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23.一方通行の先 ※性描写あり

『木谷、いいところに』  式の終わった担任に晃心は呼び止められた。 『今忙し――』 『来い』  問答無用に首根っこを捕まれて引き摺られる先は――先ほど居た風紀室のあるC棟。これからの目的地であるB棟ではなく。  そんなヒマはないのに。 『ちょっ、離して!』  もがく晃心を力で押さえつけて肩に抱えあげた無精ひげのボサボサ頭は声を潜めた。 『黙ってろ。悪い様にはしない』 『あっれー? かわいいお客様だと思ったら、きーちゃんじゃん?』 『きーちゃん? ああ、もしかしてあの木谷の息子か。随分ミニサイズだなあ』  勝手な事を口々に巨大なお世話だと歯を()きかけて、先に目を剥く。  数学教師だけどいつもながら白衣姿の担任と、化学教師だけど着崩したスーツから壮絶な色気を(かも)し出す生徒会顧問と、鮮やかな銀髪で一見冷酷そうに見えるほど整った相貌(そうぼう)を崩した――理事長。  そうそうたる顔ぶれに呆けていれば蹴っ飛ばされ、転がった先は理事長室の隣に設置されている給湯室であると遅れて気付く。 『ほんとは俺たち教師は傍観(ぼうかん)するつもりだったけど、ここまでコトが大きくなったら黙ってらんないじゃん?』 『てめえも黙ってろ。話がややこしくなる』 『ひっどーい、もう化学室貸してやんないからっ!』 『まあまあ』  バンッ!  賑やかな三人の大人たちに唖然(あぜん)としながら、突如響いた物音に晃心は肩を(すく)めた。これで本日学園の扉は確実に四枚以上破壊(はかい)されている計算になる。ピンキリはあるだろうが、扉っていくらするのだろう。 『いいか、隠れてろ』 『ワオ、カッコイイー!』 『死ね』  無精ひげはひとつ晃心の頭を撫でて、自然なしぐさで半開きの給湯室の扉を白衣の背後に隠した。 『理事長!!』 『……たしか小森くんと言いましたか?』  先ほどの崩した顔はドコへ行ったのか、冷笑を湛えた理事長はノックもせずに乱入した無礼な客を見やった。  なぜここに。  晃心としては会いたかったけれど、できれば会いたくなかった人物だ。  季節はずれにこの学園に転入し、生徒会役員などの人気者達の欠点を指摘し魅了し(はべ)らせ、親衛隊のあり方や果ては学園の特殊性について異論を唱えて改革を求めた――表向きは。裏では利害の一致した『noThing』と手を組んで、ハッキング、家庭菜園部への妨害、バイク乱入による学園混乱、生徒会の失脚、チームの解体に加担。  証拠は今のところないが、限りなくクロに近いグレーなのだろう。それでなければ、読まされた資料は揃えられない。――まあ、その資料も会長がでっち上げようと思えばできなくもないが疑えばキリはないし、捏造(ねつぞう)するには手が込みすぎているし、他の出来事を(かんが)みて信憑性(しんぴょうせい)はある。  一連の出来事で、小森の『noThing』への情報提供は結構な役割を占めているだろう。  しかし目的が見えない。あまりにも行動がバラバラで。ただ、学園内に混乱を招きたかったということだろうか。  ベラベラと大声でしゃべるモッサリした鳥の巣の様な頭の小森を、担任の背の後ろから晃心はこっそりと窺った。  『お前、パパなんだろっ!』  ……ん? 『パパ?』  教師二人も理事長も、それぞれ違う高さの声音と発音が同じ単語をなぞる。 『ママがお前がパパだって言ってた! 何で認知してくれないんだッ!』  思わぬ方向に話が行き、晃心も人知れず目を瞬かせた。  まさかの父を訪ねて三千里が目的か?  そういえば『noThing』のトップがぼやいていたのはこのことか。誰が親だのギャアギャア煩いと。  そんな馬鹿なと頭を抱えたくなりながら、担任の背に隠された隙間から静かに見守る。  目的が部外者を進入させて学園の混乱ではなく理事長ならば、とても残念なことであるが合点がいく。  