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第1話「歌う死神」前編
「…来たか」
民家に一人の青年が入っていく。俺は追いかけるように民家の窓下へと移動した。気配を殺しそっと中を覗きこむ。部屋の中は蝋燭が1つ置かれているのみで真っ暗だった。家具はなく隅にベッドがあるだけ。そんな寂しい部屋のベッドには年老いた男が一人寝ていた。
「ゴホッゴホッ」
老人は体が跳ねるほど強く咳き込む。痛々しいほどの咳は止むことがなく、刻一刻と老人の体力を削ってる。
(あれは長くないな)
そう察するほどに老人は弱っていた。哀れだが、ここらの村は数年続いてる雨不足のせいで食うのにも精一杯の暮らしを送っている。医師にみてもらう余裕などないのだろう。
(俺にはどうしようもないことだ)
そう割りきってもう一度部屋を覗きこむ。その時だった。
「!」
老人の眠る部屋の扉が開けられた。先ほどの青年と老人の妻らしき女性が入ってくる。女性は青年の突然の訪問に驚いているようだが追い出そうという気はないようだ。
――カツカツ
青年は迷うことなく老人に近づいていった。ベッドで咳き込んでいる老人は意識が朦朧としているのか熱でうなされているのか、どちらにしろ青年の存在に気付けていないようだった。妻が老人の耳元で声をかけるが・・・それが届いたようにも思えない。
(あんな瀕死状態の老人に何をする気だ)
青年の一挙一動を見逃さぬよう、目を凝らす。青年は俺の視線に気付く事なくただ老人を見つめていた。それからふと膝をつく。老人の片手を両手で包み込み、すうっと息を吸い込んだ。口を開ける。
「!!」
身構えた。
(まさか、こんな所でやる気か・・・!?)
「くそっ」
急いで俺は両手で耳を覆い、窓から距離をとった。これ以上離れたら部屋の中が見えなくなるという限界まで避難した所で
「ーーーー」
青年が何かを発し始める。
――さわり
途端、空気がざわめく気配がした。草むらを掻き分けるような、葉っぱが擦れあうような気配を感じる。しかし辺りを見回すが人影は見えない。そもそもこんな深夜に村人が森に入るとは思えない。
(動物なら匂いでわかるはずだ・・・じゃあ何だ。何がいる?)
何よりおかしいのは、ざわめいているのは一箇所ではないという事だ。民家を囲む草むら全体から気配を感じる。
(一体何が起きている・・・?)
いっそ殺気を出してくれれば場所がわかるのだがどうやら相手にそういう感情はないようだ。人でもモンスターでもない。余計に恐ろしいその気配に俺は動揺を隠せぬまま、理性をフル稼働させなんとか森から青年の方に視線を戻した。
「ーーーー」
青年はまだ何かを言っている。その口の動き方はまるで歌っているようで、とても柔らかい。表情は部屋の暗さのせいでよく見えないが、なんとなく笑っているような気がした。
(不気味な奴だ)
死にかけの老人の横で何を笑っている。気味の悪い光景に鳥肌が立つ。そこでふと、頬を何かがかすった。
――フッ
「?!」
今、何の気配もしていなかったはず。
(なんだ・・・何が触れた?)
慌てて見回すとそこには驚きの光景が広がっていた。
「んだ、こりゃあ・・・!」
白くぼんやりと光る粒が森中に溢れていた。それはふわふわと漂い、空へと飛んでいく。その様は、まるで降雪を逆再生したかのような、神秘的で、今までに見たことのない光景だった。
(これは・・・)
突然の事に立ち尽くす。恐ろしいはずなのに、俺はただただ白い世界を眺めていた。
――スウッ
森が白く染まり、光の粒は天へとのぼっていく。曇っていたはずの夜空は星空を覗かせていた。キラキラと光る白い粒はその合間を器用に潜り星空へと導かれていく。夜空の星と光の粒が混ざり合い、淡い色合いの虹を描いていた。
「・・・綺麗、だ」
やがて森の白い粒は空へと溶け込んでいった。幻想的で少し恐ろしくも感じる光景は消えて、森に静寂が戻ってくる。
「・・・ふはっ」
やっと息を吐くことができた。止めていた呼吸を再開し肺いっぱいに酸素を送り込む。きんと冷えた空気が鼻を通して入ってきて少し痛い。
――ガチャリ
民家の玄関扉が開けられる。俺は急いで草むらに隠れた。思ったとおり民家から出てきたのはあの青年だった。入ったときと同じ姿。そのまま立ち去ろうとする。
「お待ちください!」
青年の背中を女性が慌てて引きとめた。女性が押し付けるように何かを青年に渡す。しかし青年は頭をふって断った。そして今度は振り返ることなく去っていく。
(・・・まさか)
急いで民家の窓を開けた。鍵はかかっていなかったため侵入は簡単だった。唯一置かれたベッドに駆け寄り老人の体に触れる。
「!!」
死んでいた。安らかな顔で、眠るように老人は息絶えていた。
「そんな、いつの間に・・・」
死にかけているとはいえ老人は今の今まで生きていた。苦しみながらも生を全うしていたのだ。それがどうして急に。
「・・・いや、そうじゃない」
急じゃない。今俺は見たはずだろう。あの恐ろしい光景を・・・人にはなしえない幻想的な力を。
「あいつだ」
青年だ。
あの青年がやったのだ。
今回の俺のターゲット“歌う死神”は奴なのだと確信した。
「オズワルドさん、オズワルドさんったら!」
ゆらゆらと揺れる。揺れの強さは段々と強まっていき、やがて頭の中まで揺さぶられているような激しさになった。
「ねえ、オズワールドさーんー?!おきてよー!」
「ぐうぅ・・・」
「朝だよ!皆もうでかけちゃったよ!ねー!」
「うぐぐ・・・」
「ねえってば!もー!起きろー!オジさあーん!!」
「だれがオジサンだー!」
飛び起きながら叫ぶ。
「あははっ」
するとベッド横で俺を揺らしていたであろう少女がくすくすと笑った。
「オジさんおはよう!」
「・・・オズワルドだって言ってるだろ・・・おはようさん」
