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第3話

「佐東さん、起き上がっていいですよ」   患者が起きあがり洋服のボタンを締めている間に   指導医・新庄は、カルテへ処方する薬品名等の指示と   本日の診察内容等を書き込んでいる。   倫太朗は後ろからそれを見ながら、   医薬品の名称などを手早くメモをする。 「同じお薬を出しておきますから、一日二回食後に  服用して下さいね。あとは、注射しておきましょう」   衣服を整え、再び椅子に座った患者に新庄が   言った。 「麻衣ちゃん。強ミノを2アンプル注射」   そして、背後にいるピンクの白衣の看護師に   向かって指示を出す。   倫太朗は、それも書き留めた。 「桐沢先生、注射」 「え? あ、はい」 「先生、すみません。お願いします」   メモに集中していた倫太朗は、新庄に不意に名前を   呼ばれ、驚きつつも返事をした。   そして、看護師から薬剤が注入済の注射器を   受け取る。 「あぁ ―― 血管が出にくいんですねぇ。ちょっと、  痛みますが、手の甲に注射しますね」 「はい」   倫太朗は、患者の左腕を触りながら、冷静に言う。   普通なりたての研修医は、   注射に対しまだ慣れていないので、下手である。   しかし倫太朗は、手馴れた動きで手の甲を消毒し、   注射を打った。   その様は、誰が見ても安心してみていられる。   手先が器用な倫太朗は、   まだ医学生だった頃から注射と縫合だけは   他の誰にも引けを取る事はなかった。      「今度は、2週間後に来てくださいね」 「ありがとうございました」   新庄に言われ、患者は新庄と倫太朗に   一礼をして出て行った。 「でもホント、桐沢先生って注射お上手ですね。  初心者に見えませんでしたよぉ。あたしももっと  練習しなきゃ」   倫太朗の肩を後ろから掴み、   看護師が興奮したように言う。 「そう? どうもありがとう」   倫太朗が看護師の手をさりげなくどけながら   淡々と受け答えする。 「あー、麻衣ちゃん? あんまりその若先生を調子に  乗せないでくれる? 次の患者さん呼んで下さいな。  あ、それと桐沢先生、注射はしばらく任せたから」 「はい」   そんな何気ない言葉も    ”また一歩一人前の医師として”認められたようで   倫太朗は嬉しかった。 ***  ***  ***   数日ぶりに実家の最寄り駅に降り立つと、   駅前ロータリーの噴水の所にお下げ髪の女の子が   佇んでいた。   思わず立ち止まってしまう。   彼女は高校時代の同級生で、1年前あった   同窓会の2次会のあと、偶然帰り道が一緒になり   ……その、なりゆきで、男女の関係を持って   しまった。 「木村さん……」 「えへっ ―― 会えて良かったぁ……研修医って  勤務時間が超不規則だって聞いてたから、あと  30分待って来なかったら、帰ろうと思ってたんだ」     その声は心なしか疲れているように聞こえた。   彼女・木村沙奈は、自分から倫太朗に近づくと   その身体を抱きしめた。 「ちょっ ―― 木村さん……」 「ふふ ―― 可笑しいね。アレは1度きりにする  つもりやったのに、そう思おうとすればするほど、  桐沢くんの事が頭に浮かんできて、仕事どころ  じゃなくなってさ……」 「けど、キミは高橋と――」 「あ、知らなかった? 陽太とは別れたの」 「まさか、俺との事が原因じゃ」 「陽太が言うには、あたしみたいな”ヤリマン・  ビッチ”にはもう付き合い切れないって。  ったく、よく言うよ。そのヤリマン・ビッチと散々  いい事して来た癖にっ」 「……話し相手になら幾らでもなるけど、エッチは  しないよ」   沙奈は自嘲気味に微笑んだ。 「随分とはっきり言ってくれるじゃん。やっぱ  桐沢くんも他の野郎共と一緒? 擦れっ枯らしの  あたしなんか抱く価値もない?」 「そうは言ってな ――」 「じゃあこれからすぐホテルに行ってヤろ。