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白百合の章52

 櫨の死刑は、閻魔大王のもとで、ひっそりと行われる。  陽もあたらぬ、小さな部屋。何百年と紡いできた命が、こんな粗末な部屋で終える虚しさに、僕は溜息をつく。  僕が櫨の死刑を執行する執行人に決まってから、この日がくるまで長いようで短かった。正直なところ、僕の手で櫨を殺すなんて悪い夢に違いないとすら思っていた。 「――……」  手足を縛られた櫨が視界に入って、僕は動けなくなった。本当に、ここで僕が彼を殺すのかと信じられなくなった。 「……櫨。貴方も大概、虚しい人生だったね」 「……そうか?」 「ああ。僕を妻にするために閻魔大王の使いになって、その結果……こうして使いの禁を破り死罪になる。僕を愛したりしなければ死ぬことはなかったのに、その僕に殺されて生を終えるんだ。すごく、虚しいと思うけど」  会話は、好きにやってもいいらしい。僕は胸のうちからこみ上げる切なさを誤魔化すように、どうでもいい言葉を紡ぐ。彼を斬る覚悟もまだできていないのかもしれない。 「悪くないと思うぞ。まるで、おまえのために俺が生まれたようじゃないか」 「……馬鹿なことを言うね。生きていれば、僕よりも好きになれる人に出逢えたかもしれないのに」 「それはないさ。ないから、こうしておまえにここで殺される運命に辿りついたんだろう?」 「……」  櫨は、僕よりも死の覚悟ができていた。穏やかに笑って、僕に斬られるのを待っている。  櫨は僕に斬られることすらも、僕への愛おしさに溶け込ませていた。僕によって命を終わらせられることを歓びとしていた。  最期まで、酷い男だ。貴方は、貴方を斬る僕の気持ちなど知らないのだろう。こんなにも辛いなんて、夢にも思っていないんじゃないか。 「……一人で満足して逝くんだから、櫨はいいよね。僕はこれから先、貴方を想って何度涙を流すのかもわからないのに」 「……それは、……ごめんな」 「……っ、ごめんなんて絶対思ってないでしょ!」  刀を抜いて、櫨の首に突きつける。  話せば話すほどに、彼への想いが膨れ上がっていってしまう。 「櫨は、櫨が僕を愛することだけで満足して……だから、初めの頃なんて僕のことを考えないで無理やり抱いてきたし、僕の気持ちなんて考えないで好きだ好きだずっと言ってきたし、……今もこうして笑っているし……。わかっているのか、おまえと僕は恋人で、夫婦で、……愛し合っている。おまえが死ぬってことは、僕が不幸になることだってわかっているのか! 最期まで最低な男だな、おまえは! その笑顔が、腹立つんだよ!」 「……ああ、俺は……最低な男だな……最期まで、おまえをそんな顔にさせて」 「……っ、わかってる、わかってるよ、櫨! 今、絶対櫨は……僕の泣き顔を可愛いって思っているだろう! この、馬鹿!」  涙の雫が、頬を伝ってぽたぽたと落ちてゆく。みっともないくらいのこの顔を、櫨は愛おしいと思っているのだろう。僕が櫨を想って泣いていることを、嬉しいと思っているのだろう。  心底、自分を愚かだと思う。この男は本当に最低だ。それでもこの男を愛している自分は、もっと最低だ。 「……吾亦紅。ひとつ、最低なわがままを言ってもいいだろうか」 「……、わがまま?」 「俺は……おまえの全てが好きだ。泣いている顔も、何もかもが愛おしいと思う。……今、こうしておまえを泣かせている俺がこんなことを言うのもなんだが、おまえの表情の中で、一番笑っている顔が好きなんだ。吾亦紅……どうか最期に、おまえの笑っている顔をみせてはくれないか」 「……っ、」  刀を持つ手が震えた。  すべては、おまえが悪いのに。おまえが僕のことを好きにならなければ、おまえが咲耶に惑わされなければ、こんなことにはならなかった。僕が泣くこともなかった。  わがままにもほどがある。こんな状況で笑えなどと、酷いことを言う。 「……、いつも、泣くな、泣くなと……貴方は僕に言った。いつも僕は、貴方に泣かされているのに……貴方は、笑えと言った。わがままは……今に始まったことじゃない」 「……ああ。おまえはいつも俺の腕の中で泣いていた。『幸せだ』と言いながら、泣いていた。そんなおまえが、本当に、愛おしかったよ、吾亦紅。それでも、おまえは笑っていたほうが美しいと思ってしまうのは……何故だろうな。俺にも、わからないのだ。笑ってほしくて堪らなくて……どうしようもなかった」 「……僕が笑えば、櫨も笑っていたな。……ああ、僕にもわからない。何故だかわからないのに、櫨が笑っていることが嬉しかった。一緒に笑うことを、何よりの幸せだと思っていたよ」 「……、じゃあ、最期には笑い合おうじゃないか。吾亦紅」  ――状況が全然違うだろ、馬鹿。  そんな言葉はしゃくりで引っ込んでいった。僕は櫨と笑いあった日々を思い返し、あの頃の幸せを呼び起こす。  胸がつぶれそうで、たまらない。 「……泣くなよ、吾亦紅」  それが、貴方の最後の言葉か。  櫨はその言葉を最後に、口を噤む。優しい瞳で僕を見つめて、刀の呼吸を感じている。 「……ひどい、ひとだ」  貴方の冥土の土産は、この僕の泣きはらした笑顔になるのか。あんまり不細工だと、悪いだろう。  僕は手の甲で涙をぬぐう。一呼吸おいて、櫨を見下ろした。  こみ上げる涙も、震える唇も、ぐっと我慢して――そして、精一杯の笑顔を見せてやる。 「――さようなら、櫨」  櫨も、笑った。幸せそうに笑った。  ひどいひと。貴方の首を切り落とした瞬間に僕が泣き崩れたことを、貴方は知らないんでしょう?

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