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嘘つきへの処方箋

 大通りから一本脇道にそれたマンションのキッチン。早朝からコンロはフル活用されていた。  小鍋の中でボイルしたウインナーを引き上げ、湯を切る。澤崎一磨(さわざきかずま)は二人分の弁当箱にそれを詰めた。 「うん、よし」  弁当作りが無事に終了したことに満足し、頬がゆるむ。あとは冷めてから包むだけだ。  朝食も大概準備ができてきたので、次は洗濯だなと腕まくりを直しながら洗濯機に足を向けると先客がいた。 「おはよう、隆司(りゅうじ)」 「ああ」  幾分か首に角度をつけて一磨が微笑んだ先には、ブレザーに身を包んだ男前な息子が機嫌悪そうに返事をした。  もう少し笑えばいいのに。昔はあんなに可愛らしかったのに……。  昔を懐かしく振り返る一磨の思いを知る由も無く、隆司は黙々と洗濯物を引っ張り出す。 「あ、やるよ? 準備できてるから、先に朝食食べたら?」  ふーん、と彼は器用に片眉を上げる。 「あんたこそ。俺の倍時間が掛かるくせに。それに、物干し竿に届くのかよ」  隆司が食べるの早いんだよ。 「俺、これでもお父さんなんだけど、あんたは酷くない? それにね、俺の背は標準! 届くよ!」 「背伸びするか、台に乗ればな」 「それで届くから、いいじゃないかっ」  鼻で笑われ、なんてひどいとさめざめと泣きながら床に沈んだ一磨には見向きもしないで、隆司は大股でベランダへと行ってしまった。  冷たい息子に一磨も仕方なく食事の盛り付けを始める。  この頃、とくに自分にそっけないのはなぜだろうか。彼に対して何か変な事をした覚えは無い、はず。  悩みがあるのだろうか?もてるらしい彼が前の彼女と上手く別れられていなかったり、新しい彼女ができて上手くいっていないとか?まさか、いじめられているとか……?  さぁーっと一磨の背中に冷たい汗が流れる。  ──いや、いじめられたとしても、きっちりと利子を付けて倍返しにする性格だ。  即座に否定した。  中学に入ったばかりの頃に何人かの先輩に眼をつけられたらしく、派手に喧嘩をして彼らを病院送りにしたのだ。うわさで聞いた話ではそれ以降は先輩も大人しくなったとか。本当かどうかは不明だが、その先輩たちは隆司に頭が上がらないとか……。真相を知ろうと本人に問うたこともないので、真実は闇の中である。  思春期の反抗期だろうか? 青い春。一磨自身には駆け足で通り過ぎてしまった時期だ。あと数年で三十に手の届くこの歳になってしまった今では、当時自分が持っていた感情を思い起こす事は、なかなかに難しい作業だ。 「あぁ、あれかなぁ」  ぐるぐると暴走し始めた思考をパチンと一瞬で打ち消すように、一つの事実を今更ながらに思い出す。  ぼんやりと向けた視線の先には師走を示すカレンダー。隆司の、彼の本当の両親が亡くなったのは六年前のこの月だ。今までの年は隆司が幼かったり、受験だったりと忙しくて気づかなかった可能性もある。月日がたって落ち着いてきた今、改めて考えることがあるのではないだろうか。 「おい、あんたつっ立ったまま寝てるのか? それで看護師ってのは仕事になるのか? しかも、今日は入りだろうが。そんなに若くもないってのに」  不機嫌そうな隆司の声に我に返り、一磨はうなだれた。気づかないうちに彼が背後に立って自分を覗き込んでいた。  これではどちらが父親で息子なのか解ったものではない。 「……はい、そうです。ごめんなさい」  思い当たってしまった事実と不甲斐なさに、とても朝食を摂る気にはならなかったが、それは隆司が頑として許さず、一磨は味もわからない食事を汁物で無理やり流し込み職場へと急いだ。  一磨が隆司に初めてあったのは、彼がまだランドセルを背負っていた頃だった。八つ上だったが弟のように可愛がってくれた隆司の実父が、高校卒業間近で受験に追われていた一磨に息抜きにと引き合わせてくれたのが出会いだった。よく走り、よく喋り、人見知りもせずに屈託のない笑顔で受け入れてくれた可愛い子供だった。その笑顔に励まされ、無事に春を迎えてからも頻繁にその家族の元に足を運んだ。  四年続いたその行き来が途絶えたのは、隆司の両親がそろって鬼籍の住人になってしまったためであった。 「俺って、そんなに頼りないですか?」  息子が冷たいと泣き言をいう一磨に、やれやれと年上の同僚は肩を竦めた。  現在は深夜帯の休憩の時間である。

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