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旅行編 10 あのね

「ん、ひゃぁ……ぁっ」  白い肌はすぐに痕がつくから、首筋にちょっとだけキスをした。甘い声にゾクゾクする。ふたりっきりの旅行、ふたりっきりの部屋、ふたりっきりの夜。我慢したくない。今夜は、日向のこと――。 「あ、伊都! 伊都っ! だ、ダメっ」 「…………」  日向との、夜を、我慢したくない。 「ダメえええええ!」 「…………」 「ダメ!」  抱き締めて、首筋にキスを一つしたら、背中を反らしてまで、口元を両手で押さえつけられた。 「……」 「ダメ!」  思いっきり怪訝な顔での抗議をしても口元の手はどかしてもらえなくて。逆に強い口調で拒否されてしまう。そんな「ダメ」を連呼されるとは思ってなくて、けど、君のほっぺたが真っ赤だったから、口元を押さえる両手が優しかったから、強引なことはしなかった。 「ま、待って……あの」  君がいいよって言ってくれるまでくらい、いくらだって待てるよ。だって、好き同士なのはわかってるから。 「あの」  うん。なぁに? 「あの、お風呂入って来ようよ」  今? 「その! 汗臭いからっ、えっとっ、だからっ」  でも、汗臭くないよ? さっき入ったし、なんだったら、後でまた入るでしょ? 一日でそう何度もお風呂に入ったら、茹でダコになっちゃうよ。日向は白いから真っ赤になってのぼせそうだ。 「あ、あのねっ」  もうすでに真っ赤な君が何かまだ言いたそうだった。 「あのっ……」  だから、少し待っていた。もしも、俺がトモさんと一緒にいたことが何かわだかまりになっているのなら、もしも、俺が同性愛者じゃないことがまだ引っかかるのなら、どうしてもどこかトゲトゲした気持ちになってしまうのなら、柔らかくなるまでいくらだって待つし、告白し続ける。  君のことが好きだって。 「あの、伊都」 「……うん」  両手を押さえつけていた手から解放された。そして、その手が俺のTシャツをぎゅっと握って、日向がうなじまで真っ赤にしながら、胸に顔を埋めて隠れてしまう。 「日向?」 「……あ、の……」  なんだろう、君の今、どうしても言いたいことって。 「うん」 「あの、さっき、ワガママ言ってもいいって、嬉しいよって、言ってくれた、でしょ?」 「うん」 「ほ、本当に言っちゃってもいい?」 「うん」  なんだっていいよ。もう絶対に、一言だって女の子と話すな、でもいい。君がそれで悲しい気持ちにならないのなら、俺はなんだって。 「そ、そしたら、浴衣姿の伊都が、見たい、です」  なんだって。 「……ぇ?」 「ダッ、ダメ? あの、見てみたくて! その! えっと、夏だし、旅館だし、ゆ、浴衣あるし。パジャマとかじゃないと落ち着かないなら、ちょっと着るだけでいいから、そのっ! 浴衣姿をっ……ダメ、ですか?」  真っ赤になって、照れて眉を八の字にして、俺の腕の中から、パッと顔を上げた。  もっと、違うことだと思った。昼間のこと、トモさんとのツーショットのこと、日向はずっとそれを気にして、怖いのも我慢してるんだと、そう思ってたのに。 「っぷ」 「! ご、ごめん! なんでもない! 忘れてっ、えっと、そ、そしたら」 「違うよ」  日向は綺麗な顔をしてる。細くて、色白で、儚げ。ほら、抱き締めたら、折れそうなくらいに華奢だ。 「い、伊都?」  けど、男子だよ。女の子じゃなくて、普通に男子で、それで、誰より可愛いから、本当に、困るんだ。  腕に抱き締めたまま、額をコツンと当てて、ひとつ深呼吸をした。そんな俺を上目遣いで心配そうに見上げてる。君のワガママならなんだって嬉しいよ。大袈裟かもしれないけれど、それがたとえ、世界を敵に回すようなことだとしても笑顔でやるけれど、まさか、こんな可愛いワガママなんて。 「お風呂、行こっか」  男子にとっての憧れだよね。好きな子の浴衣姿ってさ。 「み、見ちゃダメだからね!」 「うん。見てないよ」  見たら、きっと、俺自身ダメだから。後ろにいる日向がどうしても気になって、全神経がそっちばっかりに向かうけど、頑張って我慢してる。 「伊都、もう、身体洗った?」 「うん。洗ったよ。日向は?」 「も、もう終わる」  背中合わせでそっぽを向き合いながら頭洗って、身体洗って、話をしてる。もう夜もけっこう遅いからか大浴場には人がいなくて、俺たちだけの貸切状態。でも、バラバラに座ってて、ちょっと不思議な光景かもしれない。 「お湯、浸かる?」 「うん。ちょっとだけ」 「じゃ、俺も」  見ちゃ、ダメだから、先に全部洗い終わった俺は湯船に浸かって日向のほうへ背中を向けた。そして、日向が追いかけるように湯に入った音に、心臓がちょっとせわしなくなる。 「……」  のぼせそう。  不思議だよね。同じ男で、同じ裸なのに、他の誰と入ったってこんな気持ちになんて、一ミリだってならないのに。なんで、日向だけは特別に見えるんだろう。  なんで、君の素肌にだけは心臓が飛び跳ねるんだろう。  そっと振り返ると、日向がむこうを向いていた。白い肌が貝殻みたいなピンク色で、肩もうなじも、その色に染まってて、息を、しばらく、し忘れて、苦しくなってからようやくそっぽを向いた。 「あ、上がろっか。伊都、まだ、入ってる?」 「んーん、俺も出る」  湯から出たのを音で聞いてから、時間差で俺も出て、ヒタヒタと日向の歩いた跡がお湯で印されてる石の上を遊ぶ子どもみたいに辿って追いかけた。胸が高鳴ってるから、どうしてもはしゃいじゃうんだ。  あとちょっとしたら、あの肌に――そんな期待ばっか膨らんでいく。  この後のことに。お風呂で笑ってしまうくらいに背中合わせで、見ちゃダメと言った、俺を意識しまくってる君と。 「日向」 「……」 「もう、見てもいい? 日向のこと」 「あ、ちょっ! 待っ、」  君と、この後、部屋でするキスに。 「待っ……」 「気に入った? 俺の、浴衣姿」 「ぁ……」  俺の浴衣姿を見たいって、甘いワガママを言ってくれた君がこの後、したいと、思ってくれたことに。大はしゃぎしたくて、仕方ないんだ。

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