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Act.2 変わってゆくということ

 朝から洗濯機を回して、お節介を承知で掃除機をかけて。冷蔵庫の中身とレシピを睨めっこして献立を考える。  そんな風にパタパタと動き回っていたら、いつの間にかお昼を過ぎていて。食べ損ねたらまた颯真に心配かける、と慌てて適当なお昼ご飯を済ませながら、ふと昨日の颯真を思い出す。  いつもオレには耳にタコができるくらい「ちゃんと食べなきゃダメ」って言うくせに、どうして昨日は当の颯真がお昼を抜いていたんだろう。忙しくて食べ損ねたとは言っていたけれど、コンビニの仕事ってそんなにひたすら忙しいんだろうかと、今更ながらに気付いて首を傾げた。  昨日がたまたま忙しかっただけなのだろうと半ば無理矢理結論づけたら、どうにかこうにか食べきったお昼ご飯の食器をさっと洗ってしまう。  このまま家にいたら良からぬ方向に考えが及びそうな気がして、エコバッグを掴んだらそそくさと家を出ることにした。  ***** 「ごめん、瀧川くん。あたし余計なことしちゃったかも」 「へ? どうしたんですか急に……」  いつものコンビニに到着するなり新海さんに頭を下げられて戸惑ったけれど、新海さんは今にも床にめり込みそうな程に落ち込んでいて。 「……なんかあったんですか?」 「……その……ホントにごめんなさい。……今日、お昼を過ぎたくらいの時間に藤澤くん見かけて……」 「……?」 「本っ当にごめんなさい。あたしつい、瀧川くんは今日は夕方からだって言っちゃったの」 「ぁ……」 「藤澤くんがものすごくびっくりした顔してたから、あたしマズいこと言っちゃったんじゃないかって……」  本当にごめんなさい、と頭を下げて謝った新海さんに、仕方ないですよ、とか、オレが悪いんですから、とか上の空で返しながら内心頭を抱える。 (どうしよう、何て言おう……指輪買いたくてバイト増やしてるとか言いたくないし、言ったら指輪なんかいらないって言われそうだし……)  あー、と悩んだ溜め息が実際に零れてしまったらしい。  聞きつけた新海さんがまた机に頭をぶつける勢いで頭を下げるのを宥めながら。 (……どうしよう……怒ってるかな……)  いつもならバイト終わりが楽しみで仕方ないのに、今日に限ってはバイトに着いた瞬間から終わることが憂鬱に感じてしまった。  ***** 『あら、藤澤くん?』 『え? ぁ』  にこりと優しげに笑った新海さんとは、たまたまコンビニの駐車場で会った。ゴミ箱の前に散らかったゴミを片付けていた新海さんが、オレに気付いて声をかけてくれたのだ。 『どうしたの? こんなところで。瀧川くんは今日、夕方からでしょう?』 『ぇ? ……--------ぁ、いや……全然。……フツーに、通りがかっただけなんです』 『あら、そうなの? やだ、ごめんなさい』  早とちりしちゃった、と取り繕って笑った新海さんに同じように笑い返しながら、心臓がバクバク鳴っているのが分かる。  颯真は朝からバイトって言って出かけたのに、夕方からってどういうことなんだろう。オレが嫌で朝からバイトって嘘吐いたのかな? でも、昨日はホントにむちゃくちゃ疲れてたし。  そう言えば、昨日はお昼を食べ損ねるくらい忙しかったのだと思い付いたら、口が勝手に動いていた。 『--------昨日って……』 『ん? なぁに?』 『……忙しかったですか?』 『えーと? 店の話? ……そうでもなかったけど……』 『そう、ですか……』  すいません変なこと聞いて、と取り繕って笑ってから、それじゃあ、と頭を下げる。足早に立ち去りながら、暴れる心臓をシャツの上から無意識に握りしめていた。 (……なんで嘘なんか吐くんだろ……)  忙しくてお昼を食べ損ねたり、朝からバイトだったり。  どうしてそんな変な嘘? なんて思ったけど、嘘を吐くようなタイプじゃないことも知っているから余計に分からなくなる。  