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第2話「歩く巨人」後編

――ザバアアアアッ! 外に出た途端、一気に服に水が染みこんできて重くなる。水の中を歩いてるんじゃないのかってぐらいの雨量だ。 「ったく、シャワーいらずで結構なことだ」 文句を言いつつも勘で街の方角を探り暗い森を突き進んでいく。時々モンスターに襲われ、その度にロワを背負ったまま倒していった。直に靴は泥に塗れ、足場も水溜りばかりでただ歩くだけでも体力が削られていくようになる。 「ハア、ハアっ」 行きのときは苦労しなかった道が、こんなにも苦しい。背中の重みも今ではずっしりと重く感じて。 「ハア、はあ、っくそ!」 弱気になりかけた自分の足を剣で叩く。そしてまた一歩、一歩と進んだ。やがて、苦しい道のりも終わり、街まであと少しという所まで迫った。そこで唐突に雨が止む。 「はあはあっなんだ・・・?」 雨雲は消えていない。そもそも目の前の道にはまだ雨が降っている。どういうことだ。 (局所的に雨がやんだ?) そんなわけない。焦って上を見れば、 ――オオオオオ・・・!! 樹木を何本も束ねたかのような、巨大な化け物が俺達を見下ろしていた。瞬時に察する。こいつが“歩く巨人”だと。 ――ズオオオッ! 巨人がこちらに手を伸ばしてきた。体を翻し、なんとか避ける。 (こいつ・・・!) 止まっていればただの大木と見間違えてしまうが、幹の部分に顔らしきものがあり瞳の部分が怪しく光っている。これはただの木じゃない、人を狙って襲う木の化け物、トロールだ。急いで距離をとろうとするが、少し離れた程度では奴の攻撃範囲外にでる事は叶わないと悟る。 「くそっ!」 なら戦うしかない。背負っていたロワを近くの木にもたれさせて、急いで離れた。長剣を手にして、トロールの直径3m以上も太さのある足を切りつける。 ――ザクッ!! 木の破片が辺りに舞い散る。剣が埋まるほどの深い傷はできたが、奴の大きさからすれば大した傷ではないのだろう。思ったとおり巨人の顔色は特に変わらなかった。ただこちらを睨むだけ。 (それでいい) ロワから意識を外す事さえできればいいんだ。巨人は完全に俺の事を敵と認識したらしい。本来木にはないはずの牙を剥きながら踏み潰そうとしてくる。それを見た俺は、再び森の中を駆け抜けた。巨人が体を横に揺らしながら追いかけてくる。思ったとおり奴の足は遅かった。一歩一歩はでかいが、やはり元は木なのだと察する。 「はは、ノロマめ」 俺の記憶が正しければ、このまま真っ直ぐ進んだ先に滝つぼがあるはずだ。いくら巨人でも滝に突っ込めばすぐに動きだすことはできまい。 「今ここでお前を倒してやりたいのは山々なんだが、熱出して寝てるガキがいるんでね」 また今度相手してやるよと呟くと、前方に目的の滝つぼが見えてくる。 「よし、このまま落としてやる!」 あと少しで滝つぼにたどり着くという所で、 「お前はあっ!!!」 横から声が聞こえてきた。慌ててそちらに視線を移せば英雄気取りのフンガスが森の中に立っていた。 「フンガス!どうしてお前がここに!?」 「俺は見回り中だっ!!お前の方こそこんな森の中で何をして・・・」 フンガスの言葉は、俺の背後に迫る巨人を見た瞬間途切れるのだった。 ――オオオアアアアア! 「ひいいい!」 巨人の咆哮に圧倒され、フンガスは腰を抜かしてしまう。 「っばか!何してんだ!立て!」 「あ、あああ、ああ・・・」 縫い付けられたように巨人から目を離せないでいるフンガス。俺は奴を立たせようと手を伸ばした。 「おい!フンガス!」 「っば、馬鹿にするな!!」 「っおい、待てコラ!」 