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第2話
「―― じゃあ、お疲れ様でしたぁ、
お先に失礼します」
「あぁ、桐沢先生、お疲れ様です。お気をつけて」
この日も倫太朗はいつものように通用口の
詰め所にいる警備の本間さんに挨拶し、
実地臨床研修先の市立病院を後にした。
現在の時刻、午後5時半 ――
冬の夕暮れは早く、
辺りはすっかり宵闇に包まれている。
”うぅ~~、さぶぅ~”と、コートの襟を立てて、
ふと、空を見上げれば ――
上空より何やら白っぽいふわふわした物が
無数に舞い降りて来る。
「あー、雪だ……」
道理で底冷えするワケだ。
知らず知らずのうちに猫背になって、
家路を急ぐ。
桐沢 倫太朗(きりさわ りんたろう) 25才。
この国立星蘭大学附属市立秀英会病院の
前期研修医。
姉が再婚し出戻った為、1人暮らしのアパートを
探しているが未だ希望に合った物件は見つかって
おらず、自宅通勤だ。
「―― ごめんなぁ、ちゃんと家で飼ってあげられれば
いいんだけどうちの家族、ペットアレルギーだから」
ここは帰る途中にある小さな児童公園。
2~3ヶ月程前からミケの仔猫が
住みついていて病院の職員食堂からもらっておいた
残飯を与えている。
猫が無心に餌を食べる可愛い姿に癒され
自宅へ向かう。
*** *** ***
敷地の長い外壁が途絶え、
いかつい門が見えてくると、
それまで寒さの為せかせかしていた足取りも
幾分緩やかになり。
猫背もスクっと伸びてゆく。
そんな倫の近付く気配に気付いて、正門脇の
花壇に踞るよう腰掛けていた男が立ち上がった。
倫の表情が一気に曇る。
男の名は、迫田治。
中学卒業の間際、
2週間ほど興味本位で付き合っていた。
年は迫田の方が1コ上だが、倫は早生まれなので
学年的には同級だった。
中卒後、倫はその当時から”将来は医者になる”と
決めていたので。
西日本でも有数の進学校、私立杜の宮学院から
国立星蘭大学医学部へ順調に駒を進めていったが。
迫田は父親に多額の賄賂を使わせ倫と同じ
杜の宮へ入学。
しかし、所詮裏口入学では進学校の授業について
ゆけず、僅か3ヶ月で中退。
その後、再び親の金でアメリカ留学を果たすも、
ギャンブルとドラッグに溺れ。
19才の時、仲間の裏切りで密告されて当局に逮捕
2年少々LAの州立刑務所に服役していた。
そんな男が8年ぶりに突然現れた。
嫌な予感しかしなかったのは当然と言えよう。
『よっ、倫』 何事もなかったかのような気易さで
迫田は話しかけてくる。
倫太朗は無言で迫田を睨みつけた。
迫田は”ヒュ~”と、
口笛を吹いてゆっくり近付いて来る。
「―― 相変わらず俺好みの面しやがるな」
ニヤニヤと下衆な笑みを浮かべて
目の前に立った。
こんな男にたとえ1度でも体を許してしまった
自分が呪わしい……。
「医大卒業してもう1年以上なるのにまだ親と
同居か」
「……何の用だよ」
「何って、そりゃあよう、お前に会いたかったから
だろ」
「ふ ―― 会いたかった、ね……」
そう、倫太朗が自嘲めいた笑みを浮かべると、
突然迫田の表情が変わった。
「大倉とか池田には好き放題ヤラしといて、
俺は飽きたらポイ捨てかよ。
そりゃねぇだろ~?」
(ったく! こいつの図々しさには毎度反吐が出る)
倫太朗があからさまに不快の意思を表しても
迫田は涼しい顔をしている。
「お前今、小児科担当してんだってな。
うちのおふくろがお前の事どえらく褒めてたぞー。
やっぱ学年トップの秀才は出来が違うのねぇ~
って」
突然、仕事の事を持ち出してきた迫田の真意が
掴めず、倫太朗はただ黙って迫田を見返した。
「……病院の連中、お前がゲイだって知ってんの?」
(正確にはかなりバイ寄りのゲイだ。しかし……)
瞬時、倫太朗が大きく目を見開いて動揺したのを、
目ざとい迫田は見逃さなかった。
「やっぱ知らねぇーんだぁ……へへ、
そりゃ言えねぇわなー?
