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第6話

 封筒をケツポケットへねじ込み、もう一人の厄介者を追い出す為、リビングへ戻る。 「悪魔は魔界へ帰ったか?」  女はソファに踏ん反り返り、清々したと言わんばかりの顔である。  俺も早く、清々したい。 「お前も帰れ」 「そう急くな。急いては事を仕損ずると言うぞ」 「喧しい! さっさと出て行け!!」 「まぁまぁ」  俺を宥めようと女が側へ近付き、腕に触れた時だった。 「その男から離れろ!!」  突如ベランダの戸が開かれ、男の怒声が飛び込んできた。  まさか十階のベランダから侵入者が現れるとは思いもしてなかった俺は、驚きから身体中に小さな痺れが走った。  今度は一体何なのだと、顔だけを動かし声のした方を見ると、見ず知らずのブロンド碧眼の外人が立っていた。  ベランダには屋上にでも結んであるのか、ロープがプラプラと垂れ下がっている。  ・・・ロープ一本で降りてきたのか。この変態。何者だよ!  変態・・・もとい男は、スパイなどの特殊工作員ものの映画から飛び出したような井出たちだ。  暗闇で暗躍するのに重宝しそうな黒のボディスーツを着た百九十はあるだろう長身の男は、今はまだ夕方であるとか、夏真っ盛りで黒の上下は自殺行為である事を完全に無視し、滴る汗もそのままに無遠慮に室内に入ってきた。  今は八月だと認識していたが、実は今日は十月三十一日だったりするのか?  つーか、今直ぐ警察に電話するべきだろうか? 「マックス!?」  叫ぶと、女は足早に男へ歩み寄った。  マックス・・・?  それはこの得体の知れない男の名前か?  てか、知り合いかよ!!  次から次へと・・・勘弁してくれ。  一気に脱力し、その場へしゃがみこむ。  目の前の不法侵入者二名はお互いしか見えていないらしく、第三者の目の前で突如言い争いを始めた。 「リーゼ。俺と別れてこの男と寄りを戻すつもりか!?」 「何を言っている。私はお前と別れる気はないし、こんなのと寄りを戻す気は全くない!」 「じゃあ何故此処にいる! 清純ぶってとんだ尻軽だな!!」 「尻軽だと!? よく言った。その無駄に整った顔を歪に作り変えてやるから差し出せ!!」  目の前で繰り広げられる痴話喧嘩にうんざりし、今日何度目か分からない溜息を吐き、先程まで女が踏ん反り返っていたソファへ行き、力なく座った。 「尻軽でなくて何なんだ。こんな綺麗な顔しているだけの男なんかと!!」 「何を言っている!?」 「もうヤったのか? この身体を抱かせたのか!? この身体は頭から足の先、髪の一本まで俺の物だというのに!!」 「勝手な事を言うな! この身体は私のものだ!!」  ギャース。ギャースと不毛な言い争いだった。  不本意ながら静観していたが、全く治まる気配がない。  面倒だが、このまま騒音でしかないやり取りを聴き続けるのはごめんなので、仕方なく重い腰を上げた。 「おい。お前ら。痴話喧嘩は他所でやれよ!」  そう言ってやると、不法侵入者二人は俺を見る事もせずに、お互いを睨みあったまま同時に「うるさい!!」と言いやがった。 「うるさいって・・・此処は俺の家だ!!」  怒鳴ると男の方はこちらに顔を向け、獰猛な今にも殴りかかってきそうな目で睨んだ。 「志野原貢といったな。貴様、この俺からリーゼを奪えると本気で思っているのか!?」  行き成りなんの言いがかりだ?  話が全然見えねぇ。  まぁ、どうでもいいか、話なんて。早く追い出そう。 「思ってない。お前らお似合いだよ。だから二人そろって此処からでてけ」  シッシと手で追い払う動作をしてこの家からの退出を催促する。 「何!? 出てけだと!! ん・・・・・・似合い?」  男は信じられない言葉を聞いたとばかりに何度か目を瞬かせ、記憶を反芻させているのか何度か「似合い」と呟いた。 「どういうつもりだ?」 「どうもこうもねーよ。さっさと出て行ってほしいだけだ」 「リーゼと元鞘に納まるんじゃないのか?」 