「ちゃんと朝起きてくれないオジさんはオジさんって呼ぶもん」
「もんってなあ・・・」
頭をぼりぼりと掻きながらベッドから出る。体が半分ほど出たところで少女がわーと叫びだした。
「きゃーオジさんはだかー!」
「ああはいはい見苦しいもん見せてすみませんねえ」
といって少女を部屋から閉め出した。
「やれやれ」
これでやっと落ち着いて着替えられる。この村に来てからずっとここを利用しているのだが、管理人家族も住み込みで利用しているらしく宿は常に賑やかだった。希望すれば朝昼晩食事を用意してくれる&安いのが良い点だが、毎朝俺の元にうるさい目覚まし(少女)がやってくるのは困りものだ。頼んでもいないのにきっかり六時に起こされてしまう。昨日寝たのがどれだけ遅かろうとお構いなしだ。
(まあ、ここの村人にとっちゃ六時なんて遅すぎるぐらいだろうし・・・仕方ないか)
少女は少女なりの常識に沿って俺を起こしてくれているのだ。ここは感謝すべき所だろう。身支度を終えて廊下に出ると、当たり前のように少女が待っていた。
「オジさん」
「オズワルドさんだって」
「オジさん暇?」
「やめろそのフレーズ。暇じゃなくてもなんか胸に刺さる」
「暇なんだね!じゃあ一緒に散歩しよ!」
「な、おいっ」
「まずはあっちの森から~」
がしりと腕を掴まれぐいぐいと引っ張られる。俺は寝不足で痛む頭を押さえ、ため息を吐くのだった。
少女とのお散歩(四時間ほどの森散策)を終えへとへとになった俺は村にある木のベンチで横になっていた。
「もうだめだ・・・死ぬ」
「オジさんもう疲れたの~?」
「いい加減オジさん呼びやめてくれないかなお嬢さん」
今年で30だし確かに少女からみたらおじさんかもしれない。だが、老人扱いされて素直に頷けるほど老けているつもりもない。
「えーどうしよっかな~」
疲れ知らずの少女は太陽のような眩しい笑顔を浮かべて笑う。無邪気な笑顔はくたびれた体に染みるしみる。
「・・・はあ、ほらよ」
小銭を渡してやる。
「え?」
小首をかしげる少女に顎で伝えた。
「広場の方でなんか売ってただろ、食ってこい」
「え!いいの!わーーい!」
迷わず走っていく少女。その後ろ姿を見て片眉を上げてから俺はもう一度横になった。
「さてと、・・・」
帽子を顔にのせ太陽光を塞いでから目を瞑った。
(ここで少し仮眠をとらせてもらうとするか・・・)
心地よい風が頬を撫でていく。
――ドタドタ
騒がしい足音が近づいてきた。やけに早いご帰還だなと思っていると
「オジさん大変!あっちで人が倒れてる!」
「何・・・?」
寝ぼけ頭が一気に覚めた。
「どこにいる」
「こっち!」
少女が森の方へと走っていく。俺も急いで後を追った。
(誰かが倒れているだと・・・?まさかまた村人が死神に殺された?)
焦りと底知れぬ恐怖に、足の速度が知らず知らず早まっていく。少女の案内を頼りに村はずれの森を抜けると、自然にできたと思われるそれなりに大きい花畑に辿りついた。この土地特有の水色の花が並ぶその中央に・・・何かの山が見える。
「あれか?」
薄茶色の毛皮のようだった。俺は警戒しつつその山に近寄っていく。するとその山だと思っていたものが雪崩を起こすように崩れていった。
「なっ?!」
ウサギやネズミ、キツネ、リスなどの野性動物、ピクシーやゴブリンなどの小さなモンスター。森で見かける動物たちが勢ぞろいしていた。それらが重なって山のような形に見えただけのようだ。花畑の中心で山を作っていた生物たちは散り散りになって森へと帰っていった。生物がいなくなり、そこで俺はやっと気付く。今まで山があった場所の中心に、大の字になって眠る青年がいた。堂々と、いや呑気に眠っているその姿をみているとアホらしくなった。
「って・・・おいおいおい」
青年の顔を見た瞬間、頭痛がした。
「勘弁してくれよこんな所で・・・」
黒という珍しい髪色の青年は驚くほど整った顔立ちをしていた。だが問題はそこじゃない。この顔を俺が知っているということが問題なのだ。昨夜何度も見たこの顔。幻想的で恐ろしい魔力を持つ人外。
(歌う死神・・・!)
昨夜見た光景を思い出し、俺は無意識に一歩下がっていた。右手は腰のハンドナイフにそえられ、目は一時も離さず死神に注がれる。
「んん・・・」
死神は俺の殺気を物ともせず、気持ち良さそうにすやすやと眠っている。
「んー・・・むにゃ・・・」
「・・・」
「むにゃ・・・だめだよ、そんなにたべ、たら・・・ふふふ」
「・・・・」
どんなに待っても一向に起きる気配がしなかった。眠り続ける死神の姿を眺めながら俺はあまりの呑気さに呆れ返った。
(なんだこれは)
“歌う死神”は最近騒がれるようになった新顔ではあるが、首にかけられた金額は高い。歌うだけで人を殺せるという高い殺傷力を持ち、正体は謎に包まれ、尻尾すらつかめていない幻の化け物。そんな“歌う死神”の事をこの業界で知らぬものはいないだろう。賞金首というのは金額が高いほど有名になりやすいものだ。
(んな有名人がこんな所で昼寝たあ・・・)
いささか複雑な気持ちになった。
「おいお前さん、度胸があるのはいい事だがこのまま俺に殺されてもしらねえぞ」
ぼそりと呟く。もちろん死神は起きなかった。
「はあっ」
馬鹿馬鹿しい。頭をぼりぼりと掻いて、ナイフに添えていた右手を下ろした。今なら確実に、安全に殺す事ができるが。
「出直すか」
目の前の死神は今ただの青年にしか見えない。昨日の事も、奴が老人を直接殺した瞬間を確認できたわけじゃない(殺し方も不明だし)。もしもただの偶然で、青年は居合わせただけの場合もある。俺は賞金首ハンターであって殺人者になるつもりはない。そう言い聞かせて背を向けた。
「むにゃ・・・」
俺が背を向けるのと同時に死神も寝返りを打ち背中を向けてきた。
(ん・・・?)
