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Act.1 週末同棲

『ごめん、ちょっとバイトが忙しくて帰るの遅くなりそうなんだ』  申し訳なさそうなメッセージが飛んできたのは、金曜日の夜のこと。いつものように颯真の家を訪ねてきて、食事の用意をしていたところだった。 『大丈夫だよ。ご飯作って待ってるね』  がんばってね、と追加で送ったメッセージが既読にならなかった所を見ると、短い休憩の間にとにかく遅くなることだけでも伝えようとしてくれたのだろうと容易に想像できて、いつもながらの律儀さにほっこりと笑う。  週末に颯真の家に来るのは前から変わらないけど、少し前から最小限の手荷物だけで訪れるようになった。 『荷物……』 『ん?』 『毎回持ってくるの、面倒じゃない?』 『へ?』 『その……タンス、スペースまだ余ってるから……置いてったらどうかなって……。洗濯は、オレがやっとくし』 『……ぇと……それって、オレが全面的に甘えるだけになっちゃうけど、いいの?』 『いいよ』  真面目な顔して頷いた颯真に、じゃあよろしくと頭を下げた。素直に甘えたオレにホッとしたみたいに笑った颯真はくしゃっとした照れ臭そうな顔で笑った後で、『週末同棲ってこんな感じかな』なんて呟いてオレを真っ赤にさせたけど。颯真も同じくらい真っ赤になっていたから、なんだかお互い楽しくなって笑ってしまったのを覚えている。  だけど確かに、実際こうして荷物を持たずにやって来て晩ご飯を作って待ってるなんて、やっぱり同棲とか新婚生活とかそんな言葉が頭をよぎるから照れくさい。ましてや、つい最近のことのように思えてもう一ヶ月ほど前のことになるけれど、面と向かってプロポーズもされているから余計に。  そんなことをつらつらと思い出してキッチンで一人顔を熱くしたら、熱々の頬に手でパタパタと風を送って冷ましながら幸せに笑う。 「----よし、もうちょっと」  疲れて帰ってくるだろう颯真が少しでも元気になれるようにと、気合いを入れ直して食事の用意に戻った。  *****  泥みたいに疲れた体を引きずって帰ったら、とびっきりの笑顔と美味しい匂いで出迎えてくれた司に、ほんの少し泣きそうになった。  あぁ幸せモノだなぁ、なんて思いながらわしわしご飯を掻き込んで、喉に詰める勢いでおかずを食べる。  オレの食べっぷりにびっくりしながら嬉しそうに笑う司が愛しくて、思わず伸ばした手で頭を撫でた。 「ありがとね、めちゃくちゃ美味しい」 「よかった」 「今日ちょっと昼食べ損なって」  だから余計に美味しい。  何気なくそう呟いたら、え? と驚いて顔を上げた司が痛そうな顔をする。 「ダメじゃん食べなきゃ」 「うん。そうなんだけど……ちょっと忙しくて」 「忙しいって……。……そういえば、最近ずっと忙しいって言ってる気がする……」 「ぇ? そう?」  じっと哀しそうに心配する目に見つめられて、内心ダラダラ冷や汗をかきながら必死に平静を装う。 「そんなことないと思うけど……」 「そんなことあるよ」 「そ、そう?」 「そう。だってこないだオレが来た時も、なんか忙しいって言ってた気がするし……」 「そうだっけ?」  目を合わせていたら墓穴を掘りそうな気がして、そんなことないよと笑っておかずに手を伸ばしたら、心配する司の視線をつむじの辺りに感じながら気づかないフリで箸を迷わせる。  そんなオレの態度に小さく溜め息を吐いた司が 「…………オレ、来ない方がいいかな」  そんな風にしょんぼりした声で呟くから。 「なんで!?」  思い切りよく顔を上げて、口に入ったご飯を飛ばす勢いで聞けば。  オレの勢いにポカンとした顔で驚いてた司が、ぷっと難しい顔して笑う。 「ちょっと、ご飯飛んだよ今」 「ぇ、うそ、ごめん」 「もー、そんな頬張るから」 「ごめん。だって美味しくて」  もごもご謝りながらどこに落ちたのかとキョロキョロしていたオレの頭に、そっと司の手が触れてくるから、窺うように視線を上げた。 「……心配。颯真のこと」 「……」 「オレ来たら、なんか疲れてるのに無理して頑張らないかなって……心配」  くしゅ、と淋しそうに笑った司の労る手が、優しくオレの頭を撫でてくれる。 「……無理なんかしてないよ」 「……でも」 「だってオレが頑張れるのは、司がいるからなんだよ。帰ったら司がいて、おいしいご飯があって。そしたら疲れなんかすぐにどっか行っちゃうから」 「そうま……」 「ホントに。ホントに司の顔見て、声聞いて。