学園の運営だけでなく、企業の総帥も勤めている理事長は当然ながら忙しい。現在晃心が連れてこられた理事長室も名ばかりで、ほとんど使われていない状態だ。たぶん代々の理事長写真のホコリ払いが訪室するほうが断然多いほどに。それだけ学園に足を運べず、世界中を飛び回っている人間にコンタクトを取るには――?  転入生が考え出したのは理事長が学園に確実に訪れる行事を狙うこと。ただ、普通に会わせてくれと馬鹿正直に訴えても取り次いでくれないだろう。しかもこの認知してくれ云々の内容ならば他を通すことは(はばか)られる。大財閥の総帥だ、星の数ほどもあるだろう(いわ)れのないでっち上げにひとつひとつ対応する暇はない。門前払いを食らうのが関の山。そのため混乱に乗じて話し合う場を無理やり作らせたほうが可能性があると()んだ。そのひとつのオプションが族の乱入だった訳だ。 『何、子持ちだったん? 中等部から一緒だったけど、はつみみぃー、ってかオンナ抱けたの?』 『いや? 残念ながら手を出す気にもならない。僕の穴はアイツだけだ』 『(つつし)みを知れ、馬鹿共!!』 『『いったッ!!』』  担任の拳が生徒会顧問と理事長に炸裂(さくれつ)する。 『ナニ訳解んないこと言ってるんだ、コレが証拠だ!』  叫びと共にカツラを外して曝された小森の地毛は光を放っていた。確か輝かしいという意味だった覚えがあるが、あながち名前負けしていたわけではなかったらしい。 『目だって、青いんだぞ! 理事長と同じだ!』  (なお)も言い募る小森は更に声を上げた。はじめて真面目に見る顔立ちは大変整っており、端から見ればさぞかしキレイなお人形さんだろう。だが、他を(かえり)みない言動によって総てのおつりが返ってくる。 『さて、冗談はここまでにして』  言葉を切った男は、ヒタリと小森を見据える。 『小森くんは何をお望みなのかな?』 『ママはパパと夫婦になりたかったのに、反対されて結婚できなかったって!』  今時あるのだろうか。もしも本当ならば、とんだロミジュリである。しかも当事者の片割れであるはずの理事長はこのありさま。この一方通行な状態を小森は理解しているのだろうか? 『今まで何にもしてもらってない俺は可哀想な子なんだ、しあわせになる権利があるんだ! だから、俺はパパに認知してもらって、パパのあとを継ぐんだ!』  これは彼自身ではなく、周囲の人の言葉なのだろう。 『ふむ。仮に君の言っていることが正しいとしよう』 『仮じゃないッ!! まだ言い逃れするのか!?』 『メンドクサイね、君。まあいいや。どうしても欲しいのなら、この理事長の椅子はあげよう』 『ッな!?』  さもお菓子でもあげようかのような気軽さに反論したのは、両サイドに控えた教師だ。 『――でも、認知はできない。身に覚えは全くないし、ソレは人生を掛けて誓った僕の恋人と僕自身に対しての裏切りだ』 『俺とママを捨てるのか!?』 『捨てるも何も、僕は慈善事業をするほど出来た人間じゃないよ。今さらだけど、そのママって人の名前教えてくれるかい?』  本当に今さらだ。  他人事ながら心の中で突っ込む晃心を余所(よそ)に話は進む。 『小森麗華だ!』  胸を張った転入生を目の前に理事長は首を傾げる。 『麗華、れいか、レイカ……ああ、』  しばらく唸った理事長はちいさく気のない声を漏らした。 『どうだ、思い出しただろ!』 『そうだね。僕の恋人に散々ずる賢くて小汚いいじめをしてくれた、あの彼女か』  細められた双眸(そうぼう)に一瞬にして冷たさが()す。 『あー、あのすっごく高飛車で性格悪かった女じゃん?』 『彼女の居場所を教えてくれるかい? かわいい恋人に懇願(こんがん)されたのと、逃亡されたので実は報復(ほうふく)が途中でね。探す手間が省けた』 『……子どもに威圧(いあつ)を掛けるな、馬鹿共』  普段の大人たちの役割分担が見えるようだ。 『それに、君は学園では大変人気者だと聞いているが、可哀想で不幸せなのかい? 片親だとしても、母君や周囲からの愛情は感じられなかったのかい?』  