おかげで俺は今まで見えなかったものに気付く。
――しゅるり
死神の服の裾から、何か長いものが出ていた。白くて、先端がふさふさの毛に包まれた、尻尾のような何か。それが死神の腰の辺りから飛び出している。
「あ・・・ああ?」
ぱっと見は完全に人の形をしている死神の・・・唯一見つけられた人外らしさ。
(・・・これはチャンスかもしれん)
そろりそろりと死神に近づく。先程よりも一層気配を殺し、両手を前に出した状態で死神の傍までいった。
(あの尻尾が死神の正体に迫る鍵になる)
情報はいくらあっても困らない。それがターゲットのものならなおさら。問題はこの鍵に触れた瞬間死神が起きるかもしれないということだ。というか絶対起きる。死神と正面から戦うのはなるべく避けたい。
(ここは引くべきだ)
わかりきったことを心の中で呟くが、両手の動きは止まらなかった。いや、止められなかった。
――ひらっひらっ
目の前で揺れる白い尻尾は誘うように左右に動き続ける。その動きにつられて手も左右に揺れた。
(ち、ちょっとだけ、先っぽだけ、触るだけなら・・・)
ふわふわとした毛並みはとても気持ち良さそうだ。きっと触ったら気持ちがいいに違いない。その誘惑につられ、ゆっくりとゆっくりと手を伸ばし、あと少しで指先が触れるというところで
「オジさーん!ひどいよー!なんで先いっちゃうのー!」
後方から少女の声が聞こえてきた。その声にギクリと肩を揺らし、前に出していた両手を急いで引っ込めた。
「わりーわりー」
少女をこれ以上近づけさせないように自分から少女に駆け寄った。そしてそのまま少女の背中を押し、花畑から離れさせる。
「あれ?お兄ちゃんは?いた?」
「あーそれならもうどっか行ったぜ、ピンピンしてたから安心しろ」
「そっかーよかった!」
少女がホッとしたように微笑む。それに笑い返してから俺は、ちらりと背後を見た。
「・・・」
死神はまだ寝ていた。本当に図太い奴だ。
(あれならまあすぐに死ぬ事はないだろうな・・・)
と苦笑いを浮かべ俺は村へと戻るのだった。
「それでどうなんだい?オズワルドの旦那」
三本目の煙草をふかしながら窓の外を眺める。すっかり夜も更け空には数えきれないほどの星が瞬いていた。
「歌う死神、殺せそうかい?まああんたほどのハンターなら倒せない奴の方が少なそうだが」
「買い被りすぎだ」
煙草の火を灰皿の縁で消し、もう一本取り出す。それを咥えながら目の前に座る小汚い男を見つめた。この男はグラッツ、見た目は冴えない感じの男だがこれでも賞金首の管理を受け持っている凄腕の引受人だ。この男に賞金首(身柄もしくは死体)を引き渡せば、金がもらえる流れになっている。昨日“歌う死神”を見つけたと連絡をいれたのだが、まさかこんなにも早く姿をあらわすとは予想してなかった。どんな移動手段を使ってるんだ。
「そう言うなよ。俺の目に狂いはないはずだぜ旦那」
「いくら刃を研いだって、倒せない敵もいる」
「謙遜するなって。旦那なら一瞬だろ?」
「はあー」
白い煙を吐き出し、やれやれと肩をすくめる。
「そうじゃない。情報が少なすぎるって話だ。」
「確かに今回の相手は特に謎が多いな」
「俺は金のためならいくらだって危ない橋は渡る。だが死にたいわけでもない、これでもな」
灰皿に吸殻を投げ捨てる。そもそも俺はあの昼寝青年を“歌う死神”と断定していいのか・・・まだ悩んでいた。昨夜は確実に死神だと信じ込んでいたが昼間の姿を見る限り普通の人間にしか見えなかった。
「んー?なんだ、珍しい。旦那ともあろう男が臆病風に吹かれたか」
「・・・かもしんねえな」
“歌う死神”と考えた時、とっさに思い浮かんだのは・・・昼間の、花畑で眠りこける青年の姿だ。武器も持たず気持ち良さそうに花畑で眠る青年。俺にあの青年が殺せるのか?そう尋ねられれば即答は難しい。
「・・・」
「迷っているようだな旦那。だが、急いだ方がいいぜ」
「?」
視線を灰皿からグラッツに移動させる。グラッツはやけに真剣な表情をしていた。
「どこから嗅ぎつけたのか首狩りのハイエナ共がやってきてな。直にこの村もお祭り騒ぎになるだろうよ」
「んだって??」
首狩りというのはその名のとおり賞金首を狩ることを生業にしているゴロツキ集団だ。賞金首さえ狩れればそれでいいという大層頭のイカれた奴らで、首狩りが通った道には何も残らない。潜伏している宿を爆破して賞金首もろとも無関係の人間達も殺した・・・なんてことも珍しくない。静かに仕事がしたい俺にとっては一番会いたくない奴らだった。
「・・・っち、ほんと鼻だけはプロ級だな、首狩り共め」
舌打ちをして席を立つ。テーブルに代金を置き店の出口へ向かう。
「旦那!首、楽しみにしてるぜー」
グラッツの大きな声が背中を追いかけてくる。それには応えず黙って店を後にした。
