抱えていた疑問を口にする。 「風紀も生徒会の仕事もしながら不眠不休の体調万全でないヤツを、あの中に放り込む訳がないだろう。コイツの性格的に、どんなに言い聞かせても聞かないだろうからな」  さも当然とばかりに、どちら側からも距離をとって再び壁に背を預けた彼の上司が言い放つ。 「俺はそんな――」 「――だが実際助けられた。一人でよくやった」  口を開きかけた榛葉を遮った宝生は、腕を組んだまま苦笑を浮かべる。 「……委員長。」  今回の件で、族の裏をかいて生徒会・風紀の張った網を潜った『noThing』に対抗できたのは、更にイレギュラーの動きをした榛葉だけだった。お陰で転入生の同室者も風紀委員の佐渡も目立った怪我をしなかったといっても過言ではない。  榛葉の功績は大きい。 『アレはバカだ、気は回らない。バックが居るはずだ』 「会長。ハッキング、ホント?」 「……ああ、裏も取れた。対策は立てているが、それはコチラの仕事ではない」  派手な族にばかり目が行ってしまっているが、大元がアヤフヤなまま。小森とハッカーが別だとしたならば他の黒幕がまだいる計算となるが、それこそ学生の身分が首を突っ込む領域ではない。  書記の質問にほんの一瞬だけ上げられた会長の視線が担任を捉えたのを、晃心は逃さなかった。顧問ではなくそちらに向けられることから繋がりを知らされる。教師陣はどこまで知っているかは不明であるが、生徒側も学園運営側も双方の状況を把握しているのは担任であり、とんだタヌキだったということだ。しかしそんな彼にどうやら心配を掛けていたらしい自分は、一体どんな立ち位置だったのだろう。  あらぬ方向へ向けた思考を、茶を口に含んで戻す。 『さっきからソレば――ぇ、矢島(やじま)先輩?』 「木谷があいつらを知っているとはな」 「顔しか知りませんでしたが」  大倉がヤンチャをしていた時にちょっととは言えず、意外そうに声を上げた松本に適当に濁す。むしろ、松本と彼らの繋がりの方が不可思議に思うのは自分だけだろうか。 「っえ、世良ちゃん、もうアガリ?」 「ええ」  いつの間に。  確かに隣に座る彼の手札(てふだ)はない。替わりに納まっているのはコップだ。  元々世良は晃心が生徒会の仕事を手伝うのを良しとしておらず、渋々付き合ってくれていたが、実は族の乱入以前から今の状況を踏まえて見越していたのではないかと、変に勘ぐってしまい空恐(そらおそ)ろしくて顔を窺えない。結局今回の公表だって、終業式後に留守電に入れたメッセージを確認してくれ、理事長室を出た後で落ち合った彼に依頼をしたのだから。本当にお礼をしないと居たたまれない。 「木谷ちゃんも少ないし! オレ結構少なかったはずなのに、何でこんなに残ってんのー?」 「とろくっせーからじゃん?」 「ちょっとー、せんせー! 生徒にソレはないんじゃない?」 「喧嘩なら余所行け」  生徒に混じって同レベルでカードゲームをする教師と、うるさそうに(たしな)める教師。 『――害かどうかは解らんが、必要ならば排除する可能性もある。会長になったからには、俺には生徒を守る義務がある』 「…………何だ、この公開処刑」  言葉のアヤではなく、全校生徒に流したのだから残念ながら外れていない。  力なく項垂れ両手で顔を隠した会長の耳は真っ赤。堂々としていても人並みの羞恥はあるらしい。そしてそっと視線を外して様々な反応をする数名。会長人気だな。 「ナニソレ、カッコイー! 二木くん、かいちょーに惚れちゃう!」  まさかしっかり聞いていたとは思わず、世良とは逆隣から上げられる歓声に飛び上がる。 「うるせぇ……」  更にダメージを与えられた会長の語尾は弱々しく唸る。普段からは到底考えられない姿に庇護欲(ひごよく)をそそらせる。会長は大変不本意な衝撃を受けているが、多分大半の生徒がこの辺りで今までの生徒会のあり方の認識を改めただろう。それだけ重要なやり取り。  背負っているもの、覚悟、他の生徒の不利益を鑑みて彼が出した結論。内に秘めた心構えに生徒達が(こた)えたのが、異例の選挙日時を大幅に前倒しするという形になった。自分はそれのひとつの切っ掛けを与えたに過ぎない。 