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Act.4 君だからこそ

「もう今日は上がってえぇぞ」 「あ、はい。じゃあ洗い物片付けたら」 「おー」  雨の降り出しそうな空を窓から覗いた店長が、さくっとやってまえ、と声をかけてくる。そうですね、と笑い返して残りのカップに手を伸ばしたら、食材やコーヒー豆のチェックをする店長に気取られないように小さく溜め息を一つ。 「どないした、疲れたか?」 「っぇ!?」 「溜め息」  聞こえてんぞ、と笑う声がして、発注書を向いていた顔がこっちを向く。 「すいません。別に疲れてる訳じゃないんですけど」 「なんや、彼女となんぞあったんか」 「…………彼女、ではないんですけど……」 「? ほんなら彼氏か」 「…………」  そういうんじゃないんですけど、とモゴモゴ呟きながらカップを片付けたら、そのままシンク周りの掃除を始める。 「…………なんかちょっと……」 「?」 「バイト忙しいせいか、なんか……イライラしてるっていうか、なんていうか……」 「なんや。やっぱりコイビト的な話やないか」 「……まぁ……そうなんですけど……」  悩み悩み口を開くのは、最近の颯真の異常なまでのメッセージの多さだ。  朝から晩まで、たぶん颯真の手が空いているタイミングで連絡が来ては気忙しく会話したりメッセージを交わしながら、どこかイライラした口調で今どこ、と問いただされることが続いている。  本人もそんな自分に戸惑っているのか、文字で送られてくるメッセージの端々には何度もごめんという文字が見られるのだけれど、読み返したりできない会話になるとイライラや焦りがダイレクトに伝わってくるのだ。 「なんか……焦ってるっていうのか、なんていうか……疲れてイライラしてるのか、よく分かんなくて」 「…………そんな忙しいんか?」 「……コンビニと……あと、なんか体使う系? のバイトを掛け持ちしてて……」 「飯はちゃんと食うてんかいな」 「…………分かんないです。最近、あんま会えてなくて……」 「飯はちゃんと食わなアカンで。人間、体が資本やねんから」 「…………そうなんですけど……」  鍵は持っているものの、約束なしで訪れたことはまだない。  それに、行ったらやっぱりオレに合わせて無理しないかも心配だった。 「…………----タッパー貸したる」 「へ?」 「それ、冷凍庫に入れれるタッパーやねん」 「はい?」 「お前、飯作れたやろ。保存きくもん作って、冷凍庫に詰めといたれ」  昔よぉやってもうた、と切ない顔で懐かしそうに笑ったオーナーが、コトンコトンとカウンターの上にタッパーを並べてくれる。 「疲れて飯食う気力がなくても、好きな人が作ったもんやったら……しかも解凍するだけで食えたら、こんなありがたいことないで」  ニカッと元気に笑ったオーナーがそこら辺にあった紙袋にポイポイっとタッパーを詰めて手渡してくれる。 「返すんはいつでもえぇから」 「…………ありがとうございます」  うんうん、と嬉しそうに頷いたオーナーが天井を仰いで笑った。 「はぁ~…………青春やなぁ」  *****  男と2人で仲良く歩く姿を見かけて司に電話した時、司は結局電話には出てくれなかった。司のバイトが終わったらしいタイミングで折り返しの電話があったけれど、今度はオレがバイト中で出られなかった。残されたメッセージにはバイト中で出られなかったと書かれていたのに、本当かよと疑う自分が惨めで苦しくて悔しかった。  あの時見かけたんだけどと言えばいいのに格好悪いような気がして言えなくて。1人悶々としていたら、四六時中モヤモヤしてイライラするようになった。  手が空く度に電話したりメッセージを送ったり。正直自分でも呆れてるし、やめなきゃと思ってるのに。  あんな小さなキッカケ一つでここまで揺らぐなんて自分でも混乱するしかなくて。むしろその混乱が余計に自分を取り乱してるような気もして本末転倒だ。  あの光景を見てから、目標額に最短で辿り着けるようにと極端にバイトを詰め込んだせいで、司とはロクに会えていない。今のペースでいけば、あと一週間ほどで目標の指輪に手が届く。早く買って渡して身につけてもらわないと----不安で仕方ない。  たかだか指輪一つはめてもらったくらいで何が解決するのかも分からないけれど。  