悠々と長い足を組みなおした理事長は尋ねる。  このご時勢、シングルは珍しくなくなってきた。木谷家も例に漏れずだ。 『人気者だなんて当たり前だろ! 俺は()くされて(うやま)われる人なんだ。生徒会の役員たちも気付いて仕えていたしな! みんな俺が好きなんだ。でも俺はやさしいから友達にしてあげるんだ』  何という、傲慢(ごうまん)。  開いた口が塞がらないというのは、このことかと晃心は実感した。  崇高(すうこう)されるのが当然。だが自分の厚意によって、あえてその壁を越え下々に手を差し伸べて友人として接している、と彼はいうのだ。まあ、今回ひっくり返してみたら結局は監視のためで彼の魅力によってではなかったというオチであるが。しかも本人は未だ気付いていない滑稽(こっけい)さ。  いくら他人を使うことに()けているといっても、この数ヶ月という短期間でそれを成すのは能力もあったのだろうことは否定できないが。  部屋に飾られている校章を見上げる。  我が学園のアイドル達も親衛隊を結成され、祭り上げられて当然としている節はある。しかし、ファンを受け入れるためにアイドルもある程度役割を受け入れた。その返礼として欲望の()け口を求めたり話し相手を求めたりと隊によっては様々ではあるが、ギブアンドテイクがなされていた。  転入生も学園のシステムもどっちもどっちなのかもしれないが、それでも受け取る心情が違う。  利害が一致し一応でも互いを認識しているのと、確実に相手を見下しているのと。人の好意に胡坐(あぐら)をかいているほど見苦しいものはない。 『何というか、あの親にしてこの子ありって感じ?』 「――ッく、ゥ……ッ!!」  ぶれる思考に、晃心は目の前の己の手の甲を噛み締めた。  みっともなく声を出すだなんて、真っ平。  火照る、身体。  滲む、視界。  滴り落ちる、汗。  荒い、息。  ……それから、理事長室でどうなった? 思い出せ! 『話を変えるな! 認めろよ!』  キンキンと木霊(こだま)する不快な耳障りな声が、今は正気を保たせるためのひとつの命綱だなんて笑ってしまう。 『母君に刷り込まれているのか、他の誰かに唆されたのかは解らないけど。お望みならばDNA鑑定でもしようか? 無駄だけど』  そうだ。資料では、理事長が小森の母と会ったのは彼を身ごもったとされる時期とどう考えても外れていた。 「……ッハ、」  くだらない薬の作用は一過性の、はず。  冷たい床に額を擦り付けても、すぐに熱が移ってしまう。  こんなの、違う。 「……ぁッ!」  逆に身動きした事によって擦られる。  ――アツ、イ……。  本人の意思を無視して、高ぶっていく身体についていけない。  腹を蹴られた時に吐き出せたかもと一瞬期待したが、現実は甘くなかった。 「――イ! オイ!!」 「……んで、居ンの……」  煙った視界で声を見上げれば、予想通りの美丈夫は盛大に顔を(しか)めていた。 「こっちの台詞だ。携帯も無線も繋がらない、学園中探し回った結果コレか!」  ……何で番号知ってるの。充電切れてるけど。  息を切らせている様に見えるのは気のせいだろう。 「……シー、ッ、新しいの買っ、て返す……ほっといて、いーんちょ……」  無様だ。  力の入らない指で布を手繰(たぐ)り寄せてミノムシよろしく背を向ける。  理事長室を後にした晃心の次の行動は、身を隠せる場所を探す事だった。榛葉の状態を認めて人前では居られないと踏んで。彼の乱れる姿ならば引く手数多(あまた)だろうが、自分では醜態(しゅうたい)(さら)すだけ。  寮に戻っても同室者が居る。副隊長の所で世話になる気もない。空き教室があるとはいえ、いつ誰が入ってくるか解らない。保健室には乱闘(らんとう)での負傷者が詰めている。教師の世話になるつもりもない。  熱に(おか)されながら見つめた先、手の内に納まったカードキー。自分の部屋番号と共にいつの間にか記されていた、一度も足を踏み入れたことのない風紀委員長・宝生里央(ほうしょうりお)の個室。 