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 ◇つま先に、キス◇ 全力で走っていた。 天気は悪く、夜だから足元もよくは見えない。裸足で足の裏が痛くても、今はそんな事で足を止めるわけにはいかなかった。雨で顔にへばりついて鬱陶(うっとう)しい髪だって気にしていられない。 わずかに街灯の光が目に見えた時、背後からうめき声が聞こえた気がした。 街灯でようやく周りを見渡せる位置に来て、足を止める。背後から迫っていた複数の気配はもう消え失せていた。 ほっと息を吐き、その場にしゃがむと視界に綺麗な革靴が見えた。 「…貴方を追いかけていた奴ら、もう来ないわよ」 「⁉」 「あら」 低い声音(こわいろ)に似合わない口調。小綺麗(こぎれい)な革靴からゆっくりと顔を上げると、もっさりとした髪の背の高い男が立っている。 街灯のせいで色はよくわからないが、癖の強い髪が、わずかに雨に濡れている。 「立てるかしら?」 「…立てる」 スラックスとベストに、似合わないコンビニ袋。歩こうと足を踏み出し、立ち止まった。 一度足を止めてしまったせいなのか、歩くと激痛が走る。おそらく相当足裏に傷を負ったのだろう。これはまずいなと足元を見ると、ふわりと体が浮いた。 「暴れないでね。歩けないなら手当は必要でしょ?」 肩に担がれ、抵抗する間も無く歩き出す男にため息を吐いた。 ネオンきらめく夜の街。とまではいかないが、飲み屋が多い所だ。キラキラと光る様々な色の看板には店の名前が刻まれている。肩に担がれ揺れる視界であたりを見るが、あまり人はいない。 今は何時なのだろう。自分はだいぶ長い間走り続けていたのだろうか。 「はい、到着」 僕を肩に担いだまま、扉を開ける音がした。扉が閉まる間際、見えた看板には文字が浮かんでいて。 「ダンデライオン…?」 「お店の名前よ」 「みせ」 「そう。ここは私のお店なの。はい、座ってて」 よいしょと、カウンターの席に降ろされる。 初めて入る空間に、思わずあたりを見回してしまう。見たことのない酒が並ぶ棚や、天井のクルクル回る、なにか。 初めて見るものばかりで興味が湧いた。 「はい、タオル。だいぶ雨に濡れたのね。びしょ濡れよ?」 風邪を引いたら大変よ。と手渡されたタオルを受け取り、男を見上げ―― 「…だれ」 モサモサだった前髪をあげ、ハーフアップにして後ろで軽く結ってある。ハニーブラウンの髪、切れ長の紫色の瞳に、口元のホクロ。どう見たって別人だ。 「ふふ、私は眞洋(まひろ)。貴方のお名前は?」 「……やまぶき、くすな」 「白い髪、珍しいわね。お店の明かりは淡いから大丈夫でしょうけど、眩しくはない?」 「――え」 思いもしない問いかけに言葉を失った。髪の色も、目の色も珍しいのは自分でも分かりきっている事だけど、「眩しくはないか」なんて。 「目の色素が薄いと明るさに弱いって聞いたことがあるの」 大丈夫?ともう一度聞かれ、頷いた。 足裏は思った以上に傷だらけだったらしい。 眞洋が消毒液をぶっかけるたびにしみる。痛い。想像以上に痛いし、眞洋は想像以上に綺麗だ。

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