「全く記憶にない女とどうやって寄りを戻そうって発想出来るってんだ?」 「記憶にない・・・?」 「昔付き合っていたらしい話をさっき聞いたが、全く覚えてないし、思い出しもしねぇよ。分かったらさっさとその女連れて出て行け」  男は訝しげな顔で俺を見たと思うと、女に向き直り「本当か?」と確認した。 「本当だ。この最低最悪の呆気者は、私の事などまるで覚えていない」 「それじゃあ。寄りを戻すんじゃないのか?」 「最初からそう言っている」  漸く話が通じたと、女は胸をなでおろすが、男は納得がいかないとばかりに更に女に詰め寄った。 「じゃあ何故探偵にこの男を調べさせ、今此処に居るんだ!?」  探偵に・・・調べさせた、だと? 「おい」  呼びかけるが、ソファに座っていて、低い所からの声は届かず・・・いや、違うな。こいつ等お互いしか見えなくなりがちなんだ。 「何故お前が知っている!?」 「君の事なら全て把握するように努力している。いやぁ。スパイ映画主演にさいし色々と特訓した事がこんなところで生かされるとは思わなかったけどね」  アハハッ―――男は得意そうに笑った。  笑い事じゃねぇ。  お前のやった事は犯罪だ。  そして俺にとって大迷惑な行動だよ。 「あの探偵、情報を売ったな! プロ意識の低い連中だ!!」  全くもう―――と、女はブツブツと文句を言っている。  文句を言いたいのはこっちだ! 「おい」  立ち上がると、女の頭を鷲掴み、力ずくでこちらに向かせる。 「どういう事だ」  問うと、女は愚問だと言わんばかりの顔で見る。 「調べなくてはお前の居場所が知れないだろう?」 「調べてまで俺に会いに来る必要性がないだろうが!」 「仕方なかろう。貴様しかいなかったのだから!」 「なにが!?」 「社長に知られていないのがだ」  はぁ?  話が全く見えない。 「社長ってなんだよ」 「私の所属する芸能プロダクションのトップだ」 「社長の意味は訊いてねーよ! 社長が俺みたいな一般人知らないのは当たり前だろう。それが何だってんだよ!」  女は視点を俺から外し、視線をさ迷わせながらモゴモゴと言い淀む。 「あー。その・・・実は事務所の所長にマックスと別れろと言われてな」 「あぁ?」 「別れるくらいならモデルを辞めてやると啖呵きったのだ」  女の言葉を聞き、アホは女の後ろでおおはしゃぎ。俺は意図的にそれを完全無視して話を進める。 「で?」 「ホテルや知人の所に泊まったりなどしたら、直ぐに見つかってしまうからな。所長が泣いて詫びを入れてくるまで泊めてくれ」  この通り。頼む―――と、先程までの態度のデカイ振る舞いとは百八十度変わって土下座攻撃だ。  話は分かった。漸く事態が把握できた。  つまり、俺は何も関係ないな。 「帰れ!!」 「そう言わず泊めてくれ」  再度土下座で頼み込む。そんなもので絆されるほど俺はヌルイ人間じゃない。 「ふざけんな! 絶対に嫌だ!!」  断固として断るが、女はしつこく土下座し続けた。 「頼む。今頼れるのはお前だけなんだ」  頼むの一点張りで全く引く気配がない事にほとほと困り果て「お前も自分の女が他の男の所に泊まるなんて嫌だろう? 引き摺ってでも連れて帰れよ」と話を向けると、マックスは少し考え込むような仕草をし「俺も泊まれば問題ないだろう」などと意味不明な発言をした。 「はぁ?」 「ああ。それがいい。そうしよう」 「何一人で納得して決めてんだよ。お前等を泊める気なんかねーって言ってんだろうが!」 「安心しろ。金はちゃんと払う」 「人の話を聞けよ! ってか日本語が不自由ならそう言え。英語で話してやるから!!」 「安心しろ。マックスは日本語は得意だぞ」 「じゃあ、頭がイカレてんのか?」 「お前。私の最愛の人を愚弄するか!?」  シャーーーとまるで猫が毛を逆立て威嚇している姿そのままに、敵意を向けてきた。  ああ。もう、本当に面倒臭い。  同じ言語を使っているのに会話にならない相手に言葉を尽くせるほど俺は聖人じゃない。  