『公表しないからこそ、一般生徒に映る「転入生にうつつを抜かした生徒会役員」という認識をどう――』 「木谷。どこから音声の公表を目論んでいた?」  人聞きが悪い。  やや顔は赤いが、それでも平常に近くなった声音で会長が尋ねる。 「残念ながら、全く考えていませんでした」  今期の生徒会が倒れようが、族の侵入をそのままの形で他の生徒が受け入れられようとも、学園中枢にハッキングの事実があったとしても。 「――ただ。楽しみにしていた植物の成長を壊されて泣いた生徒がいます。(した)っている人との大切な場所を必死で守っている生徒がいます。中枢に居ながら知らされずに奔走(ほんそう)している人がいます。彼らは何故、その様な立場になったのか理由を知らされずに、それでも踏ん張っています。偶然それを知りえたので、伝えたまでです」  家庭菜園部のクラスメイトも、会計親衛隊隊長も、副会長も、望んではないはず。  見つめていた緑色の水面から顔を上げる。 「相手を思いやって隠すのが総てだとは考えていません。ちいさな子供ではありませんから、必要な情報から自分の選択する道を見極めるでしょう」  そのくらいはできるはず。一から十まで手取り足取り、ご丁寧に教える義理はない。 「……公開した音声は総てではないだろう?」  全校生徒に流出させたのは、奪ったかして乗り込んできた大倉が単車を()かす辺りまで。それ以降はカットしてある。 「ええ」 「それには選択権はないのか?」  さすがに、うやむやにしてくれるほど甘くはないか。  茶で一度口を濡らして、再び目をやる。 「……転入生もグレーとはいえ、あなたの生徒の括りになっていたでしょう。ありのままを流し続ければ、彼にも理由があったとはいえ確実に全校生徒から本格的に悪というレッテルを貼られます。いくら他の生徒から隔離して監視していたとはいえ籍がある以上、会長の本意でないはず。それならば部外者の悪――今回は『noThing』ですが――を作ってしまえば、彼は『ただ捨て(ごま)にされた(あわ)れな生徒』に(おさ)まります。言い方は悪いですがね」  『noThing』を前面に押し出せば、他者から見た小森の責任の割合が大幅に減少する。  悪者を作るのは簡単。  その方が楽だからだ。『コイツが悪い』と責任を総て擦り付ければいい。ただ、そんな短絡的な薄っぺらい判断だけでは確実に行き詰まる。そして近い内に仲間同士の泥試合に発展するのが目に見える。  もしも悪という役を作ったとしたら、それだけの判断材料とてめぇを振り返ってはじめてできること。そして『その先』を考えて見極めなければ意味がない。 「矛盾しているかもしれませんが、俺としては情報過多で生徒を混乱させたくありません。世間から見てイビツでも平和な学園生活を送る。そこに一番の重きを置いて考えたつもりです」  視線をちいさな機械に向ける。周囲の会話など知らぬとばかりに淡々と再生が進む。 「あーッ! かったーい! 肩凝っちゃうじゃん!」 「……せんせぇー、もーちょっと空気読もーよ? ね?」 「お前は高等部からやり直せ」  大声を上げた生徒会顧問は持っていたカードを放り投げた。それを笑いながら嗜める会計と小馬鹿にする担任。  張り詰めた空気から一転、流れが穏やかになる。 「まー、でもちょっと難しめだったかなー」 「……話について来れてないやつ。コレが会長だとするだろ」  手近な紙を寄せて、溜め息ながら白衣姿の担任は正義の味方のアンパンを書きはじめる。意外と上手い。 「で、コレが『noThing』」  二本角のバイキンのキャラクターが加えられる。 「小森」  角一本のバイキン。確かショクパンを好きなやつ。 「他の生徒」  ウサギとカバが書き足される。よく知っているな。 「本来だったら小森と『noThing』が手を組んで、大須賀をはめて逆に返り討ちにされる」  キャラクターを順に線で結んで、最後に目をバッテンにする。芸が細かい。 「そこまでは、わかるー」 「会長じゃなく、コッチの他の生徒の立場で見てろよ。でも小森は変装の名人で村人の振りをしていて、ウサギとカバはずっと仲間だと信じている。だから『noThing』が単独で起している事件だと思ってる」  他の生徒と小森が青丸で囲まれる。