「コレ以外、へや触ってなぃ、から……っつぅ!」  ゴタゴタの後片付けで、もしかしたら真夜中まで掛かるかもしれないと踏んでいたがトンだ大誤算。何でこんなに早く帰ってくるのだ。 「せっかく人が巻き込まれないように()ってやったのに、勝手に首突っ込んだ挙句(あげく)、クソに盛られやがって!」  さも思いやっての行為であるとの言い草であるが、結局やった事は同じだ。薬の内容は違うとしても。 「……ほっとい……ッふ、う」  歯を立てた甲からは鉄のニオイが漂う。それにさえ、眩暈(めまい)を覚える。 「傷つけるな」  強い力で手を外される。触れられた場所から背筋に沿って()い上がる、何か。 「っかった、出て、く……」 「ぁあ?」  ふらつきながらも身体を起こせば、衝撃(しょうげき)と共に真横の壁に穴が開けられたことに気付く。 「俺を頼れ」 「ィヤ、ッだ!!」 「の、ヤロウ! ココに居る理由を言ってみろ!」 「来なぃって思って、た!」  頼るだなんて、ぜっったいに嫌だ。  振り払う手も押さえ込まれる。 「ひとりで、何とかするッ!!」 「ぁあ? 歩くのもままならねぇのに、貴様は馬鹿かッ!!」 「放せ!」 「ッざッけんな!」  互いに叫んで、強制的に合わされた視線の先には、剣呑(けんのん)な色を灯した強い瞳。 「…………だか、ら、ゃだ……ッ、こんな時だ、け、って……」  総てを見透かされているような。  揺れる視界で唇を噛み締めれば、舌打ちと共に()じ開けられて指を突っ込まれる。 「何度も言わせるな」  逃げる舌を捕らえられる。  裏を、頬の内側を、擦られて跳ね上がる肩。 「……ふぁ、ン……ひょは、ふりゅ……」 「馬鹿」  首筋に伝う、溢れる唾液。  我が物顔に口腔内を弄ばれて。  阻止するはずの指先は、力なく縋るだけに。 「はぁッ……ん。って、クス、リのせいでだ、っんて……ャ、ッだ」  引き抜かれた長い指が首を辿る。  うるさい、心臓の音。  近くで話しているはずの男の声が、遠い。 「いい加減、俺を欲しがれ」 「……ッい、ぁだ!」 「ッの、ヤロウ! ……このまま耐えるつもりか」 「……ッハ、……ッハ、んンッ!」  しゃべるのも億劫(おっくう)で、熱い息を吐き出しながら首肯(しゅこう)する。 「解毒剤なんてあるのか?」  知らない。  首を振って、ついでに手首も振って出て行けとぞんざいに促す。 「俺の部屋だ、俺が決める」  ……かわいくない男。  一瞥(いちべつ)だけして目を(つむ)る。 「お前、俺の理性に感謝しろ。こんな超()え膳」  忙しない己の吐息とは別の、溜め息混じりが耳をくすぐる。 「これだけ言って落ちないのはお前だけだ。――どうしたら欲しがる?」  本人に話す時点でアウトだろう。引く手数多なこの男ならば、わざわざ(なび)かない相手に手を焼かなくても見つけられるだろう。  みっともないほど(あふ)れる唾液に()せる。 「ゴホッ……しょく、じ。べんと、っぅ……ご、え」 「気付いていたのか」  一般生徒が特別棟の生徒会室に忍び込むのも、夜遅くの帰宅も、実は見守っていてくれていた。いつの頃からか風紀の実質ナンバースリーと交代して、晃心の部屋でおさんどんしていたが。本職の役員たちであったら、時間内に仕事を全うすることもできただろうし、こんなバックアップも必要なかった。一重(ひとえ)に力が足りなかった。()しくも同じ時期に会長と同じ事を思って歯噛みしていたということだ。 「だから、もぅ……ャ、だ……」  コレ以上は甘えてられない。  ちいさく呟いたはずの弱音は思いの外、室内に響いた。 「お前はよくやってる。もう、他人を優先して頑張らなくていい」  色んな生徒を見て知って、そして自身も有能なこの男からその言葉をもらうだけで充分。それに自分は、自分を守るために自分のために動いている、ただのエゴだ。  いつぞやのように、髪に絡められる指先。 「……も、頼めな、ぃ」 「俺が望んでもか?」  