仕方ないと自分に言い聞かせ、テーブルに置かれた携帯を取り、一番かけたくない番号にかける。 「ああ。晃か? うちがリーゼとその恋人のマックスと言う奴の密会現場になってるから、今から三十分後きっかりにリークしろ。じゃあな」  携帯を切り、ソファに再びすわり、二人に最後通告。 「グズグスしている暇はねーぞ。さっさと出て行け」  二人は顔を蒼白にし、あたふたと慌てふためき「落ち着け志野原貢」と口々に言った。 「落ち着くのはお前等だろうが」 「話し合えば分かり合える。そうだろう?」  男は甘いマスクに極上の笑顔を浮かべて俺を懐柔しようと試みるが、失敗。  何故なら、光以外に興味がない俺には無効だから。  大体、分かり合えないから強行手段に出たんだよ。アホが! 「志野原貢・・・くん。ベランダからお邪魔した事は紳士として有るまじき行為だった。出会ってから今までの態度も悪かった。この通り謝るから・・・だから、今の電話を撤回してはもらえないだろうか?」 「謝罪とかどうでもいいから、さっさと二人仲良く出て行けよ」 「いや、それは・・・」  しどろもどろになる男を押しのけるように、女は俺の前立ち、踏ん反り返った。  恐ろしく偉そうだ。何様だ?  さっき土下座した姿を見た気がしたが、目の錯覚だったのだろうか? 「志野原貢」 「何だよ」 「いいのか。私を追い出して?」 「はぁ?」 「初夜の心意気ってものを聞かなくていいのかと言っている」  初夜の心意気・・・。 「先程黒いのが私に初夜の心意気を聞けと言っていただろう? つまりお前は、光という最愛の者との初夜に踏み出せない何らかの理由があるのではないか?」  答えずにいると、無言を肯定とみなしたのだろう。  女は話を進める。 「私はこれでも女の端くれだ。マックスは私と出会うまでは世界中の女性は自分の恋人だと豪語するほどの女垂らしだった男だ。助言なりなんなり出来ると思うぞ」  ・・・・・・。  女はどうやら光を女性だと思い込んでいるようだった。  確かに光の名前は男とも女とも取れる名前だ。  それに今まで俺は女としか付き合ってこなかったのだから、そう判断するのが自然だろう。  わざわざ説明する必要も気力もないので、その事は触れずに「別にいらねーよ」と助言の申し出を断った。  すると女は目を吊り上げた。 「お前。これまで通りの機械的なSEXをして、愛しき者に虚しさをあたえるつもりか?」  機械的・・・虚しさ・・・  背中に冷たいものが走った。  その言葉は何時誰に言われたかは思い出せないのに、ずっと抜けない棘のように心に刺さっていた言葉だったから。 「何で・・・」 「ん?」 「なんでお前が知っているんだ・・・」  問うと、女は冷ややかな目で俺を睨み、次に顔を引き攣らせた。 「なんで・・・か。それはな」  意味ありげな黒い笑顔を浮かべ、にじり寄って来る。 「貴様にそういった仕打ちを受けたからに決まっているだろうが!!」  言うが早いか、間合いを詰め、長い足を天高く振り上げると、ソファに座っている俺の脳天めがけて振り落とした。 咄嗟に手をクロスさせ踵落としをブロックし、第二攻撃に備えるが、第二攻撃はあらぬ方からやって来た。 「貴様ァ~!!」  男は憤怒の声を上げ、女を押しのけて俺の胸座を掴み、力一杯締め上げた。 「俺のリーゼ何してくれたんだ? アァ!?」 「放せ・・・」  何度となく男の腕を叩き、苦しいと、放せと、アピールするが、怒りからか男は手を放す事はせず、俺の首を絞め続けた。  男の腕をへし折り、苦しさから逃れようかと考えた。  その時・・・。 「止めろマックス!」  女は男の腕に縋りつき・・・という方法は取らず、首に腕を回し締め上げるという力技で男を俺から引き剥がした。  急に気道に空気が入り、ソファの上で盛大に咳き込む俺を覗き込み、女は大丈夫かと背中をポンポンと叩き、咳が治まると男を睨みつけた。 「何をやっているんだ。殺す気か!?」  数分前に、人の脳天に踵落としを喰らわせようとした人間にだけは言う権利の無いセリフだ。  