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 一磨が勤める病院は三交代勤務だ。深夜勤務は日が変わった零時からその日の午前中まで。日勤は朝から夕方まで。準夜勤は夕方から日が変わって少し経つまで。  大体の場合、勤務表で日勤の次に深夜勤務が組まれている。朝から夕方までの日勤業務を終えたその夜の日付が変わる頃に、深夜勤務が始まる。日勤業務が名目上夕方に終わる事になっていても、実際は患者のケアだけでなく記録・パソコンへの入力・医師からの指示拾い・入退院の処理などを粉さなければならず、帰宅は十九時二十時がざらである。その為に深夜勤務は睡眠を削っての出勤となる。  『(深夜)入り』といわれるそれが体力・気力共に限界になるため、隆司が年云々といっていたのはそのせいである。危険・きつい・休暇が無い・給料が安い・汚い・結婚が遅い・化粧が乗らないなどと看護師が8Kと呼ばれる所以の一つである。  二時間おきの見回りでオムツ交換・点滴の速度のチェック・自分で体を動かせない患者の向きを変える体位交換、人工呼吸器のチェック、重症患者の検温を二ラウンド済ませて、やれやれの一息である。  時折、認知症などから日夜問わず興奮し錯乱状態になり大声を上げたり物を落としたり、自分の身体の状態も認識できないままベッドの柵をはずして降りようとする患者も居るが、今はそれも三人と落ち着いている。  激しいときには患者をベッドごとナースステーションにまで運び様子を見るが、状態の悪いうえに認知症が激しければ処置室で酸素療法と脈拍と状態観察のモニターを装着してもらいつつ様子観察をする。そんな状態であれば、休憩どころではない。たとえ八時間労働で休憩の規定があっても身体を休めている場合ではない。余談である。  そのため、今のところ本日はとても落ち着いている方だ。  「かずちゃんは、かずちゃんなりに頑張ってるよ」  でも、と遮ろうとする一磨に年配看護師・栗原は続ける。 「普通は、いくら親しい仲でもその子供を引き取ろうって腹は括れないよ。十二になったばかりの子を社会人一年目で食わして行こうとして、もう丸六年でしょ」  あんたはよくやってる。そう励まされ、目頭が熱くなった。  もうすぐ定年間近の彼女に相談に乗ってもらい続けて、それこそ六年になる。  自分を見上げていた小学生の目線がはるか高くから見下ろすようになるには充分な時間なのだろう。  しかし、一つ間違っている事がある。一磨が隆司を引き取って経済的には養ったように見えるが、実際には彼のおかげで自分はここに立っていることができるのだ。  父親はどこのだれとも解らず、母は男を渡り歩いていて所在の掴めない一磨には、年の離れた隆司の実父を兄か、それこそ父のように慕っていた。学生結婚した隆司の母親もまた然り。二人ともかけがえのない人たちだった。自分を支えて続けてくれていた人たちが一度に消え、一磨は目の前が真っ暗になった。  そして、両親を失った隆司がいた。  つぎはぎだらけの親子関係に隆司は疲れてきたのだろうか。いくら親しくしていたとしても、もともとは他人だ。  傷の舐めあいのような生活にじれったくなったのだろうか。  彼は強い。  ──それはそれでいいのかもしれない。  隆司は年齢こそ未成年でも、精神的には立派な大人だ。ただ年を重ねただけの見た目だけの大人よりも充分なほどに。そこまで駆け足で成長しなくてもいいのにと何度思った事か。それも、自分の力不足だったせいか。  黙って考え込んでしまった一磨のコップに栗原は静かにお茶を注ぐ。 『ピンポーン』  病棟内にナースコールが鳴り響く。 「やれやれ、だれだろうね」  のんびりとした栗原が溜め息混じりに呟く。 「あ、うちのチームです。行ってきます」  五十八床あるこの病棟は三つのチームに分けられており、一磨が今受け持っているチームが二十四人と人数も多ければ他のチームに比べて手間も暇も掛かる患者たちが多い。  コールに呼ばれて食べかけのおにぎりもお茶もそのままに、予防衣を着用する間も惜しんで懐中電灯片手に、全力疾走で病室に向かった一磨のうしろ姿を栗原は見送った。  それこそ、この患者は不穏行動が激しく、自分の身体の状態も解らずに立ち上がり歩行しようとしてしまう人だ。ある程度の範囲を動けばナースコールがすぐに鳴るようになっている。患者のプライバシーも大切だが、生命の危機のほうが遥かに優先順位が高い。  患者が転んでしまい、その時の受け持ち看護師が何枚にも渡る報告書を書くのはもちろんだが、転倒・転落をして怪我をしたり、骨折をしてしまったりと一番被害を受けるのは当人の患者である。それを阻止するべく、駆けつけるのである。 『ピンポーン』  今度も一磨の受け持ちチームの患者ではあるが違う病室だ。

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