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Act.3 嫉妬の虫

「ありがとうございました、またお越しください」  ぺこりと頭を下げて見送って、ほっと息を吐く。  コーヒーをメインに提供し、時々オーナーの気まぐれで軽食やスイーツを提供するカフェだった。  基本的にはホール扱いと言いながらキッチンに立つこともあるし、買い出しに行くこともある。コーヒーだけはオーナーが淹れるけれど、それ以外のドリンクについてはその場の流れに応じて臨機応変にといったところだ。  オーナー自身は自分の目つきの悪さを自覚してか、驚くほど愛想良く接客する。地元の訛が抜けないんだとはにかんで笑いながら、関西地方の柔らかい言葉で手際よく接客をこなす。席数はあまり多くはない。カウンターが8席に、2名掛けテーブルが3つ。今までは一人で十分回せていたらしいのだが、なんでも最近子育てが忙しいとかでバイトを探そうとしていたのだという。 「ホンマにちょうどえぇタイミングやったわ」  にこにこと嬉しそうに笑ったオーナーが、店じまいを終えた店内で嬉しそうに鼻歌を奏でる。  今日最後の洗い物をしながらその姿を目で追っていれば、いつものドリップやエスプレッソに使うのとは違う道具をカウンターの上に並べていて。  洗い物をしながらチラチラと見ていれば、視線に気付いたらしいオーナーが顔を上げた。 「新しい豆、試してみようか思ってんねんけど、お前も飲むか?」 「ぇと……いいんですか?」 「えぇよ」  それ終わったら座り、と笑ったオーナーが準備しているのは、記憶違いでなければ紅茶を飲むときに使う道具のような気がする。  そんな風に思いながら残りのカップを洗い終えてカウンターのイスに座れば、待ち構えていたかのようにオーナーが嬉しそうに話し出す。 「今日はフレンチプレスしょうと思ってんねん」 「ふれんちぷれす……?」 「そ。まぁ飲んでみ。この豆を店で出すかどうかはまだ決めてぇへんけど……率直な意見も聞きたいしな」  にこりと笑ったオーナーが喋りながらも淀みなく手を動かして、豆を挽き終える。チョコレートのように濃厚な香りが、小さな店いっぱいに広がった。 「えぇ香りや。挽き立てのこの香りが格別やなぁ」  まるで子供のようにウキウキと楽しそうに笑ったオーナーが、オレの視線に気付いてハッと笑いを引っ込めて照れ臭そうな顔をする。 「……今、子供っぽいなぁ思たやろ」 「別にそんなこと……」 「……まぁえぇけどな。新しい豆とか、ウキウキして当たり前やしな」  イヒヒと楽しそうに笑ったオーナーが、ぐりぐりと頭を撫でてきた。 「お前も、もうちょい楽しそうにせぇ」 「わっ」  何するんですか、とくしゃくしゃになった髪を手櫛で整えながら笑えば、そういう顔や、とオーナーがきつい目元を和ませていて。 「? どうしたんですか?」 「…………いや。良かったなぁと思って」 「?」 「ちゃんと立ち直ってくれて」 「……ぁ……」 「心配しとったんや、一応これでもな。……またバイトさせてくれて連絡もぉた時はホンマに、こういう気持ちを感慨深いて言うんやろなっておもった」 「……」 「えらかったな」  ぽふ、と優しくて大きい手の平が頭に載せられて、くしゃくしゃと撫でられる。 「…………えらくなんか、ないです」 「ん?」 「オレは全然、ダメダメでした」 「……」 「助けてもらったんです」  颯真に、と心の中で付け足したら、ほろりと笑ったオーナーが、あぁーと大袈裟に頭を抱える。 「ぇ? 何、どうしました?」 「惚気られたぁ」 「っ、ちが!! 惚気てなんかっ」 「のろけやんけー。顔真っ赤やし」 「っ……、っ」  からかうオーナーの声に何も言い返せずに口をパクパクさせるしかないオレを見て、ぶはっと吹き出したオーナーがスマンスマンと笑う。 「やー、よかったよかった。元気が一番」 「~~っ」 「言うとる間《ま》ぁに湯ぅ沸いたな。こういう時はIHのコンロやな。指定した温度で沸かしてくれるもんな」  ふんふーん、ともう何も聞こえないフリをしてコーヒーを入れることに没頭したオーナーが、嬉しそうに作業をする手元を見つめていた。  *****  司がバイトを始めて2週間経った。  