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旅行編 9 チクチク
公園の脇を通ったところで、トモさんが「トイレに行って来る」と言って日向とスイッチ。カツラでも夜道ならわからないだろうし、シンプルな形で裾の長めなワンピースなら、中にズボンを履いてても気が付かれることはない。リレーの選手がたすきを手渡して交代するみたいに、バトンタッチができる。
だから、お風呂には一緒に入らなかった。その時に彼女と細かい打ち合わせをするから。そして、風呂上りの俺にトモさんが待ってるって、誘い出して、日向は日向で外で待機。
「もぉ、日向」
「ごめん」
「あのね、夜のこんな人のいなさそうな場所にいたらダメじゃん」
「ご、ごめんっ」
泣き止んだ君はもう悲しそうでも苦しそうでもなかった。トモさんは邪魔しないようにって、そのまま帰ったらしい。自転車で颯爽と、手をブンブン振りながら。
――心配なんて無用だと思う! けど、それでも、不安になったりするんだよね。私の場合、その不安がそのまま現実になっちゃったけど。
誰だって、不安はある。自分の好きな子が誰かと話してるだけで、チクリとする気持ちとか。ざわつく胸とか。
――でも、伊都君は大丈夫だよ!
それは男女とか同性とか関係のない、誰でも恋をしたら持ってしまうチクチク。
「あと、びっくりした」
「はい……」
俺にも、君にも、あるチクチク。
「それに、こんなことしなくたって。日向のことをどう思ってるかなんて、いつだって」
「聞いてみたかったんだ。その、俺へ、じゃなくてさ。だって、俺には面と向かってだから、やっぱり言いにくいこと」
「日向に言ってることはお世辞でもないし、日向にだけ言ってるわけじゃないよ」
言葉を遮るように話した。
君が大事なこと、君が好きなこと、玲緒だろうと、お父さんだろうと、睦月だろうと、誰にでも「日向は大事な人」って伝えてる。変わることはないんだ。君に気を使って告白なんてしたことない。俺はけっこうそういうのワガママなほうだと思うよ。
「けど、よかった」
「……伊都?」
我慢してるのかな? わかっててくれてるから、平気なのかな? って、俺は俺で少しもどかしかったから。
きょとんとしている日向の顔がポツンポツンと立っている街灯にちょうど照らされた。
「日向のこと好きってもっと言って大丈夫ってわかったし」
「!」
「我慢、してるってわかった」
「っ!」
「だから、もーっと日向をワガママにしちゃっていいって確認もできた」
「ちょっ!」
ようやくしっかり見ることのできた君の頬がピンク色で綺麗だった。まるで、海の中にいる貝みたいに。
「今度、日向が何も言わずに我慢してたら」
「……」
手に持っていたカツラを指でクルッと回して、自分の頭に乗っけると、もう街灯を通りすぎてまた見えにくくなってしまったけれど、それでもわかるほど目を丸くしてる。
「俺が女の子のフリとかして聞きだそうかな」
「っぷ、ちょ、ちっとも似合わない」
「うん。けど、日向が笑ってくれた」
「伊、……」
君が笑ってくれるなら、なんでもできるし、なんでもするよ。だから、黙って我慢なんてしないで欲しい。俺にだけは強くなんてなくていいよ。君を守れるカッコいい男になってみせるから。そして、そんな俺にご褒美の。
「ン……」
キスをひとつくれたら、とても最高だから。
「伊都」
横から覗き込むように、首を傾げて君にキスをした。その拍子に頭に乗っけたカツラがズレて、君が笑って、笑った口元にキスをしたら鼻がぶつかって。なんだか楽しかった。キスをするのが面白いなんて、初めてで、また一つ、増えたって思ったんだ。
君とした、「初めてのこと」が。
白いワンピースはけっこう目立つけど、脱がなくて大丈夫? って訊いたんだ。中にハーフパンツだけど履いてる、タンクトップも着てるって言ってたから。でも、なぜかそのままでいいと、旅館の部屋までそれを着ていた。もう夜で、呼べば誰かしら出て来てくれるだろうけれど、そっと静かに通ってしまえば、フロントには誰もいなかったからよかったけど。
玲緒なら、面白がってずっと着てる。けど、日向なら恥ずかしいとすぐにでも脱ぎそうなのに。
「あ、あの、伊都」
「うん」
部屋に入って、改めて、その姿を見ると違和感があんまりなくて、やっぱり心配になる。もう少しくらい違和感あってくれないと、本当、困るから。
「これ、脱いじゃっていいの?」
言いながら、きゅっと、その白いワンピースの裾を握り締めてる。
「え? なんで?」
「俺なんかじゃ、あれかもだけどっ、でもっ、伊都、よく言うじゃん。可愛いって……その、俺のこと……お、俺はちっとも思わないけどさ」
声が大きくなったり、小さくなったり、と思ったらまた大きくなって。白いワンピースを着た自分をもてあますように手で、その布をぎゅっと握ってる。
「その、だから」
「もしかして、可愛いって、俺がゲイじゃなくて、恋愛対象が女の子だから、日向にもそれを願ってる、とか、思ってる?」
「……」
真っ赤になって俯いてしまった。そして、戸惑って、考えて、けど、何も言わず我慢するようなことはもうしないでいいと話したから、小さく頷いて答えてくれる。
「日向ってさ」
「……う、ん」
「たまぁ……に、馬鹿だよね」
「!」
溜め息を一つ吐いて、真っ白なそのワンピースを頭からズボッと引っこ抜いた。
「日向が可愛いんだよ」
そんな不安そうに覗き込まないで。切なげに見つめないで。
「可愛い子が好きなんじゃなくて」
じゃないと、理性とか溶けて消えちゃうってば。
「好きな日向が、ただ、フツーに、可愛いだけだよ」
でも、もう、我慢とか、理性とか、そういうの溶けて消えかかってるけどさ。
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