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2人で1人分③

 そのストーリーは、桃太郎が鬼退治を終えた数年後を題材にした物らしい。一体どうしてこれを撮ろうと思ったのかはわからないけれど、もっと意味がわからないのはその内容だ。  困った動物たちが桃太郎の元を訪れ、悩み相談を受けるうちに住み着き、桃太郎は自分だけの動物王国を作る。そこは個性が大渋滞していて、みんなを仲裁する役目の桃太郎が、いつの間にか世話焼きなオカマになっていた。  今時の子供は、楽しいと思って観ているのだろう。時々、周りから聞こえる笑い声に驚きつつ、もう寝てしまおうかと目を閉じたと同時だった。 「すみません、隣、いいですか?」 「あー……はい。どうぞどうぞ」  ぎしりと椅子が軋む音がし、隣に人の気配を感じる。かけられた声から推測するに大人の男だということがわかったが、どうしてこの男はこの映画を選んだのだろうか。  こんな意味の分からない物を、わざわざ1人で観に来たなんて理解ができない。わざわざ来たくせに遅刻して、しかもわざわざ隣に人がいる席を選ぶ意味もわからない。  薄暗く落とされた照明のせいで、その風貌はわからないけれど俺の他にも変わった人間はいるんだな……と、なんとなく考えていた。  そして数分後の事だ。  なんだか……なんだか隣の男がやけに近い気がする。気がするというか、確実に肩が触れている。試しにそっと身を離してみるけれど、追いかけて来るように距離を詰められてしまった。  これが俺が女だったなら、痴漢目的だとわかったのだけれど。  俺は見た目はどう見ても男だし、というか見た目以外の全ても男だし、そうなれば痴漢は失敗だ。  もしかしたら俺のことを女だと勘違いしているのかもしれない。そう思って、少しだけ我慢することにした。  映画はオカマになり果てた桃太郎が、みんなの為にきびだんごを作っている大事な場面だ。徹夜で何百個ものだんごを作る、とてもとても大事な場面だ。  それなのに、男の手が俺の太ももの上に乗せられた。突然太ももをわし掴みにされ驚いて目を見開くと、ちょうど朝陽が差した場面で、男の正体が明らかになった。 「オカマの桃太郎って冗談でも笑えないね、慧君」  それは、先ほど一方的に喧嘩別れしたばかりのリカちゃんだった。  至近距離で唇に人差し指を当てたリカちゃんが、意地悪く笑う。スクリーンでは動物たちと桃太郎が感動の抱擁をしているのに、そんなものは視界に入ってこない。  上映中のストーリーとは真逆の、リカちゃんが醸し出す妖艶さに飲み込んだ唾が音を立てた。 「慧君。なんでそんなに驚くかな……普通、声で気づくだろ」 「だって、映画の台詞とかぶっててよく聞こえなかったし。それに、まさかって思って」  薄暗いシアター内はポップコーンの香りがあちこちから漂っていて、リカちゃん愛用の香水の匂いも掻き消されていた。視覚も嗅覚も奪われた中で、隣が誰かを当てるなんて無理だと思う。  それなのにリカちゃんは、恨みがましい目を向けてくる。 「せっかくの休みに、せっかくデートに来て別の映画を観るなんて考えられない。俺は、慧君がお化けに驚いて、しがみついて怖がるところを見たかったのに。あわよくば、怯える慧君を抱きしめて映画を楽しむ予定だった」 「リカちゃん……それ、公共の場でしたらアウトだからな。どこにお化けを怖がってる男を抱きしめて、にやにや喜ぶ男がいるんだよ……」 「ここにいるけど?受付で席を選ぶ時にさ、さっきの男の子の隣がいいって言ったら、すごい顔で見られた。まるで変質者扱いされて、ちょっと笑っちゃったよね」  よく通報されなかったな、と思う。もし俺が受け付けの人なら、いい年した男が高校生を追いかけていたら、絶対にやばいやつだって思っているだろう。  けれども、さすがリカちゃん。顔だけは尋常じゃないぐらいに整っているから、受付のあのお姉さんも誑し込まれたに違いない。  所構わず色目を使いやがるのは気に入らないが、せっかく仲直りのキッカケを作ってくれたのだ。今回だけは許してやるか、と諦めて画面へと向き直る。  すると、すかさずリカちゃんの手が伸びてきて俺のそれを握った。手を握られたどころか、隣からもの凄い視線を感じる。 「リカちゃん……そんなに見られてると、映画の内容が頭に入ってこないんだけど」 「大丈夫。俺は慧君を見ながらでも、ちゃんと内容は頭に入ってるから」 「リカちゃんが入ってても意味なくね?」 「帰ったら教えてあげる。慧君にもわかりやすく、且つ、ちょっとアレンジ加えて。例えば桃太郎が毒入りきびだんごで、町の人を次々に襲うとかどう?」 「どう?じゃねぇよ。それもう話変わってるじゃねぇかよ」 「やっばぁ……これから団子見る度に怖がる慧君とか、可愛すぎて想像するだけで死にそう」  いっそお前が毒入り団子を食べろと言いかけて、やめた。  今日だけは仕方なく、リカちゃんの意味不明な台詞も性悪な行動も、全てを受けとめてやろうと……少しだけ、優しくしてやろうと思う。  なぜなら、俺は素直さに関しては底抜けにマイナスで。  それとは逆に、リカちゃんは俺にだけは驚くほど真っすぐだ。  きっと俺たちは、2人分を足して丁度良いのだろう。だから俺が少し我慢すれば、もっともっと楽しい時間が過ごせるんじゃないかと、そう思ったのだけれど。けれど、けれど。  素直すぎるリカちゃんが、映画が終わったと同時に席を立ち、いつもなら迷うはずの駐車場まで躊躇いなく向かい、そそくさと帰宅したかと思えば有無を言わさずベッドへ向かった時には……。  リカちゃんの、性欲に対する異常なまでの素直さにだけは、断固として立ち向かうべきだったと、激しく後悔している。            2人で1人分*END

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