フンガスは弾かれたように立ち上がり、そしてあろうことか巨人の方へ突き進んでいく。まさかと思ったが、どうやら巨人を倒す気のようだ。 「やめろフンガス!」 「俺は、俺は・・・街に害する存在をっ全て倒すんだああああ!」 「馬鹿野郎!!お前の手に負えるモンスターじゃない!・・・ああもうっ聞こえてないなアイツ!!」 急いで追いかけた。これでは滝つぼに落とすどころじゃない。下手に刺激して巨人がロワのいる方に戻られても困る。 (くそっ・・・フンガスには一度気絶してもらうしかないか) そう狙いをつけたときだった。 ――オオオオオッッ!! 巨人がフンガスに手を伸ばした。複数の蔦で形作られた手はフンガスの体を易々と持ち上げてしまう。 「うわあああ?!!」 「フンガス!」 そして巨人は何を思ったのか、フンガスを持ち上げ、自らの口元に運んでいった。 (まさか食うつもりか?!) トロール種は人を襲う事はあっても、捕食はしないはず。そう思ったが、情報が間違っていた可能性もある。すぐに次の行動にでた。身近にあった木に飛び乗り、そのまま木から巨人へと飛び移る。 「ったく、久しぶりだな!木登りなんて・・!」 雨で滑りやすくなった幹部分を一気にのぼり、巨人の顔部分がある場所までいく。すでにフンガスの体は巨人の口の中に半分ほど埋まってしまっていた。 「おら!手を伸ばせ!」 フンガスに手を伸ばす。だがフンガスは俺には目もくれず巨人の口の中、喉の奥を睨んでいた。 「まさか、お前っ」 「俺は!俺は化け物なんかに負けねえっっ!!!」 ――グサッッ!! 巨人の喉に、フンガスの剣が深々と突き刺さる。途端、地面を轟かせるような咆哮が森に響いた。 ――グオオオアアアア!! 叫ぶと同時に巨人はフンガスを吐き出し、俺もその衝撃で吹き飛ばされた。 「っぐあっ!!」 「わああーーっ!」 高い位置から受身も取れぬまま落下し、グシャリと何本か骨の折れる音が聞こえた。 (しまった・・・) 隣では草むらの中で目を回しているフンガスがいる。草むらがクッションになったおかげで俺よりは軽傷ですんでいるがやはりすぐには動けそうになかった。 (っ・・・このままじゃやばいな・・・) 自分達の状況もそうだが、何よりロワが心配だった。森の中に放置したロワはいつモンスターに襲われてもおかしくない。 (くそっ) 本当はすぐにでもロワの元に行きたい。だが巨人を始末しない限りロワを街に連れて行くことはできないだろう。フンガスも見捨てるわけにはいかない。 「なら、やることは一つだな、っ・・・」 剣を支えにしながら立ち上がった。信じられないものでも見るように、フンガスがこちらを見てくる。 「な、なんで、立てるんだ・・・あんた・・・、俺よりもボロボロなのに・・・っ」 それを無視して、最後の綱である長剣を掲げた。 「・・・これでお前に頼るのは何度目かな」 そう語りかけ、目を瞑る。深呼吸を繰り返して精神を落ち着かせた。ドシン、ドシンと巨人が迫ってくる音が聞こえる。その度に心臓が早鐘を打った。逃げろ、走れと本能を叫んでいる。だが、目は開けず、ひたすら剣に集中した。 ――スッ すると何かがハマる音がして “私を呼ぶのは誰?” 耳元で、鈴の鳴るような、可愛らしい少女の声が聞こえてくる。 「よう、久しぶりだな」 “また戦い?本当に好きね” 「ああ、お前の出番だ。力を貸してくれ」 “じゃあアレをちょうだい” 「わかってる、今回の分はこれだ」 そういって短く剣に囁きかけた。 “・・・確かに受け取ったわ” 少女はそういうと剣に息を吹きかけてきた。するとどこからともなく大量の水が現れ剣に巻きついていく。数秒も経たぬままに光輝く水の剣ができあがった。 「今回はこれだけじゃねえぜ」 地面に剣を突き刺した。