現実はアイドルにまとわりつく害虫と(けむ)っていたが、それは今回除外する。  カチ。ペンの色が変えられる。  そして『noThing』を外して引かれる、赤い一本線。 「これが大須賀の認識。大須賀は小森が『noThing』の仲間だと知って、更に村人が仲間だと認識しているのも両方知っている。だから木谷は大須賀の顔を立てて、ウサギとカバが混乱しないように『noThing』だけを排除(はいじょ)しようとした」 「どういうこと?」 「会長の意思を()んだってことじゃん?」  顧問の言葉に皆の視線が自分に集中するのを、気付かない振りをして晃心は茶を啜る。 「木谷がそこまで気にする必要はないぞ」  渋面の会長が口を開く。 「……皆さん忘れているようですが、ボクはコチラ側ですよ。平穏無事なる日常を望んでいる、しがない村人の一人です」  静かな無言が痛いが、そんなこと知ったことではない。 「それに。総ての視点に標準を合わせるのは無理です。実際、このアニメをお茶の間のテレビという枠の外から観た慎重派からは、この一連の出来事は生徒会と風紀のやらせではないかという声も少数ですがあります」  相当(ひね)くれた考えだが。 「……そんなヤツも居るのか」 「ええ、疑い出したらキリがありません。そちらは本当に偶然ですが、尾白(おじろ)が一役買ってくれました」 「あの特待生か」 「彼は生徒会にも風紀にも()まっていません。実力でのし上がって、信頼を勝ち取りました。本人は飄々(ひょうひょう)としていますがね」  従兄弟が風紀委員というのは浸透(しんとう)していないので、生徒会とも風紀とも癒着(ゆちゃく)がない尾白とのやりとりが信憑性を持たせた。元々彼自身も親衛隊持ちであるが鼻にかけない態度が好印象を生んでいたことも助けられた。平たく言ってしまえば、(さわ)やかなただの筋肉馬鹿ともいう。混乱のあと一度しか会っていないが、マイペースにいつも通り部活と体力づくりに勤しんでいるとのことである。そしてなぜあの場に出てきたのかも、適当にはぐらかされたので未だに謎。 「――それ以上に。どのような選び方をしたとしても、生徒みんなで立てた代表に対して手のひらを返したように『務まらないからダメ』だと簡単に用済みにするのもおかしな話です。選出した側にも充分に責任はあります。今回の件は転入生や『noThing』が総て悪いという訳ではありません」 「……色々動いてもらって言うのは何だが――」  床に放られたままだったカードを拾って、会長は続ける。 「それは少し傲慢(ごうまん)が過ぎないか?」  自分はコトの一角を知っただけの一生徒。 「ええ、承知しています」  本当はこんな前面に出てきていいものではない。情報操作だの以ての外。  しばらく続いた無言を破ったのは、伸びをした会計だった。 「んー……! 煌仁(きらと)かぁー、どうしてるかなあ? ちょっと特殊だったけど、悪い子じゃなかったのに」  声音に茶目っ気を交えて。  新たな風を呼び起こしてくれた転入生は学園から忽然(こつぜん)と姿を消した。 「……そうですね」  混乱にばかり目が行ってしまうが、今まで受け継がれてきた暗黙の了解や制度の見直しなど、大切な切っ掛けを作ってくれた。総ての行動が必ずしもマイナスに繋がったわけではない。 「騒々しかったがな」 「あれくらい賑やかなのもいーんじゃない? 親衛隊には怒られちゃうかもしれないけど、恋愛対象じゃなくて意外と好きだったよ。友達って言われても、煌仁からはちょっと距離? あった気がしたけど」  こうして思っている人間も居るのだ。小森ももっと周囲に気付く事ができたら現状は違ったのかもしれない。結果論でしかないが。 『お前、パパなんだろっ!』  機械が叫ぶ。 「あの後も何かあったのか?」  当時、持て余した身体を恋人に担がれて寮に戻った榛葉はかわいらしく小首を傾げた。大倉が『noThing』との場に乱入した以降は公開されていないもの。この場に居る人間で内容を知っているのは自分と、音声を上げた世良と、その場に居た担任と顧問だけ。  カードをしながら気がなさそうに事の成り行きを見守っていた者も、興味を()かれたのか機器に近づく。 「理事長も居るって、なにごとー?」 