星蘭大の研修医がゲイじゃヤバいんじゃね?」
「……」
「ゲイの小児科医がいるなんて事が外部に漏れれば、
小児科はもとより他の診療科も患者は激減だろ~
なぁ」
「てめぇ、一体何が……」
倫太朗は怒りの衝動で迫田の胸ぐらを掴んで、
そのままその体を後方の壁へ押し付けた。
「おいおい落ち着けよ倫。そんな乱暴すんなら俺、
ここで大声を出すよ? いいのか?」
両手をヒラヒラさせて、上に上げた。
こんな所で騒いだら……明日には家族に、いや、
ご近所中に噂が広まってしまう。
倫太朗は迫田の胸ぐらから、渋々手を離した。
「……お前の部屋に案内しろよ」
耳元でそう囁かれ、倫太朗はサッと身を引いた。
迫田の顔を見れば、
欲情した雄の表情になっている。
イヤだ ―― イヤだイヤだ……それだけは絶対に
イヤだ。
倫太朗は何度も頭を振る。
家族全員、仕事で不在がちだった以前ならまだしも
今は姉ちゃんが一時休職してしょっちゅう家に
いるし、何より、隣にはあのませガキ・翔太もいる
のだ。
「ふ~ん、いいのかぁ? 医局の皆さんや同期の
お友達に自分の性癖が知れ渡っても」
迫田の声色にも口調にも、
倫太朗には最早選択権にない事が漂っていて。
ここで迫田に従わなければ、
病院や大学にあることないこと脚色してバラすと
分かった。
10年前、高校の同窓生達に吹聴したように……。
倫太朗の完敗だ。
「しかしよー、学年トップのミスター杜の宮が、まさかの
男好きだなんてなぁ~……」
薄ら笑いを浮かべて、倫太朗を見下ろす。
倫太朗は諦めの深いため息をついて、家の
門をくぐった。
*** *** ***
「あ、ぁ ―― も、やだって……止めてよ」
相変わらず迫田のセッ*スは自分本位で暴力的だ。
倫太朗が本気で嫌がっても、
迫田は一向に聞く耳を持たない。
「それにしても良かったなぁ。新しく出来た甥っ子くん
が留守で」
今日、姉ちゃん夫婦と翔太は一ノ瀬さんの実家で
夕食会の為、帰りが遅い。
2日前に言われていたが ”連日の睡眠不足で”
すっかり忘れていた。
ついでに言うと、親戚の弔事に出席の為両親も
不在だ。
「んン、おま ―― ホント、しつこい……」
途切れ途切れの声で訴えても
迫田は夢中で倫太朗の体を貪る。
「あぁ、うっせぇ。ちくしょう……お前んナカ気持ち
良すぎんだよキツくて、狭くて……女とは違う」
腰を倫太朗のお尻へ向けて激しく打ちつけながら、
その項や背中へもねちっこい舌を這わせる。
(ウゲッ、気持ちわるぅ~~っ)
「じゃあ、女にヤラせてもらえばええやん」
もう疲労は極限で自分の声も弱々しい。
「嫌だってんだよ。無理矢理ヤったら、半分も挿れてねぇ
のに泣き喚きやがった」
どうせこいつの事だ。
ロクに解しもしない、濡らしもしないで、
いきなり突っ込んだんだろう。
男同士の性行為で使うココは、元来そうゆう用途で
使う所ではないのだから。
女の*のように自然にゃ濡れないし、
指1本でも挿れるのは物凄く大変なんだ。
「へっ! ア*ルセッ*スに嵌ったのかよ」
半ば犯されるように抱かれながらも、倫太朗は
精一杯の憎まれ口を叩いた。
「マジうっせーよ倫、てめぇは大人しくケツ差し出して
りゃあいいんだ ―― ハァハァ……ん、そろそろ、
イク、ぞ……」
荒い息で自分勝手に腰を振る欲情魔に抱かれている
自分……。
体だけでも満たされたくて、何かから逃げるように
セッ*スしてきた。
実際、肌を寄せ合うと幾らかの満足感は得られた。
だけど……やっぱり、何でもいい訳じゃない、
誰でもいい訳じゃないんだ。
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