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第1話「歌う死神」後編

どのルートを使ったのかすら覚えていないが、何とか宿にたどり着いた。階段を上がり誰もいない深夜の廊下を進んだ。その間もずっと、俺の頭にはロワの顔が張り付いて離れなかった。これからロワがどうなるのか、そればかり考えてしまう。わかりきっていることだ。殺される。殺しの方法が判明してないから色々調べてからかもしれないが、賞金首の末路など知れている。 「はは・・・白々しい」 殺されるなんて何様だ。俺が殺したようなものだろう。 (罪悪感を抱く権利なんて俺にはない) 憎まれ役など慣れたはずだ。何度か深呼吸をすれば少し気持ちが落ち着いた。髪をかきあげ、自らの部屋の鍵をあける。 ――がちゃり 「きゃあ!」 部屋にはいると、少女の声がした。 「あ?」 驚いて声の方を見れば宿屋の娘である目覚まし少女が窓際に立っていた。俺に気付いた少女が慌ててカーテンの裏に何かを隠す。 「おい今、何を隠した」 「あ、うう」 「つうかこんな夜中に何やってんだよ」 いくら俺が無害なおじさんとはいえ、少女が男の部屋に一人で訪れるのはいかがなものかと思う。そう叱れば少女は素直に謝ってきた。 「この子を外には出せないから、隠そうと思ったの・・・」 「この子?」 少女はゆっくりとカーテンの前からどいた。するとカーテンがゆらゆらと揺れ始める。そして ――ぽと 何かがカーテンの裏から落ちてきた。コップぐらいの大きさの、丸くて白い饅頭みたいな物体だった。背中(と思われる部位)には翼らしきものがあり、後ろからは長い尻尾が見え隠れしていた。 (ん?) この特徴どこかで聞いたような。謎の生物に言葉を失っていると、少女が説明を始めた。 「あのね、昼間の散歩の帰り道にね、この子がずっとオジさんの後ろをついてきてて・・・・」 「ええ?!」 俺こんなもん連れて歩いてたのかと一瞬焦った。死神に気をとられていて気付かなかった。 「きっと寝ぼけてオジさんを飼い主と間違えてたんだと思う。だからね、私、この子がモンスターに食べられちゃうといけないと思って飼い主さんが見つかるまでお世話することにしたの。でもお母さんたちはきっとこの子を見たら追い出そうとするから、その、あの、オジさんの部屋ならいいかなって思って・・・」 最後の方は自信がなくなったのかぼそぼそと言い訳をするように音量が小さくなっていった。 「はあ・・・」 俺の深いため息を聞いた瞬間、びくりと肩を震わせた。叱られると思ったのだろう。俺は黙ったまま少女へと近寄り、そっと頭を撫でてやった。 「一人で頑張って、えらかったな」 「!」 「眠いだろうにこんな時間まで起きて世話してやって・・・よく頑張ったな。後は俺がやっとくからお前は寝な」 「・・・オジさん、怒らないの?」 「怒るぞ!オジさんって呼んだらな!」 そう言い返せば、少女はあははと楽しそうに笑った。 「オジさんありがとう。この子ね、寂しがってるみたいなの。だから・・・抱っこして、今私にやってくれたみたいに・・・よしよししてあげてね」 少女は眠そうに瞼を擦りながらもそう伝えて部屋を出て行った。どこまでも優しい子だと思った。ぱたんと静かに扉が閉められる。 「寂しがってる、ねえ」 謎の生物の方に視線を戻した。そいつは警戒するように俺を睨んだまま動かない。軽く撫でてみるかと手を伸ばせば ――がぶりっ!! 思いっきり噛み付かれた。針のように細い歯は指に深く食い込んできて思いのほか痛い。 「っー・・・おいお前、寂しがってるなんて嘘だろ!」 噛まれた手を振りながら睨みつける。反抗するように謎の生物も睨んできた。しばし互いに睨みあったあと、俺の方が折れる。 「まあいい。朝まではここで保護してやるから大人しくしてろよ」 きっと昼になれば少女が飼い主を見つけてくるだろう。それまでの辛抱だ。そう結論付けた俺は立ち上がり、ベッドへと移動した。 ――どさっ 今日は色々あって、疲れを感じる暇もなかった。手足をベッドに沈みこませながら息を吐き出す。 「ふう・・・」 体は疲れていても頭が興奮しているせいか、全然寝付けない。