村の中を歩けばすぐに首狩りの姿を見つけることができた。武器を隠そうともせず無意味にひけらかす脳筋野郎共がそこら中にたむろしている。
「はーあ。嫌になるね、まったく」
関わり合いにならないよう裏道を進んでいく。
(さて、これからどうするか)
一応死神の泊まっている宿は調べてあるが死神がまだそこにいるとは限らない。首狩りの事を聞きつけてもう逃げたかもしれない。そうなったら俺も困るのだが。
「・・・いや、あいつはまだいる」
勘だが、あいつはまだこの村にいる。何が目的かはしらないがこんな辺鄙な村に立ち寄った理由が何かしらあるはずなのだ。ただ単に人を殺すためなら都会に行った方がもっと多くの人間を殺せる。殺し以外の目的がこの村にはあるのだ。
「とにかく奴の宿を確認してからだな」
「何の確認だってぇぇ~?」
突如、後方から荒々しい声が聞こえてくる。
「?!」
殺気を感じ取った俺はナイフを構えながら振り返った。
――キンッ
刃先がぶつかり白い光を生む。そのまま刃先を傾け、相手の剣を滑らせた。
「うおっ?!」
相手がバランスを崩した隙に、襟元を掴み引き寄せる。そのまま顎を殴りつけ、一瞬のうちに気絶させた。
「おおーこのおっさん意外にやるなあぁ」
ぱちぱちと渇いた拍手を送ってくるのは、赤いトカゲの“サラマンダー”の刺青をしている男だった。背が高く(2mは越えている)腕は丸太のように太い。しかもその後ろには柄の悪そうな連中がずらりと並んでいた。皆武器を手に持って怪しい光を瞳に宿らせている。
「・・・首狩りか」
「あ、俺たちのこと知ってんの?もしかしたらこっちの業界の奴だったか?まあーどっちでもいいか」
そういってぺろりと舌なめずりした。
「どうせ殺すんだしなあ!」
首狩りは武器を振り回し、吠えるように叫ぶ。それと同時に後ろのメンバーが一気に向かってきた。
「やれやれ、これだから血の気の多い奴らは」
肩をすくめ次の動きに備える。
――ガッゴっ
軽く腕を捻りながら一人ずつ着実に倒していく。統率の取れていない集団攻撃など子供のお遊戯と変わらない。
「うおらああぁぁ!」
「死ねええええ!」
だが、少々数が多すぎる。このままでは埒が明かない。
(今は良くても俺の体力が切れれば終わりだな)
素早く周りをみて確認する。今俺がいる場所は小さな民家の立ち並ぶ路地区画だ。男三人並んだら指一本すら入らなくなる程度の横幅しかない。置いてあるものもゴミやいらなくなった家具など、役に立ちそうなものは見当たらない。
「いや・・・あれなら使えそうだな」
とある物に目星をつけた。だがまだ距離が足りない。俺は後ろから迫り来る首狩りを片手間にあしらいながら走り出した。
「殺せ殺せー!逃がすなぁぁー!」
俺が逃げ始めた事に気付き、刺青リーダーが威勢よく吠え始めた。
「殺して金目のもん全部奪っちまえー!」
「随分小物臭のする台詞だな」
「んだとゴラアア!!」
煽ってやれば、奴は血管を切らしそうになりながら駆け寄ってくる。手には俺の腕よりも長く、拳よりも分厚い斧が握られていた。流石にあれを相手するのは骨が折れそうだ。足を速め、民家の路地を進んでいく。すると、目的のモノが見えてきた。
(これこれ)
民家の屋根から屋根につられた物干し紐。夜の今は流石に洗濯物はかけられていないがその代わり子供の拳ほどの白い袋が提げられていた。あれはシルフ王国の民なら誰でも知っている魔除けの袋。魔除けといっても中身はただの白い灰。普段は何の役にも立たないもの。
(だが、今はちょうどいい)
袋の真下を通り抜けるぎりぎりのタイミングでナイフを放った。
――ひゅんっ
寸分違わずナイフの切っ先は袋の中心を捉える。
――ブワサアッ
袋は白い粉を撒き散らしながら散っていった。流石俺と自画自賛しながら、粉がふってくる真下を急いで走り抜ける。寸でのところで白い灰が俺の後ろに落ちていった。そして白い粉は風に吹かれ一気に広がっていく。
「うわっ何だこの粉はああ!オイッ前が見えねえぞ!!」
「いでえ!誰だ今俺殴ったのっ」
「何してるてめえら!奴を追え!!逃がすんじゃねえ!!」
混乱する首狩りたちをちらりと確認する。
「さて、この隙に逃げさせてもらうとするか」
なんてニンマリしていると前方の物干し紐に何かが乗っている事に気付いた。
「?・・・猫か?」
目を凝らす。よくよく見るとそれは人の形をしていた。
「んなっ」
いくら丈夫に作られているとはいえあの紐は人が乗れるように作られていない。あのままでは数秒もせず紐が切れ落ちる事になるだろう。
「おい!お前!引き返せ!!」
必死に伝えるが相手は止まろうとしない。もう一度、今度はより大きな声を出そうと息を吸ったときだった。
「!」
そこでやっと気付く。紐を渡ろうとしている者の後ろに、武器を持った何者かがいたのだ。
(逃げている、のか?)