嘘じゃないとしたら? 今、いつものコンビニじゃない別の場所でバイトをしているのだろうか。昨日忙しかったのは、コンビニとは別の場所での話だろうか。  でもじゃあ、なんでまた急にバイトの掛け持ちなんて?  こんこんと湧いてくる疑問の渦に飲まれてぐるぐるしていたら。 「---------ぁ」  耳に馴染んだ不動産屋のCMが聞こえて立ち止まる。 (もしかして……)  急に立ち止まったせいで色んな人から睨まれる。それに気付いてすごすごと道の端に避けてから、スマホを取り出した。  ***** 「…………ただいまぁ……」 「おかえり」  心持ちこっそりドアを開けてこっそり囁いたら。  パタパタといつもと変わらずに走ってきてくれた司の姿にホッとしたものの、ほんの少し歪んだ口元に気付いてそっと溜め息を吐く。  靴を脱ぎながら、司の顔は見ないまま躊躇いがちに声をかけた。 「あの、司……」 「----ごはん、出来てるから。……先に、食べよう?」  くしゃ、と笑う気配。  ね、とダメ押されて、うん、とモゴモゴ頷いた。 「……ごめん、ね」  小さく呟いた声にふるふると首を横に振った司が、くしゅっと笑う。 「食べよう。……今日も、お疲れ様」 「……ん」  オレを心配する声に労られて、ホッとするよりも苦しくなる。  だけどこれ以上ここで話をしようにも、司の全身からそうはしたくないという雰囲気が醸し出されていて。疲れているのも相まって、大人しく司の後についてリビングへ。 「今日は暑かったから、冷たいおかずにしてみた」 「ありがと」  いつものように屈託ない声で紡いだくせに、しょんぼりした目を隠せていない司が、食べて食べてと声だけではしゃいでみせる。  うん、と頷いて箸を取って。  いただきます、の声が揃ったのが今の救いだった。  *****  いつも通りを言い聞かせてたはずなのに、颯真のほんの少し後ろめたそうな顔を見た途端に取り繕えなくなった。  それなのに、何かを話そうとしてくれた颯真を、わざわざ遮ってまでいつも通りを装ってご飯を先にと促したのは、颯真の顔がほんの少しシャープになったというか、やつれたというのか----とにかくご飯を食べてもらわなきゃと直感的に思ったのだ。  オレだって人のことをとやかく言える体格じゃないけど、それでもやっぱり颯真と過ごすようになってから、食べることがいかに大切かを知ったから。  颯真を責める気持ちは全くない。----勿論、何を隠しているのと聞きたい気持ちは山々だけれど。  だけど別に喧嘩がしたい訳じゃないし、嘘を吐いている訳ではないんだろうと思っているし、黙ってバイトの掛け持ちを始めたのには、何か理由があるんだろうとも思っている。  そして、その理由にほんの少しだけ見当がついているから苦しいのだ。  いつもみたいに会話に溢れた晩ご飯にはならなかったけれど、噛みしめるみたいに颯真が呟いてくれた「美味しいね」の一言が、心にじわじわ染みて嬉しかった。  *****  重たい空気のまま食事を終えて、重たい空気のまま2人で食器を片付ける。 「…………司」 「…………うん」  空気に耐えきれなくて受け取った茶碗を拭きながら切り出せば。  きゅっと水道の蛇口を捻って止めた司が、今にも泣き出しそうな声で返事をするから。 「……ごめん、あの」  えぇと、と何から話そうかと混乱しながら謝れば。 「ごめん」 「……ぇ?」  唇を噛んだ司に、逆に謝られてさらに混乱する。 「ぇと……? あの……なんで司が謝んの?」  ぎゅっと目を閉じて涙を堪えているらしい司の姿にわたわたと慌てて紡げば、ぎゅっと手にしたスポンジを握りしめた司の手の隙間から泡がボタボタ落ちる。  ----まるで涙の代わりみたいなそれに、オロオロと司の目に手を伸ばしかけたら。 「……バイト」 「っ……うん?」 「掛け持ちしてんの?」 「…………うん」 「やっぱり……。……----ごめんね」 「っぃや、だから。