しかも、頭にはロワの顔が張り付いて離れないままだ。掻き消すように寝返りを繰り返す。早く眠ってしまいたい。なのに一向に眠気は襲ってこなかった。 ――カリカリ 引っ掻くような音が窓際から聞こえてくる。白饅頭(謎の生物)が爪で窓を引っ掻いてるらしい。 「おい何やってんだ・・・」 騒音被害で俺まで追い出されたら困るぞ。白饅頭を掴み窓際から引き離した。だが、白饅頭は諦めずもう一度窓際に行き、今度はがぶがぶと窓ガラスを噛み付き始める。そのあまりの必死さに俺はなんとなく引っ掛かるものを感じた。 「・・・お前、飼い主を探してるのか?それなら明日になりゃ俺が探してや・・・」 そこで気付く。白饅頭の外見が “んー・・・耳は短いけどつんって伸びてて、まん丸の目で、体は全体的に丸い形をしてて、小さな羽根が生えてて、けっこう長めのふさふさの尻尾があって” ロワの探していた“ルピ”とやらにそっくりだという事に。 「!!!」 遅すぎる気付きに俺は後ずさった。まさか、こんなところにいるなんてと驚かずにはいられない。あれだけ探し回ったのに見つからないないなんておかしいと思っていた。 「そうか・・・ここにいたのか」 ルピは一心不乱に窓を引っ掻き続ける。 「そんなに会いたいのか・・・だが、ロワはもう・・・」 ロワという言葉に反応しより強く窓を引っ掻きだす。ガリガリという不快な音だが、必死さを伝えるには十分すぎるほどだった。 「・・・すまない」 お前の飼い主は俺が殺してしまった。もう助けられない場所まで行ってしまったのだ。 「ごめんな・・・」 誰に対して言ったのかわからない謝罪。それを聞いたルピが何を思ったのか俺の傍に近寄ってくる。 「・・・?」 なんだと顔を上げれば ――がぶっ!!!! 鼻を思いっきり噛まれた。久々に感じる激痛に生理的な涙が溢れる。 「いってー!!!」 急いで奴を引き剥がせば、はふはふと息の荒くなったルピと目が合った。 「ぴぃい!ぷぴー!」 「・・・お前」 ルピは怒っていた。たぶん俺に対してだろう。不甲斐なく、諦めかけた俺に怒っている。 「・・・そうだな」 グラッツに連れ去られていくロワの背中を思い出した。あの時の悔しさを思い出し、奥歯を噛み締める。 「このままじゃ流石に眠れねえよ」 立ち上がり、もう握らないと思っていた“ソレ”へと手を伸ばすのだった。 ===== 「なあ、あいつ本当に噂の殺人鬼なのかよ」 「歌う死神だろ?見えねえよな」 「口塞いじまってるからかな?」 部屋の隅で丸まっていると、見張りの男たちがこちらに視線を送ってくる。僕はそれには気付かぬふりをして目を瞑り続けた。 「・・・」 寝転がっていると、キーンと耳鳴りのような音がしはじめる。一人になるといつもこの音がするのだ。そしてそれは段々大きくなる。僕はこの音が嫌いだった。お前は孤独だと告げられているかのような、ひどく不快な音。 「おい、お前」 見張りの男が声をかけてくる。 「・・・」 「何シカトこいてんだ、舐めてんじゃねえぞ!」 ――ガッ!!! 「んっごほっゲホ!」 腹を蹴られ、痛みと衝撃に咽る。 「あーあ、何やってんだよ、傷がついたらバレるだろ」 蹴った方ではない方の見張りが止めに入ってきた。 「いーだろ別に、どうせ最後は殺すんだし」 「まあそうだけどさあ」 「ただ見張ってるのも暇だろ?ちょっと遊んでやろうぜ」 「くく、本気かよ」 どうやらもう一人も止める気がなくなったようだ。二人して怪しい瞳で僕の方を見てくる。この男達といたら危険だ。本能的に察した僕は、立ち上がり、逃げようとした。けれど手足は倉庫の柱に鎖で繋がれており鎖の長さ以上は移動できない。 (鎖さえなければ・・・) 力いっぱい引っ張るが鉄製の鎖は外れそうになかった。 「なーに余所見してんっの!」 「っぐ!」 背中を蹴られ、地面に倒れこむ。それからすぐに背中を踏みつけられ体重をかけられた。完全に身動きが取れなくなる。 「逃げんなよ。面倒くさい」 「そうそう、あんまり言う事聞かないと、これを使わざるえないんだからさ~?」 ナイフをちらつかせ、脅してくる。 (どうしよう・・・) 手足には鎖が繋がれているし、見張りの二人ともが武器を所持しているとなると脱出はかなり難しい。