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第303話
今日は金曜日。学校から帰ってきて、食事もお風呂も済ませた。『一時間くらい仕事する』と言って、正和さんが部屋にこもってから五十分。
そろそろ終える頃だろう。
明日は芳文さんが家に来るが、これ以上、彼との事を隠して正和さんに接するのは辛くて。大事にしてくれている正和さんに申し訳なくて、全部話す事にした。
そう決意しても、なかなか言える勇気はなくて。ドキドキして胸が痛い。緊張しているからか、恐怖からなのか、手足は冷えて、僅かに震える。吐き気がして気持ちが悪い。
(なんて切り出そう……どう話せば良い?)
話したらどんな反応するだろう。
(怒る? それとも悲しむ? ……いや、呆れる?)
言わなきゃ、と思うのに、彼の部屋の前で立ち竦む。胸が苦しくて、息を大きく吐けば、幾分か楽になった気がした。
堅固に思い定めて、喉をゴクリと鳴らす。
そっと扉をノックすると、何も知らない彼は「どうぞ」と優しく迎え入れてくれた。緊張しながらそっと扉を開けて、部屋に入る。
「もう終わるからちょっと待ってて」
そう言って、パソコンのキーボードを叩いていた手を止め、作業を終わらせる。
(言わなきゃ……)
「どうしたの? そんなとこ立ってないでおいでよ」
こちらを振り向いた正和さんは不思議そうに言って、パソコンの電源を落とす。
(言わないと……)
「正和、さん……っ」
話そうと思うのに口から言葉が出てこない。目の奥が熱くなって、視界がぼやける。瞳から零れた涙が頬を伝って、胸を押さえていた手を濡らした。
声は出ないのに、涙はとめどなく溢れ出て、鼻をスンスン鳴らす。
「どうしたの? どっか痛い?」
驚いた顔をして聞いてくる正和さん。ふるふると首を左右に振って、違うと伝える。彼は椅子から立ち上がると、俺の目の前まで来て、背中を優しくさすってくれる。
「どうしたの? 学校で嫌な事でもあった?」
「違、う……」
心配して聞いてくる正和さんに、ますます答えづらくなる。なんと言えば良いか分からなくて、涙をボロボロ零しながら俯いた。
彼は困ったように嘆息して、俺の顔を覗き込む。
「あの……えっと、おれ……」
「……うん。なーに、言ってごらん?」
「おれ……っ、俺……」
うまく二の句が継げなくて、視線を彷徨わせる。
彼は目をスーッと細めて考える素振りをした後、俺の瞳を射るようにじっと見つめた。
「……悪い事でもした?」
先程より少し低い声音でそう聞かれ、肩がビクッと大げさに揺れる。いや、もしかしたら声のトーンはいつも通りだったかもしれない。後ろめたい気持ちがあるからそう聞こえるだけで、彼は普通に言ったのだと思う。
だけど、全部見透かしているような彼の瞳が怖い。
「ごめんなさいっ……ごめ、なさい、俺、俺……っ」
体がカタカタと小刻みに震えて、謝る声も震える。しゃくりあげながら、謝罪の言葉を口にするが、事実を話す事ができない。
正和さんは軽くため息をついて、優しく頭を撫でてくる。そんな動作にも、恐怖から体をビクッと揺らして息を詰めた。
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