そこでなんで司が謝んの?」  司が謝る必要ないでしょ、と苦く笑えば。  ふるふると首を横に振った司が、声を絞り出した。 「オレ、全然なんも考えてなかったから」 「何もって?」 「……オレ、当たり前みたいに冷蔵庫の中身とか使ってたし。……お米とかも」 「? 司?」 「お風呂も普通に借りてたし」 「ちょっと待って。何の話?」  深刻な顔で声を絞り出す司を慌てて遮れば、ぇ? と戸惑った顔をして 「お金、足りなくなっちゃったんでしょ? 食費とか、水道代とか……そういうのオレ、全然考えてなかったから……」  全然オレが想像してたのと違う台詞を吐くから、拍子抜けして頭を抱えてしゃがみ込む。 「そうま?」  ごめんね、と泣きそうな声が上から降ってきて、慌てて顔を上げた。 「違う違う!! ホントに違うから! ちょっと待ってホント泣かないで」  頼むから泣かないで、とオレまで一緒に泣きそうになりながら呟けば、ふぐ、と息をのんだ司がこくんと頷いてくれる。 「あの……とりあえず、向こう行こっか。座ろ」 「ん」  手に持ったままだった布巾をポイっとシンクに放り投げて司の手を引く。  とはいえ何て言おう、と頭を悩ませながら短い廊下を歩いて、今はこたつの装備を解いたテーブルの傍に2人で腰を落ち着ける。 「あの……とりあえず、ごめんね。なんか嘘吐くみたいになっちゃって」 「……うん」 「新海さんから聞いてびっくりしたんじゃない?」 「…………うん」  こっくり頷いた司に、ホントにごめんね、ともう一度謝ってから言葉を探すけれど、上手く見つけられずに。 「あの……ホントに、その……お金に困ってる訳じゃないから」 「でも……」 「いや、ホントに。……正直さ。オレ、ホント自炊とかしてなくてさ。コンビニのご飯とか、カップ麺とか……あと学食とか。そんなんばっか食べててさ。今よりよっぽどむちゃくちゃな食生活だったし、なんだかんだ今の方が食費は安くなってるって言うか、実際全然変わってないって言うか……司の分って言ったって、司そんな思ってるほど食べてないから、全然」 「……それは」 「ホントはもっと食べて欲しいんだけどね」 「…………。今はその話じゃない」  旗色が悪くなってオロオロ視線を彷徨わせた司が、だけどむぃっと目線を豪快に逸らしたまま怒った口調で取り繕うのが、こんなときながらに可愛い。  とはいえ、ここで司を押し倒して有耶無耶にする訳にもいかないことは分かっているので、素直に話の続きを探してみる。 「で……何だっけ」 「だから! その……水道代とか、光熱費とか? 家賃、とか……」 「水道代はね、うち、2000円固定だから」 「え!? そんなのあるの!?」 「うん。なんかあるんだって」 「嘘じゃない?」 「じゃない」  これホント、と付け足したら、納得いかない顔のままで頷いた司が、だけどじゃあ、と不満顔で続ける。 「なんでバイト増やしたの?」 「それは……」 「それは?」 「……それは……」 「何?」  じっと見つめられてすぃーっと視線をずらそうとしたのに、それに気付いてむぅと膨れた司が、がしっとオレの顔の両側を手で押さえつけてきて失敗に終わった。 「颯真?」 「……」  精一杯の恐い顔を作ったらしい司の目に睨み付けられて、顔を押さえる手にもぎゅっと力が入る。 「……………………欲しいもの、があって……」 「欲しいもの?」  なんとかギリギリばれないところで嘘にもならない所を見つけて呟けば、キョトンとした顔の司があからさまにホッとするのにオレも安心する。 「だからホントに、全然。司が心配してるみたいな、お金に困ってるとかじゃないから」  心配かけてごめんね、と畳み掛けるように言えば、うん、とまだほんの少し何かを疑うような目で頷いた司が 「…………でも」 「----ん?」  きゅっと唇を噛んで何かを覚悟したみたいな顔に変わって居住まいを正す。 「オレも、バイトすることにしたから」 「----へ?」 「ちゃんと、したい」 「……何を?」 