ぐぐっと水が地面に吸い込んでいくと同時に、森の地面が大きくひび割れていく。 ――ビシビシッ 割れ目が震えたと思えば、そこから、大量の水が溢れてきた。土砂降りの雨のおかげで水量が契約量より多くなっている。好都合だ。 ――ドバアアあっ! 水の柱はとぐろを巻きながら上へ上へと伸びていく。そして巨人の身長に迫るほどの高さになると、 「そおおらっ!!」 手を振り、水の柱に指示を与えた。ウンディーネの加護を混じらせた水は俺の命令に忠実に従い、巨人の体を動けぬよう器用に縛り付けていく。 ――オオアアアオオオオオ! 最後の抵抗のように巨人が手を振り回した。それすらも水の柱で束ねていく。足を束ね、左手、右手と順番に拘束していく。あとは顔部分のみだった。 ――グウウウウアアッ!!! しかし、あと一歩の所で水の柱から巨人が渾身の力で暴れて抜け出してしまった。勝ち誇ったように巨人が吠える。 「もう、もうだめだ・・・!!」 フンガスの絶望の声が森に響いた。その瞬間だった。チカッと何かの光が一筋巨人の目に入る。巨人はのろのろと顔を上げて、やっとその存在に気付いた。背後にもう一つ水柱があったことに、そして、その水柱の上に 「どおおおらあッッ!」 剣を振りかぶっているオズワルドの姿があったことに。 ――ブンッ!!! 渾身の一撃が巨人の顔部分、硬い幹の中へと叩き込まれる。 ――グオオオオオオンンッ!! 流石に顔部分は脆いのか、巨人が痛みに悲鳴をあげた。その咆哮でまた体が吹き飛ばされるが、今度は地面に叩きつけられる寸前に水の柱で受け止められどうにか内臓破裂は免れた。ほっと息を吐き出す。 「・・・ハア、ハア、これでどーだ・・デカブツめ・・」 巨人が森を下敷きにしながら倒れこんだ。物凄い音をたてて薙ぎ倒されていく木々たち。地面を揺らすほどの振動だったが、それっきり巨人は完全に動きを止めた。どうやら倒せたらしい。それを見た俺は緊張の糸が切れ、地面に膝をついてしまう。 「ハッハッ、なんて、様だ・・・っハア、っ」 脇腹を押さえ、顔をしかめる。久しぶりにこんなに追い込まれる戦いをした。体中ボロボロでどこが痛いのかもよくわからない。 (だが) それよりも気になる事があった。 「ハア、ハアっ・・ロワっ・・・!」 俺は突き動かされるように走り出した。急げ、急げと脳が急かしてくる。どうしてこんなに焦るのかわからなかった。 「無事でいてくれッ、ロワ・・・!」 どうしようもなく怖かった。ロワが死んでしまっていないかと、不安で不安で気が気じゃなかった。巨人に襲われたときでもこれ程の恐怖は感じなかったはずだ。 “・・・おいてかないで・・・オズさん・・・” 脳裏に、熱でうなされたロワの泣き顔が浮かぶ。 (そうか、俺は・・・) 「ハアっハアっ」 足がもつれそうになりながらも走り続けて、やっと見慣れた道に戻ってくる。 「っげほっごほっ・・・ハアッ、ハアっ・・・あ、・・・」 森が開けて一気に視界が明るくなった。 「!」 視界の先に、傷一つない姿で眠るロワが見えた。瞬間、胸が熱くなる。 「・・・よ、かった・・・」 崩れ落ちるのを必死に堪え、ロワの元へ駆け寄った。額に手をあてる。熱いが、悪化した感じはしなかった。 (よかった、ロワ・・・) 無意識にロワの体を抱きしめていた。 「ん・・・?あれ・・・オズさ、ん・・・すごい、顔、だよ・・・」 目を開けたロワが、ぼんやりとした瞳で俺を捉える。 「あは、は・・・オズさん、ぼろぼろ・・・」 「っ、うるせえ!」 力なく笑うロワを抱き寄せた。その細い体を折れるほど強く抱きしめる。 「苦しい、よ・・・ふふ・・・あれ?」 ロワがふと言葉を途切らせた。 「あんたら!!今すぐ逃げろ!!!」 