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第1話

今は何時だ……? 500円そこそこで買った安物の腕時計にチラッと目をやる。 深夜0時だ。 考えたくもない。考えたくもないのだが、もうすぐ人気のないこの路地裏に――奴は来る。 (あの漫画には、0時10分と書かれてあった……やっぱり! やっぱりあの漫画のシナリオ通りだ……!) ああ、10分後……俺には分かるんだ。 あと10分後にはここにヤツが現れ、平凡な、でも悪くはなかった人生は滅茶苦茶になるということが。 きっと10分後に俺は強姦罪を犯し、優秀な日本警察から逃げられるはずもなくあっけなく刑務所にでもぶちこまれるんだろう。 分かっているなら強姦なんてしなければいいと思うだろう? しかし、そうもいかない。 なぜなら此処を去ろうとした瞬間足だけが石像になったかのようにピクリともしなくなるからだ。決して恐怖に足がすくんでいるのではない。自然の摂理だとでも言わんばかりに動かなくなるのだ。 ――これが生まれる前から決まっていた運命だと、受け入れるしかないのか。 時折そんな考えが浮かんでは絶望する。 ああもう、泣きそうだ。 26歳の男が泣き出すなんて情けないことかもしれない。 でも、仕方ないじゃないか。 ――モブ姦BL漫画のモブに転生したら誰だって泣きたくなるだろ!? ――――――――――― 俺は、極々一般的な家庭に生まれた。 田中俊太と特に変わったところはない名前を授けられ、容姿、頭脳、運動能力共に平凡にすくすく育った。 でも俺自身それを特に悪いとは思わなかった。まあ、平均より少しばかり背が低いのは気になるが……。 小学校、中学校、高校と夏休みの課題は溜めるところまで溜め、最終日になって漸く焦り出し怒涛のごとく解答を写し書きなぐるような、そんな適度に適当な、事なかれ主義の凡人として生きてきた。 なのに―― 忘れもしない。 大学二年生の朝、俺は自身の残酷な運命を悟ったのだ。 その朝、いつものように、教授の大変有難く大変眠たくある講義を受けに大学へ向かった。 その時の俺は大層不機嫌だった。何故なら、徹夜でゲームをクリア寸前まで持ち込んだというのにそこで電源が切れ、一夜の努力が水の泡となったからだ。 (セーブさえ……あの時セーブさえしていれば……セーブポイントはいくらでもあっただろ。何故あそこで面倒臭がったんだよ昨日の俺……) などと過去の自分を責めつつ大学への道をふらつく足で歩いていた。 (もう寝る。今日の講義は絶対寝てやる。あの教授すぐ怒るからいつもは寝てなかったけど今日こそは必ず……!) ……などと頭の中で固く誓いながら電気屋のショーウインドを横切ろうとした。 ――その時だった。 「〜〜〜〜〜っ!?」 脳天からガシャーンと稲妻が貫いた。   もちろんそれは比喩表現だ。 が。 それくらい俺にとっては衝撃的な、何か悪寒のようなものが身体を駆け抜けたのだ。 思わずその場に膝をついた。 「はっ……はぁっ……」 あまりの衝撃に、息も切れる。 なんなんだ、この衝撃は……。 そして。 なんなんだ――目の端に写っていたものは……。 そう、あの時チラッと目に写ってしまったもの。 それは今ちょうど通り過ぎた電気屋のショーウインドの中。 俺の背後1メートル。 あそこから、とてつもなく見てはならないものが見えたような―― それを見てしまったことで、体が拒否反応を起こし稲妻が走り抜けたのだろう。直感的に分かる。 ああ、後ろからおぞましい何かを感じる。 (此処で見てしまったら、後悔するような予感がする……でも……) 人間とは、見てはならないものほど見たくなるもので。 ついに欲に負け出来る限りゆっくりと、おそるおそる振り返り、背後1メートル先を見てしまった。 そこには―― 『はい。 本当に好きなことをしているので練習を辛いとは思いません。 もっと頑張ってプロのサッカー選手になりたいです』 そこには、神童現る!のテロップと共にテレビの中でインタビューにしっかりと答える子供の姿が。 その微笑ましい姿を見た瞬間。 またもや先程のガシャーンがきたのだ。 「〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!」 この衝撃は――強烈なデジャヴのせいだ。 謎の直感がそう告げる。 俺はこの少年を何処かで見たことがあるのだ。 でも、どこで―― 思い出せそうで、思い出せない。 それでも頭を掻きむしって思い出そうとあがき続けると、うすらぼんやりとだが記憶が蘇ってきた。 (――そう、初めてあの少年を見た時の俺は、まだ中学一年生だった……と思う) ――それで、その時何があった? 