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旅行編 7 白いワンピースの可愛いあの子
旅館を夏休み前に、ふたりで、それに玲緒もたまに混ざりながら、楽しく選んだはずなのに。
海までは楽しかったのに。女の人に声をかけられた後だって、イイ雰囲気でいられたのに。
――伊都、お風呂別々に入ろ?
まさか、こんな展開になるなんて。
伸び伸びと露天風呂に浸かりながら、空を見上げた。ひとりぼっちで。頭を乗っけるとゴツゴツとした岩を、痛いけれど枕代わりにして、湯気でちっとも見えない星空へ向けて溜め息をひとつ吐いた。
あの子と別れてから、別にそんなに雰囲気が悪いわけじゃなかった。普通に話したし、普通に夕飯を食べていた、と思う。
でも、日向は我慢強いから、たまに気がつかないことがあるんだ。無理をしてるって、わからず素通りしてしまってることが今までだってあったから。
空に手をかざすと、指先から落っこちた雫が顔を濡らす。
「……」
変な顔は、してなかった、と……思う。
――だって、伊都とふたりっきりでお風呂とか意識しちゃうじゃん。
そう言った日向はただ照れてるだけだった、と……。何度も表情と声を思い返すけれど、でも、普通すぎるのが心配なんだ。俺が女の子とショッピングなんて、仕方がないとしたってイヤだったはずなのに。帰り道で夕陽が綺麗だね、なんて笑うから。逆に心配になるんだよ。
「はぁ……」
もう上がろう。
花火でも買ってこようかな。近くにコンビニってあったっけ? 海辺でふたりで花火でもしたら、雰囲気がもっとよくなるかもしれない。でも、夜の海は少し怖かったりするかな。海風も夜になると冷たくなるだろうから、日向が風邪を引いたりするかも。それでなくたって、あんなに華奢なんだから。部屋でふたりでゆっくり、のほうがいいかな。泳ぎに慣れてる俺は大丈夫だけど、日向はそうじゃないから疲れてるかも。
「あ、伊都」
疲れてるかも、しれない。
「? どうかした?」
「あの、さっきの子」
「え?」
「さっきの子が、玄関のところ、来てるって」
そしたら、やっぱり部屋でゆっくりするのがいいかもしれないって、そう思った……のに。
旅館の玄関口にあの子が立っていた。白いシンプルなワンピースを着て、白い肌だから、少しふわりと光を纏っているように見える。
「……なんの用ですか? 俺、旅館、教えましたっけ?」
「ごめん。なんかストーカーっぽく思われそうだけど、名前がちょっと変わってたからさ。ここ、友達の親がやってる旅館なの。ホントだよ?」
「……」
「昼間、怒らせちゃったみたいだからさ、謝ろうと思ったんだけど」
白い彼女には近づくことなく、俺は旅館の玄関先から一歩も動くことはしなかった。
「怒らせたと思ったなら、そのまま放っておいてください」
「あー、あははは。だよね」
「それじゃ」
「ちょっ! ちょっ、ととと、待って!」
慌てて駆け寄った彼女に腕を掴まれて、思いきり怪訝な顔で振り返った。日向だけじゃなく、玲緒も驚きそうな、俺らしくない、苛立った表情で。
「なんですか? 俺、部屋に」
「わー! わかってる! わかってるってば! その、ブレスレット……なかったの」
「……」
「いいのが。って、あたりまえだよね。私、ブレスレットが欲しいわけじゃなくて、彼氏との、ゆう君との思い出が壊れちゃったのがイヤだっただけだし」
「……俺は、ゆうくん、じゃないです」
コクンと頷いた彼女は俯いてしまった。昼間あんなに元気だった子と同じ人だとは思えないくらい、儚げに見えるのは薄暗い中でやたらと目立つ白い肌のせいかもしれない。長い髪がうなじを隠してるけれど、その髪が心細そうに風に揺れる。
「一回だけ、付き合って欲しいの」
「……なんで、俺が」
「一回だけだから! ゆうくんと一緒にここの先の橋に肝試しをしに行ったの。その時は蛍がすごい綺麗で、一緒に眺めてた。もう、いない、けど」
「……」
そこを歩いて、思い出を仕舞うからと、ぼそりと寂しげに言われた。
「……ダメ?」
俺にはわからない。失恋したことがないから、彼女がどのくらい悲しんでるのか、実感はできない。でも、もしも、日向と別れることになったら、その思い出が壊れちゃったら、それは。
「名前」
「ぁ、ゆうくん」
「違います。貴方の名前」
「へ? あ、トモ」