「……先生。」  ポンポンと放られる、掛け合い漫才(まんざい)のような生徒会顧問と理事長の会話に非難が上がる。 「いーじゃん」 「大須賀、もっと言ってやれ」  当の顧問はケロリといつの間にか煙草から紫煙を立ち上らせている。校内敷地内全面禁煙のはずだ。 「確かにカツラとメガネ取ったらスッゴイきれいだったけど、煌仁って理事長の子だったのー? 俺、変な学校だとか結構言っちゃった!」  えへっと肩を竦める会計に、間違ってはいないと同意しかけて思い止まる。 『今まで何もしてもらってない俺は可哀想な子なんだ、しあわせに――』 「……わお。」  先ほどフォローに入った口と表情が不自然に固まる。 「二木会計様、人には本音と建前が存在します。どちらを裏と取るか表と取るか判断するのは人それぞれです」  この言葉の総てが本心だけだとは思えない。  それこそ先ほどの正義のヒーローのパンも、バイキンから見ればそちらが悪だ。立ち位置見方によって、百八十度まったく変わってくる。 「あーまあねえ、俺たちも煌仁のこと見ていたからオアイコかもしれないけど……そっかあー……二木くん切ないぃ。立川くぅーんなぐさめて」 「ヤダ」 「ひっどッ! 同じ役員としてどうなのー? 明日から学校来れなくなっちゃう!」 「いい」 「ちょっとー! ウチの子こんなこと言ってるわよ、育て方間違えたんじゃないの大倉おかーさんッ? 二木くんが登校拒否しても良いわけー!?」 「問題ない」 「うわーん!! 大須賀おとーさんッ!!」 「……夏休みだな」  しれっと答える副会長と会長にウソ泣きした会計が黙る。普段はこんな調子なのか、この生徒会。二ヶ月以上生徒会の仕事を放棄して、表向きには転入生の尻を追いかけていた役員を黙って待っていた大倉の気持ちが何となく解った気がするのは負けか。  そしてなぜか音声として流れてくる大人三人のやりとりにデジャビュを覚えるのは気のせいか。 「大倉、宝生、付き合え。――何だ」  思わぬ方向から美声を捉えて、晃心は飛び上がった。  役員の茶番劇(ちゃばんげき)に気を取られていたら、会計が居たはずの席にいつの間にか会長が陣取っていて訝しげに眉を寄せた。しかも再生したままのボイスレコーダーも共にテーブルに移動している。 「木谷、世良、逃げるな。ルールは変わらない」  言いながら、いつの間にか分けられたカードの山を寄せられる。  まさか、このメンバーで再びババ抜きでもするというのか。  声もなく目を瞬かせる晃心を余所(よそ)に、空いた席に文句も言わずに腰掛ける副会長と風紀委員長の姿。 「早くしろ」  仕方なく手にした重なる数字を放る。自分以外に目をやり、やはり顔のいい集団に人知れず溜め息をつく。  本当に場違い。 『母君に刷り込まれているのか、他の誰かに唆されたは解らないけど。お望みなら――』 「コレ、本当?」  理事長の子ではないという件。 「あいつが覚えてないってなら、違うんじゃない?」 「でも覚えがなくても、言い方は悪いですが酔って……とか、最悪ありますよね?」  泥酔などで前後不覚になり、行為に及ぶ可能性がないとは限らない。機能として使えるかどうかは置いておいて、だ。  外野からの憶測に、不本意ながら口を挟む。 「ないです」 「絶対と言い切れるか?」 「資料に誤りがなければ、ですが。彼の母が身ごもったとされる時期以前から、理事長は半年以上強行軍で海外出張をしていましたから、試験管ベイビーでもなければ限りなくゼロに近いです」  地球の裏側から自家用ジェットででも飛ばさない限り土台無理な話。しかし当事者である理事長の口ぶりからしてそれはないだろう。逆に女の方が相当な押し掛けならば為せるかもしれないが、場所としてはかなりの僻地(へきち)で生活水準の高い女性が訪れるには無理のあるところなうえ、移動も転々として激しかった。時には抗争にも巻き込まれていたというのだから、一体どんな死戦(しせん)を潜り抜けていたのだろう。 「そうなのか? でもそれなら、母親も周りも気付くだろ」  次期総帥または理事長にと(かつ)ぎ上げようと目論(もくろ)んでいた輩ならば、知らぬ(ぞん)ぜぬ力業で通してしまうかもしれないが。