と同時に誰かの叫び声が聞こえてくる。フンガスの声だと認識するより先に振り返っていた。 ――ゴオオアアアア!! 巨人が俺たちに向けて拳を振り下ろしていた。巨人は傷を負って目を血走らせており、化け物そのものだった。巨人の動きは恐ろしいほど早いのに、まるでスローモーションのようにコマ送りに見える。 (走馬灯というやつか・・・?) とっさに剣を構えたが、今の体であの攻撃を受け止めきれるか正直わからなかった。 「オズさん!」 だが引けない。何故なら後ろにロワがいる。熱でうまく動けないロワは巨人の攻撃を避けられない。 「ダメだよ!オズさんッ!」 俺に逃げる気がないとわかったロワは悲鳴をあげるように叫んだ。 (はは・・・叫んでも綺麗だな、お前の声は) 体はボロボロだが、頭は清々しい程スッキリしていた。剣に迷いもない。 (33年色々あったがお前を守って死ねるなら中々いい人生だったかもしれない) これが最後だとしても悔いはない、そう思えた。 「逃げてッオズさんッッ!!」 なんたってロワの声を聞きながら死ねるのだから。 ――ゴアアアアアッッ!! 巨人の拳が迫ってきて、拳が剣と衝突するその時。 ――ピタッ 突然、巨人が動きを止めた。 「っ・・・?!」 驚く間もなく巨人が掌を返してきた。掌の中には、埋め尽くすようにたくさんの薬草が生えている。 「ハア、はあ、これは一体・・」 どういうことだと瞬きを繰り返した。巨人は俺達に手を差し伸べたまま動きを止めている。襲ってくる気配は全くなかった。 「まさか・・・」 巨人の視線の先を見た。 「・・・ぼ、僕?」 そこには熱で顔を真っ赤にしたロワが座っていて、俺と同じぐらい驚いた顔をしている。 「この巨人さん、もしかして・・・僕に、薬草を・・・くれようとしてるの・・・?」 ありえないと言い返したいところだったが、状況的にそうとしか思えない。巨人は俺らの戸惑いなど気にも留めずただただ薬草を差し出してくる。俺より先に我に返ったロワが、よろよろと立ち上がった。 「これを届けにきてくれたの?」 ロワの問いかけに巨人は応えない。ただ瞳を見つめてくるだけ。だがロワには何かが伝わったようで一人頷いていた。 「そっか・・・僕のために、」 そういって巨人の掌から薬草を一つ摘み取る。 「これは解熱に使える薬草だよね・・・ありがとう、すごく、助かったよ」 感謝の言葉と共に、ロワは優しく微笑んだ。 ――オオオオッ 巨人はロワに応えるように小さく吠えた。それからゆっくりと手を引き、立ち上がる。どうやら森に帰るようだ。ロワは慌てたように巨人の背中に声をかけた。 「あのっ巨人さん!すごく助かったけど!でも!もう人間に見つかるような場所に来ちゃだめだよ~~!」 ちゃんと届いたのかはわからなかったが直に巨人の姿は見えなくなった。戻ってくる様子はない。 「・・・行ったか」 「みたいだね」 ロワは薬草を握り締めながら俺の方に向き直った。その表情はとても硬い。 「ロワ?」 「・・・なんであんな事したの」 「何の話だ?」 「僕を庇って死のうとしたでしょ」 「!」 見抜かれていたらしい。ロワは本当に、こういうところで勘が鋭いから困る(二度目)。俺は頭をかきながらぼそぼそと言い訳した。 「それはその、巨人から、守りたい一心で、つい・・・」 「あんなでかい拳、オズさん程度の体じゃ受け止めきれないってすぐにわかるでしょ?!しかも今はそんな大怪我してるんだよ!」 真っ赤な顔をより赤くして怒鳴ってくる。ロワがこんなに怒る姿は初めて見た。あまりの事に二の句が継げない。 「あの状況でも、僕を置いて逃げればオズさんだけは助かったはずだよ!なんでそうしなかったの?!」 