思い出が壊れたら、それはとても悲しいだろうから。状況は違うけれど、お父さんはお母さんをなくしてからずっと寂しそうにしていたから。
「一回だけ、その橋に行ったら、もうこれ以上はナシにしてください」
「!」
自分なら、と想像するのすらイヤだったから、少し、トモさんに同情したんだ。
「肝試しって好き?」
「俺は、あんまり。でも、幼馴染ですごい好きな奴がいる」
「へー。私も。あんま好きじゃないけど、ゆうくんがめっちゃ好きだった。手、繋げるしって、よくぎゅーって手を繋いでくれた」
「……」
「って、思い出をしまうための肝試しで、思い出してどうすんだって話しだよね」
夜道、公園を通り過ぎて、その橋に向かうらしいんだけど、どこもかしこも街灯が乏しくて、彼女が今笑いながらそれを言ったのか、寂しそうにしながら言ったのか、よくは見えなかった。
橋のところがゴール。そこまでの間に、トモさんは彼氏との思い出に区切りをつける。高校三年、就職先は地元のたぶん旅館だと思う。そのための資格勉強をしなくちゃいけないんだって教えてくれた。だから、本当は失恋だと嘆いてる場合じゃないんだって。
虫の音くらいしかしない。波の音も、海はすぐそこにあったはずなのに、ここからはどうしてか聞こえなかった。
「伊都君は、好きな子いるんだっけ」
「います」
「っぷ、敬語?」
「だって」
「どんな子? ぁ、ちょっと待ってて。ごめん、トイレ行ってくる」
ちょうど公園に差し掛かったところだった。いきなり行ってしまって、いくら地元でも、夜の公園で一人トイレに行くのは危ない気がして追いかけたかったのに、足が速いらしく見失って。辺りを適当に歩いて探してた。
トイレって、一体どこに? 公園の地図は?
それすら暗くて見つからない。
ガサ……。
「うわあああ!」
背後で、物音がして思いっきり飛び上がった。
「あ、びっくりした。トモさん、どっから出てくるんですか」
「……」
「人がいない公園でちょっとびっくりした。肝試し苦手なのに。トイレ、大丈夫でした?」
コクンと頷いてくれたのを確認して、ホッとした。でも、ひとりで夜の公園のトイレなんて危ないから、次、そういう時は一緒に行きますと言うと、また、ひとつ頷く。
さっきまであんなに話してたのに、なぜか、急にだんまりだ。
「トモさん、何かあった? その、トイレで」
変なこととか、田舎でも、いや田舎だからこそ物騒だったりとか。覗き込んで本当に大丈夫なのかを聞きたかったけれど、ブンブンと頭を横に振っている。
もしかしたら、彼氏だった人のことを思い出して、泣きそうなのかもしれない。
「えっと、俺の好きな子、のことでしたっけ」
「……」
「すごく可愛いです。よく笑うし、表情がすごく豊かで、一緒にいて楽しい」
「……」
「でも、すごく我慢強い子だから、たまに心配なんです。自分のことを押し殺すっていうか、すぐに我慢するから、今も何か不安にさせてたりしないかなって」
日向は誰より強くて、誰より優しいから。自分のことを二の次にしちゃうところがある。
「俺はその子のことを一番大事にしたいんだけど……たまにうまくできなくて」
「……」
「俺のことを褒めてくれるけど、自分のことは絶対に褒めない。世界一可愛いのに。どっかで、自分でいいのかなって思ってそうっていうか」
俺が女の子といることに、悲しそうな顔はするけれど、それを口には決して出さない。ワガママも言わない。耐えて、笑おうとさえする。
「俺にだけは弱いとこ見せていいのに」
「……」
「俺は、日向のこと、絶対にそんくらいで嫌いになったりしないのに」
「……」
「ずっと、俺は日向のことが一番好きなのに」
ゲイじゃない俺と、ゲイの日向。一番好かれたいのは君なのに、その君が、自分は俺に似合わないんじゃないかと、たまに思って身を引いてしまったりしないかって、不安になる。強すぎて、自分が傷つくこともいとわないところがあるから。
「今日だって」
「……伊都」
「……」
声がした。優しくて柔らかい日向の声が。
「……ぇ?」
今、隣から聞こえた。
「伊都」
振り返ると、真っ白なワンピースに白い肌、長い髪で、でも、真っ直ぐに俺を見つめる涙をいっぱいに溜めた瞳は、日向だった。
「日向?」
俺の一番好きな子が、そこにいて、少しベソをかいていた。
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