そんな棚上げセリフはスルーして、男は鼻で笑う。 「フン。酷い事したんだろ。こいつ? なら死んでいいじゃないか」 「確かに志野原貢は私の事など『女その一』程度にしか認識していなかったし、いくら話しかけても何時も上の空でまともに相手などしたためしはないし、そんなだから言葉も態度からも愛情など微塵も感じられなくて・・・」  フォローしようとしたらしい女は、自滅した。  過去の事を色々思い出したらしく、ガックリと項垂れその場にしゃがみ込み、ブツブツと言い出した。  そんな女の姿を見て男は「死罪確定」と宣言し、鬼の形相でこちらを見る。  明らかに臨戦態勢に入っている男を見て、立ち上がり、こちらも身構える。  面倒だが、二・三発入れ、後ろ首に手刀を当てて意識刈り取るかと腹を括り、相手を探る。  何か武道をやっていたのか、喧嘩慣れしているのか男の身体には変な力は入っておらず、只者ではない空気を纏っている。  相手の出方を見ようとお互いに睨みあっていると、張り詰めた緊張感を感じ取った女が漸くあちら側から帰還したらしく、慌てて男の足にしがみ付いた。 「待て。マックス。止めるんだ」 「離れていてくれ、リーゼ」  顔も視線も俺から動かさず、声だけで促す。 「駄目だ。怒りを収めるんだ」 「無理だ」 「お前が怒る必要などない」 「ある。君は俺の一番大事なひとだ」 「気持ちは嬉しいが・・・」 「今の俺を止めたいならミサイルくらい持って来なくては無理だ」 「私の話を・・・」 「離れてろ」  全く取り合わない男に、女は俯き、肩を震わせ、小さく何かを呟いた。  次の瞬間。  拳でもって、男の足の甲を打っ叩いた。 「話を聞けと言っている!!」  男は叩かれた足の甲が余程痛かったらしく、声にならない悲鳴を上げ、その場に蹲った。  ご愁傷様。 「聞け。マックス」  男は声を出す事が困難なためか、頭を上下に動かす事で返事をした。  どうやらミサイルが無くても止まったみたいだ。 「この志野原貢は最低の男だった。だが、私も悪かったのだ」  女は固く口を結び、痛みに耐えるように目を瞑ると一度大きく呼吸をし、再び口を開いた。 「私は、孤独で寂しくて、誰かに愛されたかった。だから、自分に良く似た人間なら私の気持ちをより深く理解してもらえると勝手に期待して、手を伸ばしたのだ。愛してもいないのにな」  女は自嘲気味に笑った。 「私も最低だったのだ。だからマックス。お前が怒る必要は無いのだ」 女の告白を聞き、男はまだ痛むだろう足を無視し、勢い良く立ち上がると、女を抱きしめた。 「最低なんて事はない。人はみな誰かに愛されたいと願っているものだ」 「マックス。だが私は・・・」 「シー。その先は言わせないよ」  見詰め合ったままの二人は人目がある事を都合よく忘れたらしく、濃厚なキスシーンを演じ始めた。  なんだ。この安っぽいドラマは・・・。  寒っ!  昔、乱れた性生活を送っていた身としては、今更キスくらいでは何の衝撃も受けないが、正直見てて楽しいものじゃない。  何度か咳払いをし、見苦しいから止めろと合図を送る。  バカップルは同時に俺を見ると、迷惑そうな顔をし「気が利かない」などと世迷言抜かしやがった。 「何度も言うが、此処は俺の家だ! イチャ付きたいなら何処かその辺のホテルでもしけ込め!!」 「志野原貢」 「なんだよ」 「出て行く件は、助言を与える事で目を瞑ってはくれないか?」  はぁ?  何言ってんだ。それはさっき却下しただろうが。 「まずは、志野原晃へのリーク取り消しを頼む」  言葉は一応窺うものになっているが、全くこちらの意見は聞かない姿勢だ。  その証拠に、携帯を差し出している女の顔は頼むと言うよりも「さっさと早くしろボケ」と明らかに命令している。  危険極まりない変態二人。しかも意思の疎通が出来ない人間相手に、溜息を吐く以外俺に何が出来ただろう・・・・・・。

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