このご時世に科学的根拠を取っ払って、目と髪の色だけで血縁だと迫る強引さなのだから。 「ココには女性が居ないのでピンと来ないかもしれませんが、男と違い彼女らには月経というものが存在します。人によって周期は違いますし、不順の方も多いです。薬を飲んで調整している場合もあります。それを踏まえた上で、胎児が母体に居る大体の期間をご存知ですか?」 「十月十日ってヤツじゃん」  さすがというべきか、顧問が一番に口を開く。 「ええ。ですが、最終月経から数えての日数になるので実際はもっと短いはずです。まあ、中には月経中に排卵することもあるので確実ではありませんが。簡単な例を挙げると、元旦にできた子供は十月十日生まれではないということです。それに当てはめて小森の誕生日を考えると、理事長が出張に行く前後ではなく最中の出来事と予測がつきシロとなります。たとえ彼の母親がどんなに月経不順でも、経口避妊薬などで調整していたとしても、いくら早産だったとしても説明がつきません」 「へえー、詳しいねえ。まさか、まさかの木谷ちゃんって、もしやパパ……ッちょ、いった!!」 「……ご愁傷様(しゅうしょうさま)です。」  不意打ちの三方向から投げられた攻撃はさすがに避け切れなかったのか、頭を抱えて(うずくま)った会計を表面上だけは一応(あわ)れんでおく。分厚いファイルはまだしも、ペーパーウェートと陶器(とうき)のマグカップは完全に凶器だろう。 「まあ、それ以前にあいつって銀髪青眼じゃないけどね」 「……え?」  心底どうでも良さそうに片肘(かたひじ)突いて呟く顧問の声に一同が凍りつく。  その発言が本当ならば、今までの小森の活動が総て水の泡と化すのだがそれは承知の上なのだろうか?  それはそれで憐れでならない。と言いようのない、傍迷惑(はためいわく)だろう同情を生む。ひっくり返したら、実は今回の一番の被害者は彼だったかもしれない。 「……資料って、そんなに詳しいのがあるのか?」 「ああ」  転入生に直接的にはそれほど関わっていなく一番先に衝撃から復活したらしい榛葉の質問に答えたのは、隣に座る会長。  総てこの男に破棄(はき)されたけれど。 「是非(ぜひ)とも内容を教えていただきたいですね」  晃心が口を開く前に、無言を貫いていた隣から声が上がる。 「世良……?」 「察しはついているだろう」  愉快そうに口角を上げる会長とは対照的に、世良の視線は射抜くほど鋭い。 「彼方(あなた)の口からお聞きしたい」 「俺も。第一で詰めてる時、貴様は何してやがった」  世良に賛同したのは、こちらもずっと口を閉ざしていた風紀委員長。 「資料は今回の件に関わるものとして、第一第二体育館の進行の流れと物品配置・人員配置、『noThing』の歴史とトップ・幹部たちのプロフィールと顔写真、転入生の生い立ちと親戚筋と家系図、モニターの位置、無線番号一覧、か」 「あー、すっごい厚かったもんねー。ってか、木谷ちゃんよくあの短時間に読めたねえ」 「で? すっ(とぼ)けるな」  腕を組んで踏ん反り返った宝生は冷ややかに返す。  そうだ、他にもあった。 「……歴代理事たちの実績・業績、学園の信念・教育方針・規約、学園行事からはじまり他校との交流内容と他校の学園組織メンバープロフィール、学園の収支運用、生徒会室や理事長室を含めた特別棟全ての見取り図、セキュリティの暗証番号、キーの在りか……なん、で?」  挙げていけばいくほど、心得や機密事項で首を傾げる内容ばかり。順番はバラバラで、間違えて混ざったのかと思っていたが。何といっても、自分があの場に居合わせたのはイレギュラーだったのだから。 「やっぱりか。貴様、後釜(あとがま)をコイツに任せようと画策(かくさく)してやがったな」 「それが?」  しれっと答えた会長は相手からカードを抜く。 「そのために第一で後方支援とはいえ指揮を()らせた。統括はお前だから最悪やばくなっても何とかなる。それに木谷は普段から面倒事の多い親衛隊をまとめているから、大丈夫だろうと大方予測はつけていただろう。強制的に実績を上げさせて、周りにも知識と指導力を見せ付けるいい機会を逃さなかった。一石二鳥だからだ」  疑問ではなく、確認の声音は低い。 