問題の物干し紐まであと少しというところで会話が聞こえてきた。
「逃げるなよ子猫ちゃん~怖いことはしないからサ~」
「・・・」
「ほらほらぁ、落っこちたら痛いじゃすまないぜえ?」
武器を持つ男が紐へと近づいていく。紐にのっていた者がそれにつられ、一歩後ろに下がろうとした。その時、
――ブツリ
何かが切れる音がした。
(紐が切れた!!)
そう察するより先に俺は動きだしていた。紐の真下に行き腕を広げる。
「おい!!」
「!」
俺の声を聞き、人影がこちらを向いた。夜の闇よりも黒く染まる髪、白い肌、そして整った顔立ち。その顔はこの村に来て何度も見ている顔だった。
「し、死神・・・??!」
死神は受身を取ろうともせず、真っ直ぐに俺のほうへ落ちてくる。とっさに手を引きかけた。このまま落として殺してしまえば楽に賞金を手に入れられる。だが。
「くそっ・・・!!」
考えるより先に、俺は落ちてくる死神へ手を伸ばしていた。
――どさっ
数秒もせずに、死神の体を受け止める。思ったよりもずっと軽くて拍子抜けした。
「っ・・・」
死神はキョトンと驚いた顔のまま見つめてくる。俺も俺で死神の顔を見つめていた。
(改めてみると、綺麗な顔立ちしてたんだなあコイツ)
女でもこれほどの美人は見たことない。繊細で鼻筋の通った顔立ちはシルフの民らしいといえばそうだが、どことなく違和感がある。人外故のオーラか?
(まあ俺のタイプは巨乳美女だから対象外なんだが・・・)
なんて場違いな事を考えていると
「おい!あそこだああ!!」
今度は路地の後方から騒がしい足音が聞こえてきた。首狩りの奴らだ。さっさと逃げないから追いつかれてしまったようだ。抱えていた死神を地面に下ろし立たせる。
「走れるか」
死神はこくんと頷いた。それを聞いた俺はすぐに予備のナイフを取り出す。
「俺がここで迎え撃つ、お前は逃げろ」
そう呟くと肩をたたかれた。死神だ。振り返らず言葉で伝える。
「何してる、行け!」
「だめ」
初めて聞いた死神の声は思っていたよりも幼かった。大人びて見えるだけで実はこいつ20歳にすらなっていないのかもしれない。
「あなたも一緒に逃げよう」
「はっ。何言ってんだか。この状況で二人一緒に逃げられるわけないだろ」
あの血走った目を見てごらんよ。俺たちを殺す気満々だからな、と首狩りを指差す。
「・・・僕に任せて」
そういって死神が一歩前に出た。その手には魔除けの袋が握られている。紐から落ちるとき掴んだのだろうか。
「おい、それはもう使っちまったから奴らには通用しねえぞ。しかも今は追い風が吹いてるからこっちの方に飛んでくる」
「大丈夫」
大丈夫って、何がどう大丈夫なんだ。一緒に死ねば怖くないよとか、僕は死神だから死なないから大丈夫とか、そういうことか?とにかく訳がわからない。
「はあ・・・勝手にしろ」
わからないが考える時間もない。死神を説得するのは諦めてナイフを構えた。と同時に首狩りたちが5m程の距離にまで迫ってくる。
「っしゃー!!死ねえええ!」
首狩りが斧を振り上げてきた。その瞬間を見計らって死神が
「えい」
――ぽいっ
粉入りの袋を投げた。袋は放物線を描いて俺達と首狩りの中間地点へと落下していく。
(ってほんとに投げるだけかよ!)
何かすごい技でも使うのかと思えばとてもシンプルだった。俺が呆気にとられていると、首狩りが動き出した。
「傑作だ!!」
首狩りは腹を抱えながら袋を叩き破った。
「ははははっ!今この袋を潰せば粉を被るのはお前らだってわからなかったのかあ?!」
だめだ。このままでは粉を被って身動きが取れなくなる。いくら雑魚とはいえ囲まれて袋叩きにされれば無事ではいられない。焦って周囲を見回すがやはり何もなかった。
――ブワサアッ
俺の動揺を嘲笑うように、大量の白い粉が俺たちに向かって舞い上がる。そのまま風にふかれて粉が俺たちを包んできた。
――っピタッ
と思いきや、おもむろに風が止んだ。そして次の瞬間風が逆向きに、背中を押すように吹いてきた。
(風向きが変わった・・・!?)
