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白百合の章53
櫨の死刑から、ひと月が経つ。
心の傷は癒えぬまま、僕は仕事を再開していた。突然、一人でこの地区を担当することになってしまったから忙しいといえば忙しいのだが、ほとんどの感情が消えうせたこの状態ではその忙しさはあまり苦にならなかった。
「――ああ、琵尾さん。お会いしたかったわ」
「……、」
ふいに、耳障りな声が聞こえてくる。
琵尾、という妖怪の記録をしていたときのことだ。琵尾のもとに一人の女がやってきた。
僕はその女の声をよく知っていた。
「咲耶!」
女は、咲耶。櫨が死ぬ原因をつくった女だ。僕は思わず食い入るように琵尾と咲耶の会合を見つめる。咲耶は相変わらずの淫らな笑顔を浮かべて琵尾を誘惑している。
――斬りつけてやろうと思った。いや、上から口に刀を突っ込んで、串刺しにしてやろうと思った……の方が正しいかもしれない。咲耶を見た瞬間、自分でも驚くほどの憎悪が溢れ出したのである。
櫨は「咲耶を救ってほしい」と言った。それが彼の遺言であったから、本当ならばそれを護りたいと思う。けれど、心がその想いについていかない。櫨の心を奪っておきながら、ああして何食わぬ顔でほかの妖怪を誘惑している彼女を心底憎いと思った。それが、彼女の本質だと知っていても。僕は咲耶のことを救いたいなどと思わなかった。
「琵尾……ああ、琵尾」
咲耶が琵尾に服を剥ぎ取られてゆく。咲耶は醜く顔を蕩けさせて、雌猫のように腰を揺らし琵尾に秘部を擦りつける。
気持ち悪い。嗚呼、悍ましい。
仕事柄、人間の性交を見てしまうことはたびたびあった。しかし、こんなにもこの行為を汚らしいと感じたのは初めてだ。そこに心は存在しない、醜い本能だけがあって、生々しい体が絡み合う。虫の種付けと何が違うのだろう、そう思った。
「――咲耶―!」
「えっ」
心底不快だ、殺してしまおう――そう感じて刀の柄に手を伸ばしたとき。
場違いな声が響き渡る。声をした方へ視線をやれば、そこには――
「咲耶! こんなところで何をしておるのだ! 妾との約束はどうなった!」
「しっ……白百合さま! あら、私約束なんてしていましたっけ?」
「ばっ……馬鹿者! 妾との約束を忘れるなどなんという不敬! 不敬だぞ咲耶! さっさと服を着て妾に着いてくるなら許してやろう!」
――あれは、白百合。
咲耶のもとに走ってやってきたのは、少女の姿をした神、白百合だった。
咲耶は不満げな顔をしながら服を整えだし、「ええ~?」と白百合に文句を言っている。僕はその様子を見て、唖然とする。改めて見ると、白百合は非常に純粋無垢といった顔立ちをしていて、きゃんきゃんと騒ぐ姿はまさしく少女そのものであった。僕はそんな彼女が咲耶と共に過ごすということが考えられなかったのだ。だって、咲耶は寂しさを体の関係で埋めるような淫乱で、つまり、咲耶は白百合とも――……
「白百合さまぁ、私、何回思い出しても、約束は今日じゃないと思いますよ。明日です。きのこ狩りは明日の約束でした」
「……そうだったか?」
「そうよ。ちゃんと数えていたもの。約束した日から5回太陽が昇ったら、白百合さまときのこ狩りをするんだって」
「……じゃあ、今日は……」
「ふふ、じゃあ今日は日比野山に咲いている花の名前を教えて。この前、いつか教えてくれるって言ったでしょう?」
「おう、そうだな、そうしよう。支度をするがいい、咲耶」
僕は目を疑った。白百合と会話をしている咲耶の顔は、ただの少女だったから。
取り残された琵尾はなんだか憐れなような命拾いしたなと背中を叩いてやりたいような。それよりも、楽しそうに微笑んで白百合に着いていく咲耶の姿に、僕は目が釘付けになった。
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