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旅行編 8 聞いて? 俺の好きな子のこと
「ぇ……日向?」
その白いワンピースはさっきトモさんが着ていたものだったと思う。それに髪だって……。
「え、あの」
頭が混乱した。その泣き顔は日向だけど、ついさっきまで隣にいたのはトモさんで、日向は風呂に入ってくるって言ってたのに。
「ごめん。騙して」
「え?」
「彼女とさっき入れ替わったんだ」
「え? 日向? 本物の?」
「夕方、買い物、してたでしょ? 伊都とトモさんで、俺、その時、ビーズを拾いに浜辺に戻ってた」
そういえば、日向は外で待ってたはずなのに、俺とトモさんが店から出てきた時、ちょうどどこかから帰ってきたところだった。
そうだ。
それで日向が彼女に何か、話してた。挨拶とかじゃなく会話をしていた。でも俺はもうその時点で彼女に付き合っていられなくて、その会話に混ざることはしなかった。そのまま強引に別れたけど。
「潮が満ちてきちゃったら、ビーズ、もう見つからないと思って。大事だったって言ってたから。まだもっと見つけられるかもって。そしたら、あの辺りでイニシャルの入った石を拾って、それを届けたんだ。いらないかもしれないけど。でも、って」
それがさっき、トモさんのところへ日向が向かった理由。
「そしたら、ありがとうって。ね、伊都、昼間、ナンパしてきた人にお店で偶然会った?」
「ぁ……うん。けど、なんで?」
「トモさんが教えてくれた」
――伊都君、カッコよくてモテるから大変でしょ? 一緒にいて。
――え?
「俺はなんて答えたらいいのか困ったんだ。そしたら、トモさんが、女の人が今さっきも声かけてきたって」
――彼女連れなんだぁ、みたいなこと言われた。ホントだったんだね、みたいなことも言ってたよ。
「それで、トモさん、気を使ってくれたんだ」
「え?」
「気がついた、んだと思う」
――ね、あの、ごめんね! 私、すごいうざったいことしちゃった! その、わかってなくて。なんていうの? すっごいお邪魔虫してた! ホントごめんなさい! 代わりになるかわからないけど。
「俺っ! 伊都が俺のことを大事にしてくれてるのわかってるよ?」
「……」
「男同士ってことに引け目とかちっとも感じずにいてくれるのわかってるし。それをすごく嬉しいと思ってる。けどっ」
夏になると、あの時のことを少しだけ、ほんの少しだけ思い出してしまう。ゲイってことで、同性愛者ってことで、ひどいくらいに強く引かれた境界線を。蝉の鳴く音に、うだるような暑さに、突然の夕立の音に、前の学校で感じた孤独感が混ざって記憶に残ってる。
「だから、あの時も、ちょっと怖かった」
「え?」
「声、かけられた時。そのあとトモさんが伊都と並んで歩いてるとこを見るのも。ごめんね。こんなこと言ったって伊都が困るだけなのわかってる。でも考えちゃうんだ。どうしても」
俺はゲイじゃない。同性を好きになったのは、日向が初めてだ。同性に対して、そういう魅力を感じたことは今まで、ない。
ゲイじゃないから、日向に出会わなかったら、初恋の相手は女の子だったかもしれない。そしたら、デートで海にこうして一緒に来るのは女の子で、ナンパされることもなかっただろう。彼女連れですって言えば済む。そもそも、隣に女の子がいるのに声をかける人はいない。
「仕方のないことって思うよ。トモさんが、俺と伊都が一緒にいるのを見て友達同士で海に来てるんだって思うのだってさ。同性同士が並んで歩いてて、カップルなんて思う人の方が少ないのだって当たり前だ」
自分の彼氏がナンパされるのを、ただ隣に立ってるだけじゃ阻止できない。トモさんが俺と並んでいたら、デートに見えても、それが日向となら、そうは――いかない。
「周りなんて関係ないよ」
「うん。わかってる」
日向が感じた不安を、心細さを、彼氏と別れたばかりのトモさんが感じて、和らげる手伝いをしてくれた。
本人には話せない本音があるかもしれない。面と向かってじゃ言いにくいことが。
俺が日向のことをどう思ってるか、改めて、そして、第三者に向けて、正直に話すところを聞いて、日向が少しでも自信を持ってくれるようにと、この肝試しをあの時思いついてくれた。
「あのね、俺の好きな子は、すごく可愛いんだ」
何回でも言うよ。ずっと、ずっと、言い続ける。
「よく笑うし、大喜びして、はにかんで照れて、それがすごく可愛い」
君が、俺がゲイじゃないとこを気にせず、怖がらず、隣でいつもどおり笑ってくれるように。ひとりぼっちだった夏を思い出さなくて済むまで、何度だって、何百回だって言い続ける。
「優しくて、強くて。でも優しすぎて、たまにしんどいことも辛いことも我慢するとこがあって、そんで、強すぎるから耐えちゃうんだ」
「っ」
「俺には甘えていいのに。どんなワガママだって、俺は嬉しくなれるのに。俺の好きな子は誰にでも優しくてさ。けど、俺にだけはちょっとワガママになったり、怒ったり、泣いたりしてくれていいんだ。それだって、好きな子になら嬉しくなれるよ」
ずっと、君のことを好きですって、いくらでも言うよ。
「そのくらい大好きな子が、俺にはいます」
君の思い出す夏が苦しくて寂しい一人ぼっちの夏じゃなくて、楽しくて、はしゃいで、びしょ濡れになって、彼氏と遊んだ。友達と大笑いした、そんな夏ばかりになるまで。
「名前は白崎日向っていうんだ。お日様と同じ名前を持った子」
このカツラ、そっか、あの時、トモさんが雑貨屋で被って見せてくれたやつだ。その時は髪型が同じだから、色が黒に変わっただけじゃんって思っただけだったけど。この夜道じゃ、髪色が黒だろうが茶色だろうがあまり見分けはつかないね。
そのカツラをそっと取ると、前髪がちょっと短い、俺の大好きな子が目の前に現れた。
「い、と」
「知ってる? 俺が好きになった子は、今まででその子だけなんだ」
茶色の瞳に涙をいっぱい溜めてる。その涙が悲しくてとか辛くて溢れたものじゃないと確かめるために覗き込んだ。
「その子のこと、すごく大事にしてる」
「っ」
「ずっと、大事にしたいって思ってる」
「伊都っ」
「できることなら、ずっと、ずーっと、俺だけが大事にしたいって、そう、思ってる」
去年の夏、君はまだひとりぼっちだった。今年の夏の君はひとりぼっちになんて、させない。来年の夏は……一緒に、暮せたらいいなぁなんて。
「伊都、俺、ごめっ」
「謝らないでね」
額をこつんって当てて、目を閉じた。
「気にしないで。俺、何百回だって言うから」
「……伊都」
「他所見なんてしない。好きなのは、日向だけだって」
君が観念して、俺の隣を普通に居場所だと思ってくれるまで。
「むしろ、言いたいし。日向のことを好きって、いくらでも言いたい」
「……」
気持ちを込めてキスをした。唇に触れて、離れて、俺を見上げる君にまた笑って、もう一度唇に触れる。
「好きだよ」
その瞳は夜道だからかな。いつもよりも深い色をしてて、すごく艶めいてて、もうたくさんキスをしてきたのに、またドキドキしてしまったんだ。
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