おかげで白い粉は再び首狩りたちの方へ流れていく。突然の逆風に慌てふためく首狩りたち。
「な、なんでだあああ!」
首狩りの咆哮が白い粉の奥から聞こえてきた。
「よし」
死神は満足したのか一度頷き、そして俺の方に笑顔を向けてくる。
「これで一緒に逃げられるね」
「あ、ああ・・・」
俺はたった今起きた現象に疑問を覚えつつも死神と共に路地を抜け出すのだった。
「はあっはあ」
息を整えている死神に、自分の水筒を渡した。
「え?」
死神は驚いた顔のまま上目遣いで見てくる。
「水だ」
「・・・ありがとう」
死神は淡い微笑みを浮かべ、水筒を受け取る。そして、迷うことなく口をつけた。毒をいれてるなんて思ってもいない潔さだ。
(ったく・・)
どこまでも拍子抜けさせられる奴だ。呆れ返りつつ、ベンチの横で腕を組んだまま月を見上げた。
「どうしてあの時、風向きが変わるとわかった?」
俺の問いに死神は答えず、水筒の水を飲み続ける。おいおい飲みすぎだろ。俺の分を残そうとか考えないのか。睨みつければ死神があっというような顔をする。その表情のままおずおずと水筒を返却してきた。中身は空っぽだった。
(飲み干しやがった・・・)
「お水、ありがとう。すごくおいしかった。」
「い、いや別に・・・」
素直な感謝の言葉に面くらい、喉元まで出てきてた文句を飲み込む。死神がおもむろに立ち上がった。
「さっきの質問だけど、なんとなくわかるんだ、流れとか、気持ちが」
「気持ち・・・?」
死神は目の前に手を伸ばし何かを掴むような仕草をする。
「みんなが教えてくれるから」
みんな。それが死神の秘密なのだろうか。歌うだけで殺してしまうという恐ろしい力を秘めた死神の・・・。
「それよりもおじさん、ちょっと聞きたいことがあるんだ」
「おじっ・・・オズだ、オズでいい」
「オジさん?」
「おいこら、音だけだと何も変わってねえぞ!」
そうつっこめば死神はくすっと、無邪気に笑った。えくぼのできる笑い方。やはりどこにでもいる青年にしか見えなかった。俺はその笑顔から逃げるように顔を背け、腕を組んだ。
「ったく・・・」
「僕はロワ。オズさん。さっきは助けてくれてありがとう」
「助けたっつーか助けられたというか、とにかくお互い様だろあの状況じゃ」
「そうかな・・・ふふ、オズさんは優しいね」
「それで。今俺に何か聞きかけただろう?何だ」
「あぁ、そうだった。昼間にね、大事な友達がいなくなっちゃったんだ。ルピっていうんだけど・・・知らないかな?」
「具体的な特徴は?」
「んー・・・耳は短いけどぴんって伸びてて、まん丸の目で、体は全体的に丸い形をしてて、小さな羽根が生えてて、けっこう長めのふさふさの尻尾があって」
「悪いがそんな謎の生物は見かけていない」
「そっか・・・」
ロワは悲しそうに目を伏せる。そしてそのまま村の中心へと歩き出した。俺は慌てて奴の背中を追いかけた。
「お、おい!今村に戻ったら」
「またあの男の人たちに追われる、だろうね・・・でも僕にとってルピは命よりも大事な・・・たった一人の友達なんだ、見捨てる事なんてできない」
月夜に照らされうっすらと輝く黒い瞳は、わずかに濡れている気がした。全てを物語るその瞳に、吸い込まれるような感覚に陥る。
「・・・はあ。わかったよ、もう止めねえ」
止めるのは無理だと悟り、肩をすくめる仕草をした。
「その代わり俺も一緒に探してやる」
「!」
ロワの横に立ち、腰に手をあてる。
(これは見張るためだ)
目を離したすきに首狩りに先に狩られては困る。まず俺がやるべきことはこの青年が死神なのかどうか確認する事だ。もしも死神ならグラッツに引渡し、勘違いなら首狩りから守ってやらねばならない。
「人探しは一人よりも二人、大勢でやった方が効率いい。常識だろ」
「・・・うん」
ロワは、濡れてキラキラと光る黒い瞳を細めて嬉しそうに笑うのだった。
「そんな生物見てないけどねえ」
民家の爺さんが頭をふる。
「そうか、夜遅くにすまなかったな」
軽く礼を言って民家を後にした。外で待っていたロワが駆け寄ってくる。それに頭を振って応えた。
「・・・そっか」
落胆の色を浮かべ、項垂れるロワ。これで村の民家は全て確認し終えた。だが収穫はゼロ。目撃情報の一つすら掴めていない。
(つまり民家に隠れてる線はなくなった)
他に考えられるとすれば、村人以外の誰かに連れ去られたか、それともモンスターに襲われたか・・・どちらにしろあまり良い展開が待ってるとは思えない。ロワは最悪の展開を想像しているのか真っ青な顔で俯いている。
「僕が馬鹿だったんだ。昼間、森でのんきに昼寝なんかするから・・・」
ぼそりと泣きそうな声で呟くロワを見てから軽く周囲の警戒を行った。特に怪しい影はなし。まだ首狩り共に勘づかれてないようだ。だが安心はできない。俺は奴の腕を引いて、人気の少ない民家の裏へと移動させた。
――カタカタ
手が震えている。よくよく見ればロワは昼間と同じ格好をしていてひどく薄着だった。いくら気候の寒暖が激しくない土地だとしても夜は冷える。しばらく迷った後、自らの上着を脱ぎロワの肩にかけてやろうとした。しかし、
「!・・・これ・・・」
突然、ロワが走り出した。
「なっ、おい!」
思ったよりも足が早くなかなか追いつくことができない。結局追いつけたのはとある民家の前にたどり着いてからだった。古ぼけて今にも潰れてしまいそうな民家を前にロワは立ち尽くしている。
「おい、ロワ、一体」
「・・・」
ロワはじっと民家の中を見つめていた。まるで中の様子が見えるかのように、眉を寄せて暗い顔をしている。
「ロワ・・・?」
何を考えてるのか全く予想がつかない。突然の行動に圧倒されている内にロワがまた歩き出した。当たり前のように民家の中に入っていく。鍵はかけられていないのかギイと軋むような音を立てて扉は開いた。
「ちょ、お前!」
民家の中に入っていくロワの背中を見ていると、昨晩の光景がフラッシュバックする。幻想的な白い光の粒たち。あっけなく死んだ老人の顔。
「・・・だめだ、ロワ!」
民家の扉を押し開け、ロワの腕を掴もうと手を伸ばす。しかし鼻をつくような激臭がしてそれどころではなくなった。
「腐ってるね」
ロワが淡々と言った。