それでも、特別な意味を持つはずの指に特別な意味を込めた指輪をはめてもらえたら、少なくとも誰ともしれない悪い虫からは遠ざけられる気がするから。  それにたぶん、たかだか誰かと一緒に歩いてる所を見たくらいで取り乱すくらい情けなくて格好悪いオレ自身に、指輪をしてるんだから大丈夫と言い聞かせることが出来るんじゃないかなんて。 (…………かっこわる……)  ははっと乾いた笑いが零れて惨めに唇を噛んだ。  気休めだっていい。  ただ、司はオレのものなんだと----他の誰でもないオレを選んでくれたんだと実感したいだけだ。  盗られたくないだなんて、情けないにも程がある。  なんで急にこんなにも不安になってるんだろう。  傍にいて笑っていてくれさえいればそれで良かったはずなのに。  ぐしゃぐしゃと頭を掻いて、溜め息を一つ。  疲れた体を引きずって帰ってきた家の扉を開けたら 「おかえり颯真」  優しい顔ではにかんで微笑う司が立っていた。 「………………つかさ?」 「----おかえり」 「ぇ? あれ? なんで? 幻?」 「何言ってんの」  オロオロと狼狽えてワタワタするしかないオレを見てそっと笑った司が、オレの手を取って自分の頬に触れさせてくれる。 「幻じゃないよ」 「…………司……」  にこりと笑った司の顔が急に滲んで見えて、やっぱり幻だったんじゃないかと思ったところで、司の目がまん丸に見開かれた。 「どしたの颯真!? どっか痛いの!?」 「ぇ?」 「……なんで泣くの?」  どしたの? と自分まで泣き出しそうにしょんぼりと歪んだ司の顔がやけに滲むのは、どうやらオレが泣いてしまったせいらしい。 「はは……かっこわる、ホント……」 「そうま?」  俯いて涙を拭うのに、全く止まる気配のない涙のせいで顔を上げられない。  オロオロしていた司が躊躇ったままの手の平でオレの頭に触れて、どしたの? と呟いてくしゃくしゃと柔らかく撫でてくれるのが心地良い。 「そうま? 大丈夫?」  覗き込んでくる司の心配そうな顔から逃れるように顔を背けて、ぐしゃぐしゃになった顔を手で拭っていたら。 「………………つかさ……?」 「だいじょぶ?」 「…………ん」  そっと司が抱き締めてくれるから、その温かさがまた涙を誘って。  あぁホントになんでオレってこんなに格好悪くて情けないんだろうと思ったら、口から勝手に声が滑り出ていた。 「あの時……」 「ん?」 「あの時一緒にいたの、誰……」 「……あの時?」 「オレが、電話した時」 「……?」  グズグズと鼻を啜りながら呟いた言葉にキョトンと首を傾げた司が、何のこと? と聞き返してくるから、些末なことに長々と気を取られているのが自分だけなんだと改めて思い知らされて口籠もりながらも続けるしかない。 「…………オレが、昼間……電話した日」 「?」 「……2週間くらい前の」 「2週間前?」 「昼間……その……」 「……店長? かな? 買い出し行ってたんだけど……」 「てん、ちょう……」 「うん?」  あっさり出てきたその一言に、はは、と乾いた笑いが零れたら、安心したせいか身体中の力が抜けてその場にしゃがみ込んでしまった。 「ちょっ、颯真!?」 「ごめ……なんか、ふわふわする」 「そうま!?」  目が覚めたらベッドの上だったのは、司と出会ってから2回目で、オレの腕の辺りで顔をこちらに向けて寝ている司を見つめるのも、あの時と同じだ。 「…………オレ?」  なんで、と小さく呟いた一言に、んむぅ、と不満げな声を出した司が目を擦りながら体を起こして 「…………そうま、おきた」  ふにゃ、と嬉しそうに微笑った。 「司……」 「…………おきた」 「……司?」 「げんき、なった?」 「うん……?」 「よかった」 「…………司?」  にこぉ、と嬉しそうに笑って舌足らずに呟いた声を残して、またパタリとベッドに顔を落とした司がすやすやと眠るのを、ほろりと笑ってサラリと髪を撫でる。さわさわとしばらく髪の感触を楽しんだ後に、顔を動かして時計に目をやった。 (…………1時か……)  家に着いたのは確か23時を過ぎていたはずだ。2時間ほど眠ったのだろうか。とりあえず何か飲みたい、と司を起こさないようにそっと体を起こしてキッチンへ。  そういえば司はなんでまた急に? とようやく思い至って首を傾げる。勿論、いつ来てくれたっていいし、むしろ嬉しいくらいだ。鍵を渡したときにも、いつでも来て良いと伝えていたのに、司は律儀に約束を取り付けた日にだけ来ていたから、実は少しだけ淋しいとさえ思っていたのだ。 (…………急にどうしたんだろう……)  そんな風に思いながらそっと冷蔵庫の扉を開けて 「…………ぇ?」  ラップされたお皿と山積みのタッパーをそこに見つけて、一瞬思考が停止する。 「なにこれ……」 「んぁー? …………あれっ、颯真! 起きてる!」 「……さっきも聞いた、それ」  相変わらずの寝起きの悪さをそっと笑っていたら、パタパタと駆け寄ってきた司にガシッと顔の両側を掴まれて、じっと顔を覗き込まれる。 「大丈夫!?」 「うん」 「ホントに!?」 「ホントに。……ごめん、ちょっと……司の顔見たら安心して気が抜けたみたいで……」 「…………無茶なバイトの仕方してたんじゃないの?」 「…………」 「そんな無理して何が欲しいの?」 「…………」  しょんぼり顔がぐいぐい近付いて来て潤んだ目にじっと見つめられたら、申し訳なさに落ち込むしかない。 「………………ちょっと、色々……」 「色々ってなに!?」 「…………その……」  正直に言うか言うまいか悩んでいたところに、冷蔵庫がピーピーと音を立てる。閉め忘れを防止するアラームが鳴っているのだと気付いて慌てて扉を閉めてから、 「……司は……」 「ん?」 「今日はどうしたの?」  約束してなかったよね? と聞けば、今度は司があうあうと口籠もった後。 「…………ごはん、作りに来た」 「ごはん……?」 「…………店長がね、教えてくれたんだ。……おかず作ってタッパーに詰めて冷凍しといたらいつでも食べれるって。……最近颯真、なんかちょっと変だったから。……疲れてんのかなって……ちゃんと食べてんのかなって心配になって……」 「司……」 「そしたら颯真の冷凍庫、思ってたよりちっちゃくて、あんま入んなかったよ」  くしゃっと笑った司が、だから冷蔵庫に入れといた、と照れ臭そうに笑うから。 「------------ホントに」 「?」 「結婚して司」 「…………は?」  心が突き上げられたみたいだった。  噴火するみたいな勢いで湧き上がった想いが口をついて出て、堪えきれなくて司を掻き抱く。 「ごめん…………ずっと訳分かんないくらい嫉妬してた」 「しっと?」 「…………司が、オレの知らない誰かと歩いてんの見かけて……ソイツ誰だよって、ずっとイライラして不安で堪んなくて……格好悪いなって思うのに止めらんなくて、ずっと電話したりしてた」 「そうま……」  ごめん、と呟いて、抱き締める腕に力を込める。 「すんごい嫌だった。……誰かと一緒に歩いてるのも、誰かと笑ってるのも。……オレ以外と話して欲しくないとさえ思った」 「……」 「……誰かが司のこと盗るんじゃないかって……ずっと不安だった」  ホント格好悪いよなぁ、とぼやきながら華奢な肩に顔を埋める。 「だけどずっと、司に傍にいて欲しくて……傍で笑ってて欲しくて……誰かに盗られたらどうしよって恐くて堪んなかったんだ」 「そうま……」 「あんな顔して笑ってくれるの、オレだけの特権みたいに思ってたのに、違うんだって気付いて……オレじゃなくても司は笑えるんだって気付いたら恐くなった。……あんな顔……見たら誰でも司のこと好きになるに決まってるから……いつか誰かに盗られるって……」  不安で恐かったんだと呟いたら、ふぅー、と大袈裟な溜め息が聞こえて恐る恐る顔を上げたら、司は呆れ返ったみたいな顔で大袈裟に眉を八の字にしながらも、口元をヤレヤレというかのように歪めて笑っていた。 「ばっかだなぁ」 「…………」 「他の誰がオレのこと好きになったって、盗られたりしないよ」 「でもっ」 「----だってオレ自身は、颯真のことが好きなんだから」 「…………つかさ……」 「だいたい盗られるってなに。オレの意志はどこにいっちゃったの」 「ぁ……」 「オレは颯真のことが好きなんだよ? 盗られたりしないよ」  バカだなぁ、と笑った司が、わしわとオレの頭を撫でる。 「オレのこと信じてよ」 「……信じてるよ」 「じゃあなんで」 「分かんない…………分かんないけど…………オレじゃなくてもいいのかって、思っちゃったから……」 「……………………颯真ってなんか……時々めちゃくちゃ不器用っていうか……なんていうか……」 「……」  呆れたのか困ってるのか、ふぅと大きな溜め息を吐いた司がそっと笑う。 「颯真がいてくれたから他の人とも笑えるようになったんだよ」 「……」 「颯真がずっと、傍にいてくれるって分かってるから、笑えるんだよ」 「……司……」 「章悟がいなくなって、全部どうでもよくなって……何にもない毎日だった。