1 / 23
01
◇つま先に、キス◇
全力で走っていた。
天気は悪く、夜だから足元もよくは見えない。裸足で足の裏が痛くても、今はそんな事で足を止めるわけにはいかなかった。雨で顔にへばりついて鬱陶 しい髪だって気にしていられない。
わずかに街灯の光が目に見えた時、背後からうめき声が聞こえた気がした。
街灯でようやく周りを見渡せる位置に来て、足を止める。背後から迫っていた複数の気配はもう消え失せていた。
ほっと息を吐き、その場にしゃがむと視界に綺麗な革靴が見えた。
「…貴方を追いかけていた奴ら、もう来ないわよ」
「⁉」
「あら」
低い声音 に似合わない口調。小綺麗 な革靴からゆっくりと顔を上げると、もっさりとした髪の背の高い男が立っている。
街灯のせいで色はよくわからないが、癖の強い髪が、わずかに雨に濡れている。
「立てるかしら?」
「…立てる」
スラックスとベストに、似合わないコンビニ袋。歩こうと足を踏み出し、立ち止まった。
一度足を止めてしまったせいなのか、歩くと激痛が走る。おそらく相当足裏に傷を負ったのだろう。これはまずいなと足元を見ると、ふわりと体が浮いた。
「暴れないでね。歩けないなら手当は必要でしょ?」
肩に担がれ、抵抗する間も無く歩き出す男にため息を吐いた。
ネオンきらめく夜の街。とまではいかないが、飲み屋が多い所だ。キラキラと光る様々な色の看板には店の名前が刻まれている。肩に担がれ揺れる視界であたりを見るが、あまり人はいない。
今は何時なのだろう。自分はだいぶ長い間走り続けていたのだろうか。
「はい、到着」
僕を肩に担いだまま、扉を開ける音がした。扉が閉まる間際、見えた看板には文字が浮かんでいて。
「ダンデライオン…?」
「お店の名前よ」
「みせ」
「そう。ここは私のお店なの。はい、座ってて」
よいしょと、カウンターの席に降ろされる。
初めて入る空間に、思わずあたりを見回してしまう。見たことのない酒が並ぶ棚や、天井のクルクル回る、なにか。
初めて見るものばかりで興味が湧いた。
「はい、タオル。だいぶ雨に濡れたのね。びしょ濡れよ?」
風邪を引いたら大変よ。と手渡されたタオルを受け取り、男を見上げ――
「…だれ」
モサモサだった前髪をあげ、ハーフアップにして後ろで軽く結ってある。ハニーブラウンの髪、切れ長の紫色の瞳に、口元のホクロ。どう見たって別人だ。
「ふふ、私は眞洋 。貴方のお名前は?」
「……やまぶき、くすな」
「白い髪、珍しいわね。お店の明かりは淡いから大丈夫でしょうけど、眩しくはない?」
「――え」
思いもしない問いかけに言葉を失った。髪の色も、目の色も珍しいのは自分でも分かりきっている事だけど、「眩しくはないか」なんて。
「目の色素が薄いと明るさに弱いって聞いたことがあるの」
大丈夫?ともう一度聞かれ、頷いた。
足裏は思った以上に傷だらけだったらしい。
眞洋が消毒液をぶっかけるたびにしみる。痛い。想像以上に痛いし、眞洋は想像以上に綺麗だ。
ともだちにシェアしよう!