耳鳴り音がどんどん激しくなってきた。早く、早く逃げろと警鐘のように煩くなる。 「んじゃ、まずどうするよ?」 「服脱がせてみようぜ。俺たち人間とどこが違うのか気にならね?」 「確かに!ほら、死神!聞いてただろ?脱げ!」 武器を向けられ、命令される。けれど僕は恐ろしさで体が硬直してしまい、うまく動けなかった。 「おら!なに固まってんだ!!」 武器の柄で殴られる。痛みで我に帰った僕は、恐る恐る上着を脱ぎ始めた。日焼けしていない白い肌があらわになると見張りの一人がひやかすように口笛を吹いた。 「ひゅー♪白いねえ、女みてえな肌だ」 「顔も綺麗だし、実は女とか?」 興味津々という感じに残りの服も脱がされる。鎖が邪魔で脱がせれないものはナイフで引き裂かれた。衣服を、一つ、また一つと失っていく。まるで心の鎧すらも脱がされていくような激しい羞恥心に襲われた。下着すらも剥ぎ取られそうになり必死に抵抗した。 「っ!んんーっ!」 「うるせえ」 暴れて抵抗すればまた殴られた。今度は眩暈がするほど強かった。口の中に血の味が広がる。 「おーすげえ、ほんとに男なんだな」 見張りの男が最後の布を奪い取り、後ろへ放り捨てた。無残に破られた布がひらひらと舞い布の山にかぶさる。 「顔もいいし体も綺麗だな」 「こりゃ、普通に売った方が儲かるんじゃねえか?」 「だなー物好きによっては賞金よりも高い値をつけそうだ」 にやにやと下心丸出しの視線を向けてくる男達。その視線に、吐き気がした。 (いやだ!見るな!笑うな!触るな!) 脳内がパニックに陥る。呼吸が上手くできない。 ――キーーーン 耳鳴り以外何も聞こえない。男達が何かを言っている。わからない。わからない。 「ボスに報告する前に味見してみねえと・・・」 男は口元をだらしなく緩ませながら、僕の足を掴んだ。そして、無理やり開いてくる。 「っ!!」 「大人しくしていればヨくしてやるよ」 ねっとりと、不快な声で耳元に囁いてきた。内容は頭に入ってこないが、その気持ち悪さにゾゾッと鳥肌が立つ。 (いやだ!) とっさに蹴りつけようとしたがもう一人に阻まれた。 「はーい、いい子にしててな~」 鎖を両足首を束ねるように巻きつけられる。今度こそ完璧に動けなくなった。目の前の男は僕の姿を見下ろしながら下着の隙間から自身を取り出す。それはすでにはち切れそうなほど勃っていた。 「おいおい、どんだけ盛ってんだよ!」 もう一人が笑いながら茶々を入れてくる。だが、背中にあたるこいつのも熱く固くなっているのがわかった。 「っんん~~~!!」 叫ぶ。必死になって助けを呼んだ。だが、口を塞がれている状況で助けを呼んでも・・・届くわけがない。僕を監禁している倉庫は静まり返ったままだ。 「っうう・・・んううっ・・・」 「はは、泣いちゃった、かわいいなあ」 「おい早くしろよ我慢できねえ」 「わーったよ、死神ちゃーんちょっとじっとしててねー」 男が太ももに触れる。それだけで吐きそうだった。 (助けて!助けて!・・・ズ・・・オズさんっ!) 絶望の淵でとある男の顔が浮かんだ。 (オズさんっ・・・) 会ったばかりの男。僕を賞金首として売った男。 (たすけて) 上着をかけてくれた男。一緒にルピを探してくれた男。こんな僕の事を綺麗だと言ってくれた、男。 「っ、オズさんーっ!!!」 声の限り叫んだ。オズさんが助けに来るなんて絶対ありえない事だってわかっているのに口が勝手に動いていた。 「お、おい!猿轡外れてんぞ」 「今つけるって!!」 見張りが僕の大声を聞き慌てている。構わず僕は叫び続けていた。僕を裏切ったあの男の名前を。優しくしてくれた・・・あの男の名前を何度も、何度も。 「オズさんっっ!」 「このっ黙れ!!!」 見張りが拳を振り下ろしてくる。 ――ズバァンッ!!! その時、倉庫の扉が吹き飛んだ。 「?!」 用済みとなった扉は倉庫の壁へと衝突し大きな音を立てる。扉がなくなったことで外の冷たい空気が入ってきた。僕と見張り二人はありえない光景を前にぽかんと口を開ける。 「て、鉄製の扉が吹っ飛んだだと?!」 「ばっ化け物がっ!!」 