「そういう、お金のこととか。颯真に甘えるみたいだったから。オレも、バイトする」 「司……」 「オレ……ちゃんと、颯真と並んで立ってたい」 「……」 「だから、ちゃんとしよう。オレ、ホントに。……ホントに色々、甘えっぱなしだったなぁって、めちゃくちゃ後悔したんだ。もしかしてお金足りないのかなって思った時に、やっと気付いてすごい情けなかった。結婚したいとか、一緒に暮らしたいとか言いながら、全然現実的じゃなかったなって、すごく恥ずかしかった」 「司……」  また泣き出しそうになりながら一生懸命紡ぐ司の声が、オレの心を抉る。  オレだってそんなこと、少しも考えていなかった。  オレだけの司だと----誰にも渡さないと言いたいがためだけに指輪を買おうとして、バイトを増やしていただけだ。  二人で暮らすためのお金のことなんて、何も考えていなかった。 「……もう決まってるんだ」 「ぇ?」 「バイト先」 「……ぁ……そう、なんだ」  司だけが先へ進んでしまったみたいな、情けなさと焦燥感に陥ってるオレを置き去りにして、司がそっと押し出した言葉に、ついていけない心がオロオロしたまま呆気に取られたみたいな声で呟く。 「……ホントはね……章悟と、付き合ってすぐくらいにバイトしてて。けど、章悟のことがあって、色々いっぱいいっぱいで続けらんなくて辞めたんだけど……。今回ダメ元で行ってみたら、おいでって言ってくれたんだ」 「……そっか。…………どんなとこなの?」 「んとね。カフェ」 「カフェ?」 「うん。ちっちゃいカフェ」 「なんかちょっと意外だったかも」 「ん。だろうね」  くすっと笑った司が、ぎこちなく笑う。 「章悟がね、紹介してくれたとこだから。オレが人見知りするって知ってて雇ってくれたんだ」 「……そっか」  にこりとほんの少し哀しい目になって笑う司の頭をそっと撫でながら、空いた方の手をぎゅっと握りしめる。 (--------落ち着け)  行くな、だなんて。そんなことを言いたがってるなんて、バカバカしい。  こんな独占欲は今はいらないと胸の奥に閉じ込めて何でもない顔をして笑い返しながら、オレはいったい司をどうしたいんだよと心の中で叫ぶ。  独りにしておけなくて声をかけて、笑って欲しくて涙が乾くまで傍にいて、心の中にいるたった一人に勝手にヤキモキして抉った傷の痛みを今でも覚えているのに。  止まっていた時計をゆっくりゆっくり進めて、ようやく今に追いついて走り出そうとしてる----その思いを引きずり下ろしてでも強引に止めたいだなんて。 (ダメだ……)  章悟が絡むと、いつもこうだ。  もういないくせに、とんでもない存在感で司との絆を見せつけてくる。 (くそっ……)  もしかしたら。  指輪にこんなに拘ってるのは、章悟ですら辿り着けなかったところへ2人で辿り着いたんだと、他でもない章悟に見せつけたいだけなのかもしれない、なんて。  自分の情けなさを思い知らされて落ち込むしかない。 「……そうま?」  どしたの? と心配そうな顔した司に覗き込まれて、なんでもないと笑ってみせる。 「…………ちゃんとするよ、オレも」 「?」 「……そういうの……ホントに。ちゃんと考えなきゃだよね」 「……うん?」  キョトンとした顔をする司の頭をもう一度くしゃりと撫でて唇を噛む。  章悟に囚われているのは、司なんかじゃなくてオレの方だと。  そろそろオレが向き合わなきゃいけないんだと。  言い聞かせるみたいに噛みしめた想いを口には出さないまま、ぐいっと司を抱き寄せて、素直に腕の中に納まってくれる華奢な肩に顔を埋める。 「…………結婚しよって、言ったんだもんね」 「……そうま?」 「オレもちゃんとしなきゃ」 「そうま……」  心配そうな声で呼んだ司にぽんぽんと優しく背中を叩かれて、ぐっと奥歯を噛みしめていた。

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