「っ・・・」 「もし自分が逆の立場だったらどう思うか、考えてみてよ・・・っ自分のせいで、大切な人まで死んじゃうなんて、っ・・・」 ぐすぐすと鼻をつまらせて、やがて座り込んでしまう。そんなロワの肩にゆっくりと手を伸ばした。細くてまだ成長しきってない体を抱きしめる。 「悪かった・・・」 「ぜったい、許さない」 「すまん・・・」 「・・・もう二度としないで、心臓が、止まると思ったんだから・・・っ」 「すまなかった・・・すまなかった、ロワ」 何度も謝った。頼むから泣かないでくれと囁きながらロワの背中を摩る。 「ううっオズさんのばかばかばかばか!」 「悪かった・・・俺が全部悪かったから・・・」 「おじさん!!ハゲ!!!」 「ハゲ・・・てはねえだろ・・・多分」 (しかもどさくさに紛れておじさんって呼んだなコイツ) だが、今回ばかりは指摘する気にはならなかった。その程度で気が晴れるのなら好きなだけ言わせてやる。 「はあ・・・」 ロワを抱きしめながら背後の木に寄りかかる。いつの間にか空から雨雲は消えており、数え切れないほどの星がキラキラと瞬いていた。空を眺めていると、ぐすっと鼻をすする音が聞こえてくる。 「寒いか」 「ううん・・・オズさんの体とくっついてるから平気」 すりすりと頭をこすり付けてくるロワ。 (お前は猫か) とかいいつつ満更でもない俺はより強くロワの体を抱きしめるのだった。すっぽりと俺の腕の中に納まったロワは安心したのか目を瞑ってもたれかかってくる。 「はあ・・・ったく、体中痛いし、ターゲットには逃げられるしでほんっと最悪だったな今回の狩りは・・・」 「オズさん・・・」 「だがまあ」 そこで言葉を一旦切り、ロワに微笑みかける。 「今日はいい日だったな」 「・・・被虐趣味なの?」 「ちげーよ」 哀れむように見てくるロワの頬を抓ってやる。 (俺のために泣いてくれる奴がいたからだよ、ばーか) そう心の中で呟き、照れ隠しも込めてかなり強めに撫でてやる。ロワはくしゃくしゃになった頭を抑えながら睨んできた。 「もー!僕までハゲさせる気?!」 「俺だってハゲてねえよっ」 ターゲットには逃げられたが気分はそれ程悪くなかった。 「ふふ、まさか僕よりも入院期間が長くなるとはね~」 ロワがリンゴ皮を剥きながら笑っている。 「うるせえ・・」 俺はあの巨人事件から一週間経った今でも病院に監禁されていた。複数箇所の骨折、打撲etc。おかげでロワを病院に送り届けた瞬間俺もぶっ倒れ、それ以降数日は寝たきりだった。 「病院は金がかかる・・・早く脱出しねえと・・・」 「あはは、僕の目が黒いうちは逃がさないよ」 果物ナイフを突きつけられ顔が引き攣る。 「冗談なのか本音なのかわかりにくいジョークはやめろ、怖いから」 「だってそれ以上無理したら死んじゃうもん」 「もんってなあ・・・」 はあ、とため息をついた。今俺が入院している病院は街で一番でかくて、それはそれは優秀な病院のはずだ。怪我の治りは良いがその分高額の金を搾り取られそうで内心戦々恐々としている。 「ったく、次は金になるターゲットにしねえとな・・・」 「!」 ぼそりと呟けばロワが顔を上げた。その顔には今までの明るさは消えていて、やけに暗い。まるで身内の不幸でもあったかのようなその表情に疑問を覚え尋ねる。 「ロワ?」 「・・・」 ただ黙って頭を横に振られた。そこでやっと思い出す。俺達はこの街で別れる事になっていた。忘れかけていたが、巨人との戦いを一区切りさせた俺たちはそろそろ別れ話をしなくてはいけないのだ。 「・・・」 だが俺も、何と声をかけたらいいかわからなくて、結局黙り込んでしまう。ロワは口を閉じたまま微動だにしない。重苦しい沈黙が俺達を包んだ。 “そんなに寂しいなら一緒に旅したらいいじゃない” ふと病室に鈴の鳴るような可愛らしい少女の声が響き渡った。 「え?え??」 ロワが慌てて部屋の中を見回す。だが声の主は見つからない。それもそうだろう。俺は壁に立て掛けてあった長剣に手を伸ばした。 「よう、ウンディーネ。自分から話しかけてくるなんて珍しいじゃないか」 剣は白く光った後、再び喋り始める。そう、少女の声はこの剣から聞こえているのだ。ロワがきょとんと驚いた顔をしたまま停止している。 「まさか、俺を心配してくれたのか?」 “寝言は寝て言いなさい人間風情が!” 「ははは」 いつも通りの様子に笑っていると、ロワが服の袖を引っ張ってきた。 「オズさん、オズさん」 「ん?ああ悪い、説明してなかったな。こいつが例の、ウンディーネだ」 「水の精霊の??」 「そうそう。つっても本体じゃないからあんまり実感わかないだろうがな」 剣を掲げてやりながら説明する。ロワは半信半疑という感じで剣を見つめていた。 「この剣に精霊が宿ってるの?」 「んーそこを説明すると長くなるんだが・・・ずっと遠くにいるウンディーネが加護の込められた“剣”を通して自分の声を届けてるって感じだ」 「へえ・・・」 わかったようなわかってないような微妙な顔をするロワ。まあ説明をはしょりすぎた感はあるが一気に説明しても頭が追いつかないだろう。詳しくはまた後々説明すればいい。 (・・・って、後々なんてないのに何いってんだか) 自分の抜けっぷりに呆れる。 “そうよ。精霊一美しいと言われている私、ウンディーネの声を聞けるなんて奇跡なのよ。泣いて感謝しなさい、人間” ウンディーネが偉そうに言った(まあ実際すごい存在なんだが)。姿は見えないがきっと本体の方は大きく胸を反らしているはずだ。 「うん、僕・・・すごく嬉しいよ!一度精霊と話がしてみたかったんだ!」 ロワが素直に頷く。キラキラと目を輝かせながら。 “っそ、そう・・・” 流石のウンディーネもロワの素直さに面食らったようで珍しく声を震わせていた。彼女が戸惑うなんて珍しいものをみたなとほくそ笑む。 “ま、まあいいわ、あなたが例の子ね。初めまして” 「初めまして。僕はロワ。ねえ、例のって?」 “オズワルドからあなたの事は色々と聞いてるの” 「?」 「おい!」 すかさずロワから剣を遠ざけた。そしてロワに聞こえぬよう小声で剣に囁く。 「ウンディーネ!変なこと吹き込むなよ」 “変なことって何よ。変なことしてんのはあんたでしょ” 「うぐ・・・」 言い返せず低く唸る。 「ねえオズさん、何のこと?」 「あー、いや、えーっと・・・」 “私が説明してあげるわ” 「おいこら!てめえ!」 とっさに止めようとしたが、ここにいないウンディーネをどうやって止めるというのだ。声は剣の中から聞こえてくる。その声をロワに聞かせなくするなんて、剣そのものを窓の外から放り投げるしか方法はない。俺はすぐに諦めて頭を抱えるのだった。いくらなんでも“内容”までは開示しないはずだと信じて。 “私とオズワルドはね、契約を結んでるの。私の力を貸す代わりにオズワルドの大事な“秘密”を聞かせてもらうの” 「秘密?」 “そう、誰にも言っていない秘密を、ね” くすりと笑う。 “ロワ、あなたとのお近づきの印に、一つだけ、オズワルドの秘密を教えてあげる” 「え、ほんと!?」 「ウンディーネ!!!」 ここまでくると流石に黙っていられなかった。今まで俺は何度も、それはそれは恥ずかしい秘密をウンディーネに暴露してきたのだ。それを聞かれるのはなるべく、というか絶対避けたかった。 「話が違うぞウンディーネ!俺との契約を破る気か!?」 “別に私が秘密を話しちゃいけないなんて契約にはなかったと思うけど?” 