見張りたちはすぐに僕から離れ、武器を手に取る。そして土煙漂う倉庫入り口にゆっくりと近づいていった。出入り口まであと一歩という所でやっと土煙が晴れる。 ――ジャリッ しかし土煙の先にいたのは 「ぴぃっ」 白くて丸い体をした不思議な生き物だった。 「んだこりゃ!」 「モンスターか??!」 驚く見張りの後ろで僕は叫んでいた。 「ルピ・・・!!?どうしてここにっ」 「ぴぃっるぴぴっ!」 ルピは僕の声を聞いて、嬉しそうに跳ねながら駆け寄ってくる。 「ルピ!よかった、無事だったんだね・・・!」 ほっと安心して涙が溢れてきた。怯えかけていた見張りたちは虚勢を張りつつこちらに向かってくる。 「このっ、馬鹿にしやがって、モンスターもどきがっ」 「殺してやる!」 「や、止めて!この子を殺さないでっ!」 ルピを庇うように抱きしめた。男達の怒号が頭上から降ってくる。 (ああ、僕もここで終わりか) 僕はルピが傍にいてくれるならここで死んでもいい。だけど、この子は、この子は生き延びて欲しい。そう願って抱きしめる力を強めた。 「・・・」 しかし。 「・・・?」 いくら待ってもその時は来なかった。 (え・・・?) 恐る恐る目を開ける。最初に目に入ったのは月夜に照らされる美しい銀髪だった。 「よう、攫いに来たぞ、ロワ」 目の前にオズさんが立っていた。短く切り揃えられた銀色の髪。あごに残る無精髭。男の僕でも見蕩れる鍛えられた四肢。その足元には気を失った見張り二人の姿がある。 「オズさん・・・なの?」 「俺以外にこんな無茶するおっさんいると思うか?」 先ほどと違う点は一つ。手に長剣を持っていることだ。刀身が青白く光る不思議な長剣をオズさんは手にしていた。 「助けて、くれたの?」 「なんだその不服そうな顔は」 「そういうわけじゃ・・・ないんだけど・・・」 信じられないのだ。オズさんが助けに来てくれるなんて思わなかったから。 「俺の名前を呼んでおいてそれはないだろ」 「だって・・・あなたは、オズさんは賞金首ハンターなんでしょ?こんな事したら・・・」 「んー。クビだろうな、普通に」 「そんな・・・なんでそこまでして僕を・・・」 オズさんは一度考え込んでから顔を上げた。その瞳には一切の迷いがなかった。 「わからん」 「・・・ええ?!」 「俺は今まで何度かターゲットを仕留められなかった事がある。その時いつも思うのは“逃がしてやろう”という同情の気持ちだった」 オズさんらしい。彼は見た目よりもずっと優しい。 「だが、ロワ、お前は違う」 「え・・・?」 「お前は“助けたい”と思ったんだ」 「!」 「同情や哀れみじゃなく、ただ単純にこの手で助けたいって思っちまったんだ」 助けたい。オズさんの言葉がじんわりと胸の奥に染み込んでいくようだった。 ――どくん、どくん ショックで冷えきっていた心が、ゆっくりと温度を取り戻していく。耳鳴り音はすでに消えており、オズさんの、低く滑らかな声だけが僕の耳に満ちている。 「だから助ける。誰にも文句は言わせねえ」 「オズ、さん、・・・」 「おいおいおいいいッ!やってくれたな、てめえ!」 突如、叱声が響き渡った。僕より先に気配に気付いていたオズさんが振り向いてその人物を睨みつける。 「首狩りか」 「こんな事して、ただで済むと思ってんのか!ハンターごときがっ!!」 木のように太い斧を手にした首狩りが扉のあった場所に立っていた。奴の背後には大勢の仲間がおり、皆武器を構えている。 「・・・穏便にいきたかったが、まあしょうがねえよな」 オズさんは苦笑いを浮かべ体を解し始める。 「殺すっっ!!」 リーダーの声を聞き、首狩り達が一斉に襲い掛かってきた。それを見たオズさんは振り返って僕に上着をかけてきた。 ――バサッ こうしてもらうのは二度目。一度目は一瞬だったけれど、またこのぬくもりに触れられるなんて。無性に涙が出そうになった。 「いいか、俺から離れるな」 「うん・・・!」 オズさんの背後に身を隠す。と同時に戦闘が始まった。 ――ガッ!ゴンッ!ギィイン!! 剣を弾く音が倉庫に響く。僕はオズさんの邪魔にならないように程ほどの距離を保ちながら後ろで見守り続けた。 (不思議だ) 首狩りたちの人数は30を超えている。なのに負ける気がしない。怖いと感じない。それはきっと、どれだけ怒鳴り声に包まれても顔色一つ変えないオズさんから伝わってくる自信のおかげだ。ただ前を見据えているオズさんの横顔は真剣そのもので、僕と一緒にいる時とは全くの別人だった。 (戦士の顔だ) 今のオズさんからは研ぎ澄まされた刃のような鋭さを感じる。まるで触れるだけで皮膚が切れていくような、そんな鋭さ。 「はあっはあっ、たった一人に、何やってんだ馬鹿野郎!!」 斧を振り回していたリーダーらしき男が、息を荒げながら大きく吠えた。その声を聞いた瞬間、首狩り達は一斉に後ろに引いていく。その統率された動きにオズさんの眉が動いた。 「くるか」 オズさんが小さく呟くと同時に、男の斧が燃え出した。比喩ではなく本当に、物理的に斧が燃えあがる。 「も、燃えた・・・!?!」 「ああ、厄介な事に、奴はサラマンダーの加護を受けてるらしいな」 「さらまんだ?」 僕が聞き返すとオズさんはきょとんと間の抜けた顔になった。そんな事も知らないのかと驚いているようだ。僕は言い訳するようにもごもごと呟いた。 「ええっと、僕、小さい頃からずっと森で暮らしてて・・・何も、知らなくて、」 今まで自分は教育らしい教育を受けずに育ってきた。それでもいいと思ってきたが、今初めて恥ずかしいと思った。 「ごめんなさい・・・」 謝ると、オズさんは頭を横に振った。 「別に責めてる訳じゃねえ。この年までサラマンダーを知らずに生きていけるシルフ王国の平和さに感動していたんだ」 「う、うん・・・?」 (シルフ?サラマンダー?) さっきから何の話をしているんだろう。僕は訳のわからないまま燃える斧に視線を移した。 「あれ燃えているけど、どうして男の人は持っていられるの?」 「“自分だけは熱さを感じない”っていう契約がされているからな。だからもちろん俺やお前があの斧の炎に触れれば火傷するし、近づくだけでも熱い」 「ど、どういう原理なのかはわからないけど、自分だけ熱く感じない炎だなんてずるくない?」 「まあな。精霊の加護を受けるっていうのはそもそも精霊と武器の使用者が契約を結び、使用者からの代価に応じて精霊が力を分け与えてくれるという事だ。大きな代価を差し出せばそれに応じた、人間の力を超えた力を授かる事ができる。ああいう風に炎を纏ったり飛んだり色々な。ま、お前の言うとおりチート武器だ」 「そんなっ・・・そんな武器もっている人に勝てるわけないよ・・・!」 「そのとぉぉおおりぃ!!」 燃え盛る斧を構えながら首狩り男は不敵な笑みを浮かべる。 「火のついたオレ様は誰にも止められねエエエ!」 ――グゴオンッッッ ものすごい轟音と共に男が切り込んできた。燃え盛る炎の斧が空気を裂きながら近づいてくる。 ――ガアンンッ 「ぐっ・・・っ!」 なんとか斧を受け止めたが、オズさんの顔には脂汗が浮かんでいる。 (今まで汗一つかかなかったオズさんが・・・!) 受け止めるので精一杯なのだろう。斧は炎を纏っておりうまく押し返す事ができない。今は何とか受け止めているが、このままではいずれ押し切られる。いや、押し切られるより先に炎による火傷や酸欠で倒れてしまうかもしれない。 (オズさんが危ない・・!) 「いい!ロワは動くな!」 僕が動こうとすると、苦しそうな顔で制止された。 「でもっ・・!」 (僕に、僕に何かできることはないのか?!) 焦って辺りを見回すが、武器になりそうなものなんて落ちていない。あったとしても一度も武器を扱ったことのない僕に炎の斧を相手取れるとは思えない。 「ははははっ!」 斧に体重をかけながら首狩り男が豪快に笑った。 「オレ様の炎の斧を耐えるなんてやるじゃねえかジジイ!!」 「っせえ・・・っ!」 オズさんの腕が炎に焼かれジュウっと音をたてて焼け爛れる。 「オズさん!!」 やっぱり無理だ。必死の形相で僕を守ってくれるこの人をただ見ているだけなんて、できない。 「みんな、力を貸して!」 膝をつき祈りの姿勢をとる。なるべく落ち着いて唱えるよう意識して“彼ら”に語りかけた。いつもは僕から声をかけることは無いしやったこともないけど、きっと応えてくれるはずだ。 