「実際、木谷が風紀室に来るかどうかは賭けだったがな」 「俺は止めた!」  薄く笑みを浮かべた会長と、苦虫を噛み潰したような表情で(うな)る委員長を交互に見つめた副会長は(いぶか)しがる。 「どういう……まさ、か?」 「そのまさか、だ。薄々は気付いていたがコイツを聞いて確信した。大須賀は大倉、お前か木谷を自分が失脚(しっきゃく)した後に押し上げようとしてたってことだ。もしくは両方かもしれねえ。少しは仕事量を調整していたとはいえ、学園内部を切り盛りしていたのは実質的にお前たち二人とウチの副だ。それも公表するつもりだったんだろう。裏返せば大須賀・自分たちの代が無能だという発表にも繋がるが、それを承知の上で。今回の選挙でウチの委員や第一参加者を主とした一部から、木谷へ強力な支持があって票が流れたという話もある。――違うか?」  ボイスレコーダーを弾いた宝生は渋面(じゅうめん)。 「決まっているだろう。ただでさえ不安定な情勢と雰囲気に、いい加減なヤツを置くわけにはいかない。そして有能な人材を(くすぶ)らせておくほどの余裕も無駄もない。親衛隊から役員輩出の前例がないのならば作ればいい。他に文句が出ないほど完璧なものを、な」 「……極力会わせないようにしていたのに」  おもしろくなさそうに委員長はカード放る。あがったらしい。 「残念だったな宝生。こちらは木谷には中等部の頃から目をつけていたんだ。――まあ今回、当日の夜に音声を発表されて先を越されたから全く打つ手がなかった。結果、本人と副隊長にキレイに阻止された」  渦中(かちゅう)のはずなのに置いてきぼりを食った晃心を通り過ぎ、大須賀の視線の先はこれまたいつの間にか手元が空になった世良。 「それは大変おめでたいことです。きな臭いと思っていました。下らない争いに晃心を巻き込むなどと、真っ平ごめん」  真っ向から受けた世良は極上の笑顔でピシャリと()ね付ける。そういえば、この二人同じクラスだったとどうでもいいことを思い出す。 「過保護だな」 「不逞(ふてい)な輩が多いですから。それでなくても、この子は普段ボンヤリしていて結構色んなことがどうでもいいので悪用されないとは限りません」  散々ないい様だ。  片眉を上げて流し目され、そのまま射殺されそう。口を挟まないに限る。  黙って、榛葉が()れなおしてくれた茶を含む。 「木谷の家の人間というのは、自分のことに関して大層ズボラです」 「――ああ。」  なぜか風紀委員長が同意の声と共に深く頷く。 「しかし他人が絡んでくると別です。誰かが目を光らせていないと、突っ走って何を仕出かすか解りません」 「……あ、あの、世良さん?」  饒舌(じょうぜつ)に話し出したと思ったら、ひとをイノシシか何かのように。 「コレの父親がいい例です」 「あー、そうねー。今どこに居んの?」 「知りません」  世良が知らなければ、自分はもっと知らない。  親の人柄もいくらか把握しているらしい顧問の問いかけに、静かに首を振った晃心と、半目で容赦なく言い放つ世良。 「話の腰を折るようで悪いんだが……」  今まで事の成り行きを見守っていた松本が声を上げる。 「俺が知らないだけかもしれないが、木谷ってそんなに有名なのか? 今まで聞いたことがないし、現に普通クラスだろ?」 「極一般的な家庭……と言えば語弊(ごへい)があるかもしれませんが基本的に普通です。ただおかしいだけで」  世良は俺のことが嫌いなのではないかと変に勘ぐってしまう。 「通常は資料を流し読みしただけで内容が総て頭に入りますか? 先回りして心理を読み込もうとしますか? ひとつの事象から様々な想定をして対策を講じようとしますか? そして、今までの話でご存知かと思いますが、医療系にもある程度通じています」 「そんな人間がいるのか……」 「……買いぶり過ぎ。」  ただちょっと物覚えが良くて、少し目ざといだけ。 「何か? 文句があるようならば、後でジックリ聞きましょう」  今は聞いてくれないのか。  (きじ)も鳴かずば打たれまい。  腕を組んでギリッと睨みつけられ、心に刻んだ言葉と共に晃心は静かに茶を啜る。 「コレの父親は発展途上国を駆け回る医師です。そして匿名の有名なルポライターでもあります」  ホント、バイタリティー溢れる人だよ。 