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千歳の章22

 きらびやかな王宮、麗しい男女、花が咲き誇るガーデン――浪漫いっぱいの恋。暦が魅了される物語は、そんな、恋の物語が多かった。  街を闊歩しながら、暦は自分が読んできた物語について語ってくれる。身分違いの恋から幸せに溢れた優しい恋……たくさんの、恋の話だ。物語を語っているときの暦は、なんとも不思議な表情をしていて、彼女の心の中を察することが難しかった。乙女のように目を輝かせているくせに、時折何かを諦めたように瞳から輝きを失わせる、その繰り返し。声色は上ずったり、沈んだり、落ち着かない。  暦の話を聞いているのは楽しかったけれど、なんとなく、辛かった。あまりにも、彼女の現状と乖離しすぎている。そんな話を、夢を見るように語られては……流石の織も、堪えてしまう。 「……あの、暦さん」 「なあに?」 「……俺と、こうしていること……嫌じゃありませんか?」 「なぜ? とても楽しいわよ。貴方は他の男性と違ってむさ苦しくないから、隣にいて居心地いいわ」 「……だって暦さん……俺のこと、好きじゃないでしょう」 「……、」  どうしても、耐えられなくなって。織は、とうとう言ってしまった。今まで言ってはいけないんじゃないかと抑えこんでいたものを、ついに吐き出してしまったのだ。  その、瞬間だ。暦は立ち止まり、じろ、と織を睨みつける。そして――はっ、と嗤ったあと、吐き出すように言ったのだ。 「なにそれ、嫌味?」  突然の彼女の変貌に、織はぎょっとしてしまう。そして、自分の発言が彼女に対して非常に失礼なものだったと、気付いてしまった。政略結婚なのだから、そこに恋愛感情などないのがあたりまえ。彼女なりに歩み寄ってくれようとしてくれたのに、そんな彼女に対してこんなことを言ってしまったのでは、彼女が怒るのも当然だ。  織は慌てて謝ろうとしたが――その前に、彼女が口を開く。 「好きじゃないからなに? 好きじゃなくても結婚しないといけないんじゃない。好きじゃないと結婚しちゃ、ダメなの? じゃあ、私って何よ。生まれてから今までずっと、金持ちの男と結婚しなきゃいけないって決められていた、私の人生ってなんなの? 貴方、私の人生を否定するつもり? こんなことしたくてしてるんじゃないわよ!」 「す、すみません……! そういうつもりじゃ……」 「聞いているわよ。貴方は、碓氷家の次男でありながら、妖怪に襲われる体質を持っていたおかげで碓氷家の跡取りになるという役割を与えられていないそうじゃない。自由だったでしょうね。私と違って!」 「……ッ、俺だって好きでそんな体質を持っていたんじゃない……!」 「だったら私と代わってよ! 私だって……私だって、……どんな不幸を背負ってもいいから、たった一度でいいから……好きな人に口づけをされてみたかった……」  暦の手から、傘が落ちる。そして、暦は織に縋り付くようにして、両肩を掴んできた。暦の瞳からは涙がぼろぼろと流れ落ち、彼女はその涙を隠すようにして、項垂れる。 「……どうして、女に生まれたのに、恋をしちゃ、いけないの……あんなに近くに、欲しい人が、いるのに……」  自分の境遇を揶揄されたのに、織は怒りを覚えなかった。一瞬、苛立ちを覚えたのは事実だが、それ以上に彼女の言葉に共感してしまったから。  妖怪に襲われる体質のせいで、たくさんの苦労をしてきた。孤独に苦しんだ。けれど――そんな苦しみがあったからこそ鈴懸に出逢い、鈴懸と結ばれた。結局、この人生は幸せだったのだ。  だから――もし、自分が彼女の立場になってしまったとしたら。傍に、鈴懸がいるのに、触れることも触れられることも、許されない。それは、地獄のようだ――そう思ったのだ。 「……織さま。教えて。好きな人に触れられると、どんな気持ちになるの?」 「……息が、できなくなって。頭が、真っ白になって。あの方に触れられた瞬間、俺は――……」    傘に叩きつけるような雨粒が、ぶつかってくる。織は暦が濡れないように、彼女を抱き寄せて傘の中にいれてやった。  湿気のある空気が、傘の下に篭もる。暦の髪の毛に染み付いたお香の匂いが、いやに鼻をついた。雨音も、彼女の泣き声も。織には背景でしかなく、ただ、織の目に映るのは、愛する人の幻影だけ。  ――そう、この人に、見つめられただけで……俺は。 「……死にたくなります。死にたくなるくらいに、幸せで、狂いそうになる」  織の唇から落ちた言葉が、暦の耳に届く。    暦は、ふ、と泣きながら笑うと、小さく、言ったのだった。 「羨ましい。私も、死にたくなるくらいに幸せな、恋をしてみたかった。」 

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