「助けて、お願い・・・みんな!」 必死に唱え続けているとオズさんが焦ったように振り返ってきた。 「ロワっ何してる!!」 「おねがい、オズさんを助けて!」 「おい!ロワ!聞いてるのか?!」 「ジジイ!余所見だなんて舐めた真似しやがるじゃねえかぁあ!そんだけ余裕って事か、あああ???」 戸惑うオズさんに対し首狩り男が一歩踏み込んでくる。炎もその分近づき、オズさんの銀色の髪先がチリっと焦げた。その時だった。 ――ふわり 白い光がどこからともなく溢れてくる。草むらの中、倉庫の隅、服の隙間からもその白い光は現れた。歌った時しか姿を現さない“彼ら”が来てくれた。 「みんな!」 ふわふわと漂いながら僕の周りを飛んでいく。 “だいじょうぶ?” そう言われた気がした。頷いて応える。すると“彼ら”は強く輝きながら斧男の方へ飛んでいった。斧男が目を剥いて驚く。 「なんだこりゃ?!し、死神ぃぃっ!何しやがったあああ!」 斧男は自らの周りを飛ぶ白い光に怯え、必死に腕を振り回した。だが白い光は炎で焼けることはなかった。そのままくるくると奴の周りを飛び続ける。 「うわああああ」 男が取り乱したほんの一瞬、斧に込められた力が少しだけ弱まった。炎が収まり、斧の部分が見えてくる。その隙をオズさんが見逃すはずがない。にやりと、無精髭の生えた口元が怪しく動く。 「よくやった!ロワ!」 オズさんはそういって目を瞑った。 (え) てっきり炎のなくなった斧を力ずくで押し返すのかと思ったが、そうではなかった。 (剣に何かを語りかけている・・・?) ひそひそと内緒話でもするかのように、小さく囁いている。 (一体何を) その疑問はすぐに晴れた。 ――グルルルウウウッ オズさんの持つ長剣にどこからともなく現れた大量の水が渦上に巻きついていく。 (これって・・・!) その水は首狩りの斧の炎と同じように実際に存在しているようだった。 “精霊と武器の使用者が契約を結び、使用者からの代価に応じて精霊が力を分け与えてくれる” 先ほどのオズさんの言葉が脳内で木霊する。首狩りの男が口をぽかんと開けながら搾り出すように言う。 「まさ、か、まさかお前もっ」 「その通り」 水を巻きつけた剣は炎をどんどん吸収していき、やがて全てを飲み込んでしまった。 「俺も加護持ちだ、しかも運の良いことにウンディーネのな」 斧はただの平凡な斧に戻っていた。ひやりと首狩り男は汗を浮かべる。 「なっ・・・っこの!いい気になるなよクソジジイ!!」 「はっ、体がでけえだけの若造が俺に勝てると思うなよ!」 ――ズンッッ!! オズさんは軽々と、クマのような男を吹き飛ばしてしまった。 「うわあああぁぁああっ!!!」 「ボス!!うわあー!」 後ろにいた首狩り達が潰されぬよう慌てて逃げだす。 ――ドシャアアッ 「ぐふっ!!!」 地面に落下した衝撃で気絶したのか、男はそれっきり動かなくなった。 「ば、化け物だ・・・」 倉庫の外に逃げていた首狩りたちは恐れるように後ずさっていく。 「あんなの、人間業じゃねえよ」 「に、逃げろっ!殺される!!」 「死にたくねえ!!」 首狩りたちはパニックを起こしたかのように走り去る。それは驚くほどあっという間の出来事で、倉庫は嵐が去ったあとのように静まり返った。 「根性のねえ奴らだ」 「・・・」 「ロワ、お前怪我はねえか?」 「・・・僕は平気」 オズさんが火傷した腕で助け起こそうとしてきたので、僕はそれを頭を振って断った。自力で立ち上がる。 「ごめんね、僕が足を引っ張ったせいで」 きっとオズさん一人なら怪我なんてしなかった。あの人数でも余裕で戦えたはずだ。 「・・・僕、火傷にきく薬草知ってるから、採ってくるよ」 「ロワ」 オズさんに名前を呼ばれるが僕は応えず森に向かった。 ――ガシャン 「あっ」 そこでやっと手足に繋げられた鎖の存在を思い出す。 (そうだった、僕・・・) 鎖を通して、先ほどの恐ろしい記憶が蘇ってくる。殴られ、服を引き裂かれ、見張りたちに襲われそうになったこと・・・全部ぜんぶ思い出す。顔が無意識に引き攣った。 「っ・・・」 「ロワ」 手首を掴まれ、引き止められる。