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第1話
「近藤祐輔。」
「はい。」
壇上の端にいた祐輔が中央に進み、校長から卒業証書を受け取る。入れ替わりに、階段下にいた真里奈が祐輔がさっきまで立っていた場所に移動した。
「坂下真里奈。」
「はい。」
その応答を37回繰り返す。俺の頃は45回だった。少子化の影響でクラス数も1クラス当たりの人数も減った。
「渡部雄大。」
「はい。」
「C組、以上37名。」俺は雄大が席に着くのを見届けて、深々と頭を下げてから、D組の担任と入れ替わる。
この高校で、これで19回目の卒業式だ。母校でもあるから、送られる側の経験を入れれば、20回目。気が付けば主幹教諭なんて御大層な肩書もついて、この4月から担任を持つことも原則なくなる。こうして受け持った生徒の名前を一人一人読み上げることも、これが最後かもしれない。
そんな、俺にとってはそれなりに感慨深い今日の卒業式だが、運悪く急病で欠席した生徒がいる。それでも返事がないだけで、名前は読み上げてやれる。
今まで、一人だけ、名前すら呼べなかった生徒がいた。
青山蓮 。
俺が教師になって、初めて担任を受け持ったクラスに、彼はいた。初めての担任と言っても、年度半ばで産休に入った、本来の担任の後任だった。
受験学年の担任にとって、年度途中での妊娠なんてご法度中のご法度だ。その禁忌を犯した元担任は、保護者や他の教師から激しいバッシングに遭ったと聞いている。その精神的ショックもあったのだろう、彼女は入院して、そのまま産休に入ることになり、バタバタと人事異動がなされた。そのどさくさに紛れるように、俺は非常勤から常勤の教員に昇格して、クラス担任の後釜となった。
夏休み明け、生徒の前で新しい担任として俺が紹介されると、生徒たちからは、無責任な妊婦の次は頼りない新人か、という失望がありありと見て取れた。
そんな中で、一人のほほんと笑いかけてくる生徒がいた。それが蓮だった。
当時の俺は、職員室に誰よりも早く来て、誰よりも遅くまで残っていた。そうしなければ仕事が回っていかなかった。土日も返上で仕事に追われた。先輩の教師たちは「お疲れ様」「大変だね」といった声はかけてくれるが、「無理せず休め」「手伝う」とは言ってくれなかった。半端な時期の急な人事異動で、誰も彼もそれぞれに過剰な負担がのしかかっていたのだから仕方がないのだが。
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