「誰にも言ってない秘密だから価値が生まれるって自分で言ってただろうが!お前以外にばれたら意味ねえだろ!」 “それもそうね・・・じゃあロワ、秘密にできる?” そういう事じゃねえよ!と突っ込もうとしたが 「できる!」 こくこくと何度も頷くロワの顔があまりにも嬉しそうで、俺は口を噤んでしまった。先ほどまでの、死人のような顔が消えたのは何よりも嬉しい。またあんな顔をさせるぐらいなら、俺が恥をかく方が何倍もマシだと思った。 (くそっ・・・ここは、腹をくくるしかない、か) 冷や汗を流しながら必死に祈る。せめてロワと関係のない秘密でありますようにと。だが、俺の祈りが天に届くことはなかった。 “オズワルドはね、” ウンディーネはそれはそれは楽しそうに暴露していく。俺には聞こえぬようひそひそと耳打ちする所がまたいやらしいと思った。ハラハラしながらロワの反応を待つ。 「・・・う、嘘だ」 ロワが顔を真っ赤にして俺の方を見てくる。 「・・・僕、夢だと、思って・・・」 “違うわ、あなたが酔っ払ってるのをいい事に、オズワルドは好き勝手したのよ” 「そんな・・・」 「お、おい、何の話だ??俺は何もしてないぞ!」 慌てて否定した。何のことだか知らないがとりあえず否定するしかなかった。俺の慌てる姿に余計ショックを受けたのか、ロワが顔を伏せてしまう。 「ろ、ロワ・・・?」 「オズさん・・・僕が酔っ払ったあの日、あの日僕ら・・・寝たの・・・?」 青白い顔で尋ねてきた。 (!!) サーっと血の気が引くようだった。もちろん手は出していない。出していないが、気を失う寸前にキスはした。 (一応意識がある内にしたが・・・ほぼ無理やりだったし・・・) 完全に否定できない分、罪悪感がやばかった。 「ロワ、聞いてくれ・・・」 「酔っ払った僕に、・・・そんな人だったなんて・・・」 「聞けって!俺はキス以外何もしてない!本当だ!」 「・・・キスはしたんだ」 「あ」 自ら墓穴を掘ったようだ。ウンディーネが横でくすくすと笑っている。 「・・・すみませんでした」 ここまでくるともう言い逃れはできないだろう。素直に謝った。 「ほんの出来心で、下心はなかったんだ。やった事はキスだけだ。舌も入れてない。」 頭を下げて再度謝ると、ロワが大きく息を吐いた。 「・・・僕、キス、初めてだったのに」 「!!」 「まさか、こんなおじさんに奪われるなんて」 「!!!」 頭が上がらない。まさか初めてとは思ってなかった。ロワは美人だし性格もいい。 (てっきりもう誰かに奪われているものだと・・・) それを知りまた喜びかけてしまう自分に呆れかえる。本当に俺はどうしようもない男だと思った。次の街ではどの店より先に娼館を探した方がいいかもしれない。これ以上ロワに暴走する前に。 「オズさん」 ふと、ロワが屈んできた。殴られると思った俺は軽く身構える。 ――ちゅっ 「?!」 しかし頬に触れたのは思っていたよりもずっと柔らかい感触だった。そしてそれはすぐに離れていく。 「・・・責任とって、次の街まで護衛してね」 「!」 俺は耳まで真っ赤になりながらロワに詰め寄った。 「お、おい、今のっ」 「お返し」 べーっと舌を出して笑うロワ。その顔には一切怒ってる様子がなく、俺はホッと撫で下ろすのだった。だが、安心すると同時にからかわれたという事にも気付く。 「このっ・・・ガキが大人をからかうんじゃねえ!」 「あはは、こわ~い」 「待て!」 ロワが俺から逃げるように部屋から出て行く。 その後ろ姿はとても楽しそうで、追いつきたくないと思うほどだった。 end

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