「けっこう時間経ってるみたい、もう無理みたいだ」
視線の先にあるソレを見ながら痛々しく顔を歪めるロワ。俺も腐臭のする物体を視界に入れ、顔をしかめた。
「死体か」
ゴミにまみれ汚くなった部屋の中心には、腐って人間の形を失いかけている死体が倒れていた。部屋中にハエがたかっており酷い有様だ。
「身寄りのない男だったか、それとも病気で家族に逃げられたか。どちらにしろひどい末路だったんだろうな」
「・・・ひどくない」
「え・・・?」
ロワが一歩前に出る。すると部屋のゴミの山の一つが揺れた。ロワは迷う事無くその山へ近づいていく。
「大丈夫、怖くないよ」
ゆっくりとした足取りで山の前まで行くロワ。何をしているのだろうと思えば、
――くう・・・ん
その山の正体は犬だった。力なく床に横たわっており、痩せて骨が浮き出ている。そんな状態でも犬は頭を上げて唸りながら警戒していた。
「僕はロワ、君は?」
犬の目の前までいったロワは膝をついて語りかける。犬は答えない。焦点のあってない瞳でロワの黒い瞳を見つめ続けていた。唸るのはもう止めている。
「そう・・・よく、がんばったね」
ロワの細い腕が犬の体を優しく撫でていった。犬は安心したように目を瞑り、頭を床に戻した。
「君はよくがんばった、大事な人を見守り続けたんだ、すごいよ・・・」
「!」
犬が寝ている場所は男のすぐ横だ。まるで死体に寄り添うような位置で犬は寝ていた。人間ですら気を失いそうなほどの腐臭なのに、嗅覚の優れた犬がどうしてこんな近くで寝ていられるんだ。
「まさか・・・」
この犬は飼い主が死んでからもずっとここに寝ていたのだろうか。共にいたいと願って、自分の意思でここに居続けた・・・のだろうか。哀れだが、そのせいで犬は今にも死んでしまいそうなほど弱りきっている。
「ずっと横で、苦しかったろう。・・・うん。そうだよね、大事な人だから一緒にいたかったんだよね」
優しいロワの声が部屋に響く。犬は応えるように時々尻尾の先を揺らした。その度にヒュウヒュウと犬の喉から息が抜けていく音がする。健気で、痛々しい姿。
「そうか、じゃあ君はここを動きたくないんだね・・・わかったよ・・・」
ロワはそこまで言うと悲しそうに目を伏せ、それから俺の方に振り向いてくる。
「・・・あのね、オズさん」
「なんだ」
「少しだけ部屋を出ててくれる?」
「・・・どうして」
「それは・・・あなたに不快な思いをさせる、かもしれないから」
俺はロワの瞳を見つめ、ため息をついた。
「ここにいたら俺が死んだり」
「しないよ。それはない」
「じゃあ、いい。俺はここにいる」
どうしてここで逃げなかったのか俺にはわからなかった。とっさにそう答えていたのだ。死神に対する恐怖よりも、見届けたい、そんな思いが強かった。
「・・・知らないよ」
ロワは呆れたようにため息を吐いてからまた犬の方に視線を戻す。次に口を開いた時、ロワの口からは滑らかな歌が溢れてきた。
――フワッ
すると、いつぞや見た白い光の粒が部屋や窓の外、服の隙間からも溢れてきた。俺は体が動かなかった。目の前の光景に目を奪われる。
(これは)
白い光の粒は歌い続けるロワの周りをふわふわと漂い、やがて窓の外へと流れていく。白い光に包まれるロワ。目を瞑り気持ち良さそうに歌を聴いている犬。残酷なほど美しい光景だった。
(ロワ・・・やはりお前が)
どんなに否定したくても目の前の現実がそう告げていた。
「ごめんね、オズさんにまで手伝わせちゃって」
「気にするな」
掘り返した土を穴にかぶせながら応える。ロワはお祈りするように穴の前で手を組ませた。穴の下には犬とその主人が眠っている。
「僕、なんとなくわかるんだ。死にそうになってる人とか、弱ってる人がいると」
「・・・さっきの風の流れを読んだのと同じ原理か」
「うん。信じてもらえないかもしれないけどね、風が語りかけてくるからわかるんだ」
「へえ」
「だから死にそうな人を見かけた時はいつも歌を贈るようにしているんだ・・・せめて最後の時は安らかな気持ちでいてほしくて」
昨晩も今のも、そのためにロワは歌ったのか。死に際で苦しんでいる者に安らかな時間を与えるために?
(信じられない)
犬はロワが歌を終えると同時に息を引き取った。偶然とは言いにくい。
「あの白い光は?」
「わからない。僕が歌うと毎回出てくるんだ。妖精みたいなものだと僕は思ってる」
「・・・今までもこうやって歌ってきたのか」
「うん、あんまり楽しくは、ないけれど・・・それで皆が少しでも楽になるのなら・・・」
そこまで言って言葉を切ってしまう。黙り込んだロワの視線の先には犬たちが眠る穴があった。
「僕にもっと力があればよかった・・・この子を助けられるぐらいの・・・」
悔しそうに項垂れる。その後ろ姿は演技だとは思えなかった。そもそも昼間、花畑で寝ているときから思っていた。こいつは演技ができるタイプじゃない。へたしたら嘘すら吐けないだろう。
(じゃあ本当に?)
今までの被害者も殺したくて殺したわけじゃないというのか。死が間近に迫った者たちの痛み苦しみを歌で取り除こうとしていた傍にいただけ。
(本当にロワは死神じゃないのか・・・?)
結果だけを見れば確かにロワが殺しているように思える。だが俺は死神の歌を間近で二度も聞いている。その俺がこうしてピンピンしているなんておかしい。
(俺だけ死なぬよう音波を工夫した?)
たとえ本当にロワが死神なのだとしても、殺す瞬間を見てしまった俺を生かしておくメリットはないはずだ。一緒に殺してしまった方が足がつかない。
「やっぱり、気持ち悪いよね」
「あ?」
「僕、昔から・・・歌うたびに気味悪がられてたんだ。白い妖精もそうだけど、僕が歌えば誰かが死ぬとかいわれて」
笑みを貼り付けた顔で淡々と言う。瞳だけが悲しげに揺れていた。
「・・・怖くはねえよ」
死神という点を除けば、こんな細っこいガキ怖くも何ともない。歌を歌うぐらい誰だってする。そんな思いからか、口からぽろりと言葉がでていた。
「綺麗だと思ったぐらいだ」
「・・・え」
ロワが目を見開く。瞬きを繰り返し、俺の顔を信じられないものでも見るように見つめてくる。そこでやっと俺は自分が言った言葉(の内容)に気付いた。
(綺麗とかなに口説いてんだ俺は?!!)