「何で匿名なんだ?」 「飾られていないまっさらの現地を知っているので、おもしろくない輩が多いのです。そのため命を狙われるのもザラです。同時にとんでもない人づてがあります」  ああ、まあね。あの人、本人の実力じゃないけど。 「会長、『noThing』のトップの実家をご存知ですか?」 「大きな製薬会社だったはず――そう、か。仕事関係にあるのか。向こうとしては医師から切られたら大損失だ。ボイスレコーダーは通常ならば持ち歩く習慣はないが、親の影響からならば納得いくな」 「あのですね、日常はそのまま消してますから、誤解のないよう――」  怖い、怖い、殺される!  なぜ自分のことのはずなのに口出し禁止なのか、殺気をヒシヒシと感じてひとまず縮こまる。 「黙っていなさい。怒っているのが解らないんですか?」 「…………うん」  怒っているのは解るが、その理由にトンと辿り着かない。 「木谷に八つ当たっても仕方ないだろ。むしろ被害者なんだから、それくらいにしてやれ」  助け舟を出してくれたのは、呆れたような声を出した幼馴染。彼の手にもすでにカードはない。 「あなたも加害の一端を担っています。そもそもがそちらが一人で総て生徒会の仕事を片づければ良かった話」  いや、それは物理的にも時間的にも現実的ではない。  なぜかこの二人は互いに辛辣(しんらつ)になるのは気のせいか。 「無理だろ」  冷静に突っ込みを入れるのは宝生。 「生徒会も他の生徒もどうでもいいです。コレがなぜ情報処理の能力も、人の心理を読むことにも長けているか、足りない頭で考えてみなさい。手放しに役職へ放られるだなんて、考えなしにもほどがあります!」  学園のトップを張る面々を前に、メチャクチャな言いようだ。 「過保護じゃないのか」  それは思う。  これ以上生徒会に関わるかどうかは置いといて。 「平穏を望むのは、真の平穏でないものを知っているからです。もしも木谷晃心を引き摺り出すならば、こちらも全力で阻止します。――覚悟しなさい。」 「……そうか、厳しいな。今回のことがなくても、個人的には木谷と大倉の創る学園を見たいだけだったんだがな」  残念そうに聞こえるのは気のせいだろう。 「他人のためってより、ただの偽善者なだけで――むごッ!」  うっかりと口を挟めば、目を光らせた世良から問答無用でスコーンを突っ込まれる。 「自分で言うな。おい、大丈夫か? これ飲め」  激しく噎せる背を叩かれ、水分を差し出す手は委員長。 「……ゲホッ、ん……世良は、お母さんの代わりだから、ただ心配なだけなんだけどね。いつもありがとう」  委員長が眉を寄せるのを視界の端で捉える。 「感謝は受け取りますが、誤魔化されません。後で説教決定です」  ……逃げていいだろうか。いや、あとが怖すぎる。 「怖いな。ほら、出せ」  苦笑した会長にはカードが一枚。  こちらは二枚。 「ここはクラス編成から、どうしても家柄や権力を重視する傾向が強い。が、それだけの判断だなんて、先が知れている。特別クラス普通クラスの垣根(かきね)を越えて個人を見分ける目を養うことが必要だ」  抜かれる一枚。 「ちいさな世界の学園から出たら、ここ以上に厄介だ。それまでに、他の生徒に少しでも気付かせる足がかりが欲しかったのだがな。――俺以外の方法があることを」  すでにそれは生徒代表というよりも、導く者としての思考だ。  事実、大須賀が生徒会役員として立っているのは中等部からを含めると相当長い。だからこそ生じた危惧(きぐ)だろう。 「残念ながら、『その時』もしくは終わってからでないと大半は気付けません。しかし、いくら生徒のトップと言えども、ソコまで面倒を見る必要性は感じません」  強い西日が彼の表情を隠す。 「俺は甘い。はじめから終わりまで、まるで子供に与えるように道しるべを示したくなる。だからこそ、必要な時には他人に力を貸せて尚且(なおか)つ線引きをすることができる『木谷晃心』お前が欲しかった」  静かに響く、声音。 「実に、惜しい」  ──手元には、残った『Joker』。

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