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白百合の章14

 明澄神社は、幸いにも切り株のあった山からそう遠くないところに位置していた。さすがに歩き疲れたため今日はもうあきらめてしまってもよかったのだが、いけないこともない距離にあったため二人はなんとか明澄神社まで向かうことにした。  二人が明澄神社にたどり着いたのは、逢魔が時であった。空に朱がさして、空気はどこか怪しい雰囲気。しかし――明澄神社の石段を登れば、そこは澄んだ空気が漂っていて魔を感じなかった。 「空気がきれいですね。鈴懸様がご不在でも鈴懸様の力が届いているのでしょうか……」 「まあ、鈴懸は一時的に碓氷の屋敷にいるだけで、この神社を捨てたわけじゃないからな。力はちゃんと及んでいるのだろう」 「それに、前に来たときよりもずっと清らかなものを感じます。鈴懸様の力は本当に戻ってきているんですね」  以前、織と鈴懸が出逢ったころにこの神社に訪れていた詠は、そのときの空気との違いに驚いていた。見た目こそはすっかり老朽化した神社であるが、そこに漂う空気は確かに「神の社」であることを感じさせる。  明澄神社の変わり様に感動している詠であったが、やはり白百合は鳥居が気になって仕方ないようだった。棒のようになった脚に鞭をうち、ぱたぱたと走るようにして鳥居に近づいていく。 「この鳥居が……本当に咲耶の墓の木、なのか……?」 「何も感じませんか?」 「……いや、」  白百合はぺたぺたと鳥居を触りながら、呆けたような顔をしていた。ここにくるまでに何やら難しそうな顔をしていたのが嘘のように、毒の抜けたような表情を浮かべている。 「咲耶は……絶望に生きて、絶望に死んだのだ……それなのに……この鳥居からは、なぜか――小さな光のようなものを感じる」 「……実はあの木じゃないのかもしれませんね」 「いや、でも……確かに、咲耶だ。咲耶の魂の、残り香がある」  咲耶の墓となった木が使われた、鈴懸の社の鳥居。それからは、不思議と負の匂いを感じなかった。白百合はそれがなぜなのか気になって仕方なかったが、それと同時に胸の中のこわばりが解けていくような感覚を覚えていた。    咲耶が抱えていた絶望が、もしも何らかの形で和らいでいたのなら――それこそ、白百合が望んだことだから。 「鈴懸様の力が強いから、浄化された……とか?」 「……別に鈴懸に浄化の力などないぞ。あの性格を見ればわかるだろう」 「ま、まあそうですけど……ほら、神様ですから」 「ううむ……でも鈴懸の神としての能力は、幸福を招くといったくらいだと思うのだが……咲耶のような邪な魂を清める力など持っていないはずだ。この神社の鳥居になったくらいで、咲耶の魂が浄化されるわけがない」  なぜ、咲耶がもっていた絶望が、この鳥居から感じないのか。白百合はその原因が気になって仕方なかった。鳥居になるくらいだから、咲耶の墓であった木は一度清められてはいるだろう。しかし、そうではあっても、咲耶の魂に染み付いた絶望まで抜けるわけではないのである。  いくら考えても、わからない。白百合は参ってしまって、鳥居にぽすんと寄りかかる。  咲耶は親友であったからこそ、彼女の魂の行く末を見守りたい。白百合がこうして咲耶について調べようとしている大きな理由は、そこにあった。もちろん、織を救うことが大前提ではあるのだが。 「……咲耶」  白百合は目を閉じて、ほう、と息を吐く。そうすれば――夕焼けが瞼を抜けて、視界が紅に染まる。 「――白百合さま、……白百合さま?」    ふ、と意識が遠のいていくのを感じた。白百合は――詠の声をききながら、どこかへ落ちていくような、そんな感覚に飲み込まれていった。

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