居た堪れなくなり、今のなしと手を振って否定した。
「わりい!今の忘れ」
「・・・オズさんって変わってるね」
「だから違うって!今のはぼーっとしててだなっ」
「ふふ・・・へっくし」
ロワが小さくくしゃみをする。今度は迷わず腕が動いた。
「・・・ほれ」
自分の上着を脱ぎ、肩にかけてやる。ロワは上着と俺の顔を交互に見た。
「これ」
「加齢臭とかいったら殴るぞ」
驚いた顔のままロワは俺の上着に手を添え、そしてゆっくりと上着に顔を埋めるのだった。
「・・・暖かいね」
「そらまあ今まで俺が着てたしな」
頭を埋めた状態でもごもごと呟くロワの声は小さく震えていた。
「・・・オズさん」
「なんだ」
「あのね、あなたになら言えるかもしれない」
「?!」
俺にだけ?一体何の話だ。
(まさか)
自分が恐ろしい殺人鬼だと暴露するつもりか。何かに決意したかのような顔のロワは真っ直ぐ俺を見つめて・・・それからゆっくりと口を開いた。
「僕は・・・」
「流石だな旦那!」
ロワの言葉を遮るように掠れた男の声が響いてきた。急いで背後の森を見る。森の両側から首狩り連中がぞろぞろと現れた。その中心には何故かグラッツが立っていた。
「グラッツ、一体何の用だ」
「おいおい旦那。忘れちまったのか?ここで引き渡す予定だっただろ」
「は?何の事だ」
訳がわからないと顔をしかめれば、グラッツは俺のすぐ横を指差してきた。
「そこの、賞金首のことだよ」
「!」
指をさされたロワは、ぽかんと驚いたまま停止している。
「賞金首を俺に引き渡してこの金を受け取る・・・そういう約束だったろ?」
じゃらりと大量の金が入った袋を掲げてグラッツは笑う。
「はあ?そんな話いつ」
「・・・そうだったんだ」
ロワが悲しそうな顔で俺の言葉を遮る。
「おい、ロワ違うんだ」
確かに歌う死神についての打ち合わせはしたが、こんなだまし討ちするみたいな話は一切していない。
「いいんだ」
やけに落ち着いた様子のロワは微笑みさえ浮かべていた。独り言のように小さく、まるで自分に言い聞かせるように囁く。
「いいんだ、慣れてるから」
ロワは俯いたままグラッツの方へ歩いていく。
(だめだ、行くな)
とっさに俺はロワに手を伸ばしていた。その行動がどういう意味を孕んでいるか、何も考えずただただ衝動的に手を伸ばしていた。
――ガッ
俺の前に、首狩りが立ち塞がってくる。
「このっ・・・どけ!首狩り!」
「てめえの仕事はここまでなんだよジジイ!さっさと金受け取って消えろ!」
「っ離せ!おい!ロワ!」
ロワが俺の声を聞き足を止めた。
「・・・ルピに会えたら、元気でねって・・・伝えてほしい」
そういうとロワは肩にかけられていた俺の上着を地面に落とした。地面に落ち土で汚れる上着。それは今の俺達の関係を表しているようだった。すでに捨てられた、用なしの関係。
「ロワ!ロワっ!」
どれだけ呼びかけてもロワは応えなかった。振り返る事無く、黙ったまま首狩りに連れられていく。その背中はとても小さく、震えてさえみえた。
「旦那、約束の金だぜ」
グラッツが金の入った袋を懐に入れてきた。ジャラジャラとわざと大きな音を鳴らされ、ロワの足が少し早くなる。
「っグラッツ!!」
俺は怒りに任せ、グラッツを森の樹木へとたたきつけた。
「っぐう、痛いぜ旦那・・・」
「どういうことだっ!こんな話、俺は」
「おいおい怒るのはお門違いだろう。これは全てあんたのためなんだぜ」
「俺のため、だと?」
「情がわいたターゲットはとことん殺せない・・・そうだろ?」
「っ!!」
「それがあんたの唯一の弱点だからな。だから気を利かしてこういう形で引渡しを行ったんだ。無理やり殺させたり、殺される場面に遭遇するよりずっとマシだろう?まったく、感謝するならまだしも怒られる筋合いはないと思うがねえ」
「ーっ・・・だからって、」
だからってアイツの気持ちはどうなる。確かに俺は楽できたかもしれない。自分の手を汚さずにすみ、罪悪感に悩まされることもない。だがロワにとっては・・・これ以上ないほどの裏切りを受けたことになる。
「今更何言ってんだ旦那。俺に連絡を寄こしたのは、一体どこの誰だ?」
「!」
どんっと胸を押し返される。奴の言うとおりだ。俺は死神を殺すためにグラッツに連絡を取った。俺がグラッツに連絡を入れた時点で死神の・・・ロワの運命は決まっていた。
(俺が決めたんだ)
それを今更撤回しようだなんて、無責任にも程がある。
(ロワを傷つけたのは・・・俺だ)
グラッツのせいでもなんでもない。俺がへたに近寄り、優しくしたせいで余計残酷な思いをさせた。全ては俺の甘さ、迷いが原因。
「・・・」
ようやく全てを理解した俺は、拳を握り締め黙りこむ事しかできなくなった。グラッツは肩をすくめ、ぽんと腕を叩いてくる。
「今度その金で奢ってくれよな」
そういって首狩りと共に消えていった。
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