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静かに歩く。サクサクと足元で雪が音を鳴らしながら僕の体重でわずかに固まる。枝葉に積もった雪に、木々たちは頭を垂らしながら雫を垂らしていた。
もうそろそろ、春が来る。
「近衛さん」
「おはようございます。智草さん」
少し眠そうに、帰り着いた僕を出迎えて、その身を引き寄せる。智草さんは少しだけ暖かくなった。何も言わずにあの場を離れた僕を、千代さんも桜庭の人たちも探していないと牡丹さんが教えてくれた。一つ二つ離れた山で、智草さんと出会った冬から、もう二カ月ほど。
「どこに?」
「花が、見たくて。きっともう見れなくなっちゃうと思ったので。でも、まだ春は先ですね」
「あと一ヶ月ほどです」
「……アネモネが、見たかったんです。小さいころ、母が好きで…」
「アネモネ…ですか?」
首をかしげる智草さんに、僕はクスリと笑って、「日本では牡丹一華って言うんです全部母の受け売りですけど」と言葉を付け足した。
「ぼたん、いちげ、ですか」
「僕、その花が大好きなんです。でも、花言葉は何だったかな。思い出せないんですけど」
やっぱりねぐらは洞窟で、中に入ると二人分の布団が敷いてある。囲炉裏に、やかんに。なんだか質素だけど、意外と食べ物には困らなかった。たまに、牡丹さんも来てくれる。
だけど、あぁ、もう会うことはないかなと。僕は靴を脱いで布団に座り、智草さんを手招いた。
「――――時間ですか?」
「はい」
朝、目が覚めてからずっと体がうまく動かない。無理やり動かして、さっきもたぶんふらふらだっただろう。それでも、いつもと変わらないように抱きしめて、普通に話してくれる智草さんが、僕は愛しかった。
「……智草さん。ありがとう、ございました。僕、すごく幸せでした」
「えぇ、私も、とても」
「牡丹さんが、教えて、くれたんです」
『……魂の契約は、お互いがお互いを縛ることで成り立つものなんだ。お前が死んでしまっても、来世でまた会えるよ。そのための、〝印〟なんだ。智草がお前と共に逝っても、お互いに記憶がなくても、また巡り合う。運命なんだよ』
だから、僕が、また会いたいとそう思うなら。
「僕、智草さんが、好きです、よ」
「……えぇ」
「目、閉じて、ください」
歪んで白んでくる視界で、智草さんの顔がよく見えない。でも、ゆるゆるとその頬に手を伸ばして、触れた。きっと今は、智草さんより僕の方が冷たいだろう。
「どうか、貴方に、幸せが…ありますように」
かすれた僕の声に、智草さんがわずかに息をのむのが分かった。その唇に軽く触れて、体にもたれかかる。智草さんは僕を力いっぱい抱きしめてくれた。
「………私は、貴方に会ってから、ずっと、ずっと、…とても幸福でした」
そっか、よかった。
その声はきっと、言葉にならなかっただろう。
ねぇ、智草さんは、僕にまた会いたいと思う?
…はい。必ず。
ならきっと、会えるね。また、きっと。
牡丹さんの言葉には、続きがあった。
印で繋がる魂には、強いきずながある。だから、もしかしたら今度会うときは、お互いに覚えているかもしれないね、と。
―アネモネの憂鬱― 了
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