再び手を払って近づくことを拒絶すれば、更に重ねられた言葉に耳を疑う。 「お前、意外と俺のことちゃんと好きだったんだな」 「…………は?」  首元をくすぐる、吐息。  同時に包まれる、他人のあたたかさ。  震える、身体。  遅れて気付く。 「普段から世話になってるから、こんな時に余計に世話になりたくないってことだろ。薬に(そそのか)されたみたいだって」  不本意ながら日常的に大変助けられている。 「……それ、が?」  持て余す熱に、身体に巻きつく(たくま)しい腕を()がす力がでない。  変な気を起しそう。 「はな、し、て……」  語尾が揺れるのも泣いてしまいそうなのも、気のせいだ。だって、もう既に視界は(にじ)んでいる。そこかしこが(しび)れる。 「お前にする俺の行動に文句があるわけじゃなくて、面倒かけるって心配なんだろ。()き違えるな。ベースに俺への好意があるだろ、いい加減気付け鈍感」  それがたとえ好意だったとしても、恋心とはイコールではない。友人として好ましい感情であるかもしれない。 「……る、さぃ」 「本当に見た目に反して強情(ごうじょう)だな。認めろ」  心臓も、荒い息も、男の声も。 「も、……っかれ、た……」  考えるのも。  ずっと(いぶ)している身体も。 「コレが何か解るか?」  不意に示された物に、閉じかけた(まぶた)を仕方なく上げる。  目の前に摘まれた、ちいさな粒。 「『noThing』から押収した薬」 「……ぇ、」  目の前から消えて、まさかと振り返った先の喉仏の上下を確認するのは――同時。 「助けろ。」 「――ッな!?」 「このまま部屋から出たら、確実に他のヤツを襲うぞ?」  瞠目(どうもく)した晃心とは対照的に、したり顔の男は口角を上げた。 「生徒会も風紀も親衛隊からも、いい加減に目を逸らせ。俺だけを見ろ。貴様以外のヤツなんざクソの役にも立たねぇ」  顎を捕まれ、逸らす選択を阻まれる。  しかし頬を撫でる、その繊細な指先からは縋るような錯覚を。 「貴様が大好きな他人のために、仕方なくでいい――」  打って変わって、緩められる双眸。  逃げ道と見せかけてその実、虎が目を光らせる洞穴へ続く道。  やさしくて、ずるい男。  手を、差し出される。 「『代わりにお前を寄越せ』。俺のためだけに」  ――触れた先は、ネツを(はら)んでいた。  グチュッ。  重ったるい音が響く。 「……ふ、ぁ……ん、んンッ」  ――喰われ、る。  獰猛(どうもう)な瞳を見ていられなくて、遮ったはずの視界は別の感覚を研ぎ澄ます。  蠢く舌。  逃げれば、  引き摺り出され、  絡め取られ、  甘噛みされる。  溢れる、どちらともつかない唾液は、しかし熱い唇に押し戻されて。 「ゲホッ、……は、ぁは、……も、っんんー」  仰け反るはずの身体はシーツに阻まれ。  耳元で聞こえるはずの、髪が打つ音は遠く。  縫い留められた手のひらは、相手のそれを握り返すだけ。  酸欠の果てに助けを求める先は、(さいな)むはずの男。 「……も、っめて、ぃんちょ……ひ、ぁ!」 「ッ足りねぇ……」  鼓膜をくすぐる低い声に背を駆け上る悪寒。  グズグズになった思考では、ついていけない。  すべてに。 「……ぃあッ!」 「何回イった……?」  耳朶を食まれ舌を差し込まれる。  震える身体にはソレさえも毒。 「あ、あ、あ、ぁ……」  崩壊した涙腺。  いつの間にかぬめりを(まと)って入り込んだ指先に、後の粘膜を探られる。 「……っヤ、ぁ……」  首筋を辿る痛みに、上がる悲鳴。  胸元に執着を見せた頭を、力なくかき混ぜることしかできない。  指の間を流れる相手の髪にさえ身体を震わせる。 「もっと、か?」 「ッぁ……も、ぁ、ぁああッ!」  含み笑いと共に(くわ)えたまま転がされる。  同時に内部に増える指に、弱みを捉えられて。 「……ぃあぁ……助け……ッあ、っねが、」  吐き出したはずの欲望は積み重ねられ。  