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白百合の章64

『ふふふん、今日も人間どもから貢ぎ物をたっくさんもらったぞ。今宵は宴だな』  森のなかをるんるんと鼻歌を歌いながら歩いているのは、一人の少女。このあたりで信仰されている小さな神様――白百合だ。  白百合はいつものように人間たちをからかったり、ちょっとした情けをかけてやったり、そんなことをして一日を過ごしていた。帰路について、自らの祠へ戻ろうとすると……。 『あん?』  祠の傍らに、一人の少女が座り込んでいるのに気付く。  少女はぼろぼろの着物を着てうずくまっていた。 『おぬし……妾の祠で何をやっておる』 『……ここ、貴女のおうちなの?』 『そのとおり。何か願いごとでもしにきたのか?』  少女が顔を上げる。  素朴な顔をした、どこにでもいそうな少女。彼女は白百合の顔を見るなり、ふふっと笑った。 『いいえ……ちょっと眠くなって。この祠の傍ならば、獣も妖怪も寄ってこないでしょうし、ひと休みをするにはちょうどいいと思ったの』 『ぬっ。妾の祠で勝手に休憩をとるとは。よいか、ここは神である妾――白百合のものだ。人間が勝手に使うことなど赦さぬ』 『貴女……神様なの?』 『妾のどこが人間に見えるか! ほれ、みよこの立派な耳! 尻尾! そして人間など比にならぬ美しさ! 神以外の何者でもあるまいて!』  白百合は頭のキツネ耳やお尻の尻尾をこれ見よがしに見せつけた。そうすると少女はふふふっと楽しそうに笑って、そっと手を伸ばす。 『ぬあっ! 耳を触るでない! 不敬ぞ!』 『ふふっ。ねえ、白百合様。今晩はここへ泊めてくださらない? 私、帰る場所がないのよ』 『……ふん。対価もなく妾に願い事をするとは無礼者め。貢ぎ物を用意せよ。そうだな……明日、一日。おぬしの時間を妾によこすがよい」 『私の時間……?』 『暇なのだ。妾と遊べ!』 『あそ……ぶ……?』  少女はキョトンとした顔をして、首をかしげた。白百合は「何を呆けた顔をしておる……」と呟いて、さわさわとキツネ耳を触る少女の手を掴む。 『遊ぶ、だ。わからぬか?』 『……。あそぶって、何をするの? 私……遊んだこと、ないわ。……ああそうだ、子どもたちがやっていた……蹴鞠やお唄……あれのことかしら」 『子どもたち、っておぬしも子どもだろう! まあ、そういうことだ。なんだ、やったことがないのか』 『ないわ。友達、いないの』 『ほう。ならば妾が遊びを教えてやろう。だが今宵はもう日が落ちる。今日は休んで、明日妾と……って、おぬし! 妾が話している最中だぞ、寝るな!』  少女はふわ……とあくびをして、その場にころんと横になった。白百合は呆れて、じろりと少女を見下ろす。 『おい、お主……そこで寝るのはやめよ。せめてこっちだ。そこには、アヤメが咲いておるだろう。潰れる』 『ん、んん……アヤメ?』 『お主が今にも潰しそうにしている、その花の名だ! そこをどけい!』  少女はハッとしたように地面を覗く。そこには、可憐に、小さな花が咲いていた。  少女はほおっと息をついて、アヤメを見つめる。そして、花弁を指先でそっと撫でると、ふふっと微笑んだ。 『この花の名前は、アヤメっていうのね。初めて知ったわ。……見た目のとおり、美しい名前をしているのね』 『そうだろう。花というのは、個々に美しい名を持つのだ』 『……』  少女は慈しむようにアヤメを見つめる。 『ねえ、白百合。あなた、私と遊んでくれるのでしょう。なら、花の名前を教えてくれる?』 『む? なんだ、花に興味があるか』 『ええ……美しい名前をたくさん知れば……私も、美しくなれる気がするの。こんなに汚い私でも』 『……そうだ、おぬし。おぬしの名はなんという。まだ聞いてなかったな』 『私……? 私は、咲耶よ』 『ほお、咲耶。お主も美しい名前をしておるではないか!』 『え……?』  少女は目を見開いた。  ニカッと微笑む白百合を、ジッと見つめる。  夕焼けが、白百合の金糸の髪を照らしていた。きらきらと髪の毛が靡いて、少女――咲耶の瞳に光を宿らせる。 『よい、よいだろう! 妾がたくさん花の名を教えてやろう。それから……お主の知らぬことをもっと! この世界の美しさを! いくら見ても足らぬほど、美しいものでこの世は溢れているのだと、妾が教えてしんぜよう!』 『ええ、それは……とても、楽しそうだわ』  咲耶という少女は、初めて美しいものを知る。  はじめての美しいものはアヤメ……いや、白百合という友人。それから、たくさんの、たくさんの……美しい思い出を重ねてゆく。たった一人の友人と共に。

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