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日向視点のとある日々編 8 幸せそうでなによりです。

 今日はすごくあったかくて、シャツ一枚でもちょうどいいくらい。 「ありがとうございました。お気をつけて」  春風の中、軽やかにその毛先が踊る軽いヘアスタイルにしてみた。お客様も気に入ってくれたみたいで、にっこりと満足そうに笑ってる。ぺこりとお辞儀をして、春色のスカートと軽くなった毛先を踊らせながら歩道を歩いていく後ろ姿を見守った。 「……よし」  うん。なかなか、いい感じにカットできたんじゃないかな。カラーもいい感じ。  後ろのカットの出来映えをしばらく見つめてから、店内へと戻っていく。今日、ラストのお客様なんだ。入学シーズン。朝、着付けの仕事が入ってて、すごく早かったから、もう仕事はおしまい。お腹空いたなぁ。でも、今日はこれから――。  その時、ふわりとまた春風が吹いて。  どこからか桜の花びらが舞い落ちてきた。 「?」  どこから? ここの通りに桜はないはずだけど。  ぐるりと周りを見渡して、やっぱり桜がないことを確かめてから、扉を閉めた。 「お先に失礼します」 「あ、お疲れ様ぁ」  チーフにぺこりと頭を下げて、スタッフオンリーの扉を開けた。 「あ、白崎さん、お疲れ様です」 「ぁ、お疲れ様」 「今日はもう上がりなんですね」 「うん。北川くんはこれから」 「はい」 「遅番、多いね」 「あはは」  あんまり朝からいるのを見かけないかもしれないと、今更だけれど気がついた。よくお昼くらいに出勤して、ラストまでいることが多いかもって。  他のお店がどうかは知らないけれど、うちのお店は遅番は不人気なんだ。夜は自分の時間が欲しいって人もいれば、家族がいて、お子さんがいるスタイリストさんとかは、やっぱ、早く帰りたいし。だから、遅番はちょっと人気がない。 「うち、彼氏が料理人なんで。夜、いないんです。逆に朝の方がゆっくり一緒にいられるから」  なるほど。 「少しでも一緒にいたいなぁって思ったんですけど、そういうの重いかなって」  そう、かなぁ。 「あっ! けど、違ったんで! この前聞いたら、全然って言ってもらえて。えへへ。なんで、ほぼ遅番なんです」  そう言って、北川くんが嬉しそうに笑った。 「白崎さんはこの後、どっか行くんですか?」 「?」 「あ、いや、今日ちょっと、いつもよりオシャレだから」  そう? そうかな。 「お花見に。彼氏、の、実家の近くに桜が綺麗な公園があるから」 「えー、それって」 「うん」 「え、すごっ」 「うん」  家族で行くんだ。伊都と、お父さんと、それから――。 「いいなぁ」 「……」  いいよね。俺も、そんなふうになれるなんて思わなかったよ。ちっとも、想像もしてなかった。 「なれるよ」 「!」 「北川くん、相手のこと、すごい好きだし、向こうもすごく北川くんのこと好き、なんじゃない?」 「!」  だって。  ―― 全然って言ってもらえて。えへへ。  そう言って笑った時、すごく幸せそうだったから。  きっと、その時、相手に言われたこと、思い出してたんでしょ? 「だから、そのうち」  不安もトゲトゲも、焦っちゃったり、慌てちゃったり、考えちゃったり、色々するけど。 「ありがとうございますっ。あのっ、また、ぜひ、話しさせてくださいっ」 「うん。あ、じゃあさ、今度、一緒にご飯食べようよ。うちの」  わ。今。 「えっ、いいんですかっ?」  うちの、なんて言っちゃった。 「むしろ、こっちが一緒に食べたいから」 「わー! 俺、彼氏に聞いてみますっ」 「うん。ぜひ」  伊都のこと、「うち」なんて言っちゃった。 「それじゃあ、お疲れ様」 「お疲れ様でーす」  すごい、「うち」だって。  ねぇ、ねぇ、伊都。 「日向!」 「!」 「お疲れ様」  伊都のこと「うち」なんて言っちゃった。 「? どうしたの? 顔真っ赤」 「!」  だってだって。 「大丈夫? 今日あったかいから、のぼせた?」  そうかもしれない。 「あ、父さんが弁当たくさん作ったって。けど、何食べたいってリクエストしといて、野菜炒めって答えたら、お花見弁当に? って、笑っててさ」  春のポカポカと。  君が大好きって気持ちのポカポカと。 「いや、父さんの野菜炒めは外せないって言ったら、睦月も笑ってさぁ」  それから、伊都が太陽みたいにあったかいから。きっとのぼせちゃったんだ。 「あ、そうだ。向こうの通りにすごい大きな桜の木があった」 「!」 「めちゃくちゃ住宅街なのにそこだけ花壇になってるところがあって。綺麗だったよ。あとで桜たくさん見るけど。ちょっと寄り道しながら行こうか」  そして、自然と差し出してくれた手をぎゅっと握ると、君の頬も桜のようにほんのり色づいた。  満足そうに。  幸せそうに。 「あ、伊都」 「?」 「職場の後輩の子に、今度四人でご飯行かない? って言ったんだけど、い?」 「! もちろんっ」  世界で一番幸せそうに君が笑ってくれるから。 「ありがと、伊都」  シャツ一枚でもちょうどいいくらいに、気持ちも全部丸ごとポカポカしてくるんだ。

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