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3. Because I Love 8

翌朝。七瀬が日直当番で一限目の教材を取りに行くのを見計らった俺は、教室を飛び出して隣のクラス2年B組に顔を出す。 始業前だというのにきちんと席に座って教科書とノートを広げているその後ろ姿を確認して、俺は真っ直ぐに歩み寄っていった。 「おい、李一(リイチ)」 呼びかけに振り返ったその顔は、いつもどおり涼やかで気怠げだ。 いかにも優等生然とした物静かでクールなこいつは七瀬と同じ中学出身で、俺と七瀬の一年次のクラスメイト。七瀬が全幅の信頼を寄せている友人だ。 変態ストーカーとはまるで対極に見える李一が、どうして七瀬と気が合うのかが全く謎だが、その辺りの事情は俺の知るところではない。 「ああ」 ちらりと俺を一瞥した李一は眉を上げて、ちょっと意外そうな顔を向けてくる。 「あれ、どうだった?」 「やっぱりお前か。あんなあやしいもん、七瀬に寄越しやがって。しかも惚れ薬って、何だよ」 息巻く俺を物ともせず、李一はわずかに口角を上げる。 「その様子じゃ、面白い展開でもあったみたいだけど。何があった?」 誰が言うか、しかもこんな公衆の面前で。押し黙っていると、李一は落ち着いた口調で淡々と説明する。 「あれは、唐辛子入りのチョコレートだ。マヤ文明ではカカオを煮だして唐辛子を入れたものを媚薬として飲んでたんだって。だから、惚れ薬っていうのはあながち嘘じゃない。実際、そういう触れ込みで販売されてるからね」 ああ、口の中でピリピリしたのも身体が熱くなったのも、唐辛子のせいだったのか。 何か文句のひとつでも言ってやろうとする俺を制するように、李一は口を開いた。 「七瀬はカイといると、すごく幸せそうだ。これからも七瀬をよろしく」 その言い方に何か思惑が含められている気がして、問いただそうとしたそのとき。 「あっ、こんなところにいた。カイくーん!」 教室の後ろのドアから、聞き慣れた大きな声がした。 「リイくん、おはよう! あの話は、またあとでカイくんのいないところでねっ」 パタパタと駆け寄ってきて俺の腕を掴んだ七瀬は、慌てた調子で李一に声を掛けて俺を引っ張っていく。 いや、もう全部聞いたから。 引きずられるまま隣のクラスを後にした俺は、妙に嬉しそうな七瀬の輝く笑顔に釘付けになる。 もはや否定しようもないぐらい、七瀬は抜群にかわいい。 「カイくん。一限目の美術、粘土を使った造形なんだけど、何作ってもいいんだって。ふふ」 「うん、それで」 適当に相槌を打ちながらも、次に出てくる言葉が俺には何となく想像がついている。 「だから、カイくんのおちんち」 「断る」 「もう! まだ、なんにも言ってないよねっ。カイくんの意地悪」 意地悪じゃなくて常識人なだけなんだが、七瀬はそんなことなどお構いなしに一度膨らました頬を引っ込めて、屈託なく笑った。 「でも俺ね、そんなカイくんも大好き!」 真っ直ぐ過ぎる告白が、ざっくりと心に突き刺さる。 はいはい、といつものように受け流す振りをしながら、俺はまだ当分言えそうにない言葉を胸の内にそっと仕舞い込む。 "Because I love" end

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