一緒に寝れたら、オレそれだけで幸せだから」  縋るみたいな気持ちでそう捲し立てたら、困った顔してた司がふっと笑う。 「……うん、分かった。じゃあ、来週も来る」  その言葉にありがとう、と笑うつもりが、司が続けた言葉に遮られる。 「----でも」 「……でも?」 「あんまり無理しないで。手伝えることあったら、なんでも言って。ご飯は作るけど、それ以外でも。掃除でも洗濯でも、なんでもするから」 「つかさ……」 「颯真が……倒れたりしたら、嫌だから」 「……うん、ありがと」  思い詰めた目で司に見つめられて、大丈夫だよと微笑い返して薄い頬をさわさわ撫でる。 「大丈夫。司さえいてくれたら、ホントに。疲れなんて吹き飛んじゃうから」  いてくれるだけで十分なんだよと笑って、テーブル越しに体を乗り出して、触れるだけのキスをした。  ***** 「颯真、お風呂ありがと----ぁ」  シャワーで汗を流して颯真に借りっぱなしのジャージに着替えて部屋に戻ってきたら、颯真はベッドの上----しかも掛け布団の上でスヤスヤ寝息を立てていて。  電気も付けっぱなしだしお腹の上にスマホが転がってるから、きっとベッドの上でスマホで時間を潰してる間に寝落ちしてしまったのだろう。 (……やっぱり疲れてるんじゃん……)  哀しく唇を噛みながら、パチンと電気を消してやる。  暗い中で恐る恐る、探り探りで床に腰を下ろして溜め息を一つ。 (どうしたんだろ……)  濡れた髪の毛をタオルで拭きながら、暗さに慣れてきた目で颯真をじっと見つめた。  少し痩せたような----引き締まったような。顔つきが少し大人っぽくなったような、そんな気がする。  それに、手が。  オレに触れてくれる優しい手の平は、最近いつもガサガサに荒れているような気がするのだ。  にじにじとベッドににじり寄って、あごだけをベッドに載せる。 「どしたの、颯真」  聞いても返らない返事を待つことには慣れているけれど、決して好きではない。むしろあの頃を思い出してしまうから、苦手と言っていい。  不意打ちで零れそうになった涙は、奥歯を噛みしめてぎゅっと目を閉じることで堪える。  濡れたままの頭に載せていたタオルを目元まで引き下げたら、涙の余韻が引くまでじっとしていた。  *****  ハタッと目が覚めたら部屋の中は真っ暗だった。  いつもは一緒にくっついて眠る筈の司が、今日はベッドの端っこでオレに背を向けて眠っている。その上、掛け布団も被っていないことに気付いてやっと首を傾げてから。  自分の体に掛けられた春物のジャケットに気付いてもう一度キョトンとする。 (なんで……?)  うん? と悩んで、あ、と声を上げかけて寸前で口を塞いだ。  司を起こさないようにそろりと体を起こして、やっぱり、と溜め息を一つ。  あんなに心配して家に来ることをやめようとまでした司に、必死で言い聞かせたのに疲れて寝落ちだなんて。 (何やってんだオレは)  ずぅんと凹みながらもう一度見つめた司のお腹にはバスタオルが掛かっていて、あぁなんか幼稚園のお昼寝ってこんな感じだったなぁ、なんて現実逃避。  いくら司が華奢とはいえ、司を起こさないように抱えて掛け布団を引っこ抜くことは不可能だ。幸いにも布団がなくて風邪を引くような季節は過ぎている。  今の今まで下に敷かれていた掛け布団を司の方へ寄せて、せめて寒くなったときには布団をたぐり寄せられるようにしておくことにして。 (……早く……)  なんとかしないとなぁ、と溜め息を吐いて、今度はちゃんと敷マットの上に横になって寝返りを打つ。淋しそうな司の背中をしばらく見つめた後で、そっと目を閉じた。  *****  朝起きたら颯真はもういなくて、いつかの朝みたいに置き手紙が机の上に置いてあった。  あの日みたいに哀しくて淋しくて取り乱したりはしなかったけど、それでもちゃんと起きて見送ろうと思ってたのに何やってんだよ、なんて落ち込んだのは事実だ。  溜め息を吐いてベッドから降りたら、カーテンを開ける。  今日は良い天気だ。  いつもは甘えっぱなしの洗濯をしておこう。  それから、と今日のスケジュールを頭に描きながらもう一度手紙に目を落として、「帰りは昨日と同じくらい」と書かれた一文に溜め息を一つ。  昨日は随分疲れていたみたいなのに、今日はこんなに早い時間から遅くまでだなんて、本当に体は大丈夫なんだろうか。  大丈夫だから、と言っていた時の必死な顔を思い出して小さな溜め息をもう一つ零した。

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