2人ともバイトをしたら会う機会が減るかもしれないなんて少し残念に思っていたのだけれど、年中無休24時間営業のコンビニと違って、司のバイト先は19時閉店で日曜日と第2・第4水曜日が定休日という結構緩い営業スタイルだったお陰で、司の方の生活スタイルには極端な変化もなかったらしい。  むしろ、オレのバイトの掛け持ちがアダになって会う機会が減ったくらいだ。今だけだからと言い聞かせるものの、司不足な感じは否めない。  誰も見ていないのをいいことに大袈裟な溜め息を一つ。 「おー、どーしたタッキー」 「…………それはヤメてください」 「んぉー? いーじゃねーか呼びやすくて」 「…………」 「お前は負けず劣らずのイケメンだぞ」  後ろから突然声をかけられて、苦笑めいた溜め息を一つ。バイトと学校のスキマ時間・空いた時間を利用して気楽に稼ごう! なんて謳い文句につられて選んだ今のバイトは、倉庫や建築現場なんかで資材や廃棄物をひたすら運ぶ、所謂ガテン系な体力仕事だ。時給が良いのは良いとしても、疲労度はコンビニの5倍くらいな気がする。お陰で無駄に鍛えられつつある。  気の良いおっちゃんもいれば寡黙なお兄ちゃんもいるような現場にも慣れてきて、どこぞの有名人を引き合いに出して負けず劣らずだなんて軽口を叩いてもらえるくらいには人にも馴染んだ。  これ以上何が不満だよと叱ってみても行き着く先は目に見えている。 (……司に会いたいなぁ……)  そっともう一つ溜め息を吐いたら、あの日見た銀色を思い浮かべて気合いを入れる。  目標額まではあと少しだ。もう一踏ん張りすれば司に会えない日々ともおさらばで、オレだけの証を指にはめてもらえる。そのことだけを胸に抱えて作業を続けた。  いつもそうだった。誰にでも優しいよねと言われてフラれ、自分が浮気をしたくせに嫉妬もしてくれないんだねと泣かれた。  だから自分がこんなに誰かを----司を好きになったのは自分でも予想外だったし、欠けていた何かが埋まる日が来るなんて思ってもいなかったのが正直なところだけれど。  だからってこんな醜くて辛くて苦しい想いまで知りたくなかった。  確かにあの頃、晃太が司の隣に座っているのを見つけてムッとしたのも事実だし、嫉妬めいた感情を覚えたのも事実だけど。  こんなにも衝撃的で胸を抉られたりしなかった。  見つけた瞬間に足下がガラガラ崩れ落ちてくみたいな絶望感と同時に湧き上がる怒りと哀しみだなんて、経験したこともなければしたいとも思わなかったのに。 (……つかさ……)  偶然目に入った愛しい人が、少し年上らしい男と楽しそうに笑って歩く姿が。  まるで鋭いナイフみたいにオレを刺して痛くて仕方ないのに、何時間も走らされた後みたいな脱力感で背骨が抜かれたみたいにふにゃふにゃする。その場でずぶずぶしゃがみ込まなかった自分は頑張ったとすら思う。  いきなり立ち止まったせいで後ろから来た人には舌打ちされたけど、そんなことどうでも良かった。 「……誰だよ、ソイツ……」  泣きそうに震えた声で呟いたその音は、恐ろしく低くて怒りをはらんでいるのに今すぐ泣き出したがっているから不思議で、心がいつになく乱れていてやけに忙しい。  無意識のうちに握りしめていた手をゆっくりと開いて、爪の食い込んだ痕の残る手の平を見つめる。  資材運びで出来たタコがつぶれて固くなった痕。汚れ作業の後に衛生を保たねばと念入りに手洗いしているせいでガサガサになったこの手の平は、こうならないための代償だったはずなのに。  オレがあんなにも長い時間をかけて手に入れたはずの笑顔を、あんなにも簡単に向けてもらえるなんて。 「誰だよ、ホントに……ッ」  駆けだして間に割り込んでやりたいのに、足が動かない。  晃太の時は出来たのに、今日はどうして。  相手が自分よりも年上だからだろうか。それとも司が困っていなくて、むしろ楽しそうだからだろうか。  あんな風に笑ってくれるのは自分にだけだと思っていたのに、自分じゃない相手と笑っているからだろうか。  独占欲、というよりもたぶん劣等感だ。  ひたすら章悟を想っていた司を見守っていたときの諦念に似た気持ちと----章悟と違ってすぐ傍にいるという危機感めいた焦燥。 「----ッ」  何かを理解するよりも先にスマホを取り出して司の番号を呼び出したら、受話ボタンを押した。

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