そして ――ぎゅうっ 気付くと、オズさんの力強い腕に抱かれていた。 「え、・・・?お、オズさん!?」 「・・・怖かったか」 オズさんは僕の裸同然の姿を見て同情したのだろう。声が震えている。慌てて上着の前をとめたが、きっともう意味はない。オズさんは僕以上に苦しそうな顔をしていた。 「こ、怖いだなんて・・・そんな事ないよ、服は破かれたけど何もされてないし、それにオズさんが助けにきてくれたし」 「無理しなくていい」 必死に否定する僕を驚くほど優しい声で遮ってきた。体を抱いている方ではない腕で頭を撫でられた。掌からじんわりとオズさんのぬくもりが伝わってくる。 「・・・ここには俺しかいない」 僕の虚勢を見抜いたオズさんは恐ろしいほど優しい声で囁いてきた。こんなの卑怯だ。 (・・・ずるいよ・・) これ程優しく抱かれたのはいつ以来だろう。いや、初めてかもしれない。 (そっか) 街中でよく抱き合うカップルを見かけたけれど、何故皆同じことをするのかわからなかった。でも今日わかった気がする。 (抱かれると・・・安心するんだ) 暖かい気持ちになる。幸せだって思う。怖かったことも・・・消えていくぐらい。 「誰だって同じ事をされたら恐怖を感じる。お前が弱いんじゃない」 「・・・オズさ、ん・・・ううっ、ひっく・・・う・・・っ」 ぽろぽろと涙が溢れた。今まで我慢していた分、濁流のように溢れてくる。 「こわ、かった・・・っ!」 涙と鼻水で汚くなった僕。オズさんはそんな僕を見ても、黙って背中を摩り続けてくれた。 ====== 「オジさん行っちゃうの~?」 「オズワルドさんだって言ってんだろーっが」 目覚まし少女にでこピンをお見舞いしてやる。すると少女はきゃーと可愛く悲鳴をあげて部屋の隅に逃げていった。だが、どれだけ逃げても部屋の外には行こうとしない。こうやって遊べるのも今日で最後だとわかっているからだろう、俺は少女の視線を感じつつも無言のまま支度を完了させた。 「よし」 「オジさん・・・ほんとにほんとに行っちゃうの?」 「そらずっと泊まり続けるのは無理だろ、金が圧倒的に足りねえ」 「じゃあ!じゃあ私の旦那さまになればいいよ!」 「ぶふっ!!」 おもわぬ言葉に吹き出してしまう。 「なんで笑うのー?」 「いやいや・・・お前の夫にこんなおっさんはダメだろ、事件になるって」 「私オジさん好きだよ!」 「はは、そうか。ありがとな」 よしよしと少女の頭を撫でてやる。 「まああれだ。十年経っても気持ちが変わらなかったら考えてやるよ」 「ほんと?」 「ああ、だから美人になるんだぞ、半端な男は寄せ付けねえぐらいのレディになれ」 「うん!ないすばでーの美人になる!だからまた、私達の宿に遊びに来てね!」 「おう、約束する」 約束、と少女と手を繋いでから立ち上がった。 「じゃまたな」 「いってらっしゃい!」 「はは、いってきます」 そういって宿を後にする。思いのほか長居することになったこの宿を離れるのはやはり少し寂しい。何より明日からはあのうるさい目覚ましがないのだ。一週間ぐらいは引き摺りそうだな、と苦笑いする。 「モテモテだね」 「どわあっ」 突然背後から声をかけられ、飛び上がった。慌てて振り向けばマフラーを巻いたロワが立っていた。ロングコートに、斜めがけの鞄を肩からかけている。昨日よりほんの少し重装備だった。 「お前か・・・驚かせんなよ」 「ふふ、背後を狙われるような事してきたの?」 「そりゃまあ数え切れないほど」 「うわー悪い人だ」 くすくすと無邪気に笑う。こうしていると本当にただの青年にしか見えない。 「オズさん、出発するんだね」 「ああ。もうここにいる理由はねえしな」 “歌う死神”は首狩りに捕らえられたがすぐに脱走し、今は行方知れず・・・という事に表向きはなっている。首狩りたちは昨晩の内に撤退していたしグラッツも次の引き受けのため移動した。俺もそれに続いてまた旅に出る予定だ。たとえまだ“歌う死神”が村にいたとしても今の俺には関係のない事だ。 「歌う死神は俺には難易度が高すぎた。情けない話だが、別のターゲットに乗り換えさせてもらう」 「ふーん」 ロワは口を尖らしてつまらなそうな顔をする。 