211 / 225

白百合の章55

「やっほー、旦那。久しぶりだね」 「……」  最後に玉桂の顔を見たときから、どのくらい経っただろうか。僕が無理強いをして、激しく抱かれ、それっきり彼とは会っていなかった。そんな僕が突然来訪したのだから、玉桂が唖然とするのも無理はない。 「生きていたか、吾亦紅」 「おかげさまで」 「……しかし、前よりもひどい顔をしているな。吾亦紅……おまえ、魂の淀みが酷いぞ」 「……色々あったからねえ」  彼とはもう会わなくてもいい、と思っていたが、こうして彼に会いに来てしまったのにはそれなりの理由がある。  まず、心を許せる人に近くにいてほしいと感じるほどに、精神的に不安定になってきたこと。そして――玉桂と咲耶の関係が深くなっているということ。  以前より、玉桂は咲耶の毒牙にかかっていた。しかしここ最近は、玉桂がさらに咲耶に入れ込んでいるのだという。  咲耶の魂は白百合によって浄化されつつあるように思えたが、なぜ、玉桂との関係が密になっているのだろう。僕はそれが気になった。 「旦那。最近どう? 咲耶と仲良くやってるんだって?」 「……そんなことを聞きにきたのか?」 「そんな怖い顔をしないでよ。知りたいでしょ? 大好きな旦那が今の女といつ別れるのか」 「は、よく言うわ」  単刀直入に咲耶のことを尋ねれば、玉桂は渋い顔をした。玉桂は他の妖怪とは違い、自分が咲耶の呪いにかかっていることを自覚している。きっと咲耶から逃げようと思えば逃げられるのにそうしないことに、なにか意味があるのだろう。彼の表情には、そういった意味が含まれているのだと、僕は勝手に解釈する。 「……咲耶。あいつは今、危険な状態にある」 「え? どういうこと?」 「……呪われて、しまっているのだ。恐ろしいことになっている」 「……呪われている? 呪っているのではなく?」  そんなはずがない。玉桂の言葉に、僕は混乱してしまう。  だって、咲耶は白百合と共に過ごすことによって、魂が浄化されているはずだ。それが、なぜ呪われている? むしろ咲耶は呪う側だったのに、呪われる側になった……? わけがわからなくなって、僕は言葉に詰まってしまった。 「……かざぐるまを知っているか。咲耶の、赤き逆廻りのかざぐるまを」 「櫨が持っていたかざぐるまのこと?」 「櫨だけではない。咲耶は、かかわった妖怪すべてにかざぐるまを渡している。自分のことを忘れられないように、強力な念をこめたかざぐるまを渡しているのだ」 「……それがどうかしたの?」 「あのかざぐるまには……咲耶を忘れられなくなる呪いが込められている。しかしその呪いは……同時に、この世への憎しみでもある。あのかざぐるまを渡された者は、知らずに心が鬼へ変わってゆく」  ……そうなのだろうか。  たしかに、あのかざぐるまに込められていたものは、悍ましいものだった。しかし、それを渡されていた櫨は、心まで変貌していただろうか。 「かざぐるまによって生まれた愛は、愛ではない。……怨念だ。咲耶が欲しい、咲耶を自分のものにしたい……そういった、愛とは呼べない醜い願望なのだ」 「ふうん。まあ……咲耶への愛と、僕と櫨のあいだにあったものを同じと言われたらそれは全く違うのは確かだけど。で、それがなに? 咲耶を危険にさらすって?」 「ああ。かざぐるまを渡された妖怪たちの強い想いが、一斉に咲耶に向けられている。それが――咲耶を、地獄へ突き落とすのだ。彼女自身が広げた呪いが、彼女自身を苦しめることになる」 「……旦那。もしかして、咲耶の魂が浄化されかかっていることに、気付いている? 以前までの咲耶なら、その呪いだって幸せだって言うでしょ? その呪いが彼女にとって危険なものになるということは、今の彼女が普通の人に戻りつつあるっていうことだよね」 「……咲耶は、人へなろうとしている。しかし……妖怪たちの呪いが、また彼女を鬼へ変えてしまう。そうなるのではないか……私は、そう思っているのだ」  ……自業自得じゃないか。なんて思ってしまう自分を嫌悪したくなるが、この世は残酷だなと思った。せっかく救われようとしているところを……過去の自分が許さないなんて。 「どうするの、旦那は。咲耶のことを、救う?」 「……いいや、私には無理だ。私と接する咲耶が、他の妖怪たちへ接する咲耶と同じだとわかっている。彼女を救えるのは、私ではない。……ああ、私では、ないのだ」 「……」  咲耶のことを憂う玉桂の表情は、正気なのかそうではないのか……わからなかった。しかし、本気で咲耶のことを想っている、それはたしかに思える。 「妖力が強いと大変だねえ。完全に呪いに取り込まれないから、そうやって中途半端に悩むんだ」 「いっそのこと、呪いに屈してしまえば楽なのだろうな……」 「……好きにしたらいいよ」  他の妖怪のように、醜い欲望をもって咲耶に接するようになる玉桂のことはあまり考えたくない。けれど……自分など捨ててしまった方が楽だということは、僕がよく知っている。  

ともだちにシェアしよう!