……生きてんのか死んでんのかも分かんなかったオレを、ずっと支えてくれたんだよ、颯真が」  ふふ、と照れ臭そうな色を浮かべた目が、ほのかに潤む。 「颯真じゃなくて良いなんて、言わないでよ。オレはちゃんと颯真のことが好きなんだから」 「司……」 「----だからずっと心配してた。…………なにしてたのずっと」  潤んでしまった自分の目を隠すみたいにして目を閉じた司が、照れ隠しみたいなノリでいきなり話の矛先をオレに変える。 「っぇ!? 何、急に……」 「急にじゃないよ。ずっと心配してたんだってば。手もガサガサになってるし、ちょっと痩せたよね? そんなにバイトして、なにが欲しいの?」  ぎゅっと握られた手と、頬に添えられた手が温かい。  見つめてくる目も、優しく心配を伝えてくれる。  その優しさに溶かされたみたいに唇が緩んで、ぽろりと声が零れた。 「…………----指輪」 「……へ?」 「指輪、欲しくて頑張ってた」 「……ゆびわ?」  予想外だったのか、呆気にとられた顔をした司の左手を取る。 「ここに……はめて欲しくて」 「ぁ……」  オレが左の薬指を撫でたら、意味に気付いたらしい司が頬を紅く染める。 「オレのだって言いたくて、頑張ってた」 「そうま……」 「ごめんね。2人で暮らしてくこととか、全然考えてなくて。……ただ、オレのだって言いたくて頑張ってた。……独り善がりって分かってたんだけど……見栄って言うか、そういうのもあったと思うけど……オレが安心したくてやってた。……ごめんね」 「……」  ふるふると首を横に振った司が、ありがと、と小さく呟いてはにかんだ後に、でも、と笑う。 「もういいよ。そんな頑張んないでよ。指輪なんてなくてもオレ」 「嫌だ」 「ぇ?」 「オレがしてて欲しいから」 「そうま……」 「もうちょっとなんだ。だから後ちょっと頑張らせて」 「……でも」  困った顔して言い淀む司にお願い、と畳み掛ける。 「もっとペースは落とすから。……その……司が盗られるって恐くなって、ちょっと無理なバイトの仕方してたから……それはもうしないから。……オレのだって、誰が見てる分かるようにしたいんだ」 「…………不安だから?」 「……それもあるけど……オレのだって言いたい。……オレの我が儘だけど。……オレのだって言わせて」  お願い、ともう一度小さく呟いたら、またヤレヤレと唇の端を歪めてそっと笑った司が潤んだ目のまま頷いた。 「それ、ヤダって言える訳ないよね」 「……そう?」 「だって……そんな嬉しいこと言われたらヤダって言えないよ」 「司……」  ぷしゅ、と照れ臭そうに笑って潤んだ目を伏せた司の、目元が赤く染まっているのが妙に色っぽいのに可愛くて困る。  妙な気分にドキドキしながら手を伸ばそうとしたら 「だけどホントに約束して。こんなこと、もう二度としないで」 「……ん」 「ごはんとか、足りなくなったら言って。作りに来るから」  きゅっと噛んだ唇と真剣な眼差しが心からの心配を伝えてくれるから、分かった、と真面目に頷き返す。  ようやくホッとした顔になって笑った司の顔を見て、ふと思い付く。 「………………じゃあ、オレからもいい?」 「うん?」  キョトンと首を傾げた司に、そっと笑ってみせて。 「もっと、いつでも来て。約束してなくたって、いつでも」 「そうま……」 「今日、司に会えてめちゃくちゃ嬉しかったから」 「…………じゃあ、ちゃんと食べてるか確認しに来る」 「食べるよ、ちゃんと」  司が作ってくれたんだから、と付け足してキスを一つ。 「…………お腹空いたなぁ」 「…………でももう2時だよ?」  困り顔の苦笑に、じゃあ朝まで我慢すると笑って見せてから 「寝よっか。司もさっきまで床に座ってて、しんどかったでしょ」 「だいじょぶ」 「嘘ばっか。……でも、ありがとね。ホントに嬉しかった」 「ん」  照れて笑った司にもう一度キスをしてから、仲良く布団に入る。 「おやすみ司」 「おやすみ」  呟きに返ってきた眠そうな声の後でゴソゴソと体勢を変えた司が、ぴとっとオレの右側にくっつくのが可愛い。  くしゃくしゃと頭を撫でたら、ここ最近で一番スムーズで穏やかな眠りに就けた。

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