頭の中の朧げな記憶の欠片をかき集める。 思い出せ俺! (中学一年生も俺は……姉に貸していた漫画を返してもらって……自分の部屋で読み返そうとしたんだ) ――その漫画には何が描かれていた? 街中であることも忘れ、膝をついたまま頭を抱えうんうん唸る。 (でも、そこには俺が貸した少年漫画の戦闘シーンはではなく……) ――何が描かれていた? (……っそうだ……!) (高校生になったさっきの少年がモブに犯されてぐずぐずになっているシーンが描かれてあったんだ!!そうだ!!姉は間違えてホモ漫画を俺に返したんだった!!) ――やっと思い出せた!! 俺はバンザイでジャンプでもしそうな勢いで思い出せた爽快感を味わった。 のだが、一通り喜びに浸った後矛盾点に気がつく。 (――俺、姉いなくね……?) 「……っ!?」 その矛盾に気がついた途端、怒涛の如く知らない記憶が俺の頭に押し寄せた。 小学生の頃の記憶、中学生の頃の記憶、高校生の頃の記憶――大学生で事故死した間際の記憶。 そしてその大学二年生の朝、俺は悟ったのだ。 俺は前世に姉から借りて読んだモブ姦BLのモブに転生したかもしれないと。 ーーーーーーーーーーーーーー 大学二年生で前世の記憶を取り戻してから26歳に至る今日まで、ずっと恐怖と戦いながら生きてきた。 確かに転生はしてしまったが、俺が悪徳ホモモブだと決めつけるのはいささか早計だろう。本編の漫画の通行人Aに転生しただけかもしれない。きっとそうだ。俺はあの少年の成長を横目に通り過ぎるただの通行人Aなのだろう。そう自分に言い聞かせた。そうでないと、とてもじゃないがまともに生活していけなかった。それでも、モブ姦BLアンソロジーのモブに転生したのかもしれないという恐怖は大学二年生から今日まで俺を付きまとってきたのだ。 しかし今日、抗えない力に導かれて路地裏までやってきて、現実を突きつけられた。 前世で読んだBL漫画と同じ風景、いかにもモブ姦に適した人気のない路地裏。 俺は絶望の谷底へ突き落とされた。 (やっぱりホモモブだったのかよ! 最悪だ……) さて、前世の中学一年生の時の記憶が正しければ、今はまさにモブ姦レイプが始まる5分前である。 俺が読んだあのBL漫画……。 それは『俺たちのサッカー部』略して『俺サカ』というこれまたイケメン揃いのサッカー部員達が織りなす、だがその内容は兎に角「熱い」の一言に尽き幅広い層から支持を得ていた少年誌スポ根漫画(例に漏れず俺もその購読者の一人である)の二次創作アンソロジーであった。 これからホモモブこと俺が犯そうとしているイケメンは、名を不破時雨と言い、身長178cm、金髪の髪、碧い目を持ち、クールと言えばいいのか無気力と言えばいいのか、その線引きは定かではないが、とにかくいつも無表情で綺麗な顔をした、いかにもその手のお姉様方に人気が出そうなキャラクターである。 実際に人気キャラクターランキングでは毎回一位二位を争っている。意外にサッカーに対しては熱血な一面を持つ為か男性からの支持も高い。 まあ俺は、俺サカ唯一の美少女であるサッカー部マネージャーの長谷川静……静たんがバレンタインチョコレートを渡した相手である為、憎しみを込めて『リア充爆発野郎』と呼んでいたが。 ちなみにそのモブ姦アンソロジーのモブの容姿は灰色ののっぺらぼうで、明確に描写されていなかった。 その為か、今のモブである俺の容姿は転生前と同じだ。相変わらずの低身長の地味顔である。 せめてモブの顔が美形に描写されていたらまだ救いも…………いや、虚しいだけだ。考えるのはよそう。 そして。 ついに運命の時まで残すところあと一分となった。 辺りは静まり返っている。 「…………」 俺は一見静かにその場に佇んでいるように見えるだろう。 しかしその実、心の中では、 (帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい!!!) と、心の底からの叫び声をあげていた。 前世姉から借りたそのBL漫画に、音も立てず忍び寄り襲いかかるモブという設定があった為、叫びたくても口が開かないし、帰りたくても足が動かないのだ。 「うぅ……なんで俺がこんな目に……」 精々呟き程度に愚痴をこぼすことしか今の俺には出来なかった。 その時。 ――カツ……カ……カツ…… 薄暗く不気味なほど静かなこの路地裏に、突如靴音が鳴り響いた。 (……!! あの足音は……ッ! ) ――ついに、運命の時が来てしまったのだ。 信じたくはないが、あの靴音は間違いなくリア充爆発野郎のものだろう。 ゴクリと息を飲みながら音の鳴る方に目を凝らす。 (……うわあああああ! やっぱりあれは何者か(俺)の手紙によってここまでおびき寄せられたリア充爆発野郎だ!! 分かってはいたけどやっぱりショック……! 本当にBL漫画のシナリオ通りに来やがって……!) 奴の存在を認めた瞬間、俺の足は勝手にリア充爆発野郎の背中に、にじり寄りはじめた。 (足が勝手に動く……! 薄暗いとはいえ気配くらい分かるだろ! くそ、やっぱりこいつご都合主義漫画の設定通り気づかない!) 犯罪を犯して刑務所にぶち込まれるよりは此処でこいつにボコボコにされる方がよっぽどマシだ。 (頼むから……! 頼むから俺に気がついてくれ! そしてボコボコのタコ殴りにでもなんでもしてくれ!) 切に祈る。しかし無慈悲にも祈りは叶わず奴との距離はあと1m程となってしまった。 (うわ、近い近い! 此処まで近づいて気づかない方が不思議だよ! どんだけご都合主義なんだよこの漫画は……!) 一歩ずつ足音を立てず忍び寄る。 一歩、一歩、また一歩…………。 そして。 ついに俺の足は、意思に反して飛びかかったのだった―― ―――――――― ――ドスーン…… 「ドスーン」……うん。そう形容するのが一番近いと思う。 少々間抜けではあるが、俺、田中俊太は極々一般的な小市民であり、スマートな飛びかかり方など知るはずもないのだ。 (つ……ついにやっちまったぞ俺!!) 何はともあれ、俺はついにリア充爆発野郎を押し倒すところまできてしまったのだ。 「なに……!?」 リア充爆発野郎は目を見開いて驚いている。 「なに!?」だって? うん、そりゃその気持ちも充分わかる。なにせモブ顔の男に押し倒されているのだから。でも俺だってこんなことしたくない。 「へっへっへ……お前やっぱり綺麗な顔してるじゃねえか……」 (うわああああ!! 何モブ姦のテンプレみたいな台詞口走ってんだ俺……!!) 言いたくなくても口が勝手に動く。 「前からずっとこのすかした顔を快楽と痛みで歪ませてえって思ってたんだ」 (前からずっとこのモブ姦の運命から逃れたいと思ってたよ!!) 戸惑いと困惑の色に染まった瞳を見つめる。 「だから、な。今からお前の尻処女、奪ってやるよ……へっへっへ……」 ――ついに俺の手はリア充爆発野郎の身体に伸びていった。   ーーーーーーーーーーーーーーーーー 「や、やめろ……っ」 いつもならそんな明らかに怪しい手紙には従わないはずなのだが、今日は何かに惹きつけられるようにこんな路地裏までふらふらと来て、あげくモブ顔の男に押し倒されてしまった。 何が何だか分からず混乱している俺へ伸びてきた手に思わず、目をギュッと瞑った。 が。 「………………………」 何も起こらない。 (なんなんだ……? 強姦するんじゃないのか……?) 疑問に思いゆっくりと目を開けると。 「う、うぅ……?」 モブ顔の男はよく分からない唸り声をうんうんあげながら俺のワイシャツのボタンをはずすのに苦戦していた。 (手が震えて上手くはずせないのか……?) じっと観察していると、やっとのことでボタンを全て外し終え、今度は胸をぺろぺろと舐めだした。 「う……んっ……」 「…………」 ぴくりとも反応せず黙って凝視する俺と、なにやら声をあげながらぺろぺろと必死に胸を舐めて時折あぐあぐと甘噛みするこいつ。 これではどちらが襲われているのかわからない。 正直いやらしさの欠片もない。これではまるで主人に甘える小犬だ。 (…………) ――そして俺は。 「なんで……反応しねえ……の……」 その震える小犬のような姿に。 「な、なに見てんだよ……!」 その頼りない声に。 「よ、余裕こいてんじゃねえよっ! こ、これからお前を犯してやるんだからな!」 そのきゃんきゃん吠える怯えた小犬のような姿に。 ――胸を、つらぬかれた。 「……可愛い」 「はっ!?」   堪らなくなり、細くしなやかな身体を押し倒す。 「〜〜っ!? な、なに押し倒して……!」 「……ん? 俺が怖い? 俺を犯そうとしてたくせに?」 「な、怖くねえよ……っ!」 どういう事情で俺を犯そうとしたのかは知らないけど、そんなに意地を張らなくても。 細い肩がふるふると震えてどうみたって怯えてる。 「でも震えてる」 「こ、これはッ! 寒くて!」 震えている、と指摘された瞬間にかあっと赤くなった頰。 ああ、可愛い。 「ふうん、そっかァ。でも、お前、俺を強姦しようとしただろ。そんな奴が何されたって文句は言えないね……?」 今度は、面白いようにサァッと顔が青くなる。 その怯えた顔を見た瞬間、ゾクッと俺の体奥の熱いものが震えた。 ――なるほど、これが「萌え」という感情なのか。  

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