「なんだよ、その顔」 「・・・別に」 ぷいっと顔をそらされた。誤魔化されると余計気になる。ロワの肩を掴み正面から顔を覗き込んだ。 「言えよ。もやもやする」 「・・・」 「おい、ロワ」 名前で呼んでやると、少しだけ瞳が輝く。ロワの小さな唇が開いた。 「・・・もう追いかけてくれないの?」 「!」 上目遣いで尋ねられる。瞳は濡れて潤んでいた。 (こいつ、ガキの癖にっ) こんな男殺しの技いつ習得したんだ。不安そうに見つめてくるロワは今にも抱きしめてやりたいほど可愛かった。 (いやいや落ち着け、俺のタイプは巨乳美人だ) 荒ぶる本能に必死に言い聞かせる。 「オズさん・・・」 一歩前に出たロワが、うるうると黒い瞳を濡らして見つめてきた。 (巨乳で、エロい、美人・・・) ロワの瞳を見つめている内に、自分の理性の声がどんどん小さくなっていくのがわかる。やばい。これはやばい。こんな子供相手に何を考えている。どう考えても10以上離れた子供に、そんな。 「オズさん・・・」 「やめろっ俺は女が好きなんだっ!」 「・・・僕ね、言ってなかったことがあるんだ。僕のもう一つの名前。母さんと約束した、大事な人にしか伝えちゃいけない名前でオズさんと改めて自己紹介したいんだ」 「もう一つの名前・・・」 ロワは毛糸の手袋を外してから手を差し出してきた。 「僕はロア・ナリタリア。19歳。好きなものはルピと焼きたてのパン」 「・・・ロア?」 「うん、ロワは本名じゃないんだ。まあ、ほとんど音は一緒なんだけどね。はい、今度はオズさんの番。」 握手を求めるように手を振ってくる。 「・・・っと、あー。オズワルド・ウォードリー。33。」 ロワの手を握った。少しでも力を入れたら折れてしまいそうな細い手だった。 「よろしくね、オズワルドさん」 「ああ・・・ったく、なんか照れるな、この空気」 「そうかな?ふふ、そうかも・・・でも、そっか。オズさん33歳か~」 「なんだよ文句でもあるのか」 「ううん。自分の事おじさんって言うからてっきり40前なのかと」 「失礼な!これでもモテるんだぞ俺は!」 「・・・知ってるよ」 ロワは口を尖らして、大層つまらなさそうに言った。おいなんでそこでお前が拗ねるんだ。 「ところでオズさん」 「あ?」 「僕を首狩りの人たちに売った事忘れてないよね?」 ギクリと体が固まる。 「あ、あれはだな・・・」 「いいよ。怒ってないから」 にこにこと、真っ黒の笑顔でいわれても全く説得力がない。俺は後退りたいのを必死に堪えてロワの言葉を待った。どんな暴言や責め苦でも黙って聞こうと覚悟する。 「それでお金はどうしたの?」 「お金?」 「僕と引き換えにもらってたやつ」 「ああ、あれはちゃんとグラッツに返却した」 「ふーん。律儀だね」 「死神は捕まえられていないし妥当だろう・・・てかなんだ、俺を責めるためにわざわざやってきたのか」 謝ってほしいのならいくらでもするし、謝罪金も少しなら渡せるが、どうやらロワの求めているものは違うようだった。「違うよ」とロワは清々しいほどはっきりと否定した。 「僕これから隣町まで行く予定なんだ。それでね、道中の護衛を探しててね」 そういってにっこりと笑う。 「オズさんなら申し分ないかな~って」 「なっ・・・!まさかロワ、俺と来る気か?!」 「えへへ」 無邪気に笑った後、手を差し出してきた。 「これからよろしくね、オズワルドさん!」 「っ・・・」 ぽかーんと大きく口を開けているせいで、顎が外れそうだった。 (こいつと旅だって??) 俺とロワの関係は一応世間では“賞金首”と“ハンター”であり、本当は相容れぬ関係なのだ。なのにロワに冗談を言っているような様子はなかった。あくまで本気なのだ。本気で俺と旅したいと思っている。 (賞金首と旅なんて・・・) ありえない。普通に考えたら絶対にありえないことだ。しかし。 「あーもう!わーったよ、守ってやる!」 それも楽しそうだな、なんて思ってしまうほど、すでに俺は“歌う死神”に毒されていたようだった。 end

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