弾けた体液を気ままに腹部に伸ばされて、それにさえ(もだ)える。 「ッチ、こんな痕つけられやがって」  昼間足蹴にされて鈍痛を覚える場所を、白濁に塗り替えられる。  ただそれだけでも、男に上書きされる錯覚に。 「クスリ……か」  脱力しきった中では、滴を溜めた瞼さえ重く。 「ハッ、はっ……くす、ぃ?」  互いの乱れた息もどこか遠い。 「ああ、だから欲しがれ。好きなだけ」  繋がれたままだった手を(うやうや)しく取られる。  滲んだ視界で舌が指を弄ぶ。  口腔内に消えた爪先から全身に渡る、甘い感覚。  油を差したようなギラつく視線は逸らされず。 「あ……、」  妖艶に口角を舐め上げる赤。  どこかスローモーションに。 「……晃心」  鋭い目を細められ、囁かれる猛毒。  見上げる先の肉体美に目を奪われるのは一瞬。 「……ふ、ぁ、」  再び執着を見せられ、唇はおろか口腔内のそこかしこにしびれを生む。  意味の成す言葉も紡げず、それ以上に総てをのまれる。  荒い息とうるさい動悸に邪魔されて、近いはずの言葉も届かない。  目元に降る、やさしい口付け。  ボンヤリした頭がイヤに鮮明に覚える。  ――アツ、イ。  声もなく震えるのど。  開いているはずの目には何も映せず。  消える音。  触れ合っている肌も、シーツも、ない。  パタタッ。 「……おい」  シズク。  わかったのは、ソレ。  うつる、いろ。  辿る先は、(しか)めた顔の男。 「……ぁ、せ……?」  伸ばそうとした手を包まれる。 「ブッ飛んだか。……解るか?」  ピチャ。  そのまま移動した手で撫でられる腹に、別の鼓動。 「……ぁ、」  瞠目して漏れる声。  跳ねたはずの身体は逃げられず。  同時にあらぬところに引き()る痛み。  瞬きを繰り返すうちに、広がるネツ。  伴って、戻ってきた感覚。  グズグズに爛れた粘膜が絡みつく。 「……ッふ、ぁ」  知らしめられる存在。 「ッく、そっ!」  眇められた眼差しに(おのの)いて。  さらに進入される奥。 「は……ぁ、あ、あぁッ! ッん、ちょ……」  過ぎる感覚を逃そうと縋ったはずの手は、しかしシーツから剥がされて。 「……違ぇだろ」  心もとなく宙を切ると、苦笑ながら背に回すよう促される。  互いの額を合わされる。 「ほ、……しょ……?」 「馬鹿」  噎せながら(ささや)けば、吹き込まれる吐息。  不随意に跳ねる身体も、捩る腰も、押さえ込まれて。  深い色に、射抜かれる。  上がりきった息さえも、止められるかのような静けさ。 「……ぃ、ンぁ、り……ぉ、りぉッ」 「ああ」  細められる双眸に灯るあたたかさ。  こめかみに落とされる口付け。  そそのかされる。  暖炉のように熱いのは、触れる手か背か。  それとも繋がる下肢か。  ジクジクと湧き上がる。  見守ってくれる。  必要な所は手を出すが、不要な所は静かに根気強く。  しかし、しっかりと存在感を示して。  のどを引き攣る、しゃくり上げ。  続かない、言葉。  もどかしさに、視界の滲みは増すばかり。  「ぃぉ……ぅす、きぃ……」  抉じ開けられた、想いの箱から溢れる。  ――ちいさな、コクハク。 「……ッぁ、ぁあぁああアッ!!」  舌打ちと共に、更に圧迫が増す内部。  力強く送り込まれる腰。  肌の擦れあう激しい音。 「のッ! ひとが折角……!」 「……ふ、ぁ……あ、あー……」  切っ先を集中的に押し付けられて。  舌を噛みそうなほどの突き上げに声もない。 「あー……、ッあ、あっ、ッひぃぁ……」  気ままに弄られる先端からこぼれる、止まらない雫。  指先で引っかかれて(そそのか)される。 「ゃあ、……も、めて……」  さらにねとつく下肢。 「……ッあ、」  腰を抱えあげられ、抉られる。 「……ッく、」 「ぁー……」  最奥に熱い飛沫(しぶき)を受けて、陶然(とうぜん)と酔いしれた。

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