この間の  桐沢くんホントに良かったわ。またあの時みたく  あたしに天国見せてよ」   (もう1年も前の事なんて、いい加減忘れて    くれよっ!!)   沙奈の豊満な体は確かに魅力的だが、   倫太朗は落ち着いた動作で自分の腕から   沙奈の腕を離した。   沙奈はその腕をまた倫太朗へ絡め直した。 「頼む、離してくれ。ただの性欲処理でも、  その場限りの関係でも、キミとはセッ*スしない」   『もう、いい加減にしろ沙奈』   その声は2人の後方から聞こえてきた。   振り返ると、ヨレヨレの作業衣姿の若い男が   足早にやって来る。   間近に立ち止まった所で倫太朗はやっと   その若い男が沙奈の元(?)彼氏の   高橋陽太だと気が付いた。   1年前の同窓会には欠席だったが、   確かこの男は星蘭大の政経を主席で卒業し   大手広告代理店に入社したと聞いた。   そんな男が何故……エリートの見る影もないくらい   ヨレヨレの姿になっているのか……。 「帰るぞ」   と、高橋は倫太朗の腕から沙奈の腕を離した。 「やだぁ。あたしは倫太朗と浮気するんだからぁっ!」   (浮気ってなぁ……) 「倫、悪かったな。この埋め合わせはいつかするから」 「あぁ、気をつけてな」 ***  ***  ***   自宅に帰れば、幼なじみの姫河 清華   (ひめかわ きよか)が自分を待っていた。   (わ ―― 今日は千客万来) 「やぁ、お待たせしてしまって」 「ううん。穂の華お姉様が新しい桐沢医院の工事の  進み具合を見に行くっておっしゃるから、お伴して  来ただけなの」   清華は小学校3年の全校遠足で代々木公園に   行くまで電車に乗った事もないという程の、   箱入りお嬢様だ。   もちろん、その小学校を含め中学・高校・大学は   全て女子校だった。   その上、家族まで末娘の清華にベタベタ溺愛中の   父親・姫川氏以外は全て女性なので、男に関する   免疫も当然全くない。    そんな清華と倫太朗を、双方の家族達は結婚   させようと画策している。   だけど当の本人達にその気は全然ない。   互いを”兄と妹と同じ”ようにしか認識していない   からだ。   でも、100%純粋培養の箱入りお嬢様にも、   最近 ”乙女の春”が訪れているようで …… 「あ、そうそう、大事な事を言い忘れるとこだったわ」 「んー?」 「実は……倫ちゃんにひとつお願いがあるの」 「うん。俺に出来る事なら何でも言って。力になるよ」   清華からの”お願い”とは ―― 「―― ほ~う……口裏合わせ、ねぇ……遂に、  きーちゃんにもそうゆう事をしたいって人が  現れたか」   清華は顔を耳まで真っ赤にして俯いた。 「で、当日は俺と一緒だって事にすればいいだけ  なの?」 「問題はそこなのよ」 「え ――?」 「……実は彼、今仕事の研修で海外に単身赴任  してるの。それで、帰国出来るのが**日の  夜の便で2日後にはとんぼ返りしなきゃいけないの」 「あぁ、なるほど……夜便で帰国じゃ、そう長く一緒に  いられないね」 「だからね……今回だけ、千早さんにも協力して  貰えないかなぁ、って」 「うん……頼んでみるのはいいけど、姉ちゃんの事だ  きっと根掘り葉掘り色んなこと聞かれるよ」 「そのくらいは大丈夫。こう見えても私、まさてる  さんと出逢ってかなり強くなったのよ」 「へぇ~、彼の名前、まさてるさんって言うんだぁ。  偶然だな、うちの兄貴と一緒だなんて」   清華はつい弾みで口を滑らせてしまったのか?   気まずそうな表情になった。      そして倫太朗は名前だけでなく、   研修で海外単身赴任中という所も同じだと、   清華が帰ってから気付いたが……   この時は倫太朗もまさか、   清華の言う”まさてるさん”が兄・匡煌だったとは   考えもしなかったのだ。   

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