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第32話

「どこかに、データを移動したんですか?」 「移動って?」 「だって、全部消すなんて」 「もったいなかった?だけど、とっといたらまずいだろ。もろにお前の、写ってた。ホント、きれいだよな。俺も、消すのは惜しかったけど、今回みたいな事故があると困るから泣く泣く消したんだ。それに、よく考えたら、実物がここにいるんだから、いつでも」 東城はそう言いながら広瀬に近づいてくる。 広瀬は、首をかしげて彼を見た。 それから、シャワーをひねってお湯を出した。 「どこにデータを隠したのか教えてください。じゃないと、これ、水没させますよ」 「脅迫と器物破損じゃないのか。消しちゃったものは消しちゃったんだから、教えようがない」 そういう口調には焦りはない。余裕があるようだ。 「あと、その端末防水だから、多少のことでは壊れないと思う」 広瀬はシャワーにさらに端末を近づける。だが、彼に慌てた様子はない。穏やかに彼は言う。 「水没させたいなら、してもいい。お前が納得するようにしたらいい。だけど、本当はそんなことしたくないんだろう」 低い優しい声だ。 そういえば、と思い出す。大井戸署にいた時、傷害事件を起こしたチンピラがやけになって署内で暴れてた時に、取り押さえながらこんなこと言ってたな。相手に寄り添うふりをして、落ち着かせるために静かに話しかけてた。 広瀬はシャワーを見た。東城からしたら、広瀬が勝手にせっぱつまっているだけで、落ち着かせればいいということなのだろう。 広瀬はさらに手を動かし、わずかにシャワーの飛沫が端末にかかった。 「わ」 東城の口調がなさけないものに変わった。 「悪かった。俺が全部悪かった。あやまるから、それ以上はやめてくれ」 広瀬は、無言で彼を見た。 「お前のデータも消すから」 「今、ここで消してください」 「わかったよ」 ため息をついて同意した。手を出してくる。「消すから、こっちにくれよ」 「だめです。俺が消します。操作しますから、言ってください」 「信用ないな」と彼は言った。 それから、彼の言う通りに広瀬は端末を動かした。データは気づかなかったストレージアプリの奥の奥、パスワードがかけられたところにあった。写真と文章。 写真で自分が知らないものもある。 ぐっすり寝ている寝顔、庭に来ている猫をからかっていた時の写真。いつのまに撮影したのか大井戸署にいたときのや、以前住んでいたアパートでの写真も何枚かある。 広瀬は唖然として東城を見上げた。 「これ、なんですか?」 「ああ、かわいいだろ」 「じゃなくて、断りもなく写真撮ってたんですか」 「お前、寝てたから断りをいれたくてもいれられなかったんだ」 「寝顔、みっともないから撮らないでください」 「かわいいよ。子どもみたいな寝顔で」 「それに、これ、ストーカーですか?」 どこから撮影したのか知らないが、自分がレストランの前のショーケースを見いっている写真もある。 「同棲している恋人相手にストーカーとは人聞きの悪いな。きれいな恋人をきれいなまま保存しておきたいって、当たり前の感覚だろ。これなんか、お前、本音じゃ自分でも美しいって思うだろ」 広瀬は指先で示された自分の写真を見た。東城が画面をスワイプさせて何枚もみせて、きれいだとかこの写真は珍しくてとか説明してくる。 広瀬からコメントすることは何もなかった。こういうのはストーカーでなければなんというのだろうか。自分のルールで勝手に人の写真を撮り、自慢までしてくる。変態とか、異常性格とか。 東城が話しているのを無視して、アプリを操作しファイルを全部選択した。 「全部消すのか?」 「当たり前です」 「当たり障りのないものは残しておいてもいいんじゃないか」 「ダメです。全部、当たり障りあるものです」 東城がじっと見ている前で、広瀬はあっさりと全てを消去した。それから端末を東城に返した。彼は、さびしそうな顔をして、わずかにかかったシャワーの水滴を拭っていた。 「記憶がなくなった俺がつまんないことお前に言うからこんなことになったんだな。俺自身を恨みたいよ」と彼は意気消沈して言っていた。 もう二度と東城とのメールに変なことを書いたり、写真を送ったりするのはよそう、と広瀬は決心した。そして、以後は自重し、写真やメールのことは忘れてしまった。 だから、東城からしたら実は広瀬がデータを消すまでが織り込み済みで、しっかりデータのバックアップをとっていて、さらに広瀬の写真やなにやらのコレクションを増やしていたということを知るのは、後の話である。

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