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第1話
ギターを背負 った長坂大成 は、口笛を吹きながら馴染 みの音楽スタジオのドアを開けた。
馴染みといっても、大成は昔も現在 も、遊びでアコースティックギターを弾いているだけで。高校時代の音楽仲間がバラバラになると、スタジオにはほとんど行ってなかったが。
頻繁に通っているのは、大成があの演奏を聴いた日からだ。
数少ない音楽仲間の高峯邦彦 に呼び出された大成が、時間よりも早くスタジオに着き、ぼんやりしていると。ポーン、とピアノの音が聴こえた。
誰だろう? 気になって耳を澄ますと、単調な音色はだんだんと滑らかな流れになってきた。
聴いたことないな……なんて楽曲だろう?
うずうずと我慢できなくなった大成がピアノスタジオへ向かうと、扉が少し開いていた。
外で待つのがマナーかとも思ったが。もっと傍に寄って聴きたくて。部屋に入るとそっと扉を閉めた。
そんな大成には気付かず、音楽は奏でられる。
もしかしてこの曲、現在あそこで演奏しているひとが創ったのかな? そんな迫力が伝わってくる。
巧みなピアノ演奏が終わり。一息ついた演奏者が立ち上った。すらりとした背丈に、整った顔立ちの少年だ。
あれは確か、邦彦の知り合いだったっけ。
ぼーっと聴き惚れていた大成と目が合うと、少年は一瞬動きを止めたが、すぐにピアノから離れた。
大成もどんな声を掛けたら良いか分からず、
……パチパチパチ……
軽く拍手をすると、少年も軽く頭を下げた。
ただ、それだけの出来事だったが。
それからは特に用事も無いのに、大成はまたスタジオへ足を運び。そしてしばらくうろうろして、何もせず帰宅する。そんなのを幾度繰り返しても、あのピアノを弾いていた少年とは、まだ会えないんだよな。
スタジオの休憩所を覗くと、そこでは邦彦が誰かと会話を交わしている。よく見るとその相手は、以前大成に綺麗な演奏を聴かせてくれた少年だった。
大成のテンションは上がったが、なんだろう、邦彦の表情 が困惑に満ちている。
「……だからさ、きみはこれから大学への準備もあるし」
「それはもう終わりました。だから頼んでるんです」
「でも、急に言われたって……」
少年の厳しい口調に、邦彦の顔がさらに歪んだ。
「おっじゃまっしまーす」
ふざけた声で大成がひょいっと顔を出すと、ふたりの会話がピタリと止んだ。
「あっ、そうだ。今日は、お前も来るって言ってたもんな」
邦彦は大成に向かってぎこちなく笑いかける。
「丁度良かった。こいつと演奏しなよ! 自分よりもこいつのほうが、他人 と合わせるの上手いよ」
やたらと大成を褒める。なんだろう、今日の邦彦はいつもと違うな。普段はもっと真面目なのに。
あくまで音楽は趣味で楽しみたい大成は、大学の商学部に進学したが。邦彦は音楽の将来を真剣に見つめて音楽大学に進み、作曲の勉強なんかをしている。
「この彼、戸田山 くんはピアニスト志望でさ。彼がギターとセッションしたいって言うからさ! 大成、お前一緒に弾けよ」
少年を指差して早口で紹介する。しかし、そんなこと急に言われてもな。
「じゃあ、よろしく……あっ、今日のスタジオ代は、自分が払っておくから!」
そそくさと帰り仕度を始めて、あたふたと邦彦は去って行った。
友達からあんな一生懸命に頼まれたなら仕方ないか。それに、彼のピアノ演奏と一緒にギター演奏が出来れば、
「えっと……じゃあさ、どういう曲を合わせる?」
きっと楽しい。そう浮かれた大成が明るく尋ねる。
「いいえ、結構です」
きっぱり断られてしまった。そして戸田山は、邦彦の去った方向を無言でじっと見つめる。
「トヤマくん、だっけ?」
長く続く無音状態に耐え切れず、大成は口を開いた。
「戸田山です」
「あぁ、そっか。俺は長坂、長坂大成。邦彦とは高校からの友達なんだ。音楽は邦彦ほど真面目にやってないけど、聴くのも演奏するのも好きだよ」
軽い調子で自己紹介しても、戸田山はそっぽを向いたまま、何も応えない。
なんだろう。邦彦には懸命に何かを頼んでいたのに、邦彦から頼まれた大成は必要ない、といった態度だな。
そして戸田山は、ずっと口を閉ざしていて。なんだか、気まずい。
「一緒に演奏してみたいけどなー。きみのピアノは独特な響きだし」
「聴いたことありましたっけ、自分の演奏」
笑いながら話を振ってみると、そっけなく返された。
「ここできみが弾いてた時にさ、たまたま俺が来たことあっただろ?」
「あなたが?」
微笑んで首を傾げる大成に、怪訝な口調で戸田山は答える。
拍手をしたのが大成だと分かってないのかな。それとも、あの演奏に照れて、ごまかしているのかな。
あのときの戸田山は、大成と会話を交わすことはなく、脇をすり抜けて行ってしまったし。
あなたとはもう何も話す事はありません、といった冷淡さで口を閉ざした戸田山の無表情が、途端に驚きに変わった。
「……カナ?」
カナ? 呆然とした戸田山の声に、その視線を追うと、少年がひとり立っていた。
「悪いな、真 。いきなり来て」
少年は戸田山に向かってはっきりと呼びかける。しかし、その姿は逆光でよく見えない。
「予定もないのにどうしたんだよ? それに、カナが来る前には必ず連絡入れろ、って頼んでただろ?」
焦りながら問いかける戸田山は、さっきまでの冷静さを失くした視線を、大成にちらりと向けた。
「連絡したけど繋がんなくて。真は気付いてないみたいだし、急いで来ちゃった」
逆に少年は軽い調子で応えながら、こちらへやって来る。
徐々に近付いてくる少年の外観が見えてくるにつれ、大成は奇妙な感覚に囚 われた。
「こないだ、これ忘れたんだよ。このまんまだとまずいだろ」
そう戸田山に話しかける少年の姿形が、戸田山と全く一緒だったから。
もうひとりの戸田山は、ほいっと戸田山に何かを手渡すと、大成に向かって軽く頭を下げる。そして、無言で何かを受け取った戸田山に、もうひとりの戸田山は笑いながら話しかける。
「いきなり現れるのも、やばいかと思ったけどさ」
何がやばいんだ? 研究所から現れたクローン人間だから? それとも、鏡の国から現れたからか? そんなSFやファンタジーが大成の頭をよぎったが。
(いやまあ、こういう場合、一般的に考えると……)
「長坂さん。こいつ、自分の双子の弟です」
疑問に染まった大成に、戸田山はもうひとりの戸田山を指して、そう紹介した。
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